第102話 蘭丸奪還作戦
殺気だったカグヤの圧に、藍良は思わず千景の名を呼んだ。だが、その声は轟音にかき消される。カグヤが掌から放った氷の月詠を、千景の月詠──光の矢が正面から打ち砕いたのだ。いや、それどころか矢はカグヤへと一直線へ伸びていく。やはり、属性の力は千景が上だ。
すると再び、藍良の胸から熱が込み上げる。戸惑う間もなく、胸元から放たれる光が、形を定めぬままアメーバのように姿を変え、カグヤの元へ伸びていった。
「ま……真白!?」
その光アメーバを見た千景の表情が、はっと強張る。
カグヤは、先ほど兼翔の攻撃で倒れた蘭丸を自らの方へ引き寄せ、盾にしていた。蘭丸の身体で、千景の光の矢を防ぐつもりなのだ。
「蘭丸!!起きるんじゃ!」
タマオが叫ぶ。だが、蘭丸はぐったりと気を失ったまま動かない。
どうやら、真白は蘭丸の危機を察して光アメーバを放ち、彼を守ろうとしているようだが、どのみち状況は良くない。千景の光の矢と比べて、光アメーバは圧倒的にノロいのだ。
「まずい!非常にまずいぞ、どうしたらいいのじゃ……」
「千景!」
藍良が声を上げる。千景はすぐさま目を閉じ、息を継ぐ間もなく、詠む。
次の瞬間、千景の掌に小さな渦が生まれる。それはみるみる広がり、巨大な竜巻と化した。放たれた竜巻は、真白の光アメーバを吞み込みながら一気に加速し、光の矢を追い越した。そして間一髪のところで、蘭丸の身体を覆い、光の矢から彼を守りきった。
その様子を見たカグヤが、舌打ちをする。一方の藍良とタマオは、その光景にほっと息を吐いた。
「あ、危なかったのお~蘭丸……」
だが、安堵する間もなく、藍良の胸の奥から鋭い声が飛ぶ。
≪安心するのはまだ早い。とっとと蘭丸をこっちに連れてこい。そんでもって、グルグル巻きにでもしておけ。あいつがカグヤの近くにいると、いろいろ面倒だ≫
「千景!真白が、蘭丸をこっちに連れてきて、グルグル巻きにしとけ!って」
その瞬間、千景の引き締まった口元が僅かに緩んだのを、藍良は見逃さなかった。
千景はちらりと後ろを振り返り、早口で言う。
「どうしようか、兼翔」
「無茶苦茶言うな、真白は。そううまくはいかんぞ。蘭丸の足元を見てみろ」
藍良は蘭丸の足元に目を凝らし、目を見開いた。蘭丸のつま先から足首にかけて、氷がびっしりと張り付いているのだ。まるで地面そのものが蘭丸を捕え、離すまいとしているかのように。しかも、その氷はじわじわと上へ広がりつつある。
このままでは、足元どころでは済まない。身体全体が氷に呑まれてしまう。
「ねえ、兼翔の炎で溶かせないの!?あの氷!」
藍良が言うと、兼翔は駆け寄りながら、短く息を吐いた。
「無理だ。俺の炎じゃ、カグヤの氷に負ける。さっきそうなったばかりだ」
「そんな……」
藍良の唇から掠れた声がこぼれる。すると、胸の奥から力強い声が響いた。
≪わたしが、炎の属性で援護する≫
藍良は兼翔のローブをぎゅっと掴んだ。
「兼翔!真白が助けてくれるって!炎の属性で!」
その言葉に、兼翔と千景は目を見合わせ、同時に笑った。
「……そういえば、真白は炎の属性も持っていたな」
「真白さん、ありがとう。兼翔は蘭丸に向かって月詠を放って。真白さんは……」
そこまで千景が言いかけたところで、兼翔がすっと前に出る。
「俺が合図を出す。その瞬間に、お前の炎を乗せてくれ」
≪わかった≫
「わかったって!!」
藍良の声に、千景と兼翔が同時に頷く。すると……。
「わしは?わしは!?」
首元からタマオがせわしなく声を上げた。兼翔は間髪入れずに言う。
「蘭丸の足元の氷が溶けたら、舌を伸ばせ」
「し、舌!?」
藍良が素っ頓狂な声を上げると、兼翔はくすっと笑った。
「真白が言うように、グルグル巻きにするためだよ」
藍良はいまいち意味が掴めず、目を瞬かせる。だが、タマオは首元から僅かに身を乗り出し、ピンと頭を伸ばしていた。
次の瞬間、蘭丸の後ろ──カグヤの身体から銀色の光が迸った。
氷の月詠。こちらへ攻撃を仕掛けるつもりだ。
「兼翔!」
千景の声が飛ぶ。
兼翔は右手の拳を胸元で強く握りしめ、前を見据える。その目には、炎のような力強さが宿っていた。そして次の瞬間、兼翔は左手で藍良の右手を掴んだ。
「え!?ちょ……ちょっと!」
わたわたと慌てふためく藍良をよそに、兼翔はただ前を睨み、低く詠う。
──
我が身の影よ 牙となれ
この掌に 力を纏え
焔の如き 紅き龍
天命を越え 姿を現せ
──
その瞬間、兼翔の右の拳から腕へ、さらに肩へと、紅い龍が渦を巻いて走った。龍はうねるように身をくねらせ、威嚇するように牙を剥く。迸る炎の眩しさに、藍良は思わず目を細めた。
そのときだった。手を握る兼翔の力が、ぐっと強まる。
「真白!!」
兼翔の叫びに、藍良ははっと息を呑んだ。胸の奥が熱を帯びる。そこから溢れた熱が、兼翔と繋がる右手へと流れこんでいく。
真白の炎を受けた紅き龍は、周囲の空気を喰らうように膨れ上がる。そして次の瞬間、轟音とともに紅き龍は放たれた。
龍は荒れ狂うように身をうねらせながら、蘭丸へと伸びていく。だが同時に、カグヤも氷の月詠を放った。無数の氷の刃が、真正面から炎の龍に襲い掛かる。
押し負けるものか──そんな意志を込めるように、兼翔はさらに右手を突き出した。
彼の右腕のローブはじりじりと焼け、細かな裂傷が腕に刻まれていく。カグヤと力が拮抗しているからだろうか。腕だけではなく、頬や額にも鋭い切り傷が走り、赤い血が滴り落ちる。
「け……」
──兼翔。
藍良が名を呼びかけたそのとき、再び胸元から熱が込み上げる。それは、先ほどの炎とはまるで違う、あたたかくて柔らかなぬくもりだった。
その熱は藍良の胸をかすめ、兼翔と繋がる手を通って、彼の腕へ、そして頬や額へと流れ込んでいく。
すると、兼翔の眉がぴくりと揺れた。彼に刻まれた傷が、光に包まれながら少しずつ癒えていく。真白の光が、傷を癒しているのだ。
そして、真っ直ぐに伸ばされた兼翔の右手を、千景の左手が掴んだ。千景は素早く風の月詠を詠むと、迷いなく放つ。
風を受けた炎の龍は、さらに勢いを増した。咆哮しながら氷を喰い破り、突き進んでいく。そして、蘭丸へと向かいながら、龍はカグヤへ灼熱の焔を放った。
その瞬間、カグヤははっきりと顔を歪ませた。咄嗟に氷で防ごうとしたが、炎の威力には及ばない。身体はそのまま後方へと弾き飛ばされた。
「今だ!タマオ!」
千景の合図と同時に、タマオは藍良の首元からするりと離れ、素早く地面を這いながら前進していく。そして蘭丸の足元を拘束していた氷が完全に溶けた瞬間、長い舌が伸びた。
舌は蘭丸の足首に絡みつき、そのまま一気にこちらへと引きずる。
「ちっ!」
流石に焦ったのか、カグヤは光の矢の狙いをタマオへ変えた。だが、その瞬間にはすでに、タマオと蘭丸の身体を、真白の光が覆っていた。だが……。
≪完全に防ぐのは無理だ。千景の月詠で──≫
「千景!」
藍良が叫ぶ。
千景は即座に応じ、言葉を紡いだ。
──
我が身の影よ 灯となれ
力を纏い 空を舞え
月の光よ 我が手に集い
闇を隔てる 盾となれ
──
次の瞬間、ぽうっと灯火のような光がタマオと蘭丸の周囲に広がった。柔らかな月光の盾に守られながら、タマオは蘭丸を引きずり、しゅるしゅるとこちらへ戻ってくる。
「タマオ……凄い!」
藍良は思わず声を弾ませた。タマオは満足げに再び藍良の首へ巻きつくと、得意げに笑う。
「ほっほっほ。それほどでもないわい。兼翔と千景は流石じゃの。あと真白もな」
「ほんとだよね!わたしなんて、ただ伝書鳩してただけだもん!」
キャッキャと騒ぐ藍良とタマオ。その背後では兼翔が気絶した蘭丸を、手際よく柱に縛り付けていた。しかも容赦なく、グルグル巻きに。
「まったく、呑気な奴らだ。お前らは」
兼翔の呆れた声が響く。
その光景を見ていた千景も小さく笑っていたが、すぐにふっと消える。前方に向けられた彼の目は、いつになく鋭く見開かれていた。藍良も反射的に前を見て、息を止めた。
──カグヤが、いない。
ついさっきまでいたはずの彼女が、忽然と消えている。
和んだ空間を引き裂くように、千景の声が飛んだ。
「みんな、気を付けて!カグヤが……」
言い終わるより早く、藍良の足元がぐらりと揺れ、地面が音を立てて裂けた。
次の瞬間、割れ目から突き出した氷が藍良の足に絡みつき、そのまま容赦なく彼女を引きずっていく。
藍良は成す術もなく、ただ歯を食いしばった。




