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第83話 仲間に手を引かれて

 花倉の言葉が放たれたあと、特別最高審問に来ていた死神たちは、こぞって藍良に指をさし、声を上げた。


 花倉の高笑いと、折り重なる死神たちの畏怖(いふ)や怒り……そして、その中には不気味な関心と敬愛のようなものも混じっていた。あの場には白隠派(びゃくいんは)幽光派(ゆうこうは)の死神がいた。それぞれの派閥の濁った感情が、藍良の身体に(まと)わりついていた。


 幻道は場を制しようとしたが、結局紛糾のうちに中断された。幻道は「明日、同じ時間に再開する」と短く告げると、一瞬蘭丸に目配せをし、早々とその場を立ち去った。藍良に目もくれなかったのは、宿敵・カグヤの化身である真白への怒りからだろうか。


 藍良はそのあと、兼翔に声をかけられたが、ひと言も言葉を発しなかった。正確には、できなかったのだ。審護に来てくれた彼に、藍良は決定的な嘘を()いていた。真白の存在を黙っていたこと。どうしようもないことではあったが、自分のせいで、審問官としての兼翔の立場も危ぶまれるのではないか。そんな気がしてならなかった。


 部屋に戻るなり、藍良はベッドに静かに腰をかけ、頭を垂れた。部屋は暖かいのに、自分が吐く息が嫌に冷たく感じられる。そのとき、首元に巻きついたタマオが、そっと藍良を慰めるように頬を舐めた。だが、藍良はタマオの(うろこ)を撫でる気力もなく、ただ呆然とうなだれる。


 ここまで隠し通してきた真白の存在が、完全にバレてしまった。まさか花倉がナイフを隠し持っていたなんて。あのタイミングで、襲ってくるなんて。どうして何も警戒せず、証言台へ向かってしまったのか。


 あのときの光景が蘇った途端、視界が滲む。堪らず、藍良は両手で目を覆った。


 こうなったら、真白の存在を打ち明けるしかない。そして、危険な化身ではないとわかってもらうしかない。


 少なくとも千景は信じてくれた。どうにかして、兼翔にも、そして幻道にも、真白のことを信じてもらわなければならない。彼女は本当に、危険な化身ではないのだから。


 藍良は顔を上げ、薄暗く照らされた壁を見つめた。


 そのとき「コン、コン」という音が、響いた。藍良は肩をビクつかせて扉を見つめる。すると、再び大きなノック音が響く。


 誰か、いる。

 蘭丸か?

 それとも──。


 ふと嫌な予感がよぎり、藍良はぞわりとした。先ほどの特別最高審問会で藍良に指をさした審問官たち。怒号と好奇が入り混じった狂気のような感覚。この扉の先にいるのは、どちらかの派閥の死神ではないか。藍良を──真白を殺しに……もしくは利用しようと捕えに来たのかもしれない。


 藍良はそっと机を見やり、震える手を伸ばして虚映ノ鏡を掴んだ。この鏡はどんな属性の攻撃も跳ね返すことができる。そのとき、首に巻かれているタマオがスッと頭を上げ、藍良を見据えた。


「案ずるな、藍良よ。わしもおる」


 頼もしい声を受けながら、藍良は呼吸を整える。そのまま小さく頷くと、そっと扉へ近づく。響き続けるノック音。唇を噛み、思い切り扉を開けた。そのときだった。


 ──ゴンッ。


 予期せぬ鈍い音に、藍良は眉間にしわを寄せた。額を押さえてしゃがみ込んだ死神──それは紛れもない、あの兼翔だったのだ。痛みで震える彼の後頭部を眺めながら、藍良は呆れにも近いため息を漏らした。


「……兼翔!ビックリするじゃん!」

「驚かすでないわ!まったく!」

「それはこちらのセリフだ。この阿呆どもめ」


 兼翔はスッと立ち上がると、藍良を真っ直ぐ見つめた。その目を、藍良は瞬時に()らす。先ほどの審問会での一幕がすぐさま呼び起こされ、どんな顔を向ければいいのか、わからなくなったのだ。


「虚映ノ鏡か」


 藍良の左手に鏡が握られているのを見たらしい兼翔が、ぽつりと呟く。


「……お前は人間なのに、なかなか数奇な人生を送ってるな」


 藍良は答えず、ただ俯く。兼翔がここに来たということは、真白のことを問いただしに来たに違いない。まずは彼に話すべきだろうということは藍良にもわかっていたが、どう切り出せばいいのだろうか。


 そんな思いを巡らせていると、兼翔は唐突に藍良の右手を掴んだ。驚き、顔を上げる藍良に、兼翔はいつになく真剣な声色で告げた。


「悪いが時間がない。行くぞ」


 そう言うと、兼翔は藍良の手を引き、歩き出す。


「ちょ、ちょっと!」

「どこへ行くのじゃ!?兼翔!!」

「静かに」


 兼翔はそう短く告げ、歩き出した。彼の様子がいつもと違うことに、藍良はすぐに気付いた。兼翔は見るからに周囲を警戒していた。他の死神の気配を感じようものなら、別部屋や廊下の影に屈み、身を隠した。そして、見たことがない廊下を歩き続け、複雑な階段を上ったり、下がったりした。それからおよそ十分、まるで迷路のような通路を、藍良はタマオを首に巻きつけたまま進み続けた。


 兼翔はあるフロアの廊下の突き当りに行き着くと、腰を落として手を置いた。その瞬間、床は小さく音を立て、まるで扉のように上へ開いていく。


 兼翔は廊下を照らしていたランプを手に取ると、開いた入口の奥を照らした。そこにあったのは階段。どうやら、地下深くに続いているようだ。


「なんと……!こんな隠し通路があったのか」

「下りるぞ。転ぶなよ」


 驚くタマオを横目に、兼翔は藍良の手を引き、階段を下り始めた。廊下へと繋がる扉がゆっくりと閉じられたのを確認した藍良は、静かに口を開く。


「手……離してくれない?」

「だめだ。お前を逃がすわけにはいかないからな」


 兼翔はペースを乱さずに、湿っぽい空気が漂う空間を、下へ下へと歩み続けた。一方の藍良は、彼の言葉に滲む本音を、直感的に理解していた。


 ──お前の中の“化身”を逃がすわけにはいかない。


 本当は、そう言いたかったのだろう。


 兼翔も真白の存在に辿り着いた。今、藍良の手を引いているのは、味方としてなのか、それとも──。


「兼翔は、化身っていう存在をどう思ってるの?」


 藍良は、自分でも驚くほど率直に、そう尋ねた。


 一時期、彼はユエとの戦闘後、月印が刻まれた藍良を“黒標対象候補”として疑っていた。

 だが、同時に千景に頼まれて、藍良の“審護”を引き受けてくれた。


 本心では、藍良を、そして真白をどう思っているのだろうか。


 兼翔は振り向くことなく、淡々と答えた。


「幼いころ、俺は家族を化身に殺された」


 唐突な告白に、藍良の心は一気に硬直した。タマオも目を見開き、兼翔を見つめている。だが、兼翔は何でもない風に言葉を続ける。


「よりにもよって身近な死神に憑依してな。突然出てきて暴れ出した。そのときの恨みを晴らすために、俺は審問官になった。化身はカグヤの残骸。滅すべき危険な存在だと、ずっとそう思ってきた」


 藍良は言葉を失った。心の奥から、冷たい何かが込み上げてくる。


「そんな時、専門学校で化身の千景と会った。化身のあいつは、周囲から忌み嫌われていた。俺も初めはあいつを恨んだ。だが、見ているうちに別の怒りが湧いた。あいつは誰よりも強いはずなのに、どんな嫌がらせをされても抵抗しなかった。それが無性に腹立たしくて、あいつに喧嘩を売った。それであっさりあいつに負けた。笑えるだろ」


 藍良は以前、千景から聞いた兼翔との出会いの話を思い返していた。


 ──不思議なもので、兼翔と喧嘩をしてると、冷たかった心の奥が、少しだけ温かくなるんだ──


「きっと千景は、兼翔に感謝してると思うよ」


 率直に藍良はそう告げた。始まりはどうであれ、千景は兼翔との思い出を楽しげに話していた。喧嘩が絶えない二人だが、深いところでは繋がっている。藍良の言葉はそう思ってのことだったのだが、兼翔の反応はなかった。藍良はタマオと目を見合わせたあと、再び声をかける。


「兼翔、聞いてる?」

「ああ」


 兼翔は、立ち止まり、躊躇(ためら)うような素振りを見せた。


「……そんなことは、とっくにわかってる」


 どこか照れくさそうな声色に、藍良はたじろいだ。すると、兼翔は小さく咳払いをして、再び歩き始める。


「化身という(くく)りで相手を見ても、何の意味もない。その者自身を見なければ。そんな単純なことに気付くのに、何年もかかってしまった」


 兼翔の声は、先ほどよりもずっと優しかった。兼翔の感情を悟った藍良は、彼の背中を見つめながら微笑んだ。


「さっきの特別最高審問会。真白は水無瀬を……俺の仲間を守った。千景と同じ。危険な存在だとは思ってない」


 この発言に、藍良は大きく口を開けた。前を見ると、兼翔の耳は若干赤らんでいた。


 ──“同じ釜の飯を食った仲間”っていう意味かな。


 皆で食卓を囲った日々を思い返しながら、藍良はタマオと目を見合わせて笑った。すると、兼翔は足を止め、振り返った。階段横の壁につけられた灯りが明滅し、彼の短髪を不穏な橙色(だいだいいろ)に照らす。


「だが、それは俺の個人的な意見だ」

「……どういうこと?」

「真白という化身──本当のところよくわからん。それに俺は、お前や千景と近すぎる。真白は危険か、そうではないのか。もっと中立な立場で見極める必要がある」

「……それはそうじゃろう。じゃから、藍良は特別最高審問に呼ばれたのではないのか?」


 タマオの言葉に、兼翔は鼻で笑う。


「そんなまどろっこしいことやってられるか」

「どういうこと?どこに向かってるの?兼翔」

「最も中立に物事が見れる死神のところだ」


 それから数分階段を下りたところで、兼翔は足を止めた。そこは、階段の終着点。鉄製の重々しい扉があった。彼は両手を扉に置き、腕に力を込めて一気に開けた。


 薄暗い室内。奥までははっきり見えず、ぼんやりとした輪郭の中にうっすらと人のような影が映し出される。


「どうぞ」


 不意に声がして、藍良ははっと顔を上げた。部屋の奥、椅子に腰掛けた影は二つ──。

 そこにいたのは蘭丸。そして、最高審問官・幻道だった。

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