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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
第2章 藍の眼と月詠の探偵

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第37話 見抜かれた術者

 (さかのぼ)ること三時間ほど前。

 タマオの神気を感じ取った千景と藍良は教室を飛び出し、体育準備室へと向かっていた。走りながら、千景はいつもの余裕を滲ませて言う。


「ユエの正体は、突き止めた」


 唐突な言葉に、藍良は目を丸くする。


「つ、突き止めた!?マジで!?で、誰なの!?」


 千景は藍良の手を引きながら、口元に笑みを浮かべる。


「藍良はさ、朝比奈(あさひな)君と音羽(おとわ)君、(さかき)君……この三人の中で、誰が一番怪しいと思った?」


 藍良は「うーん」と(うな)り、少し考え込む。やがて、真剣な顔で答えた。


「榊じゃない?」

「どうして?」

「だってあいつ、千景に敵意むき出しだったし。『鏡をよこせ』だの『割ってやる』とか言ってたし」

「でも……割らなかったよね?」

「え?」


 千景は穏やかに続けた。


「朝比奈君に止められたのもあるけど、彼は鏡を割らなかった。割ろうと思えば、彼を振り切って割れたのに。きっと彼……ガラは悪いけど根は案外いい人なんじゃないかな。さっきは、虫の居所が悪かっただけで」


 藍良は深くため息をついた。


「殴られたのに呑気なんだから。……っていうか、鏡を割ろうとしたことってそんなに重要?」

「ものすごく」


 短く返した千景の声は、僅かに緊張を帯びていた。彼の瞳は先ほどよりも鋭さを増している。


「そもそも、ユエは虚映ノ鏡について詳しくは知らない。『神気を宿す者を映さない』という特徴以外は」


 千景は少し間を置いて、穏やかに続ける。


「僕が鏡を持っていったことで、ユエが『まだ秘密があるのか?』と疑った可能性は高い。だって、一度壊したはずの鏡、もう効力を失っているはずの鏡を、わざわざ破片をくっつけて持ってくるなんて、ユエからすれば超怪しいからね。そんな鏡を目の前でチラつかれたら、驚いてすぐにその場から離れるか、もしくは──」

「もしくは……?」

「もう一度壊さなければ──そう思ったはず。できることなら、あの場でね」


 藍良は思わず息を呑んだ。


「……でも、榊じゃないとしたら、いったい誰?音羽も朝比奈も、鏡を割ろうとしているようには見えなかったけど」

「自分から進んで鏡を壊したら、僕たちに怪しまれちゃうでしょ?少なくとも、偶然を装って割ることは、あの状況では難しかった」

「確かに……。いきなり鏡を割りだしたら『突然どうした?』ってなるよね」

「そう。だけどそこで、ユエにとって嬉しい偶然が起きた」

「まさかそれが……榊?『その鏡をよこせ』って音羽に言ってたよね?」


 千景が静かに頷いた。


「そういえばあのとき、鏡を割ろうとした榊を朝比奈が止めたっけ。ってことは、朝比奈は……」

「うん。ユエじゃない。もっとも怪しいのは、鏡を拾って榊に手渡した音羽莉比人(りひと)だよ」


 藍良はふうっと息を吐き、眉をひそめた。


「あいつか……。しれっと『喧嘩はやめよう~』とか言っちゃって……。腹立つわ~~」


 あからさまに怒る藍良を見て、千景は思わず吹き出した。


「音羽を頑張って演じたつもりなんだろうけど、誤魔化(ごまか)しきれなかったね。それに、僕見ちゃったんだ」

「なにを?」

「二つの鏡を受け取った榊君がそれを振りかぶった瞬間、偽物の鏡が一瞬、僕の方を向いた。そのとき笑ってる音羽も一緒に映ってた。不安要素の鏡がまた割れると思って安心したんだろうね。ユエはいつもそう。肝心なときにボロを出してくれるから助かるよ」


 ははっと笑う千景。その無邪気な笑みを見て、藍良は苦笑いを浮かべた。


「それともうひとつ。二つの鏡を拾った音羽は、迷わず藍良に返そうとした。鏡を落としたのは僕なのに」

「そういえば……そうだったかも!」

「藍良が虚映ノ鏡の本当の持ち主であることを知っているのは、僕とタマオ、それにユエだけ。まあそんないろいろな状況を重ね合わせると、ユエの正体は音羽しかいないってこと」


 そう言うと、千景は得意げに笑った。


「さっすが千景!これでようやく、ユエをとっちめられるね!」


 だが、千景の表情はすぐに引き締まる。


「タマオと合流して、藤堂先生を確保したあとにね。だけど、藍良はここまで。ユエと直接やり取りするのは、僕の仕事」

「……え?」


 藍良が問い返すと、千景は優しく、しかし揺るがぬ目で藍良を見据えた。


「これ以上、危険な目には()わせたくない。だからユエは僕に任せて。絶対にユエ……音羽と二人きりになっちゃだめだよ」


 その瞳に宿る真剣な光に、藍良は押し黙るしかなかった。


「どのみち、正体は突き止めた。今夜、決着をつける」

「こ……今夜!?」

「うん」


 千景は静かな笑みを浮かべ、視線を逸らさずに言った。


「今度こそ逃がさない。一撃で仕留める。必ず、ね」


 ☽   ☽   ☽


 藍良は目の前に立つ音羽を見つめながら、千景とのやり取りを思い返していた。


 ──またしても、やってしまった。


 千景から「ユエと接触しないで」って言われていたのに。まさかこんな形で、音羽──いや、ユエと対面することになるなんて。


 ユエは面倒くさそうにため息をつくと、黒ぶち眼鏡を外した。それを指先で弾くように地面へ落とし、黒髪をかき上げる。次の瞬間、その髪色は淡い光を帯び、銀髪へと変わった。


 その様子を見て、藍良は反射的に後ずさる。だが、背中に「バチッ」と鋭い衝撃が走り、振り返る。そこにあったのは、うっすらと赤い膜のような壁。まるで藍良の行く手を阻む──結界だ。


「ひとつ、聞きたい」


 低く響いたユエの声に、藍良の心臓が跳ねた。ユエは冷たい眼差しを向けたまま、一歩、また一歩と藍良へ近づく。手を伸ばせば届く距離。だが、ユエはそこでふと足を止め、藍良を見つめたまま首を傾げた。


「水無瀬藍良。お前はいったい、何者だ?」


 鋭い声が空気を裂く。

 だが、唐突な問いに藍良は驚きを隠せず、目を細めた。


「は……!?何言ってるのかさっぱりなんだけど!」

「とぼけるな。何を隠してる?」


 その言葉と同時に、ユエの手が伸びた。そして、藍良の胸ぐらを掴み、ぐっと持ち上げる。視界が揺れ、息が詰まる。ユエの力に、藍良の心臓は早鐘(はやがね)を打った。


「さっき、虚映の世界で放たれた“炎の月詠”。あの術者はお前だ。虚映の世界から抜け出すために、神気を放った。俺の目は誤魔化(ごまか)せない」


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