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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
最終章 運命の死神審問会

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第105話 「藍良が願ってくれたから」

 藍良の周りに、白い(もや)が立ち込めている。ここは夢の世界。目を凝らしても、視界はせいぜい一メートルほど。ここ最近、眠るたびに藍良はこの場所に立っていた。そして、決まって、歩きながら彼女の姿を探すのだ。


「真白ォ~~?どこォ~~?」


 ひんやりと湿った靄が、歩くたびに藍良の腕や頬を撫でる。そうして彼女の名を呼ぶこと数回、見覚えのある影がぼんやりと目の前に現れた。


「藍良」


 近づくにつれ、その輪郭(りんかく)ははっきりとしていく。そこにいたのは、いつものように柔らかく微笑む真白だった。藍良と同じ服、同じ顔、そして同じ体型──。藍良は真白に歩み寄るなり、早口で尋ねる。


「ね、ねえ!わたしたちどうなったのかな?」

「え?」

「なんか、気付いたらここにいたの!気を失っちゃったみたい」

「……ああ」


 真白は納得したように頷くと、くすりと笑って藍良の肩に触れた。


「兼翔が空間転移の裂け目を見つけてくれたみたい。きっと、元の冥界に戻ったと思う」


 その言葉に、藍良はほっと息を吐く。だがすぐに、安堵は別の不安にかき消された。


「千景は!?それに……カグヤは!?」

「千景は多分大丈夫……というか、藍良が気絶してから、わたしも耳でしか状況を把握してないんだ。冥界に戻れたとわかったのも、兼翔が“無事に戻れた”と呟いたから。千景が大丈夫だと思ったのも、兼翔の言葉を聞いたから」

「兼翔、なんて言ってたの?」


 真白は咳払いをひとつすると、顔を険しく強張らせ、わざとらしく眉間にしわを寄せる。その表情はいつも気難しい顔で真面目な話ばかりをする、兼翔そのものだ。


「……うむ。千景は無事だな。まったく、しぶとい奴だ…………って言ってた」


 大真面目に兼翔の声真似をする真白に、藍良は思わず吹き出した。

 真白は小さく笑ったあと、すぐに表情を曇らせた。


「カグヤは……あのあと封じられたよ。幻道に」


 藍良は笑みを消し、小さく頷いた。


「……そっか」


 あのとき、自分が放った虚映ノ鏡での攻撃──。千景の“闇”を鏡の力で“光”へと反転させる、あの鏡だからこそできた技だった。気を失う直前、藍良は確かに見た。光に包まれたカグヤが、消え入りそうな声でひとつの名を呟いたのを。


 ──ユエ。


 真白はしゃがみ込むと、戦いを思い返すようにぼんやりと上を見た。藍良もつられるように、その隣へちょこんと腰を下ろす。


「冥界に戻ったとき、まだ微かにカグヤには意識があったらしい。そこで幻道が封じた。特別最高審問はお開きになって、光の術者が、千景の傷を月詠で治した。きっとまだ、寝てるんじゃないかな」

「寝てる?」

「うん」


 真白は微笑み、ちらりと藍良を見る。


「光に風、それに闇──たんまり月詠を使ったから、相当疲れたんだろ。最後は首まで絞められたし」


 その言葉に、藍良は視線を落とした。最後に見た千景の姿が、脳裏(のうり)に蘇る。カグヤの氷の蔦で首を絞められ、拘束が解けたあと、支えるものもないまま、地面へと落ちていった姿。傷は月詠で治して貰えたのだろうが、それでもやはり心配は尽きない。


「大丈夫かな、千景」


 その瞬間、真白が両手で藍良の頬をぷにっと掴んだ。突然のことに、藍良は目を丸くする。


「ま……まひりょ……?(真白……?)」

「大丈夫、大丈夫。いびきかいてスヤスヤ寝てたっぽかったし。ま、わたしも耳で聞いてただけだけど」


 真白の強引な励ましに藍良は苦笑いを浮かべた。そんな藍良につられたのか、真白もふっと笑う。小さくこぼれた二人の笑いは、少しずつ柔らかく広がっていった。胸を締め付けていた重みが、途端に軽く感じられる。藍良は宙を見上げると、息を吐くように呟いた。


「やっと終わったんだね。わたしたち、ようやく家に帰れるね」


 この言葉に、真白は押し黙った。そして、どこか気まずそうに顔を伏せる。


「……真白?」


 真白はそっと顔を上げ、藍良を見つめた。そして僅かに目を潤ませながら、身体ごと藍良へと向き直る。そして、はっきりとした口調で告げた。


「ごめん、藍良。一緒に行けない」


 突然の告白に、藍良は言葉を失った。彼女の真っ直ぐな視線、微かに震える唇、浅く揺れる呼吸、そして、目尻に滲んだ涙がひとすじ頬を伝っていく。そのすべてが、彼女の決意を物語っていた。


 どうして。ついこの前、一緒にいようと話したばかりなのに。あのとき、真白もわかってくれたと思っていたのに。どうしてまた、そんな風に──。


 胸の中で渦巻く思いを飲み込み、藍良はそっと真白の手に触れた。何度も触れてきた、もうひとりの自分の手。その感触はこれまでと同じ、とても柔らかくて、温かかった。


「どうして……?もう一緒にいられないの?」


 ようやく絞り出した言葉は、ひどく頼りなかった。その瞬間、藍良の目からも涙がこぼれる。


 真白の言い方で、藍良はわかってしまった。これは相談でも、迷いでもない。自分の言葉で、彼女の気持ちを変えることはできない。きっと何を言っても、この別れは避けられない。


 それでも聞かなければならない。受け止めなければならない。藍良は自分にそう言い聞かせながら、彼女の手をさらにぎゅっと握り締めた。真白は、その感触を確かめるように呼吸を整えたあと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「昨晩……わたし、幻道と話したでしょ?藍良の代わりに出たとき。兼翔と蘭丸、タマオもいて……」


 藍良は思い返す。あれは、真白がカグヤなのではないかと幻道に疑われたときのこと。幻道は藍良に月詠を放つと脅し、真白が否応なく出てくるよう仕向けた。結局誤解は()けたのだが、そのあと藍良の意識はどういうわけか遠のいてしまい──。


「実はね、あのときの会話……藍良に聞かれたくなくて、無理やり眠ってもらってたの」「え……えええ!?」


 藍良は涙声のまま、思わず素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。その反応がおかしかったのか、真白も涙を滲ませたまま、くすりと吹き出す。


「ごめん、ごめん。でも、藍良には直接、伝えたくて。あのあとね、幻道から提案されたの」

「提案?」

「うん。ここで……死神審問官にならないかって。自分が面倒をみるからって」


 予想外の言葉に、藍良はしゃっくりのように息を詰まらせ、(わず)かに仰け反った。真白は静かに続ける。


「幻道たち死神審問官は、宿主の中にいる化身だけを、封じたり、引き出すことができる。前にもちらっとそんな話があったでしょ?」


 真白の言葉に、藍良は記憶を辿る。数日前──花倉に化身が宿っていると幻道から聞かされたとき、たしかにそんな話を耳にした覚えがある。


「わたし、ずっと消えたいと思ってた。自分が藍良の負担になっていると思ってたから。迷惑もかけたし、何度も危険じゃないかって疑われて、申し訳なくて……」


 藍良は思わず反論しようと身を乗り出した。だが真白は、それを優しく制するように微笑む。


「それでも藍良は、わたしの幸せを心から願ってくれた。ずっと感じてたんだ……わたしは、藍良の化身。一心同体だから。藍良の気持ちもそのまま、わたしに伝わる。だからわたしも、藍良が願ってくれたみたいになれたらいいなって……」


 その言葉を聞いた瞬間、藍良の目からさらに大粒の涙がこぼれた。視界が涙で揺らぐなか、藍良は(たま)らず真白に抱きつく。子どものように声を上げて泣く藍良を、真白は何も言わず、ただ強く抱きしめ返してくれた。


 その腕に包まれながら、藍良ははっきりと理解した。


 真白が告げたのは、別れではない。

 藍良に宿る“化身”としてではなく、真白というひとりの存在として、幸せになるための決意。それをいま、藍良に打ち明けてくれたのだ。

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