第103話 真白の切り札
カグヤが放った氷は、蔦のようにしなやかに藍良の両足首に絡みつき、そのまま容赦なく地を引きずっていった。
「千景!!」
藍良が叫ぶ。千景は即座に光の月詠を唱え、氷の蔦を断ち切るべく光の矢を放った。だが、一直線に走る矢を、蔦は蛇のようにするりとかいくぐる。矢は虚しく空を切り、藍良の身体はなおも引きずられていく。
「くそ!」
千景の悪態と重なるように、今度は兼翔の炎の月詠が響いた。放たれた炎は数匹の蛇のように姿を変え、地面を這いながら藍良を絡め取る氷へと迫る。だが、次の瞬間、カグヤはそれを嘲笑うように、藍良の身体を地上から数メートル上空へと吊り上げた。
「水無瀬!」
「ひ、ひやああぁぁぁ……」
思わず素っ頓狂な声が飛ぶ。絶叫マシーンさながらの急上昇に、藍良の心臓はひやりと凍り付いた。だが、その直後。胸の奥にじんわりとした熱が灯った。この感じは……。
「ま、真白!?」
≪任せろ≫
次の瞬間、藍良の視界が沈んだ。まぶたを閉じる寸前、最後に見えたのは虹色の光——真白の神気だった。
真白ははっと目を見開き、すぐさま体勢を整えた。そして、空中で氷の蔦に翻弄されながらも、足首に絡みつくそれに、光の属性を放つ。じゅうっと小さな音を立て、氷が少しずつ溶けていく。だが、溶けきるよりも早く、別の氷の蔦が伸び、今度は足首から腰へと絡みついた。
真白は鋭く視線を落とす。地上では、カグヤが口元を歪ませていた。
「お前から片付けてやる」
冷徹な声が響く。その言葉を受け、真白の身体を再び強い虹色の光が覆った。
「真白!月詠はよせ!」
兼翔の声が飛ぶ。だが、真白は応えず自らの懐へ手を差し入れた。取り出したのは……。
——虚映ノ鏡。
「千景!わたしに光の月詠を放て!」
真白の言葉に、千景は口をあんぐりと開ける。
「え……えええぇぇ!!??な、何を言い出すんですか!藍良の身体に月詠を放つなんて……」
「いいから早くしろ!」
真白の怒号に、千景の肩が頼りなく揺れる。一瞬考え込んだあと、千景は首を振り、顔を伏せた。
「で……できない。藍良に月詠なんて」
僅か数秒で追い詰められた千景を見かねて、兼翔が真白へ声を上げる。
「おい!俺の炎の月詠じゃダメなのか!?」
真白は舌打ちし、苛立ちを隠そうともせず叫び返す。
「炎じゃない!必要なのは光だ!さっさとしろ、このタコ!」
兼翔は目を凝らし、真白の手元を見た。その手に虚映ノ鏡が握られているのを確認すると、千景の背をバンッと強く叩く。
「おい!あいつ、例の鏡を持ってる。何か策があるのかもしれん」
「そんなこと言われても……」
千景の声は震えていた。
そのとき、不意に頭上からか細い声が降ってくる。
「千景やぁ~~真白を信じるんじゃああぁぁぁ……!」
タマオだ。藍良——いや、真白の首に巻きつきながら、今にも消え入りそうな声で叫んでいる。
千景は息を呑み、唇を噛んだ。
そして、意を決したように拳を握りしめると、一歩前へ進み、光の月詠を紡いだ。
──
我が身の影よ 刃となれ
力を纏い 空を舞え
月の光よ 我が手に集い
虚ろの者に 裁きを与えよ
──
千景の前に、幾本もの光の矢が輝きを纏いながら集束していく。その切っ先が狙いを定めた先は、真白。千景は大きく息を吸うと、迷いを断ち切るように矢を放った。
真白は鏡を逆手に持ち替えると、矢を迎え撃つように顔の前へ掲げる。そして、力強く叫んだ。
──
顕現せよ 虚映ノ鏡
我が魂を礎に
真なる術を 虚へと転じよ
──
一瞬、鏡面がきらりと光った。
次の瞬間、千景の放った光の矢は、鏡の中へすさまじい勢いで吸い込まれていく。まるで飢えた獣が獲物に喰らいつくように。あまりの衝撃に、鏡を握る真白の腕が大きく震える。それでも真白は、力を逃すものかとでもいうように、さらに強く、柄を握りしめた。
「これは……なんということじゃ……」
鏡を見たタマオが、呆然と呟く。
やがて光を呑みきった鏡面は、徐々に闇を帯びはじめた。
どろりと揺れるその黒は禍々しく、小さな——無数の蟲がうごめいているように見える。真白はそれを見届けたあと、再び鋭くカグヤを見下ろす。真白の全身から溢れる神気は、先ほどとは比べ物にならないほど強く、美しく輝いていた。
「これで終わりだ」
次の瞬間、鏡から金属を引き裂くような共鳴音が響いた。直後に放たれたのは、光を喰らい、闇へと姿を変えた一筋の線。
それは目にも止まらぬ速さで、真っ直ぐカグヤへと伸びていった。




