第19話
この辺りの植生のおかげだろう。
甘いバニラの香りが漂っている。
フローラはこの匂いが割と嫌いじゃない。
(イヤリング、イヤリング)
バルコニー辺りを見ながら歩いていると硬めの泥濘みにハマりかけた。
「いっ」
(地面が喋ったっ)
フローラは驚いて下を見る。
自分の足は、地面になぜか寝転んでいる人間の腹の上に乗っていた。
(うわっ、痛そうや)
長めの金の前髪の間から片方だけの緋色の眼が「足をどけろっ」と訴えてきた。
「ごめんあそばせ」
(要注意人物、はっけーん)
「何してますの?」
フローラは純粋な疑問をぶつける。
「昼寝」
アレックが端的に言った。
(これは突っ込んでいいんか!?)
今は剣術の授業中で、それは必修だ。
つまり、こいつはサボりの確信犯だ。
「その話し方辞めたら」
(ますます話し方庶民になってない!)
「どういう意味でしょう?」
フローラはセキガンの男を警戒する。
アレックは面倒くさそうに答えた。
「自分は庶民風でも気にしない」
(そっか、この人も庶民だったんだっけ…)
強制ではないが、この学園内では庶民どうしでも貴族風の話し方をする。
庶民も通っているといっても、貴族の方が数は多いし、庶民の方が身分的な立場も弱い。
貴族に馬鹿にされるのはごめんだという思いから自ずと話し方に気をつける。
周囲に貴族がいる所で庶民風に話すのは気が引けるが、幸か不幸か、ここにはアレックしかいない。
パーティー会場となる建物は行事やダンスの授業がないときは使われない。
ここは普段は人が寄り付かない場所なのだ。
「そう、ありがとう。アレックど…の」
「殿もいらない」
「わかった。うちのこともフローラな」
なんだか学園で庶民の自分を認めてもらえたことが嬉しかった。
「ローラは?」
アレックは赤色の眼を光らせて不敵に微笑んできいてきた。
「えっ、なんでうちの愛称知ってんの?」
(まだ、一回しか喋ってへんのに)
「ベン兄との会話で見えた」
「見えた?」
「唇読んだ」
(この人、他人の会話を盗み聞き、いや盗み見か、して堂々としすぎちゃうー)
アレックがごろんごろんしているのを横目で見ながらフローラは考えを巡らせた。
(ここかー?ここがアブナイってことなんっ。おばあぁ)
「ローラはダメ」
フローラは顔の前で大きなバッテンを作る。
(早すぎや。まぁ、あんたにそう呼ばれる日は来ん気がするなぁ)
「何で来た?」
「ここら辺でイヤリング、落とした気がする」
「どの辺り?」
アレックは勢いを付けて立ち上がりながら言った。
フローラが金色の眼を見開いて、おまけに口も開いて「いっ意外すぎる」を体現する。
アレックは眉を顰めて不機嫌そうに淡々と言った。
「早く退散してもらって安眠したい」
(なんやー、もっと他の言葉ないんかーい)
フローラは少しプリプリしながら、バルコニーの近くにいった。
「ここらだと思うんだけど…」
「ああ…バック宙の」
「そ…うみたいです」
特に何もなかったのに、大立ち回りしたことがかなり恥ずかしい。
「あったぞ。そうか、あれは…これか」
落ちていたイヤリングを拾い上げて、それを空にかざした。
アレックは幻想的に舞う蝶だと思ったものがこのイヤリングだったことを理解した。
「なんや?」
「これも赤」
フローラの方をチラリと見ていった。
葉のついていない木々が静かに風を受けて揺れる。
膝丈まである草がその身をゆすってる。
「赤は大事な人との絆を意味すんねん」
フローラは深紅の唇を動かした。
「そう、どうぞ」
アレックは軽く返事をするとイヤリングを放った。
(投げんなやっ)
「ありがと、ほな」
フローラはイヤリングをナイスキャッチして帰った。
アレックは太陽光が反射して銀に見えるフローラの髪を見て目を細めた。
疑惑を振り払うように首を振って草花の上に大の字になる。
バニラの空気を深く吸って身体に取り込み、目を閉じた。




