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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
第1章 黒標対象と死神審問官

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第11話 決意の夜と、君の告白

 そのあと、藍良と千景は寺に戻り、夕食の時間を迎えた。


 この日は藍良と慈玄、そして千景の三人で囲む、初めての食卓だった。


 慈玄は少し張り切った様子で、手巻き寿司を振る舞ってくれた。


 ほんのり甘くて、優しい味わいの酢飯。母が亡くなってから、慈玄が母の味を真似て炊き続けたうちの味だ。


 死神である千景の口に合うかどうかは、正直よくわからなかった。だが、ひと口食べた千景の目は、ぱっと大きく見開かれた。


「……おいしい」


 その一言のあと、千景はまるで小動物のように、ぱくぱくと手巻き寿司を口に運び続けた。茶碗蒸しも、あさりの味噌汁も、きゅうりとタコの酢の物も。どれも、慈玄が慣れた手つきで用意してくれたものだった。


 藍良はそんな千景を見て、こっそりと笑った。


 食後、片付けは藍良の担当。今日は慈玄がご飯を作ってくれたから、片付けは藍良がする。慈玄と藍良はこうやって、母がいなくなってからずっと、食事や家事を分担してきた。


 今、藍良は千景と共に台所の流し台の前に立っている。茶碗洗いをしていたところ、千景が手伝いを買って出たのだ。藍良が食器を洗い、千景がその隣でそれを受け取り、ていねいに拭いていく。


 すると、千景がふと手を止めてこう呟いた。


「藍良はお父さんと仲がいいんだね」


 その声は、とても温かく、藍良は自然と笑みがこぼれる。


 母が亡くなってから、もう十年になる。


 その間、父──慈玄はいつだって、藍良を見守ってくれた。


 どんな小さな悩みも真剣に耳を傾けてくれたし、仕事がどれだけ忙しくても、疲れた様子を見せることはなく、いつも笑って「大丈夫」と言ってくれた。


 そんな慈玄を、藍良は心から尊敬していた。


「法律にかかわる仕事がしたい。だから、O大学の法学部にいきたいんだけど……」


 学費が高いのが申し訳なくて、恐る恐るそう打ち明けたときも、慈玄は少しも迷わず、こう言った。


「なにも気にせず、藍良がいきたいところにいきなさい」


 いつかお給料が貰えるようになったら、初めにするのは慈玄への恩返し。それが、藍良のささやかな夢でもあった。


 そんな慈玄は、少し早めに寝室へと向かった。


 思いのほか千景との会話が楽しかったらしく、もともとお酒に弱いのに、今夜は日本酒を一合以上も飲んだのだ。


 寺のこと、仏具のこと、季節の行事のこと。


 千景が熱心に耳を傾けてくれたのが、余程嬉しかったのだろう。


「千景が来てくれて、父さん本当に嬉しかったんだと思う」


 藍良はそう言いながら、コップをすすぎ、そっと千景に手渡した。


「この寺に興味を持ってくれる人なんて多くないからさ。話してて楽しかったんだよ」


 千景はふと手の動きを止めると、そっと藍良を見つめた。その頬がほんのり赤くなっていることに、藍良はすぐ気づいた。


「……どうしたの?まーた赤くなっちゃって」


 思わず茶化すように言うと、千景は少し照れたように微笑んだ。


「……初めて呼んでくれた。『千景』って」


 ぽつりと呟く千景の声に、藍良はハッと目を見開き、すぐに口をつぐんだ。


 ──そういえば、今までずっと「あんた」って呼んでたかも。


 気まずさを誤魔化すように、藍良は小さく咳払いをする。


「……昨日も今日も、驚くことばっかりで頭が追いつかないけど……。それでもね、わたしなりに実は今年に入ってから、こんなに人が亡くなるなんて、なんかおかしいって思ってたの」


 藍良は顔を上げ、千景をまっすぐに見据える。


「高等部だけじゃない。中等部でも自殺が立て続けに起きてる。みんな、偶然とかたまたまって言うけど……そんなに何度も偶然なんて続くわけないもん。あんたの話が本当なら、それって全部、黒標対象ってヤツの仕業なんでしょ?自殺じゃなくて、殺人なんだよね」


 その言葉に、千景は静かに頷く。


 藍良は、ぐっと拳を握りしめた。


「だったら、わたしも協力する」


 少しの沈黙。


 藍良は一拍置いて、言葉を続ける。


「このままじゃ、咲……わたしの友達だって、狙われるかもしれない。他のみんなも、クラスメイトも、先生も、誰かが狙われるかもしれない。そんなの、黙ってられないよ。それにさ。あんたの話だと……この寺に、黒標対象を見つけるための道具があるんでしょ?だったら、それを使って早いとこ──」


 ここまで言ったところで、藍良は言葉を止めた。千景が目を見開いて藍良を見つめていたのだ。その目は僅かに潤んでいるように見えた。まるで、藍良のこの言葉に感極まっているかのように。


 藍良は泡がついたスポンジを左手に握ったまま、別の茶碗に右手を伸ばす。そして、小さく笑ってこう言葉を続けた。


「千景、惚れっぽいんだね」

「え?」

「初めてだよ。わたしに告白してきた人。わたしさ、死んだ母親譲りで口も悪いし、男子とも大して話さないの。元々あまり……そういうことにも興味ないし、友達とワイワイ話してる方がよっぽど楽しいし。そんなわたしがまさか告白されるなんて……まあ、ちょっとビックリはしたけど……でも、ありがとうね。あんたは死神だけど、好きって言ってもらえることは嬉しいっていうか、ありがたいなって思ったよ」


 藍良はそう言って千景に微笑みかける。


「まあ、今あんたを取り巻いている女の子たちの方がよっぽど女子力高いし、明日くらいにはその子たちの良さがわかるよ。わたしなんかよりもずっと性格もいいから。でも、あんた死神なのに、割と女子の中ではイケメン枠になってるから、女の子たちを必要以上にたぶらかすようなことはしちゃ駄目だよ」


 諭すようにそう言って、藍良は洗った茶碗を千景に渡そうとする。千景はそれを受け取らず、一転真剣な面持ちで藍良を見つめた。


「なに?」


 藍良が不思議そうに首をかしげたその瞬間、千景は、低く静かな声で、言葉を絞り出した。


「誰でもいいわけじゃない」

「え?」

「藍良じゃないと、ダメなんだ」


 再び投げかけられる、まっすぐで情熱的な言葉。


 藍良はつい、瞬きを繰り返す。まるでそれが現実かどうかを確かめるかのように。


 どうやらこの男──千景は、本気で自分に惚れているらしい。それはわかったが、藍良には、その理由がさっぱりわからなかった。


 戸惑いを隠せない藍良に、千景の視線が容赦なく突き刺さる。


 その瞳には濁りひとつない。どこまでも純粋で、真っ直ぐだった。


 気付くと、藍良は目を逸らすこともできず、鼓動が早鐘(はやがね)のように高鳴っていった。


 そして、次の瞬間。


 千景がそっと、藍良に顔を寄せる。そしてゆっくりと目を細めた。


 ──え?


 藍良は目を丸くし、小さく息を呑む。


 頬に熱が一気にのぼった次の瞬間、藍良は反射的に身をすくめていた。


 藍良の反応を見た千景は、それ以上は何もせず、すっと身を引いた。


 ふたりの間に、ふと沈黙が落ちる。さっきまでの距離の近さと、真っ直ぐな眼差しが、藍良の胸の奥でいつまでも消えなかった。


 やがて、千景は静かに口を開いた。


「……タマオにも、ご飯、持って行ってもいいかな?」


 藍良は動揺を振り払うように、コクリと頷く。


「……うん。でも残り物しかないよ。タマオ、なに食べるんだろ?」


 千景は、ふっと微笑むと居間のお膳に目を向けた。


「あれはどうかな。きっと喜ぶと思うよ」


 千景の視線の先。そこには、サランラップで丁寧に包まれた出し巻き卵があった。

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