第77話 愛ゆえの選択
──「白隠派」か、「幽光派」か……。
掲げられた二つの選択肢を前に、藍良は押し黙った。突然宣告された特別最高審問への出席。それは、かつての片寄藍良と同じく、自分の運命を決定づける場になる──藍良はそう直感していた。
問題は、どの派閥の死神を“審護”に選ぶか。
審護に就く死神の派閥ひとつで、藍良の行く末は大きく左右されるだろう。脳裏に先ほどの蘭丸の言葉が蘇る。
──わたしがあなたの立場なら、選ぶ派閥は最初から決まっている。
つまり、彼は「幽光派」を選ぶべきだ、と言いたいのだろう。幽光派は化身の保護を是とする派閥。仮に真白の存在がバレたとしても、彼女を守ってくれるかもしれない。
理屈だけなら、迷う余地はない。それでも……。
藍良はふと、右手の薬指に嵌められた指輪へと視線を落とした。そして、指先でそっとなぞる。これは、千景が藍良の身を案じて渡してくれた追跡用の指輪だ。
今、千景がどこで何をしているかはわからない。それでもきっと、藍良のことを想っている。その確信だけが、胸の奥で静かに熱を帯びていた。
藍良は両手の拳をぎゅっと握ると、顔を上げ、小さく呟いた。
「……幽光派」
そのひと言に、蘭丸の眉が微かに動いた。冷静な瞳の奥に、刃のような鋭さが宿る。だが、藍良は小さく笑うと、こう言葉を続けた。
「……と、言うとでも思った?」
蘭丸は一瞬、目を見開いた。
「……つまり?」
「わたしの審護は、白隠派の死神にお願いする。いいでしょ?」
「……てっきり、幽光派を選ぶものとばかり思ってました」
蘭丸は怪訝な表情を浮かべ、紅茶に口をつける。しばしの沈黙が落ちたあと、彼は藍良を改めて見据えた。
「わたしは、あなたの中に“化身”がいると確信しています。幽光派なら、仮にその秘密が露見しても、あなたを守ってくれるかもしれないのですよ。白隠派は、化身があなたに潜んでいるとわかった途端、すぐにあなたを危険人物だと見なすでしょう。それこそ黒標対象扱いに……」
「それでも、白隠派には千景がいるから」
藍良は、言葉を重ねる隙を与えずに、きっぱりと言い切った。すると、蘭丸の身体が僅かに前のめりになる。その目には、明確な困惑が滲んでいた。
「千景はあなたの審護に就くことはできませんよ」
藍良は黙った。そうなのだ。千景は今、藍良との接近が禁止されている。明日の特別最高審問で、千景は傍にいてくれるわけではない。
それでも、不思議と確信があった。この状況でもきっと、千景は自分の力になってくれるはず。理由はないが、そう心から信じられるのだ。
「わたしさ……難しい話、嫌いなの」
藍良はそう言って、どこか楽しげに笑ってみせた。
「白隠派とか幽光派とか、派閥がどうとか、誰が敵で、誰が味方で……そんな第三者から聞いた情報を信用して、自分の運命を決めるなんてできない」
藍良は静かに続ける。その瞳には、迷いのない光が宿っていた。
「わたしは、自分の目で見て、確かめたことしか信じない。わたしが一番信用している死神審問官は千景。わたしの運命は、彼に委ねる。わたしの審護をする死神は、千景に決めてもらう」
藍良の揺るがぬ意志を察したのか、蘭丸はふうっと息を吐くと、椅子に背を預けた。
「千景を……愛しているのですね」
…………。
…………ドゴッ!!
唐突すぎる言葉に、藍良は顔を真っ赤に染め、勢いよくテーブルに顔を突っ伏した。
──どうして、そういうことになる?
そんな思いに駆られながら、身体を小刻みに震わせ、そっと顔を上げる。すると蘭丸は、意外なほど柔らかく、穏やかに微笑んでいた。
「承知しました。わたしが責任を持って、あなたの意志を千景にお伝えします」
その曇りのない笑顔を見て、藍良の胸に大きな違和感が走る。昨日、自分を攫ったときの蘭丸。そして今。この瞬間の蘭丸。態度があまりにも違い過ぎるのだ。
「……ねえ」
「はい?」
藍良は探るように視線を向ける。
「……あんたは白隠派と幽光派、どっちの派閥なの?」
藍良は核心を突いた。先ほど、審護を任せる死神の派閥を問われたとき──藍良が「幽光派」の名を口にした瞬間、蘭丸の眼光が一気に鋭くなった。口では「なぜ幽光派を選ばない?」と言ってはいるものの、彼の眼光は、藍良が幽光派を選ぶことを警戒しているかのように思えてならなかったのだ。
だとすれば、考えられる答えはひとつしかない。
──蘭丸の派閥は、白隠派。
確信しかけたそのとき、彼から飛び出たのは予想外の言葉だった。
「……わたしは幽光派の死神審問官です」
「え……?」
思わず間の抜けた声が漏れる。藍良は反射的に、さらに問いを重ねた。
「本当に?」
「ええ」
「じゃあ、あんたも化身の“保護”を推奨しているってこと?」
「はい。化身は確かに闇属性を持っています。ですが、だからといって、すべての化身が危険だとは、わたしは考えていません。千景とは同期という関係ではありますが、派閥が異なります。ですから立場的には敵……ということになるでしょうね」
その言葉を聞いた瞬間、胸の中で燻っていた疑念が、ほんの僅かほどけていく。
彼がたった今放った言葉。これと同じような考え方を、藍良は以前、確かに聞いた。それは──。
「ねえ……あんた、もしかして──」
言葉が形になる、その直前。
蘭丸は話を遮るように、手にしていた書類挟みをテーブルへと静かに置いた。そのまま立ち上がると、足早に扉へと向かう。そして、扉を開けるなり、こう告げた。
「お話はここまでです。明日の朝、特別最高審問で、お待ちしております」
蘭丸は、無表情のまま、開いた扉を指し示した。
彼の瞳には、先ほどまでの柔らかさはまるでない。感情を排したような、底の読めない無機質さだけが感じられた。




