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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
最終章 運命の死神審問会

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第108話 百年越しの告白

 千景は藍良の手を引き、足早に歩き出した。藍良は寝間着(ねまき)姿のまま、訳も分からず彼の後ろ髪がなびくのを見つめる。


 夜中だからだろうか。他の死神審問官たちの気配はない。おかげで、先ほど兼翔と歩いたときとは違い、身を隠すことなく千景は目的地へと進んでいく。


 千景が向かったのは、棟の最上階だった。箱のような無機質なエレベーターを降りると、すぐ目の前に鉄製の重厚な扉がそびえていた。


「ここだよ」


 千景はそう言って、真鍮(しんちゅう)の取手をゆっくりと引く。


 中に何があるのだろう。目を()らすと、藍良の視線の先にあったのは、一面の暗闇だった。


 思わず首を傾げた次の瞬間、ぽつり、ぽつりと、小さな光が闇の中に灯った。ひとつ、またひとつと光の粒が無数に増えていく。光は蛍のように淡く明滅しながら、闇に溶けるように漂っていた。


 夜空に浮かぶ星を切り取ったような美しさを前に、藍良の頬は自然と緩んだ。


「あの光はね、命の源なんだよ」


 千景が、そっと囁くように言った。


「命の源?」

「うん。これから人間になる魂。藍良も、生まれる前はここにいたんだ」


 藍良は目を丸くして、光の粒を見つめた。あの光が、自分たちの命の源……。


 藍良は自分でも不思議なほど、すぐにその言葉を飲み込んだ。ここは冥界の死神審問会。死後の魂の行方を決める場所なのだから、人の魂があってもおかしくはない。


「明日には、人間界に戻らなきゃならないでしょ。だから今夜、どうしても藍良を連れてきたかったんだ。本当はだめなんだけど」

「え……?内緒で連れてきてくれたの?」

「うん。幻道様にも兼翔にも秘密だよ」


 千景はそう言うと、穏やかな眼差しで光の群れを見上げる。


「ここにはね……今、藍良のお母さんもいる」


 そのひと言に、藍良の胸がとくんと鳴った。


 幼いころに交通事故で亡くなった母──実はずっと気にしていた。人間が死後、審問官から審問を受けて、次にどう生きるか決められると真白に聞いたときから。つまり、藍良の母も審問を受けていたはずなのだ。


「お母さんは……えっと……」

「いいよ。遠慮しないで聞いて」

「あの……人間に転生するの?」

「うん、そうだよ」


 藍良は無数の光をゆっくりと見渡す。この光のどこかに、母がいる。そう思うだけで懐かしさと愛おしさが胸の奥に広がった。けれど同時に、寂しさも込み上げてくる。


 ここに母がいる。でも、どの光が母なのかはわからない。

 触れることも、話すこともできないのだ。


「藍良?」


 千景がそっと、藍良の顔を覗き込む。藍良ははっとして、慌てて小さく笑った。


 本当は、こんな顔をするつもりじゃなかった。

 人間が入れない場所にわざわざ連れてきてくれたのに、胸に浮かんだのは感動以上に寂しさで、それが申し訳なかった。


「ごめん。せっかく連れてきてくれたのに。なんて言っていいのか、わかんない」


 藍良はそう言って、躊躇(ためら)いがちに笑った。


 母を亡くしてからの数年間、藍良はずっと寂しかった。母のいない現実が受け止めきれず、何度も布団の中で泣いた。それを知ってか、父・慈玄は藍良の寂しさを埋めるように、惜しみなく愛情を注いでくれた。だから藍良も、少しずつ笑えるようになったのだ。


 それなのに──。


「お母さん……転生したら過去の記憶は失くしちゃうよね。それが、なんだか寂しくて」


 藍良は、正直に今の想いを打ち明けた。千景は藍良の手を握り、そっと自らの方へ引き寄せる。彼の横顔は淡い光に照らされて、いつも以上に柔らかく見えた。


「魂ってね、不思議なんだ。前世で家族だった人、夫婦だった人、恋人だった人、友達だった人……そういう縁が深い人たちとは、来世でもどこかで巡り会う」


 藍良は千景を見つめながら、記憶を辿る。どこかで聞いたことがある。今の恋人は前世では兄弟だったとか、そんな話だったような気がする。


「藍良のお母さんがどこの誰になるのか……それはちょっと教えられないんだけど……これから先の藍良の人生、大切な出会いの中にお母さんがいる」


 千景はゆっくりと、言葉を続けた。


「藍良ならピンと来ると思うよ。勘が鋭い人は気付くんだ。この人のことをずっと前から知っている気がするって。それは魂の共鳴。前世の絆があるから、直感的にわかる」


 そのあと、千景は「内緒ね」と言いながら、藍良の鼻先にちょんと指で触れた。藍良はぱちぱちと瞬きをして、小さく笑った。


 またどこかで巡り会えるかもしれない。


 そう思うだけで、心に微かな灯がともる。


「そうなんだ。会えたらいいな。お母さんの魂と」


 藍良はしっかり頷くと、中にふわふわと浮かぶ無数の光を見渡した。そして、大きく手を振ってみせた。


「気付かないかなあ。お母さん。もう何年も前だから、わたしの顔忘れちゃったかな」


 すると、千景は嬉しそうに目を細める。


「忘れるわけないよ」

「そうかな」

「うん。もし見てたら、僕が隣にいて、ビックリしてるんじゃない?」

「え?」


 藍良が首を傾げると、千景は繋いだままの手を少しだけ持ち上げた。


「だって今、藍良と手、繋いでるから」


 この言葉に、藍良は吹き出した。


「確かに……あんた誰?うちの娘の何!?……とか思ってそう。魂になったら、お母さんの性格もちょっとはおしとやかになってるかもしれないけど」

「お母さん、おしとやかじゃなかったの?」

「全っ然。わたしの性格はお母さんゆずりだもん。逆に、お父さんはどっちかっていうと千景タイプ。いつものほほんとしてるし、千景と同じで恋愛ドラマが大好き」

「え?えええ!?あ、藍良、知ってたの!?僕が恋愛ドラマ観てたこと……」


 藍良は笑いながら頷く。


「うん。お父さん喜んでたよ。千景とドラマの話で盛り上がってる~って。お母さんもわたしもサスペンスが好きだから、その辺お父さんと話が合わなくてさ」


 これを聞いた千景は、堪えきれないように声を上げて笑った。

 藍良も一緒に笑いながら、ふと光の粒を見つめて思う。もしかしたら、母は魂になっても、そんなに性格が変わっていないかもしれない。なぜなら──。


「でもなんとなく、お母さん、大して性格変わってない気がする」

「どうして?」

「だって、わたしも百年前と性格全然変わんないもん」


 そのとき、千景の笑みがぴたりと止まった。


「……え?」

「ほら、百年前のわたしもさ、特別最高審問受けたでしょ?その当日に千景から告白されて、容赦なくツッコんでたじゃん」


 言った瞬間、千景はあからさまに目を泳がせる。


「ちょ……ちょっと待って。藍良、その話をどこで?」

「え?」

「真白さんから聞いた?」


 藍良はきょとんとして首を振る。


「ううん。夢で見たの。わたしの特別最高審問が開かれる前日かな……百年前の夢。千景、わたしの審護を務めてくれたでしょ?」


 みるみるうちに、千景の頬が赤くなっていく。


「あ……夢だったのかな?てっきり現実に起きたことだと思ってたんだけど、違った?」


 藍良が千景の顔を覗き込もうとした次の瞬間、千景は力強く彼女の身体を抱き寄せた。彼は小刻みに震えていた。藍良の背中にきつく回された腕も、耳元に触れる吐息も。


「ありがとう。思い出してくれて」


 藍良はそっと夢で見た、あの日のことを想い返す。


 ──転生したら、千景のことも忘れちゃうよ。


 そう告げた藍良に、千景は迷うことなく言ったのだ。


 ──思い出させてみせます。


 藍良は千景の想いに応えるように、彼をぎゅっと抱きしめ返した。


「こちらこそ、思い出させてくれてありがとう」


 するとその直後、ひく、という息を詰まらせた声が聞こえた。声はどんどん大きくなり、嗚咽(おえつ)となって漏れる。


 藍良ははっとして、身体を少し離した。千景の顔を覗き込むと、彼はぽろぽろと涙を流していた。目元から溢れた涙が、次々に頬を伝ってこぼれ落ちていく。


「千景」の名を呼ぼうと息を吸うが、言葉にならず吐息となって消えた。藍良はただ、彼が流す涙を見つめ続けることしかできなかった。そうしているうちに、藍良の胸はじわじわと熱を帯びた。


 この人は何度も気持ちを伝えてくれた。

 だから今度は、わたしが気持ちを伝える番──。


 藍良は千景をぎゅっと抱きしめると、耳元に唇を寄せた。


「約束通り、わたしと付き合ってくれますか?」


 百年越しの告白に、千景はさらに声を漏らして、頷きながら涙をこぼした。

 藍良は小さく微笑み、安心させるように彼の髪へ指を通し、優しく()かすように撫でる。


 と、そのとき。

 藍良はふと、冷静になった。


 ……待てよ。

 そもそも自分は人間で、千景は死神審問官。

 付き合うことはできても、結婚できるのか?

 それに千景は百歳越えで、この容姿。

 つまり、死神は老けないということか?

 わたしがしわしわのおばあちゃんになっても、千景は変わらず好きでいてくれるのか──?


「ね……ねえ、千景。すっごく今更なんだけど、いろいろ気になることが……」


 だが、千景は藍良の胸元に頭を埋めたまま、泣き続けた。藍良はそんな彼の様子を(うかが)ったあと、ふっと肩の力を抜く。

 そうして、泣き虫な恋人の髪を、わしゃわしゃと撫でた。


 そんな話、あとでいっか。

 この人が過ごした百年と比べたら、わたしの悩みなんて些細なこと……。


 思いを巡らせていると、光の粒がひとつ、目の前でふわりと浮いた。藍良はその光に向かい、「ね?」と心で呟いて笑った。

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