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第63話 木陰の目撃者

 じりじりとした日差しが照りつける昼下がり。藍良は竹ぼうきを両手で握りしめ、体育館裏に溜まった落ち葉や砂利を黙々と掃いていた。


 藍良が通う学園では、クラスの掃除当番とは別に、三週間に一度“特別清掃”がある。その清掃場所が、この体育館裏なのだ。そして実は、藍良はクラスの清掃委員でもある。掃除当番の日には、こうしてせっせと掃き掃除を行っていた。


「あっちい~」


 とはいえ、今日ばかりは流石に(こた)える。日差しの強さに加え、午前中に降っていた雨のせいで、蒸されたような熱気が肌にまとわりついてくるのだ。


「まったくもう……咲ってば」


 実は、親友の咲も藍良と同じ清掃委員。ところが、この日の放課後は彼氏と付き合った記念日とかなんとかで、早々にデートへと向かった。


「まあ、行ってきなよって言ったのはこっちだけどさ」


 そうブツブツ文句を言いながら、竹ぼうきを動かしていると、ぴゅっと風が吹き抜けた。すると、まとめた落ち葉が、まるで藍良をからかうように一瞬で四方へと散らばる。


「ああ……」


 藍良は肩を落とし、近くのニ十センチほどの低い塀にちょこんと腰を下ろした。


「……真白が手伝ってくれたらな~」


 ぽつりと呟いた瞬間、胸の奥がふっと波打つ。そして、いつもの声が頭の中へと響き渡った。


 ──甘えるな。


 キッパリ言い放つ彼女の声に、藍良はくすりと笑った。


「冗談だってば。今はちょっと休憩。ここ、ちょっと木陰で涼しいし」


 そう言って足を伸ばす。かれこれ十五分は掃きっぱなしだ。ほんの十五分くらい、休憩してもバチは当たらないだろう。


 ──千景と兼翔に手伝って貰えば?


 真白が言う。だが、藍良は首を横に振った。


「今ね、うちのクラスの男子、順番にカウンセリングが始まってるの。ホラ、藤堂先生たちの件があってから、スクールカウンセラーが常勤になったじゃん?わたしはもう終わったけど、千景と兼翔は今日なんだって」


 そう言いつつ、横に置いていたペットボトルを手に取る。冷たい水をひと口飲むと、肩の力が少し抜けた。


「もう終わってるかもしれないけど……あの二人スマホ持ってないから連絡できないんだよなあ」


 藍良はぼやきながらペットボトルを横に置き、小さく呟く。


「ねえ、真白。夢の中だけじゃなくて、こんな感じでも話せるんだね」


 ──うん。でもあまりおすすめしない。


「なんで?」


 ──周りから怪しく思われる。


「そっか。言われてみたら確かに……。でも今は誰もいないし、大丈夫だよ」


 すると、真白も納得したのか、小さく笑う声が微かに聞こえた。


 ──千景の様子は?


「変わんないよ。いつも通り」


 そう言いながらも、藍良の視線は自然と落ちていく。

 近ごろ、胸の奥で疼くのは──千景が顔を変えた理由だった。


 正直、気になって仕方がない。けれど同時に「自分が踏み込んでいいのか」という思いもある。千景はきっと、顔を変えた理由など、藍良に話したくないだろう。そこに踏み込んでいいものなのか。それでも、力になれるものならなりたい。そんな二つの思いが、胸の中でせめぎ合っていた。


 ──どうした?


 真白が尋ねる。


「……あの話、多分だけどカグヤが関係してるんじゃないかな。聞きたいし、力になりたいけど、立ち入ったことは聞くべきじゃないのかな」


 ──聞きづらい?


「……正直聞ける気がしなくてさ。それに、話しても何だかはぐらかされそうで」


 ──確かにな。同じ死神審問官の兼翔に探りを入れてみる……とかは?


 その提案に、藍良は苦笑いを浮かべた。

 確かに兼翔なら、聞き方次第で案外あっさり答えてくれそうな気もする。だが一方で「なぜだ?」「理由は?」と逆に質問攻めに遭うような気もする。彼の反応が、予想できないのだ。


 ──とはいえ、イマイチよくわからんヤツだからな、兼翔は。聞いたら聞いたで面倒なことになるかも。


 真白の返答に藍良は力強く頷いた。どうやら彼女も、藍良とまったく同じことを考えていたらしい。


 ──とりあえず、いまは様子見だな。これはわたしの予想だが、そのうち、少しずつわかってくると思う。


「どういうこと?」


 ──覚えてるだろ?千景がユエを“紙”の中に封じたときのこと。あの“黒い紙”を、奴はまだ肌身離さず持っている。


 藍良の脳裏(のうり)に、あの夜の光景が(よみがえ)る。千景は懐から黒い紙を取り出した。そして、ユエの魂は紙に吸い込まれるように封じられていったのだ。


 ──それに、千景も兼翔も、ユエを捕えるという任務はとっくに完了しているはずなのに、どういうわけかまだ人間界にいる。本来ならユエの魂だって、死神界で速やかに管理されると思わないか?それを、千景がたったひとりで保管しているのはおかしい。つまり、千景や……もしかしたら兼翔も、ユエの魂を使って何かをしようとしているんじゃないだろうか。


「……何かって?」


 ──わからん。だが、ユエはカグヤを愛し、崇拝していた。同じような死神も数多くいただろう。つまり、ユエにも“仲間”がいた可能性は十分考えられる。


 そこで藍良はポンっと手を叩いた。


「そっか!ユエの魂を使って、敵をおびき寄せようとしているのかも!」


 ──そういうこと。ユエに仲間がいるなら、当然、かつてはカグヤとも仲間だった。千景の顔がその仲間にバレている可能性もあるからな。それで顔を変えたのかもしれない。あくまでも推測だが……。


 そのとき、不意に風が揺れた。木漏れ日の影が地面でせわしなく瞬くなか、藍良はふと風上へ視線を向ける。


 誰かが、こちらを見ていた。


 数メートル先、木陰の下にひっそりとひとつの影が佇んでいたのだ。藍良はギョッとして立ち上がり、竹ほうきを握りしめる。


 制服姿ではない。つまり見ていたのは教員だ。サボっていたのがバレたのか──?


 藍良は慌てて目の前の木の葉を履き始める。だが、次の瞬間「あっ」と声を漏らし、目を丸くした。その人影に、見覚えがあったのだ。それは、先日藍良のカウンセリングを担当した、心理カウンセラーの花倉(はなくら)真澄(ますみ)だった。


 淡い空色のシャツに膝までのタイトスカート。風に揺れる黒髪のストレートが光を受けて煌めき、少し大きめの黒縁眼鏡は、彼女から滲み出る知性を一層際立たせていた。レンズの奥──彼女の瞳までは(うかがえ)えない。ただ、彼女の朱に染まった艶やかな唇がきゅっと結ばれるところを、藍良ははっきりと見た。


「あの、こんにちは。先生」


 藍良は小さく笑い、竹ほうきを持ちつつ挨拶をする。だが、花倉は返事をせず、足早に藍良へと迫る。


 徐々に(あら)わになる花倉の形相に、藍良は息を呑んだ。彼女の顔は切羽詰まったように強張り、目は血走っていた。息も荒く、視線は藍良を射抜くように鋭かった。


「今のは、どういうこと?」


 花倉から、冷静さはまるで感じられなかった。彼女は藍良の返事を待つことなく、一歩、また一歩と距離を縮めていく。気付けば、すぐ目の前まで迫っていた。


 ──藍良、大丈夫か!?適当に理由をつけて逃げろ!


 真白の声が響く。だが、驚きが勝った藍良の足は動かなかった。狂気にも近い今の花倉は、以前話したときとはまるで別人だ。


「あなた確か……水無瀬、藍良さんよね。こっちに来て」


 そう言うやいなや、花倉は藍良の腕をグイっと掴んだ。藍良は身体を揺らし、よろめきながらもなんとか踏みとどまる。


「あ、あの……今、掃除中なんです」

「いいからこっちに来て。どうしても聞きたいの」


 花倉は再び、強引に藍良の腕を引っ張る。バランスを崩した藍良は転びそうになりながらも、必死で体勢を立て直す。そして反射的に、花倉の手を振り払った。


 自分でもなぜ、そうしたのかはわからない。だが直感的に、全身が警鐘(けいしょう)を鳴らしていた。“この人は危険だ”と。


 花倉は唇を噛み、レンズの奥で美しい瞳を潤ませた。それを見た瞬間、藍良の胸がずしりと重くなる。いったい何が起きているのか。何が彼女を、そうさせているのだろうか。


 次の瞬間、花倉はさらに距離を詰め、藍良の胸ぐらを掴み上げた。


「話をさせて……お願い!!」

「ちょ、ちょっと待って!落ち着いてください!!」


 そのとき、藍良と花倉の間に小さな風の渦が生まれた。風はくるりと螺旋(らせん)を描きながら勢いを増し、足元の落ち葉を(さら)って舞い上がる。落ち葉は渦に巻き込まれ、ひらひらと花倉の視界を塞ぐように降り注いだ。


「……何!?」


 花倉が目を細め、注意が逸れたその一瞬。後方から藍良はグイっと腕を掴まれた。振り返ると、そこにいたのは千景だった。


「千景!」


 藍良は思わず声を上げた。千景は短く微笑むと、すぐに表情を引き締め、冷静な眼差しを花倉へ向ける。


「彼女に何か……御用でしょうか?」


 花倉は未だに落ち葉がゆっくりと舞う中、呆然としながら藍良と千景を見つめた。そして、静かに言葉を漏らす。


「……今の風は?……まさか」


 そこまで言うと、花倉は大きく目を見開き、(わず)かに唇を震わせた。そして、ひと粒の涙をこぼすと、感情を押し殺すように(うつむ)いた。


 そしてそのまま、彼女はゆっくりと踵を返した。藍良はしばらく、そんな花倉のうしろ姿を見つめていた。彼女の足取りはひどくおぼつかない。足取りはフラフラとしていて、まるで正気を失っているようだ。


「……あの人、誰?」


 藍良の肩を抱き寄せながら、千景が静かに問いかける。藍良は横目で千景を見て、息を呑んだ。千景の瞳は、さっきまでとは別物だったのだ。鋭く細められ、獲物を狙う狼のように冷徹で、危うさを滲ませていた。


 藍良は声を震わせながら、答えた。


「スクールカウンセラーの花倉って先生。今日、千景と兼翔もカウンセリングだったじゃん?わたしの担当はあの先生だったの。千景は……別の先生だったんだね」


 藍良はそう言いながら、再び千景を見る。千景はまだ、花倉の背から目を逸らさずにいた。何かあれば、瞬時に仕留める──そんな殺気に近い光を、瞳に宿しながら。


「千景?花倉先生がどうかした?」


 藍良は恐る恐る声をかける。そのひと言が千景を引き戻したのか、彼はふっと(まぶた)を伏せる。そして短い沈黙のあと、ゆっくりと不敵な笑みを浮かべた。


「いや……僕もあの人からぜひ、直々にカウンセリングを受けてみたいと思ってね」


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