第107話 祝宴の夜
真白がはっきりと姿を現したその日の夜。
藍良と真白は、そのまま別階の大部屋に連れていかれた。部屋に入るなり、二人は揃って目を丸くする。食欲をそそる香りが、鼻先をくすぐったからだ。
部屋の中央には長いテーブルと数脚の椅子。テーブル上には、色とりどりのご馳走がずらりと並べられている。イセエビのお造りや刺身の盛り合わせ、天ぷら、茶碗蒸し、ツヤツヤな栗ご飯。そして──。
「だ……だし巻き卵じゃああぁぁ!!わしの大好きな、あの卵があるううう!」
タマオが歓声を上げる。テーブルの中央には、「これが主役だ」と言わんばかりに、こんもりと盛られた出汁巻き卵がドンと置かれていた。
藍良は料理を端から端までじっくり見渡し、兼翔に向き直る。
「もしかしてこれ……」
すると、兼翔は珍しくにっこりと笑った。
「ああ。真白の門出を祝おうと」
「……って、ちょっと待って!材料は!?死神界に魚介とかあんの!?」
藍良が思わずツッコむと、兼翔は千景や蘭丸と視線を交わし、得意げに笑った。
「人間界の市場に行ってきた。千景とな」
ちょっとコンビニ行ってきた──そんな軽いノリで話す兼翔に、藍良は思わずズッコケる。
軽く肩を落としつつ真白を見上げると、彼女は相当驚いた様子で、ご馳走の数々を見つめていた。その頬は、次第に赤みを帯びていく。
藍良は昨日の朝の出来事を思い返していた。兼翔が作ったサンドイッチを初めて口にした彼女は、そのおいしさに目を輝かせていたのだ。
「食べる」という行為は、真白にとって藍良が思う以上に新鮮で、幸福に満ちた体験に違いない。まして、それが兼翔の料理ならなおさらだ。
「座ろう!真白」
藍良はそう言って、真白の手を引いた。真白は少し照れくさそうに微笑みながら、席に着く。幻道や千景、蘭丸もそれぞれの席に腰を下ろした。
すると兼翔が瓶を手に取り、皆の前に置かれたグラスへと順に飲み物を注ぐ。藍良と真白にはオレンジジュース。幻道や千景、蘭丸には、透明な炭酸水のような飲み物を。そして──。
「お前にも」
兼翔はそう言って、小さなグラスをタマオの前に差し出した。中には、千景たちのグラスと同じく、気泡の浮かぶ透明な液体が入っている。
「じゃあここは……藍良ちゃんに乾杯の音頭をとってもらおうかしら」
唐突にそう言う幻道に、藍良はびくっと肩を揺らした。
乾杯の音頭──覚えがある。実家の寺で宴会が開かれるたび、父の慈玄がよくやっていたからだ。
藍良は躊躇いながらも、自らの目の前に置かれたグラスを手に取り、立ち上がる。
「えーっと……コホン」
照れを誤魔化すように咳払いをひとつしてから、藍良は真白に向き直った。
「新しく始まる、真白の人生に……アレ?人生って変か……死神審問官は人ってわけじゃないから……えっと……なんて言ったらいいんだろ」
一斉に皆の視線が藍良へと注がれる。藍良は赤く染まった頬を掻きながら、なんとか言葉を続けた。
「と、とにかく……真白がこれから、たくさん笑顔で過ごせますように!!ってことで……かんぱーーーい!!」
「なんだそりゃ」と兼翔が笑い混じりにぼやく。千景はいつものように優しく微笑み、幻道や蘭丸、タマオも声を出して笑いながら、それぞれのグラスを口元へ運んだ。
真白も藍良に倣って、そっとグラスに口をつける。そして次の瞬間、ぱっと目を見開いた。やっぱり──と、藍良は思う。このオレンジジュースにも、彼女はひどく感動しているのだ。
その反応が嬉しくて、藍良は真白の前に置かれた皿を手に取った。
「わたしが盛る!真白、何食べたい?」
「えっと……えっとね……」
真白はオロオロとテーブル上を見渡し、ゆっくりと食べたいものを指さしていく。
藍良はその皿に、頼まれた料理をたっぷり盛りつけた。
藍良が知る真白は、どこかクールで、常に大人びていた。だが今、目の前の真白は違う。見たことがないほどのあどけない表情で、宝物を見つけたみたいに瞳を輝かせていた。
その後、宴会は和やかな空気で進んだ。
宴会の最中、聞いたところによると、このご馳走は兼翔が腕を振るい、千景と蘭丸が手伝う形で用意してくれたらしい。
それにも驚かされたが、それ以上に藍良の目に留まったのは、楽しげに話す三人の姿だった。死神界の同期三人組は、時に軽口をたたき合い、時にくだらないことで笑い合っていた。それは高校でよく見かける、仲のいい男子そのものだった。
一方、幻道は見た目通りかなりの酒豪だった。そして、そんな幻道と張り合っていたのは、意外なことに、あのタマオだった。
どうやら、タマオも相当な酒好きらしく、幻道と好みの酒についてあれこれ語り合っていた。そんな酔っ払いたちの会話に和みつつ、藍良と真白は兼翔の料理に舌鼓を打つ。すると──。
「どうだ?うまいか?」
兼翔が真白の隣に腰を下ろした。彼も少し酒が入っているのか、頬がかすかに赤い。
「めちゃくちゃ美味しいよ、兼翔」
「全部食べた。全部うまい」
藍良と真白の言葉が重なる。すると、兼翔は目を細め、ほっとしたように微笑んだ。その表情に藍良は思わず箸を止める。いつも堅物な兼翔だが、今夜は表情が柔らかい。少し酒が入っているのもあるのだろうが。
「真白、少しだけ酒を飲んでみないか?」
意気揚々と尋ねる兼翔に、真白はぱちりと目を丸くした
「さ、酒!?」
兼翔は短く「ああ」と答えると、真白の返事を待つことなく、お猪口に日本酒を注ぎ始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ、兼翔!真白、困ってるじゃん!それにお酒なんて、真白はわたしと同じ未成年……」
「あほ。真白は片寄藍良のときからいる。つまり、百三十歳くらいだろ。死神界では五十歳以上は酒を飲んでいいことになってる。真白は完全にオッケーだ。お前と違ってな」
兼翔の言葉に、一瞬カチンとする藍良。だが、そんなことにはお構いなしに、兼翔は真白へお猪口を差し出す。
真白は少し躊躇うように彼の手元を見つめたあと、そっと両手で受け取った。それからおそるおそる、お猪口を口元へと運ぶ。
透明な酒をひと口含み、静かに飲み込んだ真白は、目を瞬かせた。
「どうだ?」
「意外と……いや、すごくうまい……かも」
その返事に、兼翔は満足そうに口元を緩めた。そのまま真白の皿へ、天ぷらを盛りつける。
「飲みながら、この天ぷらを食ってみろ。凄く合うから」
真白は目を輝かせながら天ぷらを見つめて、こくりと頷いた。もう一度酒を口にし、それから天ぷらをひとくち。
次の瞬間、彼女の目がさらに大きく見開かれた。どうやら、兼翔の言った通りらしい。
一方の藍良は、ちょっぴりジェラシーを感じていた。周りの様子を窺うと、みんなどこか頬が赤い。つまり、酒を楽しんでいるのだ。
それに比べて、藍良は未成年。飲めるのはオレンジジュースのようなソフトドリンクだけである。
もちろんそれでも十分おいしい。だが、こんな風に「うまい」「すごくうまい」なんて話をされると、流石にちょっと複雑な気分になってしまう。
藍良は、真白の前に置かれたお猪口をじっと見つめる。中には、まだ少し酒が残っていた。藍良は周囲を窺い、気付かれないようにそっと手を伸ばした。
ほんのちょっぴりだけ……匂いを嗅ぐだけ……。
と、そのとき。隣からぴしゃりと声が飛ぶ。
「悪い子だね、藍良は」
伸ばした手が、ぴたりと止まる。横を見ると、そこにはいつの間に来たのか、千景が座っていた。微笑みを携えながらも、妙に鋭い視線を送っている。
「ち、違うって!ちょっと匂いだけでも嗅いでみようかな~って」
「それでもダメ」
「でも……」
「二十歳になってからね」
千景は間髪入れずにそう告げると、藍良の前に置かれたグラスに勢いよくオレンジジュースを注ぎ、差し出した。藍良はむすっとしながら、その横顔を睨む。千景の頬もほんのり赤い。つまり、彼もちゃっかり酒を飲んでいるのだ。
「なにさ。千景も高校生のくせにさ」
「あれは仮の姿。ホラ、僕たち年齢詐称してるから」
冗談を言う千景に、藍良は危うく吹き出しそうになる。だが、必死にこらえて口を尖らせた。そんな他愛のないやり取りを重ねながら、賑やかな夜はゆっくりと更けていった。
数時間後。
藍良は客間のベッドに転がりながら、お腹をさすっていた。
「ふい~お腹いっぱい」
天井に向かってそう声を漏らす。そして同時に、心の中で小さく呟いた。
──おいしかったね、真白。
だが、返事はない。その事実が、ほんの少しだけ胸を締めつける。
それでも藍良は、すぐに小さく笑った。
兼翔の料理をおいしそうに頬張って。
初めてのお酒に頬を染めて。
みんなと楽しそうに話して、笑っていた真白……。
これからは、隠れる必要も嘘を吐く必要もない。自分らしく、思ったように過ごせる。そう思うと、寂しさ以上に嬉しい気持ちが心の底から込み上げる。
そのとき──。
──コン、コン。
客間に、控えめな音が響いた。藍良は瞬きをして身を起こし、扉へと向かう。
「誰?」
「僕」
藍良ははっとして扉を開ける。立っていたのは千景だった。
「どうしたの?こんな夜中に」
千景の背後には、琥珀色の灯りが微微かに揺れている。差し込む光のせいか、彼の輪郭はいつもより艶めいて見えて、藍良の胸がとくんと鳴った。
「ちょっとだけ、一緒に抜け出さない?」




