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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
第2章 藍の眼と月詠の探偵

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第40話 “彼女”との邂逅

 気が付くと、藍良は淡い光に包まれた空間に、ひとりぽつんと立っていた。足元に影はなく、ただ白い(もや)がゆらゆらと揺れる。視線を下ろすと、身に着けているのは見慣れたいつもの制服。だが、よく見ると、スカートの裾や袖口が(わず)かに焦げている。さらに、手の甲や腕にはいくつもの小さな傷跡があった。


 どうしてここにいるのか、何が起きたのか。

 思考を巡らせるが、まるで思い出せない。


 藍良は周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩き出す。カツ、カツ、と靴音が響く中、大きな川へと行き着いた。耳に響く、澄んだせせらぎの音。すると、周囲の景色が微かに薄れ、川の向こう岸に大きな館が姿を現した。


 ──あそこにいけば、誰かいるかも。


 藍良は、考えなしに川へ足を踏み入れる。足首を冷たい感覚が包み込む。一歩ずつ進もうと、前を向いた次の瞬間……。


 ──パンッ


 誰かが、手首を強く掴んだ。藍良は振り返り、息を呑む。そこにいたのは、自分と同じ顔立ちの、ひとりの女性だったのだ。


「そっちじゃない」


 声の主は真っ直ぐ藍良を見つめ、その手を引き寄せた。藍良は足を濡らしたまま、呆然とする。


「ここは三途の川。渡ったら戻れなくなる」

「三途の……川?わたし、死んだの?」

「まだ生きてる。わたしが助けた」


 藍良は気が動転した。「まだ生きてる」ということは、死にそうということなのか。自分にいったい何が起きたのか。すると、目の前に立つ“彼女”は、藍良の心を読んだかのように、そっと言葉を続けた。


「思い出せ。お前は学校で襲われた」


 藍良は思考を巡らせる。そうしているうちに、不思議と記憶が蘇ってきた。


 十三日の金曜日。学校。空間転移。藤堂先生の狂気。

 突如放たれた“炎の月詠”。

 そして、ユエとの対面──。


 思考が繋がった瞬間、胸の奥で、先ほどの“彼女”の言葉が反芻(はんすう)した。


 ──わたしが助けた。


「あんた、誰?」


 不意に言葉が飛び出した。この人物──“彼女”藍良の心の内側にいる。そして藤堂に襲われたときに響いた炎の月詠。あれを放ち、助けてくれたのは“彼女”だったのだ。


 藍良の問いかけに、“彼女”は肩を揺らした。驚いたように目を泳がせると、(うつむ)きながら小さく呟く。


「片寄……藍良」


 その言葉に藍良は目を細めた。

 数秒の沈黙のあと、“彼女”はおそるおそる顔を上げる。そして……。


「……ぷっ」


 藍良は小さく吹き出し、笑ってしまった。そんな藍良を見て、“彼女”は首を傾げる。


「ごめん、ごめん。ちょっとビックリしちゃって」

「……ビックリ?」

「うん。なんだか自分を見てるみたいで。本当に片寄藍良なの?あんた」


 その言葉に、“彼女”は(わず)かに目を見開いた。ほんの一瞬。けれど、それを藍良は見逃さなかった。


 胸の奥にひとつの確信が走る。“彼女”は、何かを誤魔化(ごまか)している。

 今見せた“彼女”の仕草は、嘘をついたり誤魔化(ごまか)したりする、藍良自身の癖そのものだったのだ。


「あんたは今、嘘をついた。本当は片寄藍良じゃない。そうでしょ?」


 “彼女”は観念したように小さく息を吐くと、ふっと笑った。


「……よくわかったな」


 藍良はにっこりと微笑みを返す。


「『藍良は誤魔化(ごまか)すとき、いつもあからさまに目を逸らす』──これ、小さいころからお父さんによく言われてたの。それで、いつも嘘がバレて怒られてた」


 苦笑交じりに言う藍良。だが、すぐに“彼女”へと向き直る。


「……まあ、そんな話はいいや。本当は誰なの?どうしてわたしを助けてくれたの?それに……」


 一拍の間。藍良は息を整え、疑問を投げかけた。


「どうして片寄藍良……ひいおばあちゃんの名前を知ってるの?」


 そのとき、(もや)の向こうから風がかすかに吹き抜け、藍良の髪が揺れた。


 ──片寄藍良。


 その名に、藍良は聞き覚えがあった。かつて巫女として名を残した、三代前の祖先。長く忘れていたが、兼翔からその名を呼ばれ、思い出したのだ。「片寄藍良」が藍良の曾祖母の名前であることを。


 “彼女”は何も言わなかった。その沈黙が、余計に胸を締め付ける。何か、自分の知らない秘密があるのだろうか。


「えっと……ひいおばあちゃんのこと知ってるってことは、友達かなんか?それとも、幽霊?昔からうちの家系に身体に()りついたとかそういうこと?ねえ、そうなの?」


 自分でも止められないほど、言葉が溢れ出した。気付けば、藍良は濡れた足で川辺を踏み締め、“彼女”へと迫っていた。


 藍良の勢いに押されたのか、“彼女”は一歩後ずさる。そうして、二人の視線が近距離でぶつかったそのとき、不意に“彼女”は声を上げて笑った。


「凄いな、藍良は」


 思いがけない反応に、今度は藍良が目を丸くする。だが次の瞬間、“彼女”の笑みが消える。


「お前の言う通り。わたしは片寄藍良じゃない。近い表現でいうなら、片寄藍良の“親友”かな」

「……親……友?」


 藍良は眉をひそめた。


 ──それは、いったいどういう……?


 問い返そうと口を開いたとき、ふわりと“彼女”の掌が藍良の唇にそっと触れた。


「悪いな、藍良。お喋りはここまでだ」

「え?」

「聞け。今、お前は危険だ。とてつもなく」

「……は!?」

「さっきの黒標対象……ユエと名乗った死神はわたしが倒した。だが、別の追手が迫っている」


 頭が一気に真っ白になった。突然告げられた情報に、頭が追い付かない。


「た、倒した!?ユエを!?」

「ああ」

「どうやって!?」

「そんなことはどうでもいい。とにかく今からわたしが言うことを……」


 だが、藍良は“彼女”言葉を遮り、強く腕を掴む。


「ちょ、ちょっと待ってよ!いろんなことが起きて、わけがわかんないの!……千景は!?来てくれたの!?ユエを倒したってどういうこと?追手って!?」


 すると、“彼女”はそっと藍良の手に触れ、静かに呟いた。


「落ち着け。手短に言うぞ。ユエは、手あたり次第知っている月詠をぶっ放して倒した。ここまではいいな」


 あっさり告げられた衝撃的な言葉に、藍良は言葉もなく小さく頷く。


「千景はまだ来てない。だが、必ず来る。さっき、あいつの連れの神気を感じた」

「連れ?」

「例の神蛇だ」

「……タマオ!!??」


 “彼女”が頷く。


「あと数分で、お前のところへ来る。神蛇が来たということは、千景も来る。あと少しの辛抱だ」


 タマオと千景が来る。それだけで、藍良の胸の奥はじんわりと温かさを取り戻していた。だが、次の瞬間、場に放たれたのは鋭い警鐘(けいしょう)だった。


「喜ぶのは早い。追手も来ている」

「それって……まさか別の死神!?」

「いや、ユエの連れだ、お前も覚えているはずだ」


 藍良の背筋に冷たいものが走る。ユエの連れ……心当たりは一人、いや、一匹しかいない。かつて鋭い牙を藍良の首に突き立て、彼女を(さら)ったあの大蛇だ。


「わたしが行ければいいのだが、もう無理だ。これ以上わたしが出ると、お前の身体が持たない」

「でもどうすればいいの!?」


 すると、“彼女”は藍良の手にある物を握らせた。それは……。


 ──虚映ノ鏡。


「恐らく、タマオより追手の大蛇の方が先にお前を見つける。そいつが攻撃を仕掛けたら、この鏡を掲げろ」

「でもこれ……ユエに踏まれて、もう力は無いはずだよ」

「無くなっていない」


 “彼女”の笑みが、(もや)の中で淡く揺れる。


「この鏡がお前を守る。いいか。蛇が攻撃を仕掛けてきたら、鏡を掲げて叫べ。『顕現(けんげん)せよ、虚映ノ鏡』と」

「けん……えっ……何?」

顕現(けんげん)せよ、虚映ノ鏡──それだけでいい。必ず唱えろ、いいな」


 目を泳がせながらも、藍良はしっかりと頷く。すると、“彼女”は藍良の手をぐっと引き寄せ、抱きしめた。強く、あたたかなぬくもりが、胸の奥へ伝っていく。


「あ……の……?」

「生き延びろよ、藍良」


 その言葉が放たれたのと同時に、白い光がふわりと広がる。そして、藍良の身体は静かに浮かび上がっていった。


 伸ばした手の先から藍良を見つめる“彼女”。だがその瞳も次第に霞み、周囲の空気に溶けていった。藍良は唇を噛みしめ、そっと顔を上げた。そして、鏡を握りしめ、自らの胸に誓いを立てる。


 もう少しで、わたしは目覚める。

 絶対に生き延びて、千景に会うんだ。


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