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第65話 幻道の追及

 最高審問官・幻道(げんどう)のひと言を受け、即座に反応したのは兼翔だった。


「新たな“黒標対象”?ユエのように、何者かの身体を借りているということですか」


 兼翔の声には、抑えきれない警戒が滲んでいた。だが、幻道は通信機の向こうでふっと笑い、落ち着いた様子で言葉を続ける。


『慌てないの、兼翔。前回のユエは隠れるのが得意だったから、探すのにちょっとばかり手間取ったけど、今回はもう正体がわかってるの。一応“黒標”対象扱いにしてるけど、実力はその二つ下……蒼標対象くらいだと睨んでいるわ』

「なぜ、黒標対象に?」

『そいつは、カグヤの“化身”──つまり、カグヤから受け継いだ闇属性を宿しているの。わたしの使いの八咫烏(やたがらす)“ピィちゃん”が闇の気配を感じたから、間違いないわ。闇の気配そのものは相当弱いみたいだからランク付けに迷ったんだけど、“化身”っていうだけで珍しいでしょ?だから念のため“黒標”に』


 その瞬間、空気が(わず)かに張り詰めた。藍良は自らの首に巻きついているタマオと目を合わせ、次に千景へと視線を移す。千景は右手の指先を唇に添え、考え込むように押し黙る。


『随分、静かね。千景』


 幻道の声に千景はゆっくりと顔を上げた。そして、低く静かに告げる。


「……その人物に、心当たりがあります」


 すると、兼翔が目と口をぽかんと開けた。その顔からは「それならそうとさっさと言え、この馬鹿」という言葉がありありと見て取れる。だが、そんな兼翔とは対照的に、幻道は声を弾ませた。


『でしょうね。あなたが気付いたと思われるその瞬間、ピィちゃんもあの場にいてしっかり映像を録っていたもの。一応、聞かせてもらおうかしら?その“名前”を』


 千景はふっと藍良へと視線を移した。一瞬だけ躊躇(ためら)うような、確認するようなそんな瞳。その仕草で、藍良は千景の心の内を察した。彼が言おうとしていた名前は、おそらく──。


「……花倉真澄。先月末から、スクールカウンセラーとしてこの学園に常勤しています。五日ほど前、僕も彼女から闇の気配を感じました」

『ご名答』


 即答する幻道。だが、兼翔とタマオは同時に首を傾げた。


「花倉……?初めて聞く名だな。いったい、幻道様も千景もなぜそいつに目をつけていたというのだ」

「そうじゃそうじゃ!わしにも情報を回さんかい!」


 通信機の向こうから、幻道が彼らをなだめるように言う。


『わたしが花倉に目をつけたのは、単なる偶然よ』


 全員の視線が自然と通信機に注がれる。


『千景が持っているユエの魂──それを狙って、彼の仲間が来ると踏んでいたからね。だからピィちゃんにこっそり千景の周りを見張らせていたのよ。闇の気配を察知したら、死神界特製のビデオカメラで録っておいてってお願いしてね。そしたら五日前、ピィちゃんが闇の気配を放つ花倉を見つけて、録画してくれたってわけ』


 千景の眉がわずかに動く。


「……ピィちゃんに見られていたとは、まったく気付きませんでした」

『ふふっ。うちの子、なかなか優秀でしょ?あとでいっぱい褒めてあげなきゃ。──それよりね、どうしても確認したいことがあるのよ』


 幻道の声色が険しくなり、途端に空気がひりついていく。


『花倉が“闇の気配”を出した瞬間、映像には彼女がある人物に執拗に詰め寄っている姿が映っていたわ。千景……その“人物”が誰か、あなたは当然わかっているわよね?』


 途端に藍良の心臓が大きく跳ねた。千景は固く表情を引き締め、ゆっくりと藍良を見つめる。


「どういうことだ、千景?花倉は誰と話していたのだ?」

「どういうことなんじゃ、千景!」

「それは……」


 千景が言い渋ったその横で、藍良は息を整え、一歩前に踏み出した。


「……あの、わたしから説明させてください!!」


 その声が響いた瞬間、室内の空気がピタリと止まった。数回、古時計の秒針が小さく室内に響いたあと、通信機から声が漏れる。


『その声……あなたが藍良ちゃん?あらヤダ!ごめんなさいね、あなたのこと、いやらしく話題に出しちゃって。こんばんは。最高審問官の幻道です』

「は、はい!あの……こんばんは!はじめまして。水無瀬藍良です!」


 藍良は反射的に、通信機に向かってペコリと頭を下げた。すると、タマオと兼翔が目を丸くする。


「水無瀬……?まさか、お前か?花倉と話していたのは?」

「そ、そうなのか!?藍良!?」


 藍良は小さく頷き、ゆっくり通信機に顔を近づける。だがそのとき、温かな力が、そっと彼女の手を包んだ。驚いて横を見ると、千景が静かに首を振り、切ないほど真剣な表情で藍良を見つめていた。


 ──話さなくていい。


 なんとなく、そう言われている気がした。タマオも兼翔も、千景の突然の行動に言葉を呑み、視線を交わし合う。張り詰めた空気の中、幻道が言う。


『藍良ちゃん、聞かせてちょうだい』


 藍良を制止するかのように、千景の握る手の力が強くなる。だが、質問されて黙っていては、かえって変に思われてしまう。藍良はそっと千景の手を握り返し、小さく微笑んだ。そして、意を決して通信機に向き直る。


「……あのとき、わたし体育館裏ではき掃除をしてました。そしたら花倉先生が偶然来たんです」

『偶然?待ち合わせしていたわけではなく、掃除中に偶然花倉が現れたってこと?』

「は、はい。そうです」

『だけどそのあと、花倉は取り乱した様子で、あなたの腕を掴んでいた。ピィちゃんの映像では音までは拾えなかったけれど、どう見ても揉めているように見えたわ。偶然会った掃除中の人間に、そんなことするかしら?』

「ほ、本当です!花倉先生の方から『話があるからこっちに来て』って言われたんです。掃除中だからって断ったけど、花倉先生、焦った様子で『いいから来て』って」


 幻道の問いかけには、矛盾を逃さない圧のようものが確かに感じられた。聞き方から察するに、どうやら彼は藍良が花倉は元々知り合いで、密会していると思っているようだ。喉が緊張でひくりと動く中、藍良は慎重に言葉を紡ぐ。


「それでまた断ったら腕を引っ張られて……そのとき、千景が来てくれました」

『千景、事実確認をするわ。そうなの?』

「はい。僕が見かけたとき、藍良は花倉先生の手を振り払っていました。そのあと、先生が藍良の胸ぐらを掴んだので、急いで間に入って止めました。僕が声をかけると、先生は何も言わずに立ち去ったんです」


 ここまで話したところで、通信機がしん、と静まり返った。表情も感情も読み取れない沈黙が数秒続いたあと、幻道が口を開く。その声は、先ほどよりもどことなく柔らかさを帯びていた。


『……そう。状況は理解したわ。ごめんなさい、藍良ちゃん。わたし勘違いしていたみたい』

「いえ……」


 安心したのも束の間、次の瞬間、幻道は確信に触れる鋭い言葉を返した。


『……でも花倉は、そこまでしていったい何を話したかったのかしら。藍良ちゃん、心当たりはある?』


 藍良はふと考える。実は心当たりがないわけではなかった。あのとき、藍良は真白と話していた。そして、自ら「カグヤ」や「ユエ」の名を出してしまったのだ。


 なぜ花倉があそこまで心を乱していたのか、あのときはわからなかった。だが、先ほど千景が言った「闇の気配を感じた」という言葉で、すべてが繋がった。


 花倉はユエを探していたのだ。


 だからこそ、藍良と真白の会話に反応した。いや、正確には真白の声は聞こえていないはずなので、藍良の返答──「ユエ」という言葉に反応したのだ。彼女は藍良の言葉を聞いて、「ユエの居場所を知る人間をついに見つけた」と確信したに違いない。


 花倉は藍良に詰め寄ったが、そんな彼女に千景は風の月詠を放った。普通の人間なら、偶然突風が起きたと思うかもしれない。だが、花倉はどう思っただろう。おそらく──。


 ──この男は、“風”の月詠を扱う死神……


 きっとそう思っただろう。思わぬ死神との遭遇で驚きを隠せなかったはずだ。だからこそ、あの場から逃げるように立ち去ったのではないだろうか。


『藍良ちゃん?』


 幻道の声が、静かな空間に響く。藍良は途端に目を泳がせた。


 ──どう答えればいい?


 もし真白の存在まで話してしまえば、この幻道は真白を“黒標対象”にするかもしれない。それどころか、もしかすると自分まで黒標対象扱いにされるかも……。


 嫌な想像が一瞬で脳裏(のうり)を駆け抜け、額にじわりと嫌な汗が滲む。


 ──落ち着け、落ち着け。


 藍良は心の中で呟いた。焦る必要はない。真白のことも言う必要はない。藍良は軽率に「ユエ」や「カグヤ」の名を出してしまった。それをここで、正直に話せばいいのだ。


 藍良は震える指先をぎゅっと握りしめ、息を大きく吸うと、意を決して顔を上げた。


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