第62話 藍良の布団ジタバタと、クマさんパジャマの兼翔
──ピピピピピッ!
けたたましい電子音が、静かな朝を裂くように響く。
藍良は身体をビクつかせ、寝ぼけた手でベッド横の目覚まし時計を掴むと、「ボンッ」と一撃を食らわせた。時計は「ビッ!」と情けない音を上げ、沈黙する。
「ううう~~ん」
藍良はむくりと起き上がり、ゆっくり両手を上げ、伸びをした。昨晩はいろいろなことがあった。とはいえ、藍良は心の中で真白とタマオの話をただ聞いていただけなのだが。藍良は寝ぼけたままの頭で、昨晩聞いたことを思い返す。
──ユエの最愛の死神であり、千景と真白の母ともいえる「カグヤ神」
そんな彼女は、かつて死神審問官だったこと。
審問官たちを精神干渉で、混乱に陥れたこと。
最高審問官・幻道の暗殺を企てたこと。
そして、追放されたのち“化身”である千景に封じられたこと──。
そこまでは辛うじて理解が追いついていた。だが、その直後に飛び込んできた「事実」は、とても軽い気持ちでは受け止められなかった。
それは、千景が幻顔士に頼んで顔を変えたこと。
これにより、千景は属性の力の大半を削がれてしまったらしい。さらに、顔を変えるという行為は、ときには“消滅”さえするという、死神界では刑罰に使われるほどの危険な処置だというのだ。
つまり、そんな無茶をしてでも、千景は「顔を変えなければならなかった」ということになる。
「……千景にいったい、何があったんだろう」
藍良は小さく、そう呟いた。
藍良が知る千景は、穏やかで優しくて、ちょっとお茶目で、ことあるごとに“ラブラブ砲”をぶっ放してくる……そんな存在だった。もちろん、ユエのような敵を前にしたときの千景は別人のように鋭く冷静になる。だが、藍良の前ではいつだって柔らかくて、傍にいて安心できる、あたたかな空気を纏っていた。
そんな千景が命を賭けて顔を変えた。その事実は、藍良にとって大きな衝撃だった。
──千景にはまだ、大きな秘密がある。もしかしたらカグヤと何か関係が……?
藍良はそう思わずにはいられなかった。だが、これ以上はタマオに聞いてもわからない。ここから先は、千景に聞くしかないのだ。
「とはいえ、聞けないよなあ。流石に……」
ぽつりと言葉を漏らし、藍良は枕へボフッと顔を埋めた。千景のことをもっと知りたい。力になれるものなら、なりたい。でもきっと、千景はそれを望んでいないだろう。そう思うと胸の奥がぎゅっとなる。
「ふおおおおぉぉぉ……!!」
もどかしさが限界突破した藍良は、言葉にならない声を漏らしながら、枕に顔を押しつける。そして、布団の中で両足をジタバタと暴れさせた。そのとき──。
「……何をしている?」
藍良は一瞬で背筋が凍る。バッと枕から顔を引き剝がし、寝室の入口を見る。するとそこには、クマさんパジャマを身に纏った兼翔が無表情で立っていた。藍良は先ほどの独り言(と奇声)を思い出し、一瞬で青ざめる。
「あ、あああ!?あんた、いつからそこに!?!?」
「つい一分ほど前から」
「な……なんでよ!?怖すぎ!?勝手に開けんなっての!」
「失礼。廊下を歩いていたら、なにやらけたたましい音が聞こえてきたから、何者かが襲撃しにきたのかとばかり」
淡々と答える兼翔。藍良はハッとして視線を目覚まし時計に向けた。そしてそのまま手に取ると、兼翔が見えるよう手を掲げる。
「これは“目覚まし時計”!寝てる人を起こすための道具なの!別に危険な物じゃないから!」
「そうか。それならいいのだが。ところで──」
兼翔は目をギラつかせて、ズカズカと藍良の部屋へ入る。
──コイツ……今さっき「勝手に開けんな」って言ったのに、もう忘れたんかい。
眉を吊り上げ、ツッコミを入れようとする藍良。だがその前に、兼翔が口を開いた。
「『千景にいったい何があったんだろう。とはいえ、聞けないよなあ。流石に……』とは、どういう意味だ?千景の何かを、気にしているようだが」
──ぎくり。
藍良は顔を強張らせた。どうやら兼翔は、最初から藍良の独り言を聞いていたらしい。おそるおそる兼翔を見上げると、一片の揺るぎもない、岩のように硬い表情をしていた。
「……べ、別に。深い意味はないけど」
「……フーン」
兼翔はそれ以上何も聞かず、ひょいと踵を返して、静かに部屋を去った。揺れる彼の背中──クマさんパジャマを見送りながら、藍良は思わず苦笑する。
……相変わらず、表情と服装が嚙み合わないヤツ。
兼翔の姿を見届けたあと、藍良はふうっと息を漏らした。タマオから聞いた話は、口外厳禁と約束を交わしたばかり。素直に兼翔に話せば、必ず「誰から聞いた?」となり、確実にタマオが叱られる。約束をした以上、守らなければ。
「……そもそも、兼翔はどこまで知ってるんだろ」
自分にしか聞こえない小さな声で呟く。昨晩タマオが語った真相を、兼翔は知っているのだろうか。いや……同じ審問官で、同じ派閥なら知っていてもおかしくはない。
千景もそうだが、兼翔も掴みどころがない。どこか抜けているようで、時折鋭いところを突いてくる。だから、藍良も真白も、彼の動きには注意を払っていたのだが、千景と過ごした死神専門学校の話を聞くと、案外いい奴なのかも、と思えてくる。
……考えても仕方ないか。
藍良は布団からゆっくり起き上がり、そっと寝室を出た。その瞬間、ふんわりとお味噌汁の香りが鼻から喉、胸を優しく満たしていく。
今日の朝ご飯担当は、千景だ。
「……お味噌汁、何だろ」
自然と胸が弾む。廊下を歩く藍良の足取りは、どんどん軽くなっていった。




