第99話 新たな精神干渉の疑惑
特別最高審問の審護席から証言台、そして数段高い前方に座る幻道の席まで、会場の空気はまるで熱を持ったかのようにひりついていた。
疑惑や困惑、そして殺意。
あらゆる感情が螺旋のように渦を巻き、藍良の胸に絡みついてくる。
目の前の証言台に座る花倉は、カグヤだった。
幻道と千景の宿敵であり、ユエの恋人。
彼を取り戻すために、カグヤは命懸けでこの死神界へと舞い戻ってきたのだ。
最高審問官である幻道に近づき、精神干渉を果たすために。
藍良は息を潜めたまま、カグヤを睨みつけた。すると、俯いていたカグヤの口元が、ほんの僅かに歪む。
それは、今この場に漂う緊張感とはそぐわない、どこか余裕のある、不敵な笑みだった。
その一瞬があまりにも不気味で、藍良は思わず千景のローブの裾をぎゅっと掴む。
すると、ある死神が一歩、ゆっくりとカグヤの前へ進み出た。蘭丸だ。彼はカグヤと千景の間に立つと、鋭い視線を千景へと向けた。
「君の話は、ただの推測だ」
蘭丸は、幻道やその場にいる死神審問官たちを見渡し、声を張る。
「君が提示した、カグヤをかつて審問した記録……当時の審問官が改ざんしたと決めつけていたけど、その証拠はどこにある?その記録そのものが、君の捏造である可能性だってあるんじゃないか?」
僅かに、場の空気が揺れる。
蘭丸は構わず言葉を続ける。
「それに、君の話が正しいとすれば、人間に転生し、かつての力を失ったカグヤが、味方もいない状態で、敵陣に乗り込んできたことになる。そんな無謀な方法を、彼女が本気ですると思うのか?」
「味方ならいるよ」
千景は静かに言い放った。
予想外の返答だったのか、蘭丸は目を細める。
「……何だと?」
千景は右手をすっと上げ、その人差し指を真っ直ぐ──蘭丸へと向ける。
その瞬間、会場の空気が一変した。ざわめきが広がり、蘭丸の目が驚愕に見開かれる。
「な……何を言い出す!?」
蘭丸の声は、広がるざわめきにかき消されつつあった。
「蘭丸。君の言動……いくら彼女の審護を務めているとはいえ、ちょっと過剰だよね。それで僕なりに思ったことがあるんだけど……」
千景は蘭丸から目を離すことなく、淡々と言い放った。
「君……カグヤから精神干渉されてるんじゃない?」
その言葉が落ちた瞬間、蘭丸は弁解する間もなく、ぴたりと口をつぐんだ。
藍良は考えを巡らせる。蘭丸はカグヤ──花倉の審護を務める死神。彼さえ思い通り動かすことができれば、特別最高審問の開催まで話を運ぶことは、不可能ではなかっただろう。
そのとき、藍良の後方で、兼翔が低く呟いた。
「そういえば……花倉は精神干渉をされていると、真っ先に判断したのは蘭丸だったな。幻道様が特別最高審問の開催を決めたのも、蘭丸の報告があったから。一見カグヤの策は無謀のようにも思えるが、蘭丸さえ駒にできれば、あながち不可能ではないかもしれん」
蘭丸は信じられないとでも言うように、ブルブルと頭を横に振る。
皆の疑惑はもはや、確信に近づいていた。タマオはしゅるりと蘭丸に向き直ると、トドメのひと言を容赦なく言い放つ。
「花倉をやたら庇うのも、奴の審護を務めておるからだと思っておったが……ガチで精神干渉されておったわけか。やれやれ」
その断定に、蘭丸は声を荒げた。
「兼翔!神蛇様まで……決めつけないでいただきたい!わたしは至って真っ当に……」
だが、その声を遮るように、千景が口を開く。
「幻道様はどう思われますか?」
「え?」
「初対面の死神ならともかく、蘭丸はあなたと関わりが深い審問官です。あなたなら、彼が精神干渉を受けているのか、わかるのではありませんか?」
「やめてくれ!」
蘭丸は懇願するように叫んだ。
「僕は昨日の夜、幻道様から審問を受けている!少しでも異変があれば、その場で幻道様が気付いたはずだ!」
半泣きで訴える蘭丸に、藍良はちょっぴり同情した。そして、彼の視線を追うように幻道を見る。だが幻道は、ひどく気まずそうに頬をぽりぽりと掻いた。
「……確かに審問はしたわよ。けど実は……ここからが本番!……ってときに、来客があったのよねえ……」
そう言って、幻道は藍良と兼翔をちらりと見た。
藍良はハッとした。昨夜、兼翔に連れられ地下へ向かったとき、幻道は蘭丸となにやら話し込んでいた。あれが蘭丸の審問だったのだろう。そして、藍良たちの登場で、その審問はあっさり中断されてしまった、ということらしい。
「……つまり、蘭丸の審問は十分に行われていなかった、というわけですか」
幻道は誤魔化すように小さく笑う。
「ここまでの流れを見てると……どうにも、蘭丸が精神干渉を受けているようにも見えるのよね。もちろん、ちゃんと審問してみないと、はっきりしたことは言えないけど」
「幻道様まで……そんな……。わたしは公正公平な審問官!カグヤなどに……精神を支配されるなど……」
「君も、なかなか往生際が悪いね」
千景は口元に微かな笑みを浮かべながら、氷のような眼差しを蘭丸に向ける。
「カグヤからしてみたら、君は便利な審問官。この特別最高審問を開くために、いいように使われただけなんだよ」
その言葉が突き刺さったのか、蘭丸はゆっくりと俯いた。
「……う……う……うおおおおおおおおお……!!」
蘭丸はその場にがくりと崩れ落ち、両ひざを床についた。
この状況に見かねた藍良は、こつんと肘で千景をつつく。すると、千景はきょとんと首を傾げた。
「何?」
「何?……じゃないでしょ!流石に言い過ぎ!蘭丸、めっちゃ落ち込んでるじゃん」
「そう?」
しれっとすっとぼける千景に、藍良は悪態をつく。すると、背後から兼翔の呆れた声が飛んだ。
「まだまだだな、水無瀬」
「あん?」
「お前はこいつの本質を、何もわかってないんだよ」
「本質って?」
兼翔は咳払いをひとつすると、静かに言葉を続けた。
「いつもニヤニヤ笑って天然ぶってるが……こいつはな、死神界でも一、二を争う腹黒なんだよ。この前、蘭丸がお前をかっさらったことを根に持ってるんだろ」
藍良は大きくため息をつくと、ぐるんと千景へ向き直った。
「千景!」
だが千景は、いつものようににっこりと微笑んだまま答える。
「そんなことないよ。蘭丸が藍良を強引にさらったことも、幻道様と一緒になって僕と藍良が近づけないようにしたことも……ぜんっぜん気にしてないよ!ぜんっぜんね!!」
藍良は思わずズッコケた。いつも通りのニコニコ顔。だが、その額には怒りの四つ角がくっきりと浮かんでいる。藍良はがばっと顔を上げると、千景の胸元をぎゅっと掴んだ。
「あ、藍良?」
「とにかく!これ以上蘭丸をいじめないで!あいつ、あの後私のことめちゃくちゃ気にかけてくれたんだから!」
千景は一瞬納得できないように唇を尖らせたあと、渋々頷いた。そしてパタパタと両手を振りながら、蘭丸に声をかける。
「蘭丸、気にすることないよ。ほら、僕も彼女から精神干渉されてたわけだし。ショックだろうけど、気をしっかり持って」
「ううう……」
蘭丸は半べそをかきながら、どうにか身を起こすと、とぼとぼと審護席へ戻っていった。その背を見届けた千景は、今度は幻道を見上げる。
「ところで幻道様」
「ん?」
「確か、散々、自分は精神干渉を見破ることができると……そう豪語されてましたよね」
「それが?」
「それが?……じゃないでしょ」
藍良はギョッとした。千景の怒りはまだ収まっていない。その矛先が今、蘭丸から幻道へと移ったのだ。
「蘭丸の精神干渉に気付けなかったなんて……あなた、それでも最高審問官ですか」
このひと言に、幻道は机に突っ伏した。
「千景!」
「阿保が!」
「やめんか、たわけ!」
藍良と兼翔、タマオの声が同時に飛ぶ。
流石の千景も、それ以上は何も言わずに押し黙った。だが、すぐにすっと表情を引き締めると、真剣な眼差しを幻道へ向ける。
「冗談はさておき、幻道様」
幻道は苦笑いをひとつ浮かべると、ゆっくりと目の前のカグヤを見据えた。そして、途端にその眼光は鋭さを増す。
対するカグヤは、そんな幻道を見ようともしない。ただ床の一点へと視線を落としたまま。その姿はまるで、心ここにあらずだ。
すると、蘭丸がぷるぷると手を震わせながら挙手をする。
「げ、幻道様……どうか、発言の許可を」
幻道はカグヤから目を離さずに、小さく頷いた。
「確かに、千景の主張は一理あります。ですが、やはり推測の域を出ません。花倉さんは人間で、ただカグヤという化身を宿していただけ。そして、カグヤ本体は姿を消している……その可能性もゼロではないのでは……ううう……」
語尾にいくほどしぼむ、蘭丸の声。
それを聞いて、タマオと兼翔がぼそりと呟いた。
「蘭丸……お主……」
「どこまでも健気なヤツだ」
藍良は思わず苦笑した。やはり、一度精神干渉を受けると、そこから完全に抜け出すのは容易なことではないらしい。
藍良は改めてカグヤを見る。彼女は相変わらず床を見つめたまま、ぴくりとも動かない。
──ここが、正念場なのだ。
花倉に化身が宿っていた可能性が一パーセントでも残っている限り、「自分は人間だ」と言い逃れる余地がある。そしてもし、「自分は人間であり、カグヤから精神干渉を受けている」と一瞬でも幻道を疑わせることができれば、その隙に近づける。
まだ勝機は潰えていない。
カグヤはそう、踏んでいるのだろう。
そんな思惑を断ち切るように、千景は静かにこう告げた。
「もちろん、決定的に証明できます。彼女が真に人間なのか。それとも、カグヤなのか」
そのひと言に、カグヤは顔を上げた。その表情には明らかに動揺が見えた。まるで、千景の一手を予想していなかったとでもいうように。
千景はそっと、藍良に微笑みを向けた。
思いがけない眼差しに、藍良の胸がとくんと鳴る。
千景の視線はそのまま下へ──藍良の手元へと落ちてゆく。
そこにはしっかりと握られた、虚映ノ鏡があった。




