第20話
「母さんと父さんは出かけてくるから」
「留守番よろしく。ローラ、ベン君」
フローラとベン兄はにこやかに手を振った。
フローラは学園がないこの日を活用して小さな夢への足掛かりを作ろうとしている。
というわけで、裏手にある麦畑に回って、木片を削るのを再開した。
ベン兄には交換条件を出して手伝ってもらっている。
「こんな棒、何に使うねん」
棒の用途は説明していない。
「ふふ、ふふふ」
いつもより数段低い不気味な笑い声を察知してベン兄は停止のジェスチャーをする。
「ちょ、やっぱ聞くの辞めとくわ」
(べつに、言ってもいいのに)
朝から手伝ってくれているベン兄の日に焼けた肌には汗が浮いている。
(なんやかんや、優しいなあ)
こんな優しい人の恋路は上手くいっているはず…。
そんな思考だろうか、フローラは唐突に聞いた。
「気になる人とはどうなってんや」
「えぇ…と、気になるというか…」
「うん、うん」
「彼女は純潔貴族やから、親が厳しくて…色々あるわ」
ベン兄は晴天を見上げて言った。
なんとも切なげな表情だ。
(これは聞かんほうがよかったかもな…)
場合によっては、貴族と庶民の結婚は学園を卒業していたとしても、まだ壁がある。
「そうなんや」
気まずい雰囲気を誤魔化すためか、ずっと聞きたいのを堪えていたのか、ベン兄も尋ねる。
「そっちはどうなってんの?」
「そっちて?」
「ノバック殿と」
「何ゆうてん?」
いきなり出てきたデイビット様の名にフローラは戸惑う。
「もっぱらの噂やで。あのノバック殿がぞっこんてな」
「誰にぃ?」
フローラは聞き捨てならないことを聞いたとばかりに攻め寄る。
「ローラにやっ」
まるで当然なことのように言うではないか。
「にゃにっ」
フローラは撃沈されて、頬を染める。
「それは…勘違いや」
「俺も二人が仲良さそーうに喋ってるとこ、見たで」
周囲からすれば、二人の周りにはお花が散っていた。
「あれは…その。うちがお腹減ってただけや」
ギリギリの事実である。
(まだ二回しか喋ってないし…)
その時、フローラの顔色が急に変わった。
いつの間に森から出てきたのだろう。
あのアライグマがフローラの蜜柑に手を出そうとしていた。
「あ、またか。こんにゃろー」
フローラは蜜柑を死守する。
耳のキレた焦茶の獣はしゅんとうなだれた。
「あんたは食いしん坊やから、ポン太郎や。ポン太郎」
意地悪で言っているのにアライグマはなんだか嬉しそうだ。
おそらく、ご褒美が貰えるとでも勘違いしているのだろう。
「ああ、もう。この棒で叩いたろうか」
そのムカつく無邪気な顔を見てフローラが出来かけの棒を持ち上げる。
まだ、ヤスリで磨いていないので、ささくれがあって痛そうだ。
「えっ、動物愛好家やなかったん?」
このベン兄のツッコミはもっともだ。
棒を地面にぶっ刺しながら、フローラは断言する。
「それはそれ、これはこれ」
ベン兄は何でやねーんと心の中で呟く。
結局、ポン太郎を殴ることはしなかったが、与える蜜柑は一切れに留めた。
〆〆〆〆〆〆
トポトポトポ。
頸動脈から血が流れ落ちる音がする。
地面には血溜まりができていた。
すぐ隣をさらさらと小川が流れる。
周りは冬枯れの木々の間に時たま深緑の常緑樹。
「ローラに怒れれるね」
母さんは冗談めかしく言った。
フローラは母さんや父さんがこうしていることは知らない。
言ったら卒倒しそうなものだが…。
「大丈夫だ。あの子は食糧として動物を殺めることまでは否定しないさ」
父さんは苦笑しながら返す。
フローラなら食糧としての獣を見てヨダレを垂らすことも造作ないだろう。
「そうね。今日は猪肉」
血抜き途中の猪を見て母さんは至極満足そうだ。
母さんと父さんの背には弓が担がれている。
猪には弓が1本だけその急所に刺さっていた。
「自分でとったものは美味しいからな」
父さんも満足そうに賛同する。
〆〆〆〆〆〆
太陽が沈み、またその顔を出して新たな日が始まる。
フローラは今朝方、樹海の中でナナを探した。
前に遭遇した時のナナの服装から森に慣れていそうだったので、会えると踏んだのだ。
学園ではなかなか腹を割って話せないが、森では…と思ったのだろう。
昨日ベン兄に手伝ってもらって作った木刀を担いではるばる出かけてきた。
原始林に入るのはほぼ毎日の日課だが、人を探すとなるといつもより広範囲に動くことになる。
結局、無駄足だったこともあり、フローラはテンションが低い。
そろそろ、コンテの作戦立てなければと思ってはいるものの。
コンテの存在を知ってから、一週間弱が経過したが、何もしていない。
このままでは、優勝なんて夢のまた夢だ。
それはつまり、恋の成就から遠ざかることに…。
(とにかく、情報や、情報)
コンテの存在を教えてくれたデイビット様なら詳しそうだ。
“あのノバック殿がぞっこんてな”
昨日のベン兄の言葉を思い出してフルフルと首を振る。
(あんな事聞いたら、どんな顔して話しかけたらいいんか分からんねん)
そもそも彼に話しかけるというハードルは100メートルくらいの高さだ。
図書館にトボトボと向かう。
気だるげに資料を借りてとりあえず昨年の結果を確認する。
去年の優勝者は女子がイザベル・クレメント・ミラー、男子がデイビット・ジョーンズ・ノバック。
(えーーー)
それだけでない。
デイビット様は二年前も三年前も四年前も優勝している。
つまり、4連勝していて、今年は5連勝目をかけているということだ。
「すごっ、デイビット様」
フローラはニコニコしながら声を漏らした。
「俺がどうかしましたか?」




