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第78話 タマオ、藍良のマフラーになる

「ああ~……お腹減ったよおぉぉ……」


 藍良は狭い客間のベッドにごろんと寝転がり、力なく声を漏らした。あれから数時間が経ったが、客間に訪ねてくる者はいなかった。つまり、食事もなし、というわけだ。


 ──ぐるるるる……


 間の抜けた音が、静かな部屋にやけに大きく響く。藍良はお腹をポンと押さえ、天井を見上げて舌打ちをした。


「……蘭丸のヤツ、ちょっとは気を遣えっての」


 聞くのを忘れていた自分も悪い。だが、わざとなのか本気で忘れているのか、食事すら用意しないというのは、さすがにあり得ない。


 ──とにかく、明日に備えてしっかり休まないと……。


 そう思い、藍良はぎゅっと目を閉じた。そのときだった。


 ──カタ、カタカタ……。


 微かな音がして、ハッと目を開ける。上半身を起こし、天井を見渡すと、隅の一角に小さな隙間があった。板のようなものがズレ、小刻みに揺れているのだ。露わになった隙間は、まるで誰かが内側からこじ開けているかのように、少しずつ広がっている。


 それを見た藍良は、反射的に身構えた。だが、次の瞬間……。


 ──ボテッ。


 藍良の顔面に、ひんやりとした感触が落ちてきた。


 ──この感触は、まさか……!!


 藍良は両手でその「物体」を掴み、おそるおそる目を凝らす。


「おおお~~藍良!無事じゃったか!!」

「タ……タ……タマオッ!!!!!!」


 真っ直ぐ向けられる、クリクリなおめめ。藍良は思わずタマオをぎゅっと抱きしめる。肌に触れるひんやりとした感触。それでも、言いようのない温かさが胸の奥まで染みわたってくる。


「来てくれたの!?ありがとう」


 タマオは「ふぉっふぉっふぉ」と得意げに笑う。


「当然じゃ!わしな、藍良のこと、大好きなんじゃ」


 藍良はそっと腕を緩め、タマオを見つめる。いつもはスケベ心丸出しのその瞳は、このときばかりは、驚くほど真剣だった。


「わしはずうっと藍良の味方じゃよ。じゃから……そんなに悲しそうな顔をするでない」

「タ、タマオおおぉぉ~~」


 藍良は再びぎゅっと抱きしめる。昨日からずっと張り詰めていた心が、ゆっくりとほどけていく。ああ、自分は心細かったんだなと、藍良は今更、自分の気持ちに気が付いた。


「……千景も今、藍良ために、頑張ってくれておる」


 その言葉に、藍良はハッと顔を上げた。


「タマオ!千景、どうしてるの!?」


 思わず早口になる。すると、タマオは少し困ったように、苦笑いを浮かべた。


「大丈夫じゃ。あのとき、例の蘭丸がいきなり藍良を死神界に連れて行ったもんじゃから、もう大変じゃったんじゃ……千景がその……ブチ切れての」


 藍良は目を見開く。


「兼翔の制止も聞かず、すぐに死神界に向かったんじゃ。そんでもって、接近禁止令を取り消してもらおうと、最高審問官の幻道に怒りの直談判しに行ってのう……」

「幻道さんに!?」


 声が裏返る。蘭丸に怒っているだろうなとは予想していたが、幻道にも怒りをぶつけていたとは。


「そ、それで……どうだったの……!?」

「それがの……やはり、どうにもならんかったそうじゃ。いろいろ、複雑な事情があるみたいでの……」


 藍良はがくりと肩を落とした。正直、ほんのちょっぴりだけ期待していた。もしかしたら、明日の特別最高審問に、千景が駆けつけてくれるのではないかと。


 タマオは一瞬、心配そうに藍良を見つめる。それから、何かを思い出したように口を開いた。すると、次の瞬間、タマオの口元から吐き出された糸のようなものがするりと伸び、天井裏の影へと消えた。そして、糸は小さな箱に絡まりながら引っ張ると、ぽとり、とベッドの上へ落とす。


「そんな藍良に、差し入れじゃ!ホレ、開けてみるがいい」

「差し入れ?」


 タマオは嬉しそうに何度も頷く。藍良は少し緊張しながら、ゆっくりと蓋を開けた。


 中に入っていたのは、見慣れたお弁当箱が二つ──どちらも藍良の家の者だった。ひとつを開けると、アスパラの肉巻きや焼鮭の切り身、卵焼きに唐揚げまでが、丁寧に詰められている。


 そして、もうひとつのお弁当箱には、ふんわりとしたサンドイッチ。カツや卵、ハム──あらゆる具材が惜しみなく詰め込まれている。


「……これ……?」

「兼翔が作ってくれたんじゃ!今日の晩御飯用と、明日の朝ご飯用じゃ」

「兼翔が!?」


 思わず声が跳ねた。見れば一目でわかる。使われている具材も、調理方法もバラバラ。つまり、手間を惜しまず、時間をかけて作ってくれたのだ。

 あの兼翔が、こんな家庭的な優しさを見せてくれるとは。


「それとな、ホレ!これは千景からの差し入れじゃ」


 タマオは尾の先で、箱の奥を示した。そこには、(てのひら)ほどの大きさのものが、白い和紙に丁寧にくるまれていた。藍良はそれを両手で受け取ると、そっと包みを解いていく。


「……虚映ノ鏡?」


 藍良は目を見開いた。千景が差し入れに選んだのは、かつてユエに鏡面を割られた、あの、虚映ノ鏡だったのだ。


 黒い持ち手。

 縁を彩る、丁寧な花柄模様。

 そして、その縁の中を埋めるように、色とりどりの絵の具が少し雑に塗られている。

 おそらく、縁の花柄模様を描いた人物と色を塗った人物は別なのだろう。


 虚映ノ鏡は、「神気を宿す存在を映さない」という稀有(けう)な特徴を持つ。だが、それだけではない。


「顕現せよ、虚映ノ鏡」


 この言葉を唱えれば、敵の攻撃を反転させることができる──それがこの鏡に秘められた、もうひとつの力だった。


「千景は……どうしてこれを?」

「うむ!ちゃんとな、千景からの言伝を預かっておる!」


 そういうと、タマオは咳払いをひとつ。

 声を落とし、静かに千景の言伝を口にした。


 ──少しの間、それを僕だと思って抱きしめて。


 言い終えた瞬間、タマオは頬がぽっと赤く染まる。


「千景のヤツ、なかなかロマンチストじゃの。わし、照れちゃう」


 一方で藍良は、少し頬を赤く染めつつ、苦笑いを浮かべた。そして、鏡をぎゅっと握りしめる。


 初めてこの鏡を藍良の家の倉庫で見つけたとき。

 千景はまるで、愛おしい恋人に再会したかのように抱きしめていた。きっと、片寄藍良──前世の自分との思い出が詰まっているのだろう。


 藍良は無意識に、鏡に描かれた花柄模様を指でなぞる。そのまま、そっと鏡を胸元へ抱き寄せた。それだけで、不思議と胸の奥が温かくなり、元気が湧いてくる。


「千景は……今は審問会の規定で藍良には会いに来られん……じゃが、許してやって欲しいのじゃ。立場的には審問官じゃからの」

「大丈夫、わかってるよ。だから、タマオが来てくれたんだね」


 藍良はそう言って、タマオの鱗をそっと撫でた。タマオはくすぐったそうに身体をくねらせ、舌をペロリと出す。


「そうじゃそうじゃ!実はな、さっき蘭丸が藍良の家に来て、わしらにいろいろ話しておったのじゃ」

「……蘭丸が?」


 思わぬ名前の登場に、藍良は目を細める。


「そうじゃ。蘭丸は、こんなことを言っておったよ」


 ──ひとりで心細いでしょうから、神蛇様は彼女の傍にいてあげてください。


「それでな、兼翔にも『彼女に差し入れを作ってあげたらどうですか?』なーんて言っておったんじゃ!それで兼翔が大急ぎで作ってくれてな。わしの分まで、しっかり用意してくれたのじゃ」


 藍良はポカンと口を開けたまま考え込む。やはり、おかしい。蘭丸は藍良の……そして千景の敵のはず。それなのに、ここまで気を回すなんて親切過ぎる。


 藍良は、タマオに向かって口を開きかけるが、そのとき。


「それにしても……特別最高審問とは、随分話がデカくなったのお。よりにもよって、千景との接近禁止令が出ているときに行われるとは……」


 タマオが呟く。どうやら、蘭丸から詳しい事情を聞いたらしい。


「それでも……怖がることはないぞ、藍良」

「どういうこと?」


 タマオは、グッと身体に力を込める。するとみるみるうちにタマオの身体は赤く染まり、艶やかな輝きを放った。そして、しゅるりと藍良の首元に巻きついていく。


「わし……藍良のマフラーになる!審問中もひとりじゃないぞ!そのために、こうして駆けつけて来たんじゃ!」


 至近距離でそう言い切るタマオに、藍良は微笑みを返した。すると、タマオはピンっと藍良に頭を向ける。


「それにな……藍良、千景に頼みごとをしたじゃろ?」

「……もしかして、わたしの“審護”を担当する死神のこと?」


 タマオは力強く頭を上下させる。


「そうじゃ!藍良にピッタリな死神に心当たりがあるようじゃった。今、必死で話を通そうとしてくれておる!千景のことを、信じるんじゃ」


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