第75話 正直者の反撃
藍良の目の前に置かれたティーカップからは、紅茶の表面を撫でるように、湯気が静かに揺れている。だが、そんな穏やかな光景とは裏腹に、藍良と蘭丸の間には、ぴんと張り詰めた空気が漂っていた。
──見抜かれた。
藍良の嘘を、この男は一瞬で「嘘」だと見抜いた。心を見透かされ、藍良は無意識に身構える。
「何言ってんの。嘘なんかついてないし」
なるべく冷静に、そう返す。だが、蘭丸は小さく笑うと、ゆっくりとティーカップを手に取り、紅茶をひと口に含んだ。そして音も立てずにティーカップを置くと、和紙のようなものを挟んだ書類挟みを手に取り、淡々と告げる。
「先ほどのわたしの質問──あなたが回答に要した時間は何秒だと思いますか?」
思いがけない問いに、藍良は一瞬言葉に詰まった。僅かに考え、呟くように答える。
「二秒くらい?」
「いいえ、五秒です」
蘭丸は、そう言い切った。
「本当のことを話すのは、ただ“記憶”を引き出すだけ。普通なら、反応するのに一秒もかかりません」
蘭丸は指先で書類を軽く叩き、藍良を見据える。
「ですが、嘘をつく場合は違います。“もっともらしい自然な回答”を無意識に考えてしまうのです。そのため、思考に負荷がかかり、どうしても回答に時間がかかってしまいます。三秒くらいなら、慎重に考えているのかな?と、思えなくもないですが、流石に五秒は長すぎます。つまりあなたは、核心に迫ったわたしをどう誤魔化すか、考えていたのです」
静かに語る蘭丸の声が、秒針の音に混じりながら無機質に響く。聞きながら、藍良の表情はさらに強張っていった。
「加えて、回答直後にあなたは視線を泳がせた。これは、発覚を恐れた不安の現れです」
蘭丸はそう言うと、さらに追い打ちをかけるように言葉を重ねる。
「ついでに言いますと、わたしがあなたに『嘘をついている』と告げた瞬間、あなたの表情はハッキリと強張りました。核心を突かれた者の、典型的な反応です。思った通りあなたは──」
蘭丸は藍良を見ながら、堪えきれないとでもいうように、小さく笑い声を漏らした。
「とてつもない、正直者だ」
その笑顔は、あまりにも楽しげだった。藍良は目を見開くと同時に、胸の奥から屈辱がじわりと沸き上がる。余裕を崩さない彼の態度が、癪に障ったのだ。だが、当たっている手前反論もできない。まさに「ぐうの音も出ない」とはこのことだ。
蘭丸の言う通り、藍良は正直者。照れているときも、泣きそうなときも、怒っているときも、感情が真っ先に顔に出てしまう。
──このままじゃ、まずい。
藍良は心の中で、自分に喝を入れた。こんなことでボロを出してどうする。この男に真白の存在を知られるわけにはいかない。花倉の証言がある今、もし化身がいるとバレたら、即座に真白が黒標対象扱いされること間違いなしだ。
そんな藍良の焦りなど意に介さず、蘭丸は言葉を続ける。
「水無瀬さん。わたしはプロの死神審問官です。口の悪い、ただの女子高校生のあなたが、簡単に誤魔化せるような相手ではありませんよ。さ、本当のことをお話しください」
蘭丸はそう鼻で笑い、足を組む。そして余裕のため息をつくと、椅子の背に身を預け、退屈そうにあくびまでする始末。完全に勝ち誇っている。
──コイツ、余裕ぶりやがって……。
藍良は怒りを堪え、ふうっと一度息を吐いた。こういうタイプは、正攻法じゃ敵わない。この場を切り抜けるには、会話の主導権を奪うしかない。藍良は覚悟を決め、拳をぎゅっと握りしめた。そして、負けじと口元に笑みを浮かべ、挑むように蘭丸を見上げる。
「……あんたには絶対に言わない。っていうか……言いたくないんだよね」
「ほう」
蘭丸はわざとらしくため息をつき、目を細めた。余裕綽々な表情を浮かべたまま、ゆっくりと言葉を重ねる。
「言いたくない、ですか。まるで、口にすれば自分にとって都合が悪い、とでも言いたげですね。つまり、わたしが懸念している通り、あなたには今、花倉真澄の化身が──」
「違う」
短く、はっきりと、藍良は言葉を遮った。
「わたしが言いたくないのは、花倉先生の化身が宿ってるからじゃない」
その瞬間、蘭丸の口元から笑みが消える。細められた瞳がきらりと光る。
「……では、なぜ?」
藍良は咳払いをひとつ。そして、真正面から蘭丸を睨み、こう告げた。
「あんたの笑顔……なんか胡散臭いんだよね」
…………。
ズコーーー!!!
次の瞬間、蘭丸の身体がぐらりと傾いた。椅子から転げ落ちそうになり、慌てて踏みとどまる。その拍子に、テーブルの上のティーカップが大きく揺れ、紅茶が波打った。蘭丸は慌てて姿勢を正し、指先を小刻みに震わせながら藍良を見上げる。
「……う、胡散臭い……ですか」
藍良は「ヘヘン」と、得意げに笑う。
「そっ。わたし、そういう笑顔する奴、信用しないって決めてるの。それにさ、あんたは花倉先生の嘘を信じて、わたしをここに連れてきた。そんな死神、信用できると思ってんの?」
藍良は息を深く吸うと、こう畳み掛けた。
「こっちが可愛く、慎ましく、しおらしくしてると思って、調子こいてんじゃねえわよ!」
「……あなたを“可愛い”とか“慎ましい”とか“しおらしい”と思ったことは、一度たりともございません」
「やかましい!」
藍良はピシャリと声を張り上げ、机をバンッと威勢よく叩いた。
「とにかく!わたしはあんたとは話さない。わたしの話が聞きたいなら、もっとまともな審問官連れてきな!」
そう言ったところで、蘭丸はポカンと藍良を見上げた。先ほどまで浮かべていた余裕の笑みは、きれいさっぱり消えている。一方の藍良はというと、勢い余って鼻の穴が膨れていた。ちょっと強引すぎたような気もするが、これでいい。このまま、ワガママを押し通して、主導権を握る。蘭丸を担当から外し、気が弱くてうまいこと言いくるめられそうな審問官に当たるまで、この小狡いやり方を、何度でも使ってやる──。
──カン、カン。
藍良が意気込んだまさにそのとき、小窓を叩く乾いた音が響いた。蘭丸はハッとした表情を浮かべ、即座に立ち上がり、窓を開ける。そしてそのまま、何かを確かめるように、外でごそごそと動く。
窓の外は濃い靄が立ち込めており、蘭丸が何をしているのか、藍良にははっきりと見えなかった。数秒後、蘭丸は何事もなかったかのように窓を閉め、こちらへ向き直る。
そのとき、ほんの一瞬。
窓の外──靄の切れ間から、何かが飛び立つのが見えた。
──あれって、たしか……。
飛び立ったのは、一羽のカラスだった。だが、見慣れたカラスとはどこか違う。靄に紛れて視界は曖昧だったが、確かに脚が三本あった。そんな気がしたのだ。




