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第88話 諸刃の月詠

 兼翔の言葉に、真白は驚いたように目を瞬かせた。なぜ、自分がカグヤではないと判断されたのか──その理由がわからないのだろう。無理はない。彼女はずっと水無瀬藍良の心に潜んでいた。つまり、死神界や月詠の法則を深く知っているわけではないのだから。


「さっきあなたが放った炎の月詠、あれは……本当は兼翔の月詠よね?」


 幻道の問いに、真白は躊躇(ためら)いがちに頷いた。


「月詠は、術者によって言葉が違う。……というより、同じ言葉は使えないの。本人以外の術者がその月詠を唱えれば、基本的に術は発動しない。仮に発動できたとしても、力が暴走して術者はその術に飲まれてしまうこともある。そういう法則なのよ」


 真白は、大きく目を見開いた。それを見て、兼翔は小さく笑みを(こぼ)す。やはり、真白はこの法則を知らなかったらしい。発動できなければこの法則にも気付けたかもしれないが、彼女はその天賦の才ゆえに発動させてしまった。だからこそ、気付くことができなかったのだ。


 一方で、蘭丸とタマオは今なお落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。タマオは兼翔の首をくるくる回るように這いながら、ぽつりと呟いた。


「……信じられん。月詠の模倣(もほう)など」


 兼翔はタマオの鱗をそっと撫でながら応じた。


「信じられんもなにも、彼女はたった今、俺たちの目の前でそれをやった。あの炎は俺の月詠。十年以上かけて、ようやく出せるようになった術を完璧に使いこなすとは、まったく……」


 呆れたように言いながら、兼翔は真白を見る。そして、ふっと力を抜いたように微笑んだ。


「お前を見ていると、必死に学校に行って術を覚えた時間が、阿保らしく思えてくる」


 真白は気まずそうに、顔を伏せた。影に隠れてはいるものの、その頬はどこか赤らんでいた。先ほどまで彼女を(まと)っていた狂気は、いつの間にか見る影もなくなっていた。そこにいるのは、水無瀬藍良と変わらない自然体な姿だった。


 ──本来の彼女は、こうなのだろう。


 そう思い、兼翔は奇妙な安堵を抱く。

 やがて、真白は顔を上げ、静かに問いかけた。


「なぜ、わたしがカグヤではないと?」


 幻道が兼翔に視線で促す。兼翔は小さく頷くと、淡々と答えた。


「カグヤはいくつも、強力な月詠を持っている。使いこなせるかわからない、リスクのある月詠の模倣などするはずがない。ましてや、カグヤの天敵──幻道様が目の前にいた。幻道様を恨むカグヤなら、自らの月詠で確実に仕留めようとするはずだ」


 真白は一度、納得したように頷いた。だが次の瞬間、はっとしたように顔を上げ、幻道を睨みつける。当の本人は、真白の視線に込められた怒りを察しているのか否か、意に介さず首を傾げて、どこかおどけた笑みを浮かべる。


「……ちょっと待て。じゃあ貴様らは、わたしが炎の月詠を放った時点で、カグヤではないと気付いていたわけか」

「ああ」

「そうですね」

「ま、そういうことになるかしら」


 三人の声が示し合わせたように重なり、真白は大げさにため息をついた。

 言い返す間もなく、兼翔の声が低く飛ぶ。


「だが……もう二度と、他の死神の月詠は使うな」


 唐突な警告に、真白は(わず)かに目を見開く。


「先ほども言ったが、月詠の模倣は諸刃(もろは)の剣。いつ暴走するかわからんからな。暴走すれば間違いなく……お前も、水無瀬藍良も死ぬことになる」

「そうじゃ!藍良……じゃなくて真白よ。今まではたまたまうまくいっただけじゃ。次も同じとは限らん!もう決して使ってはならんぞ!」


 兼翔とタマオの言葉を受け、真白の顔が一瞬にして強張った。彼女は一同に順に視線を巡らせ、静かに呟く。


「……それで、わたしはどうなる?」


 一瞬の静寂。

 真白の言葉が意外だったのか、幻道は首を傾げた。


「貴様らは白隠派。化身の討伐を目的とした派閥だろう。わたしをこのまま、封じるのか?」


 三人は顔を見合わせる。

 そして幻道は、霧が晴れたかのように表情を緩め、どこか吹っ切れた様子で大きく息を吐いた。


「だから、藍良ちゃんはあなたを出し渋ってたのね。あなたがカグヤであろうとなかろうと、わたしたちがあなたを封じると思ったから。これで合点がいったわ」


 真白は眉間にしわを寄せる。


「どういうことだ?」

「千景や兼翔は白隠派、そして蘭丸は幽光派。表向きはそういうことにしているけど、実は彼らは、どちらにも属していないのよ」


 予想外の返答に、真白は押し黙った。

 幻道ははっきりとした口調で続ける。


「確かに私はかつて白隠派だったけど……それは五十年も前の話。わたしたちは中立の立場。公正公平に、化身が危険かどうかを判断する。そういう立場よ。強いていうなら──」


 幻道は数秒考え込んだあとで、閃いたようににっと笑い、声を張り上げた。


「幻道派……みたいな感じかしら!どう!?今名前考えてみたけど!!」


 真っ直ぐなドヤ顔に、真白はげんなりと肩を落とす。


「……つまり、わたしと藍良は?」

「安心して。お咎めなしよ。脅すようなことして、ごめんなさいね。あなたはさっきのわたしの攻撃から……そしてユエから命懸けで藍良ちゃんを守った。危険な化身ではないことは、充分理解したわ」


 その言葉が放たれた瞬間、真白はようやく、心から笑った。同時にじんわりとした熱が込み上げてくる。藍良だ。きっと彼女も今、このやり取りを見守っている。幻道の言葉に、心底安堵しているのだろう。


 真白は静かに息を吐いたあと、ふと胸に引っかかっていた違和感を思い出す。そして振り返り、蘭丸を睨みつけた。

 真白の鋭い視線に、蘭丸はぴくりと肩を震わせたあと、あからさまに視線を逸らす。真白はそんな蘭丸を「逃さない」とでも言うように、声をかけた。


「おい」

「……はい?」

「お前、藍良の審問中に幽光派だと言っていたな。あれは?」

「……嘘です」


 あっさり答える蘭丸に、真白は小さく舌打ちをした。そして何度目かわからない悪態が、喉の奥からこぼれる。


 真白は藍良の審問中の出来事を思い返していた。あのとき、幻道の使いである八咫烏(やたがらす)が、言伝の書かれた紙を携えて現れた。幻道と蘭丸が繋がっていたなら、そのやり取りも()に落ちる。


「なぜそんな嘘を?彼も白隠派にしておけば……」


 蘭丸は口を閉ざし、視線を幻道へ向ける。幻道は、蘭丸の代わりとでも言うように、静かに口を開いた。


「……彼にはね、少し面倒な役回りをお願いしてるの」

「役回り?」

「幽光派の監視役。あの派閥には、カグヤを神と慕う死神が、未だにくすぶっているから」

「ややこしいことを」


 吐き捨てるように言う真白。すると、兼翔がなだめるように間に入った。


「そう言うな。蘭丸が幽光派の監視役だということは、俺もさっき知ったばかり。これはまだ、千景も知らない情報。あとで伝えてやらんとな」


 真白は渋々と頷き、改めて幻道へ向き直る。


「……表向きは幽光派ということは、花倉の審護もその流れで?」


 その瞬間、場の空気が静まった。一気に緊張が走り、真白は反射的に身構える。

 しばしの間のあと、幻道が低く、そして重たい口を開いた。


「あなたをカグヤと疑ったように、わたしは花倉も疑っているのよ。今、あなたはカグヤではないとわかった。そして、蘭丸の調査報告を踏まえると──」

「まさか……花倉の化身が、カグヤ……?」


 真白の疑問に、幻道は否定も肯定もせず、腕を組んで押し黙った。その表情からは、まだ確信には踏み切れない、疑念が滲んでいた。

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