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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
第1章 黒標対象と死神審問官

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第13話 虚映ノ鏡

虚映ノ鏡(きょえいのかがみ)?」


 間抜けな声を上げる藍良に、千景は淡々と言葉を続ける。


「一見普通の鏡なんだけど、その鏡には『神気』を持つ者は決して映らない。僕やタマオ、それに黒標対象も映らない。その鏡さえあれば、黒標対象を見つけやすくなるんだ」


「そんな鏡……あったかな」


「あるはずだよ。大体直径十五センチくらいで、持ち手は黒で花柄の縁だけが細く描かれてる。その花柄の輪郭(りんかく)の中を、絵の具でひと筆ずつ、不器用に塗られているはず」


 そこまで言ってから、千景は静かに藍良を見た。


 目は優しく、どこか懐かしむような色を宿している。


「あの物置、百年前から藍良のご家族の大事な物が納まっているはずなんだ。虚映ノ鏡もそのひとつ。それを使えば……」

「ちょい待ち」


 藍良はピシャリと言い放ち、そのまま千景を鋭く見据えた。


「どうしてあんたがうちの物置事情を、そんなに知ってんのよ?鏡のことも模様のことも、やたら詳しいけど、なんで?」


 数秒の沈黙。


 すると、千景は目を泳がせたあと、大げさに首を傾げて、にっこりと微笑んだ。


「……僕、そんなこと言った?」



 ……………。


 ズコーーーー。



 あからさまにすっとぼける千景に、藍良は盛大にずっこけた。


「言ったでしょ!ほんの数秒前に!この期に及んでまだ隠しごと!?この際全部──」


 そこまで言いかけたところで、言葉が止まった。


 ふと顔を上げると、千景が切なげに微笑んでいたのだ。嬉しさと寂しさが奇妙に入り混じった、なんともいえない表情をしている。


「ごめん、藍良。今はまだ……」


 その顔を見て、藍良は思わず言葉を飲み込んだ。


 千景はそれ以上何も言わず、視線を逸らす。どうやら、本当にこれ以上は話すつもりがないらしい。


 仕方ないな、と藍良は小さく息を吐いて、わざとらしく肩をすくめた。


「……まったくもう」


 そうぼやいてから、気を取り直すように千景を見つめ、口を開く。


「とりあえず、その鏡。明日探してみよ。で、さっさと黒標対象を見つける!それでいいでしょ?」


 最後に藍良はピッと人差し指を立てる。


 千景はふっと笑い、タマオも「ふぉっふぉ」と得意げに鼻を鳴らした。



 ☽  ☽  ☽



 翌朝、マスクとエプロン姿という完全なお掃除スタイルで、藍良と千景は古びた物置の中にいた。


 今日は土曜日。学校も休みで、慈玄は早朝から出張説法に出かけた。帰宅は明日の夕方になる。まさに絶好のチャンスというわけで、藍良と千景、そしてタマオは鏡探しに乗り出したのだ。


 物置の空気はひんやりと湿っていた。


 昨夜の小雨のせいか、床板はほんのりと湿気を含み、木の匂いが鼻に残る。陽もほとんど差し込まず、薄暗い空間の中に、古い木箱たちが整然と並んでいた。


 中に収められているのは、祖父母が使っていた茶道具や食器の数々。


 慈玄と「鑑定に出したらそこそこ高いんじゃない?」なんて笑い合ったこともあったけど、結局そんなことはしなかった。どれも大切な形見で、手放せなかったのだ。


「虚映ノ鏡は、墨色の漆塗りの木箱に入ってる。木箱の蓋には、三日月の刻印があるはずだよ」


 ──だから、なんであんたがそんなこと知ってんじゃい。


 そんな疑念を抱く藍良に気付きもせず、千景は黙々と箱の一つひとつを丹念に確認していく。印がないことがわかると、そっと床に箱を置いた。その手つきはやけに丁寧で、慎重だ。


 一方のタマオも、しゅるしゅると器用に木箱に巻きつき、一つひとつ丁寧に確認していく。しかし、今のところどれも目的の箱ではないようだ。


「なかなか見つからんのぉ〜〜……」


 けだるげな声を上げるタマオ。


 この一時間ずっと探し続けているせいか、その声はどことなく疲れていた。


「タマオ、ちゃんと休んでね。お水も飲みなよ」


 藍良が優しく声をかけると、タマオはしゅるりと近づいてきて、ひょいっと藍良の足元に絡みついた。


「わっ!?こ、コラ!」

「充電じゃ、充電……神蛇たるもの、気を蓄えねばならんのじゃあ……」


 甘えた声でぴとっとくっつくタマオ。


 藍良は困ったように笑いながら、その鱗に軽くポコリと手を当てる。


「なにが充電だ、このドスケベ蛇!」

「ふおぉぉぉ……あと十秒……十秒だけ……癒しを……くれぇぇぇ……」

「スケベ親父か、あんたは」


 そう言いながら、藍良は苦笑をこぼした。この数日間で、彼女の日常はすっかり様変わりしてした。まさか、死神の審問官と、スケベな神蛇と一緒に物置を漁る日が来ようとは。


「千景も、ちゃんとお水飲んでね。今日、蒸し暑いからさ。はい」


 そう言って、藍良はペットボトルを手渡す。千景は一瞬きょとんとしたあと、小さく笑い、マスクをずらして水をひと口含んだ。そして、積み上がった木箱を見つめて声を漏らす。


「それにしても、木箱ずいぶん高く積んでたね」

「確かに。でも隙間なくみっちり積んでるから、地震が来ても大丈夫だと思う。中に緩衝材(かんしょうざい)も入ってるし」


 そう言って藍良がくるりと振り向いた、その瞬間。唐突にぐらり、と足元が揺れた。


 一瞬、空間がふわりと浮いたような錯覚が襲う。焦ったのも束の間、今度ははっきりとした横揺れが襲ってきた。


「え、うそ、地震!?」


 驚きに目を見開く藍良。まさかのフラグ回収に、木箱の山がぎしりと音を立て始める。


 そして次の瞬間、大きな揺れとともに木箱が棚の上から崩れ落ちた。反射的に藍良は目をぎゅっと閉じ、肩をすくめる。


 ──そのとき。


「藍良!」


 千景の声が飛ぶ。次の瞬間、千景は落ちてきた木箱から(かば)うように、藍良をぎゅっと抱きしめた。藍良の頬が一気に赤く染まる。


 そして、そのすぐあとに、ぱあっと眩い白い光が二人を包み込んだ。


「な、なに!?」


 藍良は目を細めながら声を上げる。そして、視界の端で足元から光が放たれているのに気付いた。それはあのタマオだったのだ。


「タマオ!?」


 藍良の足に巻きついていた神蛇が、神妙な顔つきで白い光を発している。柔らかな光は、まるで結界のように藍良と千景を守っていた。


 しばしの沈黙。タマオはふっと光を収め、おもむろに牙を見せてどや顔をする。


「これぞ神蛇の力!見直したであろう!」


 藍良は息を整えながら、さり気なく千景の腕の中から抜け出す。


 そして、しゃがみ込んでタマオを見つめた。


「タマオ、ありがとう」


 にこっと笑う藍良に、タマオは照れ隠しのように「ふおっ」と声を漏らした。そんなやり取りの最中、藍良の目にあるものが飛び込んできた。


 ──漆黒(しっこく)の木箱。


 倒れた木箱の下から、ひときわ美しい漆塗りの箱が覗いている。


 その蓋には、うっすらと三日月の印が刻まれていた。


「あっっ!!!!!」


 藍良の声に千景とタマオがビクつく。


「これ、これじゃない!?そのなんちゃらって鏡が入ってる箱!」


 千景が目を見開き、血相を変えて木箱を見つめた。まるで、心の奥底にしまっていた何かが突然現れたような、そんな表情を浮かべて。彼はそっと手を伸ばし、丁寧に木箱を開けた。


 中には、千景が語ったとおりの手鏡が収まっていた。


 黒い持ち手に、繊細に描かれた花柄の縁取り。だが、その輪郭の中を埋める色彩は不器用で、絵の具はところどころはみ出し、色も混ざり合っている。まるで子どもが一生懸命に塗ったかのような、そんな温かみのある雑さだった。


 藍良はそっと、千景の横顔を見つめた。


 そして、息を呑んだ。鏡を見つめる彼の目が潤んでいたのだ。千景は震える手でそっと鏡を抱きしめた。まるで、ようやく再会を果たした織姫と彦星のように。


 その唐突な、けれどあまりにも切実な仕草に、藍良は言葉を失ったのと同時に、確信した。


 千景はこの鏡を──いや、この場所をずっと前から知っていた。そして、再び手にする日をずっと夢見てきた。この鏡に、何か強い思い入れがあるのだ。


 ということは、千景はこの寺──水無瀬家と何かしら深い縁があるのか……?そんな思いが脳裏(のうり)をかすめた瞬間、千景がこちらに視線を向けた。


 藍良とタマオの視線に気づいたのだろう。彼は照れたように笑みを浮かべ、手鏡の表面を優しく撫でる。


「やっぱりあった。虚映ノ鏡。これがあれば、黒標対象を見つけられる。見て、藍良」


 そう言って、千景はそっと鏡を自分の前に掲げた。だが、鏡には、何も映っていなかった。背景の物置や棚は映っているのに、肝心の千景の姿がどこにもない。


「うわ……」


 藍良が思わず呟いたそのとき、タマオがひゅるりと千景の首に巻きついた。そして鏡を覗き込み、楽しげに声を上げる。


「ほおお~~本当じゃ!わしの姿もまるっきり見えん!いやはや、これは見事な不思議鏡よのぅ!」


 タマオはまるで魔法にかけられた子どものように、楽しげに体を揺らしている。


 その様子を見て、藍良は少し戸惑いながらも手を伸ばし、鏡を受け取った。そして、おそるおそる自分の姿を映して、目を丸くした。藍良の背後にある物置の柱、そして木箱、それらは確かに映っているのに……。


「藍良?」

「どうしたのじゃ?」


 同時に声を上げる千景とタマオ。藍良は首を傾げる。


「これ、神気を持つ存在を映さない鏡、なんだよね?」

「うん。それがどうかした?」


 不思議そうな千景。藍良は鏡とそこに映っているものを彼らに見えるように、鏡をくるりと傾けた。


「おかしいの。見てよ、ホラ。二人も映ってないけど、わたしも映ってない。わたしは人間なのに、変じゃない?」


 返事がない。おかしいと思って顔を上げて、藍良は驚いた。


 千景の目が、大きく見開かれていたのだ。まるで、信じられないものを目の当たりにしているとでもいうように。

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