第9話 人気教師に潜む影
「……一日ぶりじゃのう、娘よ」
「ヒ……!!」
藍良の顔から血の気が引く。叫びかけたところで、千景が咄嗟に藍良の口を手で押さえ、近くの木陰へ引き込んだ。
「んん!んんん~~!」
「ごめん、藍良!ちょっとだけ静かに……」
千景の腕に抱き寄せられたまま、藍良は戸惑っていた。
すると、彼の肩に巻きついた黒い蛇が、ひゅるりと身を伸ばし、藍良の首筋をペロリと舐める。
「ひゃっ……!ちょ、な、なにこいつ……っ!」
ぞわぞわと鳥肌が立ち、藍良は助けを求めるように千景を見上げる。だが、彼の視線は真っ直ぐ、体育館の裏手に向けられていた。
その横顔はいつになく鋭い。さっきまでの人懐っこい笑顔はどこにもなく、まるで何か重要な手がかりを掴んだ探偵のようだ。藍良はゆっくりとその目線を追う。
千景が鋭い視線を向けていた人物は、藍良の隣のクラス、C組担任の藤堂翔真だった。
三十代で専門科目は体育。新婚ながら教員の中ではイケメン枠で、女子生徒からの人気も高い。かくいう藍良も、ノリがよくいつもテンションが高い藤堂に好印象を抱いていた。C組では男女問わず信頼されている、そんな教員なのだが──。
藍良は戸惑っていた。目の前の藤堂は、いつもの陽気で飄々とした印象とはまるで違う。
周囲を睨むように警戒し、頭を掻いてため息を漏らすその姿は、どこか落ち着かずせわしない。どう見ても、いつもの「人気者の先生」とはかけ離れていた。
すると、程なくしてもう一人の人物が裏庭に現れた。
藍良は、その顔に見覚えがあった。用務員の男だ。体育館に行くとき、よく廊下ですれ違うから顔を覚えている。
男がポケットから何かを取り出すと、藤堂は懐から厚みのある茶封筒を差し出した。男は封を開け、中を覗きこむ。一万円札……それが何枚も。おそらく十万は下らない。
男の口元に、にやりと笑みが浮かぶ。再びポケットに手を入れ、今度は銀色に光るなにかを取り出した。
藤堂はそれを素早く受け取り、スーツの内ポケットへ入れる。そうして、用務員の男は特になにを言うでもなく、静かにその場から去って行った。
残された藤堂は、無言でその背中を見送る。そして、ただ冷めきった眼差しで銀色のなにかが入ったポケットを押さえていた。
藤堂の様子が気になって、藍良は思わず身を乗り出す。すると次の瞬間、藤堂がふとこちらを向いた。
「っ──!」
反射的に千景が藍良を抱き寄せ、身をさらに木陰に隠す。それと同時に、藍良の胸が一気に高鳴った。
一歩、また一歩。藤堂がこちらに向かってくる。
こちらに気付いたのだろうか。このままだと見つかる……そんな緊張が走った、まさにそのとき。
《藤堂先生、藤堂先生。至急、職員室までお戻りください》
校内放送が、緊張を断ち切るように響いた。
藤堂は一瞬だけ表情を動かしたが、そのまま背を向けて去っていく。
数秒後、藍良はほっと息を吐いた。




