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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
第2章 藍の眼と月詠の探偵

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第31話 邪気との対面

 轟々と重低音が耳をかすめる中、藍良と千景、そしてタマオは闇の中をただひたすら滑り落ちていた。すると、唐突に小さな光が現れる。それは瞬く間に大きく膨らんでいく。


「わっ……!」


 次の瞬間、藍良の身体は千景の腕からふっと離れ、吸い込まれるように穴の中へ落ちていく。衝撃が怖くて、思わず目をぎゅっと閉じたそのとき──。


 ──ボフッ。


 柔らかな何かが身体を受け止めた。おそるおそる目を開けると、そこには兼翔の姿があった。彼の腕の中で、藍良はまるでお姫様抱っこのように抱きかかえられていた。


「ようやく来たか」


 素っ気なく告げる兼翔。藍良たちは兼翔のすぐ後に「裂け目」に飛び込んだのだが、どうやら到着にはわずかな「時差」があるようだ。


「千景と例の神蛇は?」

「もうすぐ来る、はず。でも……さ」

「あ?」

「支えてくれてありがとう。でも、そろそろ下ろしてくれない?」


 苦笑いを浮かべる藍良。しかし兼翔は一切反応せず、無表情のままじっと藍良を見つめていた。まるで何かを確かめるかのように。


「……もしもし?」


 兼翔は小さく息を吐き、ようやく藍良をそっと地面に下ろした。だがその直後、唐突に兼翔はこう言葉を投げた。


「ああ、聞いてるよ。片寄(かたよせ)藍良」


 ──え?


 藍良は思わず目を丸くし、そのまま兼翔を見つめる。


 しばしの沈黙。


 兼翔はそれ以上何も言わず、ただ藍良を射抜くような鋭い眼差しで見据えていた。その眼差しに、藍良は困惑していた。彼の言葉の意図も、鋭い眼差しの意味も、藍良にはまるで理解できなかった。


「わたし、水無瀬……藍良なんだけど」


 藍良はか細く、そう告げた。兼翔はしばらく沈黙したあと、深く息を吐いて呟くように言った。


「……失礼。そうだったな。お前は、水無瀬藍良だ」


 そのとき、「パンッ」と乾いた靴音が闇を裂いた。振り向くと、裂け目から出てきた千景がタマオを抱きかかえていた。


「千景!タマオ!無事!?」

「うん。藍良は?」


「大丈夫」と答えつつ、藍良は慌てて周囲を見渡した。落ちてきた場所は、先ほどまで自分たちがいた体育準備室。見覚えのある床、壁、そしてポールや跳び箱、マットまで、運動器具や備品もそのままだ。


「見た目はそっくりでも、さっきの世界とは別物。どうやら、無事に辿り着けたみたいだね」


 藍良は開いた体育準備室から廊下へ出る。するとちょうど隣の体育館から、バスケ部員たちが笑い声とともに談笑してこちらへ向かってくるところだった。藍良は小さく声を漏らした。「空間転移」は、物や建物だけでなく、人まで再現できるというのか。


「……こいつら、俺たちが見えてるのか?」


 兼翔はそう低く呟くと、躊躇(ためら)うことなく部員たちの前に立ちはだかった。まるで行く手を塞ぐ壁のように。


 だが、バスケ部員は驚きもせず、そのまま兼翔の身体をすり抜け、何事もなかったかのように歩き去っていく。どうやら、この世界の人間に藍良たちの姿は一切見えていないらしい。


 すると、千景が窓の外へ目を向ける。


「前に聞いたことがある。空間転移で再現できるキャパシティはひとつの建物とその内部だけだって」

「建物と内部?」

「うん。つまり、ユエが再現しているのは、この学園とそこにいる人たちだけ。外はきっと“闇”が広がるだけだ」


 藍良はふと窓の外に目をやった。美しい茜色の夕焼けが、電柱や校庭をはじめ、周辺の建物を照らしている。


 ──これが「闇」?


 藍良は確かめるように窓へと手をかけた。すると──。


「……無闇に開けるなよ、水無瀬藍良」


 ぎくりと肩を震わせる。声の主は兼翔だった。


「あれは“空”に、そして“建物”に見えるだけだ。空間転移は俺たち審問官ですらよくわからん禁術。死にたくなければ近寄るな」


 藍良は慌てて手を離す。すると、千景がそっと藍良に歩み寄り、その手に触れる。


「大丈夫。僕から離れないで」


 藍良は僅かに頬を赤らめながら、小さく頷いた。そんな藍良を見て微笑む千景。彼の腕にはタマオが「わしも離れないもん」と言わんばかりに巻きついている。すると、タマオが鼻先をヒクヒクと動かした。


「千景よ……感じるか?」

「うん。藤堂先生の邪気だ。やっぱり、彼はここにいる」

「じゃあユエも?」


 藍良が震える声で問う。千景は警戒するように周囲を見渡した。


「今のところ感じるのは藤堂先生の邪気だけだ。ユエの神気はない。ユエは神気を隠していたはずだけど、もし藤堂先生を手にかけるつもりなら、わずかでも漏れるはずだ。それが全く感じられないということは、まだこの世界に来ていないか、接触していないんだと思う」

「ならば、チャンスじゃ!」


 タマオがピンと胸を張り、誇らしげに言う。その出で立ちが可愛くて、藍良が思わずくすりと頬を緩ませたそのとき──。


 カラン……。


 乾いた音が響き、藍良は振り返った。

 先ほど通り過ぎた廊下の曲がり角。そこに虚映ノ鏡がぽつんと落ちていたのだ。藍良はそっと千景から手を離す。


「藍良?」

「落とし物!ちょっと待ってて」


 藍良は軽く笑いながら駆け足で廊下の角へと向かう。床に落ちた虚映ノ鏡に手を伸ばした、次の瞬間──。


 ──パチン。


 空気を裂くような小さな音。藍良は一瞬、何が起きたのかわからなかった。なぜなら、さっき目の前に落ちていたはずの虚映ノ鏡が、今さっき瞬きをした途端に消えたのだ。藍良は顔を上げ、元の場所へ戻る。そして、思わず息を呑んだ。


 ──いない。


 さっきまでいたはずの千景が、どこにもいない。

 兼翔もタマオの姿も見当たらない。どういうわけか、忽然と姿を消している。


「千景?タマオ?兼翔!?」


 藍良は声を張り上げるが、その声はただ廊下に反響するばかりで、応答はなかった。嫌な感覚がぞわりと背中を這うように伝わる。いったい、何が起こっているのか。


 そのときだった。


 ──トン。


 数メートル先の廊下を横切る足音が聞こえた。藍良が目を凝らすと、見慣れた黒いジャージの男がいた。


 ──藤堂先生。


 藍良は心臓の鼓動を抑えながら、静かに、そして深く息を吸った。不思議と確信があった。目の前を歩く藤堂は、藍良と同じく「裂け目」からこの世界に来た、本物の藤堂だと。藍良は、藤堂のあとを追うことに決めた。気付かれないように、そっと。影のように。


 それから数十分。

 藤堂はマスターキーを使い、次々と教室に侵入していった。机を開け、ロッカーを探り、椅子の裏まで丹念に確認していく。先ほどまで茜色に染まっていた空は、一気に深みを増していた。そのせいで教室はいやに薄暗くなっている。


 藍良は気付かれないように近づくと、僅かに手を震わせながらスマホを取り出し、録画ボタンを押した。千景と再会したときのために、証拠を残しておかなければと思ったのだ。


 状況が変わったのは、美術部の部室に入ったときだった。


 部屋は静まり返っている。今日は部活がなかったらしく、人影はない。藤堂は無造作に作業台やキャンバスの裏を覗き込み、やがて奥のロッカーへ向かった。


 ガチャ──。


 ひとつ、またひとつとロッカーの扉を開けていく。中にはスケッチブック、筆、絵の具の箱……美術部員たちの私物だろう。藍良は物陰から、息を詰めてその様子を見張る。


 そして、一番端のロッカーが開かれたとき、藤堂の動きが止まった。彼はうなだれるように頭を垂れ、肩を小刻みに震わせる。室内は薄暗く、藍良には表情までは見えない。だが、その呼吸は荒く乱れている。


 数秒後、彼の呼吸は低く掠れた笑いに変わった。耳を澄まさなければ聞き取れないほどの小さな声。だが、その笑いには確かな安堵が滲んでいた。


 藤堂は「探しもの」を、ついに見つけたのだ。


 藍良は目を細める。彼の手には、数枚の写真と、ビニール袋に収められた何かが握られている。藍良はその正体を確かめようと、物陰から体を出し、さらに藤堂へ近づく。すると、藤堂はそれらを胸に抱えるようにして、唐突に立ち上がり、振り返った。


 藍良と藤堂。

 二人の視線がぶつかった次の瞬間、藤堂の笑みは一瞬にして消えた。


「水無瀬?お前、いったいなにを……」


 そう言いながら、藤堂は藍良の手に視線を向ける。そこに握られていたのはスマホ。レンズはしっかりと藤堂の姿を捉えていた。


 藤堂は動揺したのか、一歩後ずさる。そのとき、彼の手から数枚の写真がふっと落ちた。そのうちの一枚がするりと床を滑り、藍良の足元へと吸い寄せられる。


 藍良は反射的に視線を落とし、身を屈めてそれを拾う。

 そして、絶句した。


 そこに写っていたのは、藤堂。


 だが、それは誰もが知る「爽やかな体育教師」とは程遠い。

 不気味な笑みを浮かべ、異様な気配を漂わせながら、視線を一点に注ぎ込んでいる。


 彼の視線の先にあったのは──猫の頭。


 写真の中の藤堂は、切断された猫の頭を左手に掴み、それをただじっと見つめていた。

 右手には血に濡れたサバイバルナイフ。光沢を帯びた刃先からは、生々しい残虐さが匂い立つ。


 藍良は写真から顔を上げ、目の前の藤堂を凝視する。


 彼の瞳から感じられる感情は、焦燥と困惑。

 そして、みるみるうちに湧き上がる、底知れない狂気だった。


 藍良は悟った。


 藤堂が死に物狂いで探していたもの。

 それは、自らの欲望。

 決して抑えることができない、残酷な殺意であることを。

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