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第73話 黒標に刻まれた少女

 突然の呼び鈴に、一同は押し黙った。時計の秒針が数回、「カチ、カチ」と乾いた音をこぼす。そしてもう一度、秒針の音に紛れて呼び鈴が鳴り響いた。


「……来客の予定は?」


 千景の問いかけに、藍良は首を横に振った。藍良の家――寺は、普段から人の出入りが多い。だが、今日は慈玄も外出中で、来客の予定はない。ネット通販を利用した覚えもなかった。


「親戚のおばちゃんかな。夏にいつも、メロン送ってくれるから」


 藍良は、部屋を出ようと一歩踏み出す。すると、千景の手が彼女の腕を掴んだ。


「……千景?」

「ここにいて。一人じゃない。複数人の気配がする」


 千景の視線は、玄関へ向けられていた。直後、再び呼び鈴が鳴る。今度はそれだけでは終わらず、「ドン、ドン」と玄関の扉を叩く鈍い音まで聞こえてきた。執拗な呼び出しに、藍良は肩をビクつかせ、息を詰める。


 すると、兼翔が眉をひそめ、小さく呟いた。


「何者だ?」

「わからない。散歩中、不審な人は見なかった?」

「いいや、何もなかったぞい!」


 その返答を聞くや否や、千景は即座にタマオに視線を向け、藍良を守るよう無言で促した。タマオは「しゅる……」と動き、藍良の首元へ巻きつく。


 千景と兼翔は視線を交わすと、慎重な足取りで玄関へ向かった。藍良はタマオとともに、居間の隙間から二人の背中を見守る。

 張り詰めた空気の中、千景はゆっくりと玄関に手をかけ、扉を開けた。


 その瞬間、千景と兼翔は揃って目を見開いた。立っていたのは、すらりと背の高い銀髪の男だった。色白の顔立ちに、薄く浮かべた微笑(びしょう)。年頃は藍良と同じか、少し上だろうか。その佇まいには、場違いなほどの気品がある。


 そして、男の背後には彼に従うように四人の男たちが控えていた。銀髪男も含め、現れた全員が同じ黒装束。真夏にもかかわらず、首元まで覆う衣服が、手首や足首までしっかりと隠れている。腰に革のベルトのようなものを締めてはいるものの、その装いはまさに「黒ずくめ」そのものだった。


「「なぜ、ここに?」」


 千景と兼翔の声が重なった。どうやら、銀髪男は千景たちと顔見知りらしい。

 男は笑みを浮かべたまま、静かに一礼した。そして、扉の隙間から顔を覗かせている藍良へ、鋭い視線を向ける。


「水無瀬藍良さん。あなたをお迎えにあがりました」


 藍良は思わぬ名指しに尻もちをつきそうになった。視線は泳ぎ、呼吸が速まる。


「どういうことだ!」


 割って入ったのは千景だった。


「彼女は人間。死神界に行く理由など、どこにもない」


 男は千景に向き直ると、手にした木製の筒を器用に開け、収められていた和紙を一枚、静かに取り出した。そしてそれを、千景の目の高さまで掲げる。


 文字を目にした瞬間、千景の顔から血の気が引いた。異変を察した兼翔も、思わず覗き込む。


「馬鹿な……!幻道様の命令だと……!?」

「その通りです」


 男はそう短く言うと、再び視線を藍良へと向けた。


「水無瀬藍良さん。速やかに出てきてください。十秒以内に出て来なければ、強制的にあなたを拘束しなければならなくなります。十……九……八……」


 藍良はギョッとして震える足を叩き、廊下へと飛び出した。


 一歩、また一歩。


 玄関へ近づくたび、鼓動が早鐘を打つ。手を伸ばせば届く距離まで来たところで、男は微笑み、ゆっくり頭を下げた。


「はじめまして。死神審問官の蘭丸と申します」


 藍良は反射的に、小さく会釈を返す。


「早速ですが、あなたにはある“容疑”がかかっております」

「……容疑?」


 身に覚えのない言葉に、心臓がドクンと跳ねる。


「現在、わたしは花倉真澄という人間の女性──黒標対象候補だった者の審問を行っております。その過程で、あなたの名前が挙がりました」

「え?」

「彼女はこう証言しています」


 そう告げると、蘭丸は息をゆっくりと吸い込み、静かにその“証言”を口にした。


 ──あの日、身体から化身が出てきたんです。そして突然、わたしを刺した。わたし、血を流しながら、最期の瞬間に見たんです。化身は窓の外に立っていた水無瀬藍良に向かって微笑むと、そのまま彼女の身体の中に──


 ここまで言うと、蘭丸は千景たちに先ほど見せた和紙を、藍良にも見えるように掲げた。そこには「黒標対象候補の水無瀬藍良を審問せよ」という文言が記されていた。


「馬鹿なことを!!そんな証言を君は信じたというのか!」


 千景の声が、空間を裂くように鋭く響く。予想だにしない花倉の証言に、藍良の血の気も一気に引いた。


「……心当たりは、ございませんか?」


 蘭丸は穏やかな声色のまま、藍良の顔をじっと見据える。視線は上下し、まるで藍良の挙動をすべて観察しているようだ。


 微笑みを浮かべてはいるが、その目には情も信頼も感じられない。“査定”されているような冷めた感情に耐え切れず、藍良は視線を逸らした。


「……否定も、なさらないのですね」


 蘭丸はそう呟くと、小さく息を吐いた。


「改めてお聞きします。あなたの中に最近、自分ではない“何か”がいるような感覚はありませんでしたか?」

「そんなこと、な、何も……」


 藍良の声は震えていた。だが、そんな中でも、彼女はひとつの確信を抱いていた。花倉は嘘を吐いている。あのとき、藍良に彼女の化身は入っていない。ただ、花倉と目が合っただけだ。


 だが、藍良は別の化身である真白を宿しているのも事実。今、真白の存在を明かすわけにはいかない。そんなことをすれば、真白が花倉の化身だと疑われ、確実に“犯人”にされる。言葉を選ぼうと迷えば迷うほど、口が濁る。そのとき、蘭丸の口元が(わず)かに歪んだ。


「……やはり、心当たりがあるようですね」


 そのひと言に、藍良の喉がひくりと鳴った。


「そんな……うそじゃ!うそじゃろ、藍良……!」


 藍良の腕に絡まるタマオの身体も、小刻みに震え始める。それが伝わり、藍良の呼吸は徐々に乱れていった。


 いったい何が起きているのか。なぜ花倉はそんな証言を──?


 身体の震えが全身に伝わったとき、藍良の視界は揺れ、足元がぐらりと傾いた。その瞬間、千景が藍良の肩を力強く引き寄せる。


「藍良は無関係だ。彼女に話があるなら、僕を通せ」


 蘭丸は肩をすくめ、困ったように微笑んだ。


「まったく……白隠派は過激で嫌になりますねえ。実は幻道様からもう一つ、言伝があるのですよ」


 蘭丸は懐から二通目の書簡を取り出し、ゆっくりと藍良たちが見えるように広げた。そこに記されていたのは──。


 ──「死神審問官・千景」と「人間・水無瀬藍良」の接触を禁ずる


 そして、その下には最高審問官・幻道の名がはっきりと記されていた。


 再び、藍良の視界が揺れる。

 藍良は最後に幻道と話したときのことを思い返していた。あのとき、何か不審に思われていたのだろうか。


「千景……」


 藍良は半泣きになり、千景の胸元をぎゅっと掴む。千景は唇を噛みしめ、彼女を抱き寄せたまま蘭丸を睨んだ。だが、蘭丸は強引に首に巻きついていたタマオを引っ張って床に落とすと、藍良の腕を乱暴に掴む。


「いや!千景!!」


 藍良は叫び、手を伸ばす。ほんの少し前まで、結ばれていた手。だが、藍良と千景の間に他の男たちが割り込み、二人を引き離していく、


「藍良!」


 千景は男たちを振りほどこうと、なおも藍良へ手を伸ばす。指先が微かに触れた、次の瞬間──。


 ──


 月の光よ 我が身に宿れ

 風となりて この手に集え……


 ──


 千景が、月詠を唱え始めた。場の空気が一気に張り詰める。煌めく光が、千景の(てのひら)に集まり始めた、そのときだった。


「おやめなさい」


 ピシャリと冷えた声が割り込む。


「君が余計なことをすればするほど、彼女の立場はさらに危うくなりますよ。心配しなくても、彼女に化身がいなければ、すぐに帰します」


 蘭丸は一拍置いて、こう言い放った。


「本当にいなければ、ね」


 蘭丸と男たちは藍良の腕を掴むと、引きずるように連れて行く。藍良は抵抗することもできず、涙を流しながら叫んだ。


「助けて!千景!!」


 叫び続ける藍良。だが、蘭丸が右手を掲げた途端、視界が真っ黒に染まる。光が、音が、世界そのものが途絶えた。


 五秒も経たないうちに、ひやりとした湿り気を帯びた空気が肌に纏わりつく。冷たさを感じた瞬間、再び視界が開けた。


 そこにあったのは見慣れた寺ではなかった。


 黒曜石(こくようせき)を削り出したかのような、巨大な門。奥からは低く唸るような音が響き、冷たい風が絶え間なく吹き抜けていた。


 蘭丸は数歩前へ進み、ゆっくりと藍良へ向き直る。そして、まるで客人を迎え入れるかのように丁寧に一礼したあと、不気味な笑みを向けた。


「ようこそ、死神審問会へ」

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