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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
第3章 運命の死神審問会

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第56話 禁句にされた死神

 真白が「死神審問官」の存在を知ったのは、今から百年前のこと。かつて宿主だった片寄(かたよせ)藍良が亡くなり、冥界へ行ったときだった。


 命が尽きたその瞬間、真白を宿したまま片寄藍良の意識はふわりと浮かび上がり、そのまま風のような速さで空の向こうへと駆け抜けた。


 鼠色(ねずみいろ)の雲に差し掛かったとき、視界が揺らいだ。景色はたちまち、一面の白い(もや)へ変わる。靄の水平線を、藍良の魂は真っ直ぐ、まるで氷の上を滑るように進んだ。その下には銀色にうねる大河が広がっていた。これが俗にいう「三途の川」なのだと、真白は藍良の胸中で悟った。


 やがて、白い靄の向こうから、鎌倉の大仏にも匹敵するほどの巨大な門が現れた。その瞬間、藍良の身体はそっと地に降り立つ。


 門は黒曜石のように黒く、威厳(いげん)が漂っていた。藍良は自らの装いを確かめるように視線を落とす。身に(まと)っていたのは、白い死装束だった。


 ああ、自分は死んだのだ。そう藍良は悟った。


 強く冷たい風が、頬を殴るように吹き荒れる。湿り気を帯びた空気は重く、胸の奥まで冷え込んでいく。黒ずんだ空は不穏に(とどろ)き、この世ならざる気配が肌を()うようにまとわりつく。そんな中、藍良はただ呆然と立ち尽くすほかなかった。


 そのとき、門の奥から黒装束の男がゆっくりとこちらへ歩み寄る。


 男は長身で、闇を裂くような鋭い眼光を(まと)っていた。黒髪をなびかせ、口角が僅かに上がっている。微笑んでいるようにも見えるが、一片の温度も感じられない。


 一見穏やかそうではあるが、今にも斬りかかってきそうな緊張が周囲に張り詰める。男には、暴れ狂う衝動を必死に押し殺しているような、そんな危うさが滲んでいた。


 得体の知れない男を前に、藍良はゆっくりと後ずさる。すると、男は巨大な黒門の前で立ち止まり、丁寧に頭を下げた。


「片寄藍良さんですね。あなたは自らの命を全うされました。ここからこの冥界で、あなたの魂を正しい場所に導くため、お話を伺います。生前にあなたが犯した罪、そして積み上げた徳──これらを考慮して、あなたの進むべき道を、我々が決めさせていただきます。どうぞ、こちらへお越しください」


 男は、教科書を読み上げるように淡々とした調子で告げた。能面のような笑みを崩さずに。その笑みが、藍良にはどうしようもなく不気味に感じられた。生きている間、どんな人間も目を見れば、心の底が少しは読めた。だが、この男は違う。笑顔の裏にある本音──底が読めないのだ。


 男と藍良の間を、冷たく鋭い風が吹き抜ける。風は耳を打ち、気付くと藍良の耳は大雪が降った朝のように、赤く(しび)れていた。藍良は身をすくめ、おそるおそる問いかける。


「……あなたは、誰なんですか?」


 男は、能面のような微笑を崩さないまま、こう答えた。


「死神審問官の千景と申します。これから僕が、責任を持って、あなたを審問させていただきます」



 ☽   ☽   ☽



 真白はゆっくり顔を上げるなり、ギョッとした。すぐ目の前で、タマオが顔を覗き込んでいたのだ。真白は自らの心を落ち着かせるように、深く息を吸う。


 ──懐かしい。


 真白は胸の奥でそっと思う。水無瀬藍良の前世、片寄藍良が千景と初めて出会ったのは百年前のことだ。あのころの千景は、今とは比べものにならないほど冷たかった。影のように静かで、近づけば斬りつけられそうな気配を(まと)っていた。審問官とは皆こういうものだとも思っていたのだが……。


 藍良の審問が進むにつれ、千景は変わった。今の藍良と同じような、竹を割ったような性格の片寄藍良と触れ、暗い影を落としていた表情が少しずつ和らぎ、笑うことが増えたのだ。


 真白が宿っていたために藍良は闇属性──黒標対象と疑われ、彼女の審問は通常よりも長期間に渡って続けられた。だが、今思えば、その期間があったからこそ、藍良と千景の距離は急速に縮まった。審問会では肝が冷える場面も多々あったが、今思えばあの期間は、二人にとって宝物のような日々でもあっただろう。


 真白から見た千景は、審問官の責務に忠実で、真面目で、仕事に誇りを持っていた。今の兼翔をさらに堅く、厳しくしたような印象。そんな千景が、生みの親でもある“カグヤ”を封じた。そして、そのカグヤはかつて、千景と同じ死神審問官だった。


 真白はその事実に、今更ながら困惑していた。


「藍良?どうしたのじゃ?」

「蛇。どういうことだ?詳しく聞かせろ」


 思わず声に棘が乗る。すると、タマオは驚愕したように、クリクリな目をさらに丸くさせた。


「あ、藍良?ど……どうしたのじゃ?怒っておるのか?」


 真白はハッとし、目を泳がせた。しまった。驚きのあまり、つい素に戻ってしまった。真白はコホンと咳払いをすると、にっこり微笑む。


「ごめん、ごめん。本当に?カグヤは死神審問官だったの?」

「あ、ああ。じゃが、ここだけの話じゃぞ。千景には決して言うな。兼翔にもじゃ。今となっては、禁句中の禁句じゃからな」

「禁句?なぜ?」


 タマオは少し目を伏せて、呟くように続けた。


「……審問官たちはな、カグヤが審問官だったという事実そのものを、消し去りたいのじゃよ」


 真白は息を呑んだ。

 消し去りたい?どういうことだ?カグヤが審問官だったころ、彼女と審問官たちの間で何かあったのだろうか。


「そもそも、どうしてカグヤは審問官に?ヤバい奴だったんでしょ?」

「もともとは違ったのじゃ。いや……違うと見えていただけかもしれんが……カグヤは優秀すぎる審問官だったのじゃよ」

「優秀?」

「千景や兼翔かかつて通っていた“死神専門学校”、藍良も聞いたことあるじゃろう」


 真白は思い返す。昨晩、千景が藍良にそんな話をしていた。そこで兼翔に喧嘩を売られた千景は反撃し、結果的に月詠の応酬になったとかなんとか。


「カグヤもそこに通っておってな。入学してすぐ、皆の目を引いた。理由は、奴の属性が“闇”だったからじゃ。そんな属性、死神の歴史でも前例がなかったからの」

「待て。……いや、ちょっと待って、タマオ。闇属性ってそんなに珍しい属性だったの?その当時はカグヤしかいなかったってこと?」


 タマオは静かに頷く。


「そうじゃ。あまりの珍しさと脅威に、わしら神蛇も震えあがったほどじゃ。ビックリじゃろう」


 ビックリどころじゃない。その当時、闇属性はカグヤだけだったとは。異端にも程がある。


「授業はトップ成績、首席で卒業して、そのまま死神審問官となった。そして、着任してすぐ“紅標(こうひょう)対象”の討伐を任されたと聞いておる」

「ちょっと待って。千景が追っていたのは“黒標対象”のユエだよね?紅標対象って?黒と何が違うの?」


 すると、タマオは「あっ」と小さく声を漏らした。


「そもそもな、敵の標的名にはランクがあるのじゃ。白標(はくひょう)対象、灰標(はいひょう)対象、蒼標(そうひょう)対象、紅標対象、そして黒標対象……。標的の脅威に応じて、色が濃くなる仕組みじゃ」

「つまり……千景が追っていたユエは、最上位にヤバい奴だったってこと、か?」


 タマオは重々しく頷いた。


「そうじゃよ。ユエは得体の知れない禁術を使うことで知られていて、審問官を何人も葬った危険極まりない存在じゃった。何十年も逃げながらそんなことを繰り返しておったから、黒標対象に指定されたのじゃよ。そして、そんなユエを確実に捕らえるために、カグヤ神を封じたエリート審問官の千景が来たんじゃろう」


 エリート審問官……。

 やはり、千景は審問官の中では群を抜いた存在だったのだと、真白は確信した。


「話を戻すが、カグヤも同じくエリートじゃった。審問官になってすぐ紅標対象、そして黒標対象の討伐任務を任されたほどの実力者でな。任務成功率は百パーセント。最高審問官からの信頼も厚かった。わしら神蛇の間でも“稀代の審問官”として評判じゃったよ」

「そんな死神が……どうして、封じられるなんてことに?」


 真白の問いに、タマオの表情が曇る。


「……その類まれなる力で、多くの死神を惑わしたんじゃ。そしてそれが、とんでもない事件を引き起こしたのじゃ」

「惑わしたって……どういうこと?」


 タマオは少し考えて、言葉を慎重に選びながら続けた。


「カグヤの一番の脅威……それは、“精神干渉”じゃった」


 その言葉を聞いた瞬間、真白の心臓がひやりと沈んだ。そして、ある言葉が脳裏(のうり)に蘇った。


 ──どうしても確かめなければならないことがあります。あなたは、“精神干渉”の意味を、ご存知ではありませんか?


 百年前、片寄藍良の魂の奥で、真白は確かに聞いた。

 千景がそう、片寄藍良に問いかけていたのを。


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