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虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─  作者: あさとゆう
最終章 運命の死神審問会

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第104話 二つの名

 影の線が伸びた瞬間、周囲に轟音が響き渡り、土煙が舞った。同時に、真白の足首や腰に絡みついていた氷の蔦が、じわじわと溶けてゆく。


「う、うひょおおおぉぉぉ……!!」


 真白の耳元でタマオがか細く叫ぶ。真白はその鱗にそっと触れ、鏡を素早く懐へしまうと体勢を立て直した。


「しっかり巻きついてろ!」


 真白はそのまま器用に着地し、すぐに立ち上がった。鋭い眼差しが、先ほど自らが闇の線を放った一点へと向けられる。土埃はなおも舞い、視界は悪い。真白は距離を取りながら、周囲の空気の(わず)かな揺らぎさえ見逃すまいとするように、じっと目を凝らした。


 その直後だった。

 どくん、と心臓が嫌な音を立てる。真白は低く唸り、両ひざをついた。


「ま、真白!?どうしたのじゃ!」


 肩を揺らし、口元を押さえながら真白は激しく咳込む。数回それを繰り返したのち、自らの掌を開いた。血だ。


 先ほどの特別最高審問会での証言。そして今の戦闘。換算すると、表に出られる三十分はとうに超えている。息を吐くたびに、心臓からみぞおちにかけて鋭い痛みが走る。これ以上は、藍良の身体が持たない。


 視界が揺れ、上半身がぐらりと傾く。地面に倒れ込む寸前、誰かがそっと肩を支えた。


 真白が振り返るより早く、あたたかく柔らかな光が、真白の全身を包み込む。張り詰めていた痛みが、少しずつ和らいでいった。薄れゆく意識の中、真白は安堵したように小さく息を吐いた。


「千景……か」


 真白は目を閉じ、その身を千景に預けた。千景は彼女を支えながら、穏やかな笑みを浮かべる。


「おい!大丈夫なのか、真白は!?」


 駆けつけた兼翔が声を張る。千景は頷くと、視線を前に向けたまま答えた。


「大丈夫。傷は治した。兼翔、藍良と真白さんをお願い。あと、余裕があったら炎の月詠をこの空間に散らして」

「散らす……?」


 兼翔が眉をひそめる中、千景はくすりと笑った。


「ここは空間転移。それを破れるのは君の月詠だけだから。元の冥界に戻れれば、幻道様がいる。僕がやられても、カグヤを仕留められる」


 兼翔ははっとした。ユエの空間転移の“裂け目”を見つけられる属性は炎だけ──。つまり、兼翔の力を使えば、元の世界に戻れる可能性があるのだ。だが、それ以上に兼翔の胸に引っかかった言葉は……。


 ──僕がやられても。


「縁起でもないことを言うな」


 兼翔の言葉に、千景は何も答えなかった。ただ藍良の身体を兼翔に預け、そのまま静かに立ち上がる。


「おい、聞いてるのか」


 追うように言葉をかける兼翔にも、千景は答えず歩を進めていく。そして数歩先で振り返り、いたずらな笑みを向けた。


「冗談だよ」


 次の瞬間、前方から轟音(ごうおん)が響き渡る。地面を突き破るように氷の柱が生え、それが幾重(いくえ)にも連なって千景たちに襲い掛かってきた。


「この……憎たらしい化身めが!!」


 カグヤの手足は赤く染まっていた。先ほどの真白の一撃が、致命傷を与えていたのだ。だが、それでも彼女は止まらない。狂気じみた執念をその身に(まと)い、千景へ向かってくる。

 と千景は静かに息を吐くと、拳を握りしめ、走る。


「千景!」


 兼翔の叫びとともに、千景は光の月詠を放った。幾度となく繰り出してきた光の矢が、雨のように無数に降り注ぎ、氷の柱を粉砕(ふんさい)しながらカグヤへ襲い掛かる。


 だが、カグヤはそれをひらり、ひらりと器用にかわし、合間を()うように鋭い氷の矢を千景へ打ち返す。


「読めてるんだよ、お前の攻撃は。九十年前と同じ……これまで何度も夢に見たからね。まさか、お前があのときの審問官だったとは……」


 カグヤは舌打ちをひとつ漏らすと、千景を見てにやりと笑う。


「それでも、やはり九十年前の方が格段に強かったな。力を失うと知りながら顔まで変えるとは、馬鹿な死神だ」


 カグヤの挑発に、千景は口元を緩めた。だが、その視線は針のような鋭さを纏ったままだ。


「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。()()()()


 その返しに、カグヤの眉がぴくりと動く。千景はその僅かな隙も見逃さなかった。間髪入れず、立て続けに光の矢を撃ち込んでいく。すると、そのうちの一矢が、カグヤの右足を鋭く貫いた。


 カグヤの顔が苦痛に歪み、体勢が崩れる。千景は迷わず、掌を前へかざした。


 ──


 契約の名において

 我は今 新月に誓う

 宿し力よ 闇と化せ……


 ──


 炎の月詠を周囲に散らしながら、兼翔ははっとした。同時に、タマオもぴくりと顔を上げる。


「闇の月詠か……?勝負をつけるつもりじゃな!」


 タマオの声に力がこもる。だが、兼翔はカグヤを見て、ある異変に気付いていた。


 彼女の周囲に僅かに散らしていた炎の月詠──戦況を左右するほどの威力はなく、ただの灯り同然の炎ではあるのだが、その炎が彼女の髪に触れた瞬間、確かに一滴、しずくが落ちたのだ。


 兼翔は息を呑み、叫ぶ。


「千景!“闇”は待て!それは氷の残像だ!」


 千景は即座に月詠をやめ、鋭く周囲を見渡す。その直後、彼が立つ地面が、甲高い音とともに裂けた。


 先ほど藍良がされたのと同じ──蔦のような氷が地の底から這い出し、千景の足を一気に絡め取った。


「千景!」

「カグヤめ……いちいち機転が回る奴じゃ……!」


 兼翔の叫びとタマオのぼやきが重なる。

 その声に引き戻されるように、兼翔に支えられていた藍良がようやく、重い瞼を開けた。

 全身が筋肉痛のように痛む中、ゆっくりと顔を上げる。


 視線の先にあったのは、つい先ほどの自分と同じように、宙づりにされた千景だった。


 千景は黒いローブをはためかせ、足元に絡みつく氷へ光の属性を放つ。氷は徐々に溶けていくが、すかさず別の氷の蔦が蛇のように伸び、彼の自由を奪っていく。


 腰、両腕。

 そして、首。


 首に絡みついた氷の蔦は、凍てつく冷気を纏いながら、容赦なく彼の首を締め上げていく。そのとき、ついに千景の顔が苦痛に歪んだ。


「千景!」


 藍良は立ち上がり、声を上げる。そのとき、兼翔が氷の蔦へ向けて炎の月詠を放った。

 だが、炎は命中したにもかかわらず、氷を溶かすことはなかった。ただ小さな水蒸気を上げて、呆気なく消えていく。


「くそ……!」


 兼翔が歯を食いしばる。そのとき、カグヤの甲高い笑い声が響いた。


「無駄無駄……お前の炎はわたしの氷に勝てないんだよ。ようやく動きが止まったな、千景」


 カグヤは自ら吊るし上げた千景の懐へ、氷の蔦を差し込んだ。そうして取り上げたのは……。


 ──黒い紙。


 かつて千景が闇の月詠で封じた、黒標対象ユエ。その魂が収まっている紙。


 カグヤは氷の蔦の一本を引き寄せると、紙を素早く掴み取った。それを見つめる彼女の表情は、ようやく再会できた恋人へ向けたものだった。


 哀しみ、愛しさ。そして抑えきれぬほどの深い慕情(ぼじょう)が顔に滲む。


 だがすぐに、その表情が強張った。紙を握る手が小さく震え始める。


「……なんだ?これは……千景……貴様……」


 呟く声は、困惑から憎悪へと変わっていく。瞳にはみるみる涙が滲み、充血した目が千景を射抜いた。


 千景は氷の蔦で締め上げられながらも、彼女を見下ろし、冷ややかに笑う。


「……ただの紙ですよ。本物は別の場所に」


 この一言で、カグヤの感情は一気に弾けた。歯を食いしばると、黒い紙を一瞬で引き裂く。


「千景えええぇぇぇ!!」


 獣のような叫びが、空間に響き渡った。それは怒りの咆哮(ほうこう)のようでいて、その奥にはどうしようもない悲しみと絶望が入り混じっていた。


 藍良は一歩踏み出して、千景を見る。彼の首には、なお氷の蔦が深く食い込んでいた。先ほど耳にした彼の声は、これまで聞いたことがないほどか細かった。もうほとんど、声を出せないのかもしれない。そうだとしたら、月詠での攻撃は──。


 その瞬間、藍良にひとつの考えが浮かんだ。


「千景!」


 藍良の声に、千景は力なくこちらを向く。藍良はそんな彼に、虚映ノ鏡を掲げた。そして心の中で、強く願った。


 ──お願い、千景。わたしを信じて。


 藍良の意図が伝わったのか、千景は一瞬、驚いたように目を見開いた。しばしの間のあと、微かに頷く。藍良は鏡の柄を強く握り締めると、地を()って駆け出した。


「水無瀬!?」

「あ、藍良!?どうしたのじゃ!」


 兼翔とタマオの声が飛ぶ。そのとき、千景は喉を締め上げられ、言葉を途切れさせながらも、月詠を紡いだ。


 ──


 契約の名において

 我は今 新月に誓う

 宿し力よ 闇と化せ

 滅びの力よ 我が意に従い

 光の鼓動を 静寂に断て


 ──


 千景の、闇の月詠。


 その声が届いたのか、カグヤは涙を流しながら千景を睨みつけた。そして、掌を前に掲げて、低く()む。


 ──


 契約の淵より 闇よ叫べ

 新月に沈み 我が身に満ちよ

 月詠よ 深き静寂と化し

 愚かな死神に 滅びを刻め


 ──


 まず、千景の闇の月詠が真っ直ぐに放たれた。禍々しいそれは、周囲の空気を貪るように喰いながら、一直線にカグヤへ迫る。カグヤはそれを寸前で身を(ひね)ってかわし、改めて狙いを定めるように千景に掌を向けた。


 だが、その刹那。カグヤの背後で、鋭い光がきらりと走る。


 藍良は虚映ノ鏡の柄を両手で握りしめると、自らへ向かってくる千景の闇の月詠に向けて、しっかりと掲げた。


「顕現せよ!虚映ノ鏡!」


 その声に、カグヤははっと振り向く。彼女の目に飛び込んできたのは、千景が放った闇が、鏡面へ瞬く間に吸い込まれていく光景だった。


 鏡に呑まれた闇は、藍良の支配を拒むように荒れ狂う。その力は風の刃となり、手の甲を、腕を、そして頬を容赦なく切り裂いていった。


 柄を握る両手が激しく震える。凄まじい力の圧に、藍良の身体はぐらりとよろめいた。


 それでも、藍良は歯を食いしばる。足裏でしっかりと地を踏み締め、逃すものかとさらに柄を強く握り込んだ。


 力もなく、ただ守られるばかりだった自分。

 そんな自分に、千景と真白は、この鏡を託してくれた。

 それは、藍良を信じていたからだ。


 燃えるような想いが、小さな──それでいて揺るぎない灯火となって藍良の心に宿る。気付くと藍良は、声を張り上げていた。


 千景の闇を、逃さない。全部受け止めて、跳ね返す。


 すると、藍良の手の震えが少しずつ収まっていった。鏡の中で暴れ続けていた闇は、渦を巻きながらその色を変え、次第に輝きを帯びていく。それはまるで、この薄暗い空間にぽつんと瞬く、星のようだった。


 藍良は真っ直ぐにカグヤを見据え、鏡面を掲げる。対するカグヤもまた、闇を宿した掌を、藍良へと向けた。次の瞬間、藍良は思いきり、鏡を振り抜いた。


「いけ!光よ!!」


 藍良の光とカグヤの闇の月詠は、ほぼ同時に放たれた。


 藍良が放った光は、はじめは矢のように小さかった。だがそれは瞬く間に膨れ上がり、蛇のように地を這いながら走る。さらにその姿は変わり、鋭い牙と杖を宿した光の龍となって、カグヤへと襲い掛かった。


 光の龍が、カグヤの闇へ真正面から食らいつく。一瞬、龍の頭部や爪がまるまる闇に呑まれたように見えた。だが、龍は怯まない。闇を喰らい、その身に取り込みながら、なおも真っ直ぐカグヤへと突き進む。


 カグヤは千景を絡めていた氷の蔦を解き、迫りくる光の龍に素早く向き直った。空中から地面へ落ちていく千景の姿に、藍良は思わず目を見開く。


 そのとき、光の龍はすでにカグヤの目前に迫っていた。そして──。


 眩い光が、すべてを呑み込んだ。


 その中で、カグヤの口元が微かに動いた。

 たった二文字。だが藍良は、その言葉がすぐにわかった。


 向ける相手は違えども、それはつい先ほど、藍良が口にしたのと同じ。


 最愛の人の、名前だったのだから。



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