第70話 未完の推論
夜、夢の世界に落ちるなり、藍良は真白に事情を説明し、ひとつの問いを投げかけた。それは千景から託された疑問だった。
──“化身”は、宿主以外の人間に宿ることができるのか?
だが、聞いた瞬間、真白は一拍置いて目を見開き、次の瞬間には吹きだした。
「まさか。できないよ、そんなこと」
即答する真白に、藍良はきょとんとしてしまった。
「それができたら、片寄藍良が黒標対象として疑われたとき、別の人間の中に隠れて、適当にやり過ごせたのにな」
真白はそう言って肩をすくめ、自嘲するように言った。
「そ、そうだよね」
藍良は相槌を打ったものの、自分でも声に力がこもっていないことに気付いた。いったいどういうことなのだろう。化身が実在するなら、誰かに憑依して逃げたはず──。藍良もそう思い込んでいた。それ以外に、花倉を殺した犯人が見当たらなかったからだ。
「藍良」
「……ん?」
呼ばれて顔を上げたその瞬間、「ぱちん」という音とともに、額に小さな衝撃が入る。真白が唐突に、藍良の額を目がけてデコピンをしたのだ。
「あいた!」
「ひどい顔だな。まだ、わたしの話は終わってない」
藍良は少しヒリヒリとする額を押さえながら、コクリと頷いた。真白は座り込み、右手を顎に添える。考え事をするときの彼女の癖。その姿はいつも、どこか探偵めいている。
「……宿主以外の身体に宿る。そんな芸当、少なくともわたしにはできない。方法を知らないからな」
そう言うと、真白は視線を落とし、静かに続けた。
「だが、方法を知っている者はいたはずだ。忘れたか?例のカグヤ。あいつはかつて、人間の中に逃げ込んだ。わたしのように、最初から宿主がいる状況とは違う。カグヤは自ら“選んで”人間に入り込んだのだ」
「……ということは?」
「今回の化身も、同じ手を使ったんじゃないか?」
真白は淡々と、言葉を続ける。
「化身は、花倉を使ってこの学園に来た。だが、死神審問官たちが自分を追っていることに気付いた。それで花倉を殺し、別の人間の中に逃げた、とか」
藍良はハッと息を呑んだ。
あり得る話だ。花倉は殺される数日前、千景と対面した。月詠を放つ千景を見て、花倉は間違いなく、彼が審問官だと察したはずだ。身の危険を感じた化身が、花倉を殺して逃げたのだろうか?
「……となると、その化身は要注意かもしれないな」
「要注意?」
藍良の問いに、真白は小さく肩をすくめる。
「他の人間に宿る方法──わたしのように知らない化身もいるだろう。だが、カグヤに近い存在なら話は別だ。カグヤが知っていたのだから、その化身も知っていた可能性は高い。カグヤ本体に聞いていたかもしれないからな」
「……ってことは」
藍良は頭に過った仮説を、恐る恐る口にする。
「その化身は……カグヤに近い存在ってこと?」
「多分」
真白の短い返答が、藍良にはとても重く感じられた。
「今の話、千景にそれとなく伝えてくれ。『夢の中でじっくり考えてみたんだけど』という前置き付きで。そうすれば、わたしの言葉だと察するはずだ」
「うん……」
ここで言って、藍良は再び押し黙ってしまった。すると、次の瞬間、ぐいっと手を引かれる感覚が襲う。
「ま、真白!?」
バランスを崩した藍良は、そのままパタリと真白の隣に倒れ込んだ。
「またそんな顔をして」
真白は呆れたように、それでいてどこか優しげに言った。
「焦りは禁物。それに、焦らなくても、あと少しで手がかりは得られる」
「え?」
真白は藍良を横目で見て、くすりと笑った。
「忘れたのか?人は死んだら、冥界に行く。そして、その人間の生前の徳や罪を、死神審問官たちが精査し、転生するか、冥界に留まって罪を償うかが決まる」
その言葉を聞いた途端、藍良の頭の中で何かが繋がった。
「あれ?……あ、ああああ!!ってことは……!」
「そう、死んだ花倉の魂は、このあと冥界に行く。そして、死神審問官の審問を受けることになる」
真白はむくりと起き上がると、両手を上げて大きく伸びをした。
「花倉本人も何が起きたかわかっていない可能性もある。だが、少なくとも化身がいたのかどうかくらいは聞きだせるだろう。化身が自分を殺したとわかれば、庇う理由はひとつもない。重要な事実を口走ってくれるかも」
「そっか……!!そうだよね、言われてみれば……!」
藍良は起き上がり、激しく頷いた。だがその直後、ふと、胸の奥が引っかかる。
「……でも、変じゃない?」
「何が?」
「千景と兼翔なら、そのことに真っ先に気付くはずだよ。それなのに、どうして『花倉先生本人の魂を審問する』って言わなかったんだろう」
その言葉が落ちた瞬間、真白の目が僅かに見開かれた。すると、彼女は再び右手を顎に添え、静かに考え込む。
「確かに」
「この状況を一番説明できるのは花倉先生本人のはずでしょ?でも、二人はそれをしようとしなかった。何か理由があるのかな……」
しばしの沈黙のあと、真白がぽつりと呟いた。
「……信用していない、とか」
「え?」
言い終わるなり、真白は自嘲気味に苦笑した。自分でも突飛な考えだと思っているようだ。
「……何を言っているんだ、わたしは。だが、それくらいしか思い浮かばない。千景や兼翔……あの二人は、花倉本人の証言を最初から当てにしていないんじゃないか」
「当てにしてない?」
「それか、もしかして──」
真白は一瞬、言葉を切る。
「……死神審問会そのものを、信用していないのかも」
この発言に、今度は藍良が目を見開いた。
「覚えてるだろ?前にタマオが話した派閥の話」
「うん……白隠派と幽光派だっけ?」
「ああ。派閥間の争いは、まだ終わっていないんじゃないか?」
「え?」
「千景や兼翔がいる白隠派は、黒標対象討伐派、一方で、幽光派は黒標対象容認派……だったな。つまり、白隠派にとって花倉は危険な存在だが、幽光派にとっては“手に入れたい力”。幽光派が先に花倉を審問したら、いろいろと面倒なことになる気がする」
「でも、それならなおさら、千景たちは早く花倉先生を審問した方が……」
「すでに幽光派が手を回して、審問をしているとしたら?」
そのひと言に、藍良の背筋がひやりとした。
「幽光派がすでに花倉を審問しているなら、その情報を敵対する白隠派に渡すとは思えない。だからこそ、千景たちは躍起になって、逃げた可能性のある化身を探しているのではないか?」
「でも、そんなタイミングよく審問できるかな」
「……花倉の死が計画されたものだとしたら?」
「え?」
真白の声は、静かだが確かな重みが感じられた。
「例えば、花倉が黒標対象で、闇属性を持った化身であるという情報が幽光派に洩れたとする。討伐すべきという白隠派とは違い、幽光派は化身を手中に収めようとするはずだ。幽光派は、白隠派である千景たちが接触する前に、花倉への接触を試みたが、誤って殺害してしまった。さらに、化身も取り逃がしてしまった。だから仕方なく、幽光派はまず彼女の魂を奪うことにした。目的は、彼女の審問を優先的にするためだ。うまいこと言いくるめれば、極めて珍しい闇属性を持つ化身を手中に収められる。化身がどこかに逃げていたとしても、花倉が重要な手がかりを話してくれるかもしれない」
真白の言葉は次第に力を増していく。
藍良はどうにか頭をフル回転させて、その推論を追いかけた。
「で、でも!千景が花倉先生の遺体には、神気も邪気もなかったって言ってたよ!死神が殺したなら何かしらの気配が残ってるはずなのに、おかしいって。幽光派の死神が関係しているなら、気配がないのは変じゃない!?」
「……そこなんだよな」
真白はそう呟くと、苦笑しながらごろんと寝転がった。
「……今の話も結局はただの想像だ。辻褄を合わせようとしても、真実ではない以上、必ずどこかに矛盾が生じる。つまり、今の話は不正解ということだ。本当のところは、まるでわからない」
少し間を置いて、真白は続ける。
「とはいえ、優先すべきことは大体わかった。闇属性を持つ、化身の居場所を突き止める。それさえできれば、すべての謎は解ける」
「うん!」
藍良は拳を握りしめ、しっかりと頷いた。すると、真白はどこか恥ずかしそうに笑う。
「わたしの推理、何の役にも立たなかったな。長々と付き合わせて悪かった」
「何言ってんの!」
藍良はすぐに首を振った。
「全然だよ。いろいろ新しいことにも気付けたし、派閥の話だってめちゃくちゃ現実味あった。本当にそうかもしれないじゃん」
「……そうかもな」
真白は小さく息を吐き、視線を戻す。
そのとき、藍良と真白を包み込んでいた白い靄が、ゆっくりと晴れていく。朝を知らせる合図だ。藍良はぐっと身体を伸ばしたあと、名残惜しそうに真白を見た。
「朝が来る。行かないと」
「……藍良」
「ん?」
「気を付けて」
藍良は微笑み、静かに頷くと、真白の手をそっと握った。次の瞬間、身体が靄の中へ溶けていく感覚が広がる。その光景を受け入れながらも、藍良の胸の奥で、先ほど真白が言い放った言葉が、何度も繰り返されていた。
──花倉の死が計画されたものだとしたら?
この事件は、一筋縄ではいかない。藍良は直感的に、そう悟っていた。




