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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋愛

ごくつぶしの魔女と生け贄勇者

作者: invitro

「今回の獲物は大物だぜぇ!!」


 戦へ出ていた森の戦士たちが戦利品を持って帰ってきた。

 どすどすと音を立て大股で先頭を歩くのは女鬼族の族長ドゥマ。集落で最強の戦士であるドゥマの太鼓持ちが彼女を取り囲む。

 女鬼族に遅れて、他の魔族や騒ぎを聞きつけた三角帽のローブたちも家から出てくる。ローブの彼女たちは人間だが魔女と呼ばれる存在。呪いの言葉を使う一族と忌み嫌われ人間の国を追い出された者たちの末裔だった。


「ドゥマ様、大物って何を捕まえたんですか」

「がはは、聞いて驚きな! なんと、ラドロー王国の勇者グラハムだよ!」


 人間の男より更に頭ふたつ分は背の高いドゥマが肩に乗せている丸太には、鎧をはぎ取られた少年が気絶したまま括りつけられている。


「きれいなおべべ着ちゃって、本物かよ」

「でもまだガキじゃね」

「そうそう、勇者は爺って話じゃなかった?」

「前のがくたばったから新しく教会の神託で選ばれたんだろ」

「あらら、若いのにかわいそ~」


 興味津々といった様子で野次馬が集まる。

 その中に、やたらおどおどした様子の少女ビビもいた。

 人混みに隠れるようにして騒ぎを覗いている。


「おいビビ! おめぇ、前にオレに近づくなって教えたよな。その辛気臭ぇツラみてると潰したくなんだよ」

「ぴっ、ごめんなさい」


 目ざとくビビを見つけたドゥマが叫ぶ。

 ビビはドゥマ――というより女鬼族と相性が悪い。サイズの合っていない大きな帽子で顔を隠すようにしておどおどしている姿が癇に障るらしい。

 普段なら彼女に近づいたりしないのだが、本が好きなビビは物語で聞く「勇者」という単語に惹かれてつい出てきてしまった。戦場帰りで気が立っているドゥマはビビに向かって腕を振り上げる。


 しかし、ビビの頭を打つ直前でその腕は止まっていた。ビビから幼さを抜いた顔の美女がドゥマの腕に杖を向けてぶつぶつと何かを唱えている。


「妹に手を出すなってか、イングリッド。ビビを一番殴ってんのはおまえだろ」

「私のは躾。それにあなたを助けてあげたの、むしろ感謝して欲しいわ」

「ああん? 意味わかんね、誰が誰から助けられたってんだ」

「ビビは呪術の才能はないけど、力の大きさだけなら一族でも類を見ないわ。あなたでもビビの力が暴走したら死ぬわよ」

「ハッ、笑わせんな。こんなチビ」

「あんな出来損ないほっといて行きましょうよ、ドゥマ様」

「……チッ」


 ドゥマはあきれた顔で舌を鳴らすも、一切表情を変えないイングリッドの瞳を受けると取り巻きを連れて宴会場へ歩いて行った。


「ありがとう、イングリッドお姉ちゃん」

「ビビはとろいんだから、外に出ないで家で呪いの勉強でもしてなさい」

「お姉ちゃんも……わたしが家の外に出ると恥ずかしい?」

「そうじゃないわ」


 杖でごつん、と。


「いたっ。……てひひ」


 せっかくドゥマのげんこつを回避できたのに、ビビの頭にたんこぶができた。

 いつも無表情なイングリッドの顔には、姉の愛情といったものは含まれていない。しかし、こぶをさするビビは嬉しそうだった。

 家へと帰るイングリッドの後ろを小走りで追いかける。家の扉をくぐる前、何かを思い出したようにビビは立ち止まって女鬼族の背中を見た。


「……あのひと……どうなるのかな……」



 ◇



 黒い森。

 ビビ達の住む森は、ただそう呼ばれている。

 大昔は美しい森だったという。春には小さな動物達が唄うように駆け回り、夏には新緑の木陰で羽を輝かせながら妖精が舞い、秋には色とりどりの果実が芳醇な香りを匂わせ、冬には神秘的な雪化粧が精霊王の住まう幻想郷を思わせる。


 だが、ビビの祖先が来て森は変わってしまった。


 ビビの一族は、魔女、呪術師、言霊使いなどと呼ばれていた。

 人からも魔族からも恐れられるほど強い魔力を宿し、何気なく発した言葉にまで特別な力を持たせてしまうせいだ。

 そのため、いつしか人々はビビの一族を恐れるようになった。数の暴力で一族を迫害し、人間の国では暮らせないようにした。そして辿り着いたのがこの森だった。


 彼女達の怨嗟の言葉は美しい緑を毒の吐く呪樹に変容させた。大地までもが黒く染まり、か弱い動物達は息絶えた。やがて女鬼族などの凶悪な魔族が住み着くようになり、魔女と共存をはじめた。そして人間は誰も近寄らなくなった。



 ◇



 ドゥマ達が帰還した夜。外ではどんちゃん騒ぎの宴が続いている中、森に住む各氏族の長が囲炉裏の前に並んでいた。


「あの年でオレの角を折った男だ。喰う前にオレが孕んでやってもいいぜ」

「戦狂いのドゥマがそこまで言うなんて珍しいこともあったもんだ」

「それならサキュバスにもおこぼれをもらいたいわぁ」

「がははは、てめーらがヤッたら子種が残らねぇだろうが」


 族長会議の題材は、勇者グラハムをどうするかだ。

 黒い森の討伐部隊としてやってきたグラハム達を打ち破り捕まえたのはドゥマだが、森での大きな収穫物は全氏族の共有財産となる。

 最初に森で暮らし始めたのが女系一族であるビビの先祖だったため、黒い森に住む魔族は女鬼族やサキュバスなど男の生まれない種族が多い。勇者といえば人間の中で最も強い戦士の血だ。四肢の腱を切り、種馬として飼おうという意見が場を占める。


「勇者は性奴隷にはしないわ」


 一通り意見が出揃い多数決を取ろうというところで待ったがかかった。


 ペルニラ。

 人の身でありながら年齢不詳で、いつから生きているのか誰も知らない。

 同性のサキュバスすら見惚れる妖艶な女。

 魔女の族長であり、ビビとイングリッドの母親だ。


「なんだよ」

「アレの身柄は我々がもらい受けます」

「テメェ、ふざけてんのか!」


 獲物の独り占め。

 これは始まりの一族として発言権の強いペルニラであっても、横暴としか言えなかった。同席していた族長から一斉に殺気が向けられる。


「……先代魔王が倒れてから十年が経ちました」

「それがどうしたよ」

「そろそろ邪神様に次の魔王を決めてもらってはどうでしょう」

「祭を開くってのか。オレらだけじゃ決められねえぞ、森の外もかかわる」

「しかし……そうか生け贄か……」

「ええ、あれほど良質な贄はそうそう手に入らないわ」


 ペルニラの言葉に一同が揃って唾を飲む。

 邪神とは魔族が信仰する神だ。

 邪神に選ばれた者は、魔王として数多の魔族を統べる力を得られる。

 ただし、邪神の祝福を得るための儀式には相応しい生け贄が必要とされる。


「だが足りるのか? いくらなんでもまだ小僧だ」

「私を信じなさい。それに祭を行いたいのは外の地も同じ。多くの領地で準備が進められている。一人で足りなければ生け贄をかけ合わせればいいだけよ」


 力ある魔女の言葉は重い。

 ドゥマは勇者を持ち帰ることを諦めて火酒を呷った。



 ◇



「ビビ、来なさい」


 部屋で呪術の勉強をしているとイングリッドに呼ばれた。久しぶりに、姉が実験の息抜きに作るお菓子でももらえるのかとウキウキした気分でついていく。しかし、居間では母が待ち構えていたので直ぐに気分がしおれていった。


 ビビはこの母親が苦手だ。

 自分以外の全てを道具としか見ていない。

 娘であるイングリッドやビビも例外ではない。

 仲良くしたいと思っても、余計な会話は切り捨てられる。

 ビビの家には人間史の研究のために魔族以外の書物もある。

 母はそうした本に出てくる邪悪な魔女そのものだと思っていた。


「ビビ」

「はひっ!?」

「……はぁ……あなたに仕事を授けます」

「ありがとうございます、お母様」


 有無を言わさぬ絶対者の迫力にビビは感謝を述べた。

 自分は呪いの研究で忙しい母や姉の代わりに家事の一切をやってる。

 なんて反論は許されない。

 ビビの年齢でも他の魔女は立派に独立している。

 使い魔やゴーレムを使役し、仕事をしながら家事を片手間で済ませている。

 今のビビは魔女として半人前以下、職なしのごく潰しだ。



「あなたにはドゥマが捕らえた勇者、生け贄の飼育係をしてもらいます」

「生け贄の飼育係……?」

「そうです。神を呪い、生を諦め、絶望の果てに自ら死を望むように仕向けなさい。邪神は聖者と呼ばれる愚か者、そしてそこから穢れ堕ちた魂を好みます」

「わ、わたしがそんなことをやるんですか」

「大丈夫。私の娘なのですから、一つずつ仕事をこなしていけば、あなたもいづれ立派な魔女になれます」

「えと、そうじゃなくて…………わかりましたぁ」


 ビビに課せられた仕事は人間の勇者グラハムの面倒を見ることだった。

 魔術で森の外へ今回の話を届け、話し合いと準備が整うまで半年近くはかかるだろう。

 その間、生け贄を生かさず殺さず。人間の信仰する神のお告げで勇者となった神聖なる者を苦しめ、神と世界に呪詛を吐かせる。しかし、死なせないように世話をする。


 料理に使う家畜の鶏を絞めるのにも、目を瞑りながら「ごめんなさい」と何度も唱えるビビには難しい仕事だった。




 拷問の経験なんてないビビは、ひとまず家畜の飼育係として任命されたのだと自分に言い聞かせた。

 そもそもそういった凶悪な儀式を必要とする呪術の勉強はまだしていない。今回はペルニラの命を受けてしまったので、仕方なく勉強しようと頑張ってみるも、


「ひええ、いたそうっ!」


 本の挿絵を見ただけで、かわいそうになって閉じてしまう。

 呪力の強さだけは母親譲りと言われるビビだが、魔女の素質は全くなかった。

 苦しめるとか痛めつけるとかは難しいので、まずは「死なせるな」という命令を優先することにした。



 女系種族で構成された黒い森で育ったビビは男としゃべったことがない。たまに種馬と呼ばれる虜囚の男達を見るが、みな死んだ眼をしていて近寄ろうとも思えなかった。だからビビは“男”という生き物がどんなものかまだ知らない。


「とりあえず……ごはんは食べるよね?」


 それでも同じ人間なのだから、食事は必要だろう。

 ビビは自分も食べているスープとパンを持ってグラハムの牢屋へ向かった。



 ◇



 牢の中には、静かに瞑想している青年がいた。

 美しい黄金の髪。手足に強力な呪いを込められた鎖を嵌められていても、背筋を伸ばし毅然とした態度を崩さない。身体は既に一人前の戦士として鍛えられている。しかし顔にはまだ少しあどけなさが残っていた。年齢はビビより二つ、三つ上といったところか。


 黒い森で飼われている男達よりは話しやすそうでも、勇者は魔女の敵だ、なかなか近づけない。しかし、しばらく悩んでいる内に森の外から来た男への好奇心が勝った。警戒しつつ鉄格子の下からトレイを差し入れる。


「あ、あのー、お食事ですよー、食べないんですかー」


 恐る恐る歩み寄ったビビに対して、グラハムの対応は、


「…………」


 無言。無視。黙殺。

 目を開けてこちらを見ようともしない。


 勇者の飼育係初日。

 ビビは何度か名前を聞いたり話しかけながらグラハムの顔を眺めていたが、結局最後まで何の反応も示さなかった。



 牢に置いていった食事は次の日の朝になっても手つかずのままだった。

 魔女とは食べる物が違うのかな?とメニューを変えてみる。

 しかし、やはりグラハムは食事に手をつけない。

 三日目になっても何も食べず、このままだと母の言いつけを守れない。


「この人も種馬の人達と同じで……もう生きてるのがどうでもいいのかな……ううん、わたしがもっと、匂いを嗅いだだけで我慢できなくなるようなおいしいご飯を作ればいいんだ! がんばるぞー!」


 なんて困っていたら、四日目になってようやく水だけは無くなっていた。

 もしかしたらと初日のように話しかけてみる。


「ごはんは食べないの? おいしいよ?」

「……魔女の施しなど受けない。どうせ毒でも入れてあるんだろう」


 唇が動いた。

 だがグラハムの口から漏れたのは明らかな敵意だ。

 そんなことするわけないのに、と頬をふくらませるが、牢に捕まっている状態なのだから信用しろと言っても無駄だろう。


「じゃあ、お名前は? あなたのことなんて呼べばいい?」

「そうやって真名まで聞き出すつもりか」


 教会の勇者は、名前・洗礼名・姓、の三つの並びが正式な名、即ち真名となる。

 そして黒い森の魔女の言葉には人を呪う力がある。

 真名を知られれば、如何様にも人を操れる――と噂されている。


 もちろん半人前以下のビビにそんな力はない。

 けれど母や姉だったらできてしまうかも、そう思うと反論できなかった。



 ◇



「様子はどう?」


 部屋でグラハムとの会話を書いているとイングリッドが進捗を確認しにきた。


「今日は水を飲んだよっ。あと返事もしてくれるようになった!」

「……なにを喜んでるのよ」


 ビビの手元を覗く。

 楽しそうに書いている作文を読めば、まるでペットの飼育日記だった。


「生存本能が働いて無意識に飲んだだけでしょ。あなたに懐いたわけじゃないわ」


 確かにペルニラから生け贄の飼育係をやれと言われたが、この妹は意味を分かっているのだろうか。イングリッドは頭を抱える。


 このままでは無邪気な妹が母に罰せられてしまう。しかし、これはビビの魔女としての初仕事だ。イングリッドが手を出すわけにはいかない。これ以上、ビビに無能の烙印を押させるわけにはいかないのだ。


 ただ、一度だけペルニラに状況を報告すると、


「うふふ、今はそうなっているの……私の娘なら勇者なんて視界に入れただけで殺したくなると思ったのに…………ねぇ、イングリッドはこれからどう料理するのが一番美味しく仕上がると思う?」


 ひどく不穏な言葉と邪悪な微笑みが返ってきた。

 アドバイスなどはもらえない。

 あるのはビビへの失望、怒り。

 そしてペルニラはイングリッドも同じ感情を抱えていると思ったようだ。

 この母は最良の結果以外の言葉を求めていない。

 それ以外の言葉は曲解され、ビビにとって不利になるだろう。

 ペルニラの娘としての経験から、イングリッドはビビを信じて仕事に口出ししないと決めた。



 ◇



「グラハムはどこから来たの?」

「どこへ行こうとして捕まったの?」

「ふだんは何を食べてるの?」

「おともだちはいる?」

「本は好き?」

「年はいくつ?」

「なんで勇者になったの?」

「勇者ってなにする人?」


 一度でも返事をしてしまったのがグラハムの失敗だった。

 心を許されたと勘違いしたビビの質問攻めがはじまったのだ。

 喉の渇きを潤し、舌が滑らかになってしまったことを後悔した。


 敵の魔女に答える義理などないが、ビビの様子にグラハムは困惑する。

 ビビは森の外を知らない。

 森の中でもビビと話をしてくれる相手はほとんどいない。

 だからだろうか、実年齢よりも幼く見える。

 純粋で無邪気な好奇心のかたまりだ。

 敵意も悪意もない相手を無下にするのは難しい。




「そう毎回毎回、矢継ぎ早に質問されても困る」

「じゃあ、グラハムはどこから来たの?」

「……ラドロー王国」

「それってどんなところ? この村とは違うの?」

「ふっ、当たり前だ。こんなツリーハウスや掘っ建て小屋などひとつもない。大陸一栄えた大国だぞ」

「うわー、そうなんだ! 他には他には? どう違うの?」

「……そうだな、交易が多く大陸中の食べ物が集まるな。あと遠征に出る少し前に教会の前に劇場が出来た――」


 ビビは魔女でも子供だ。

 何も知らないし何もできない。

 心の中でそう言い訳をして、対話を重ねてしまう日々がはじまった。



 ◇



 ビビは取り分け外の世界に興味を示した。


「いーなー、グラハムの故郷はたのしそうで」


 グラハムの生まれ故郷や旅で経験した話を瞳を輝かせて聞いていた。


 それに、特別な力と才能を持ち幼少から大人達と一緒に鍛えられてきたといっても、グラハムはまだ少年と呼ばれておかしくない年齢だ。たったひとり敵に捕らえられて不安や郷愁の念が燻っていたのだろう。

 ビビがいない時を見計らって、悪意のある言葉や石を投げにくる魔族も少なくない。精神は着実に疲弊していた。

 グラハムが故郷を思い出しながら話す言葉を嬉しそうに聞く無邪気な姿に、安堵を覚えたのも仕方のない話だ。


 気づけば警戒心を忘れ、ビビとは自然に話をするようになっていった。

 時には自分からビビの喜びそうな話をすることもあった。




「ビビは魚は好きか?」

「うん、森の川でも獲れるからね。たまにしか手に入らないけど」

「東の海では魚を生で食べるのだ」

「うっそー! それお腹いたくならないの?」

「海と川では魚の種類が違うらしい。それに独特な調味料がたくさんあって中々うまい魚料理がたくさんある」

「海かぁ……いつか行ってみたいなぁ」

「ビビは怖がりだから波には入れないかもしれないがな」


 料理が好きだと聞けば、他国の珍しい食材の話や王宮に招待されて食べたごちそうの話をした。




「ああっ、伯爵さま。どうかこの花が枯れる前には、また会いに来てくださいませ」

「あはははっ、グラハム演技へたー!」

「うん゙ん゙っ、裏声は苦手なんだ。今日は喉の調子も悪いし」

「え? 男役も下手だよ?」

「……キミはなかなかの酷評家だな」


 物語が好きだと聞けば、劇場で見た流行のオペラを聞かせてやった。




「どうしてみんな仲良くできないんだろ。人間の国はみんな仲良しなんだよね」

「いや、魔族と戦うのに結託しているだけで別に仲良しではないな。いじめも犯罪もどこにでもある」

「そっか……」

「逃げる場所なんてない。人はいつか戦わなくてはいけない」

「だけど、誰とも争いたくなんてないよ……わたしは魔術も呪術も使えないし」

「魔女なのに? まったく?」

「うん」

「そうか、不思議だな……でもきっと、ビビが強くなればその内使えるようになるさ。だから強くなれ」


 ビビが村の者に悪口を言われて落ち込んでいる日は、それとなく慰めたりもした。

 相手は魔女の子供なのに、まるで普通の友達のように会話を繰り返した。



「はやく元気になって、もっともっと楽しいおしゃべりしようねっ」

「……ああ、そうだな」


 ただそれでも、グラハムは一線を越えなかった。

 魔女の出した食事には口をつけない。

 ビビは何もしなくとも、周りの魔女が人を操る薬を盛るかもしれない。

 勇者が魔女に使役されるわけにはいかないのだ。

 だが幸い何も考えていないのか、ビビは綺麗な水を差し入れてくれた。

 料理と違って澄んだ水なら毒が入っているかどうかくらい分かる。

 だからグラハムは水しか飲まなかった。




 捕らえられてひと月が経過した頃――グラハムの体は限界に達した。



 ◇



「今朝のスープは自信作だからね、今度こそ食べてよ! ……ってグラハム、聞いてる? ねえ……グラハ、ム……?」


 初めは寝ているのかと思った。

 それか壁に背を預けていつものように瞑想しているのかと。

 しかし、どう見ても首に力が入っていない。

 近頃は顔色もひどいものになっていた。

 神の加護を持つ勇者であっても、一ヵ月水だけでは体が持つはずもない。

 牢の鍵を開けてグラハムに駆け寄る。


「グラハム! どうしたの、どこか痛いの!?」


 何度も体を揺するとグラハムは気だるげにうっすらと目を開けた。


「ビビか…………ふふっ、ダメじゃないか、そんな無警戒で近づいたら」


 第一声はお説教だった。

 冗談のようなやさしい声で敵に近づくなと教える。

 そして、とんっ、とビビの肩を押した。

 手に力は込められていなかったが、ビビは尻餅をついてしまう。

 その瞳には確かな拒絶が含まれていたからだ。


「もう食事は必要ない。ここにも来ないでくれ」

「ど、どうして、急にそんなこと……」


 突然の態度の変化にビビはうろたえる。


「なぁ、ビビ」

「…………なあに?」


 やさしい声――なのに猛烈に嫌な予感がした。

 だけど答えないわけにはいかない。

 ビビが最も恐れているのは、また一人になってしまうことだ。

 ビビが対話を拒んだら、またグラハムは最初の頃のように何も話してくれなくなってしまう、そんな予感がした。


「そろそろ、逝かせてくれ。もう疲れた」

「いやだ……いやだよ、グラハム……」


 だがやはりと言うべきか、グラハムの口から漏れたのはビビが恐れていた以上の言葉だった。命を投げ出す言葉。何かがプッツリ切れてしまったのだろう、森の村で飼われている男達と同じ眼をしていた。


「やだよ、わたしには強くなれなんて言って、自分はもうあきらめるの……?」

「……生きてどうなる。生かしてどうする。私は……人質なのか。君達は王国へ何を要求するつもりだ……」


 ビビの瞳から大粒の涙がこぼれる。

 ビビにとって楽しく話ができる相手はグラハムたった一人だけ。牢に入れられているグラハムにとっても、この森で信用できる相手は自分だけだと勝手に思っていた。

 しかしそれは一方的なシンパシーだったのかと思うとまた悲しくなった。


 ビビが泣いていることにも気づかず、グラハムは目を閉じて天井を仰いだまま言葉を続ける。


「私を生かして返してみろ。次は大軍を連れてこの森へ魔女狩りに来るぞ。そしたら、私はビビも殺さなくてはならなくなる」


 決してそんなことにはならない。

 現実はもっとひどいのだから。

 グラハムは邪神から言葉を賜るための生け贄だ。

 生きて国へ帰ることはない。

 ビビはそれを知っている。

 そしてグラハムと距離が近づくほど、その事実からずっと目を逸らしてきた。

 だからビビは何も言い返せなかった。


「もう戻れ。そしてここへは来るな」


 グラハムは一度だけビビを見てから、またゆっくりと瞼を閉じた。

 ビビは黙ってその様子を見つめる。

 涙でゆがんだ視界の中に捉え続ける。

 全身から力が抜け、生きているのか分からないほどに生気の感じられないグラハム。

 初めて会った時の凛々しさや力強さはどこにもない。


 しかし、ここで引き下がってしまったら、きっと永遠の別れになる。

 自分は生け贄の面倒を見るという仕事から外され、今度は姉か別の部下か、母の言いつけを忠実に守る者が勤めるだろう。

 ただグラハムを生かすだけじゃない。

 命を諦めさせるだけじゃない。

 グラハムを苦しめ、神とこの世に呪詛を吐かせるような拷問をする者が。


 このままではいけない。何か手はないか。

 必死になって頭の中でグラハムを生かす方法を探す。



「生け贄……絶望……そうだっ」


 耳に残った母の言葉を反芻していると、ビビの脳にある考えが浮かんだ。

 グラハムは邪神へ捧げる生け贄。

 邪神は呪詛を吐く穢れた魂を好む。

 穢れとは特に聖者から堕落した者を示す。


 ならばやはり、グラハムは生かさなければならない。

 何かを諦めてはいけない。

 心を強く、健やかに保たせるのだ。

 そうすればグラハムは生け贄に使えなくなる。


「えいっ!」

「むごっ!?」


 そのためにはまず――食事だろう。

 健全な魂は健康な体に宿る。

 無視を続けるグラハムのアゴを掴むとビビは強引にスープを突っ込んだ。


「ほら、グラハム! 飲んで、ちゃんと飲むの!」

「げっほげほ、ビビ、やめろ、なにをする!」

「ちゃんとごはん食べて、元気になるの! そしたら帰れるから!」

「ビビ…………ぐえっ」


 スープに浸したぐずぐずのパンをグラハムの喉に押し込む。

 ビビが何も考えずに空になった胃へ固形物を押し込んでくるせいで、何度も吐き出しそうになったが、グラハムは全ての料理をどうにか飲み込んだ。


「グラハム……生きてれば、きっとなんとかなる。きっといいことあるよ……だから、生きよう。おねがい、生きて」

「まったく…………君がなぜ、魔女なのだろうな……」


 自分の胸の押しつけられた小さな頭を一撫でしてから、グラハムは気を失った。



 ◇



 その日から、ビビの強引で献身的な介護がはじまった。

 グラハムには何もしなくていいと言った。

 しかし、食事を残すことと会話を無視することだけは許さなかった。

 熟年の夫婦のように懸命に世話をして、ビビは強引にグラハムの命と心を繋いだ。


 そして、その様子を秘かに見守る者達がいた。



「なるほど……ふ、ふふふ、これは面白い。まるであの頃の……」

「どうしましたか、お母様」

「ふん、別に……ペットより恋人になってくれた方が予定が早まるという話よ」


 水晶玉に映るふたりの姿をペルニラとイングリッドが見ていた。


「あの男は生け贄にするはずだったのでは? このままでよろしいのですか」

「確かにこのままだと生け贄としての質は落ちる。最悪、森から出す生け贄を失うかもね。だけどそんなことより、ビビに魔女の自覚を芽生えさせる方が大切よ」


 ペルニラが妖しく嗤う。


「ああっ、目の前であの男が無残に死んだ時、あの子はどんな顔をするかしら。あの子の魂が穢れきった時、その身はどれほどの呪いを吐き出すのかしら。イングリッド、あなたも楽しみでしょう」


 問いかけるが、ペルニラはイングリッドなど見ていなかった。

 ペルニラの瞳に映るのはビビだけだ。

 そしてイングリッドはようやく気づいた。

 自分ではなくビビが生け贄の飼育係という大役に任命された理由。

 ペルニラは勇者を利用してビビの魂も穢そうとしていたのだ。


 母親のする事とは思えない悪魔のような企みに吐き気を覚える。

 しかし、口答えなどできるものか。

 この母親は娘だろうと平気で殺すだろうから。


「人の負の面しか見ない魔女に、呪いを極めることなんてできない……私がそれを証明してしまったから……」


 ビビ達を観察するのに夢中になっていたペルニラは、部屋を出ていくイングリッドの呟きに気づくことはなかった。




「本当に……私を裏切ったあの男と女を思い出すわ……」



 ◇



「ほら、あーん」

「いや……もう動けるし自分で食べられるって……」

「でも手錠が邪魔で食べづらいでしょ。ほら、あーん」


 ビビは顔を赤くしながら、グラハムの口へスープを運ぶ。

 グラハムも冷静を装いながら少し耳が赤い。

 初めはもっと事務的というか、グラハムを生かすという使命感だけを彷彿とさせる介護だったのが、いつしかふたりの間に淡く甘酸っぱい空気が流れるようになっていた。


 どちらが先かと言えば、やはりビビだろう。

 「傷ついた勇者を介護するなんて、恋愛小説の一場面みたい」なんて一度意識してしまったら、そのことから頭が離れなくなってしまった。お湯でグラハムの体を拭こうとする時、やたらと男を意識させるような鍛え抜かれた身体も原因となった。

 ビビの変化を理解すると、気づいたグラハムも連鎖的にビビを異性として見るようになってしまった。


「ろくな食材もないはずなのに、ビビは料理が上手いな」

「えへへ、おいしい物が作れた日は、お母様も少し機嫌がよくなるから」


 異性を知らない魔女と戦うことしか知らない勇者だったが、着実に少しずつ恋仲と呼べるような関係へ進展していた。


 邪な理由でこの関係を悦び、陰で動いている人間がいるとも知らずに。

 ビビの狙いもむなしく勇者が生け贄に捧げられる日が近づいているとも知らずに。




 その報せは突然やってきた。

 ビビが肉屋をやっている魔女の店に買い物へ行くと、なにやら姦しく騒いでいる魔女の集団がいた。


「他の領地の準備が終わったらしいよ。さっき族長の使い魔が戻ったって」

「じゃあ、そろそろ旅の支度はじめなくちゃね」

「忙しくなるわー」

「え、あんたは序列低いしビビと森に居残りでしょ」

「ひどっ! あんな杖よりホウキが似合う掃除婦と一緒にしないでよ」

「きゃはははははは!」


 呆然と横を通り過ぎた魔女たちの笑い声に耳を傾ける。

 他の領地、族長の使い魔、旅の支度――それらの言葉から導かれる答えは、邪神の神託を授かるための祭事しかないだろう。


「わたしのしてきたことは……ぜんぶ、無駄だったの……?」


 口にしてしまった事を否定する様に頭を振る。

 グラハムに希望を持って生きるよう言った時、自分も絶望しないと決めたのだ。


 急いで牢へ向かう。

 ビビの真剣な表情からグラハムも時が来たと悟った。



「……ビビ、今までありがとう」


 思い返せば、グラハムにとってこれほど穏やかな時間を過ごせたのは初めてだった。


 グラハムに神の加護があると神託が下った後、故郷の両親は数え切れないほどの金貨を積まれて、まだ幼い自分の子供を教会へ預けた。

 教会、ましてや神の意思に逆らうなど論外。勇者として選ばれたことも名誉である。それでも、自分がどれほど過酷な人生を送るハメになるか、両親には少し考えてもらいたかった。


 神の奇跡と言われる法術を扱う聖女は、訓練や戦で出来た傷を癒してくれた。しかし、それは勇者を戦場へ送り出すためだ。

 強くなって。強くなって魔族を殺して。一匹でも多く神の敵を排除して。貴方はそのために生きている。だから貴方は死んではならない――いつもそう言っていた。魔族を殺させるためにグラハムを癒そうとしていただけだった。

 魔族が敵であることは間違いない。しかし、田舎生まれのグラハムは、教会の教えの下で純粋培養された狂信的な信仰心までは理解できなかった。


 王国の王女もそうだった。いずれ自分と結婚すると決められていたが、そこにグラハムと王女の意思はなかった。

 神の加護を与えられた勇者は人間の中で最も強い存在となる。

 王女とは、そんな男が国へ反乱しないように与えられた生け贄だ。勇者という鋭すぎる剣が王国へ突き立てられぬように用意された肉の鞘だ。王女がどれだけ美しくとも、グラハム自身を見ようともしない女に愛は生まれない。



「くくっ、よくよく思うと、あんまりな人生だったな」

「だから諦めないでって言ってるでしょ!」


 自嘲気味に笑うグラハムにビビが怒鳴った。


「グラハム……逃げて。この森から逃げて」

「だが、そんなことをすれば君にもどんな罰があるか……」

「それならっ! ……わたしも連れて逃げてよ」


 ビビがグラハムの胸に顔を埋めて泣きすがる。

 しかし、簡単には応えられない。

 ビビは森を出たことがない。

 この森にはビビの全てがある。

 まずそれを捨てなければならない。


 それに黒い森の魔族に捕まって自力で生還した者はいない。

 ビビが協力したところで二人とも捕まるのがオチだ。

 グラハムだけなら一縷の望みに賭ける価値はあるとしてもビビを巻き込めない。


「わたし……この森、好きじゃないもん」

「……え?」

「こんなところにいても楽しいことなんてなにもない。だったら、わたしは外の世界を見てみたい!」


 潤んだ瞳には固い決意が宿っていた。


「ビビはこの森が憎いか?」

「そうじゃないよ……本当はみんなと仲良くしたい……けど、森の人たちとは見たいものが違うから……」

「姉はいいのか」

「お姉ちゃんも、最近はわたしをどう思ってるのかわかんないし……」


 ビビの記憶には、確かに仲が良かった頃の姉の姿がある。

 甘いお菓子を焼いてくれて、勉強を見てくれて、たまに頭を撫でてくれた。

 しかし、そんな優しい時間も最後はいつだったか。


「そうか、ならば私が必ずビビをこの森から連れ出すと約束しよう」

「……ほんとに?」

「ああ、この命に代えても」



 ◇



 ペルニラの使い魔が帰還してから三日後の夜、森の族長会議が招集された。

 族長会議には、魔女の代表としてペルニラが出席し、イングリッドも補佐として付き添うため家を留守にしている。邪神の神託を得る祭事の開催は森中に噂が広まっており、族長会議の外では先行して小さなお祭り騒ぎとなっていた。


 そんな浮かれた夜の空気に紛れて、ビビはペルニラの宝物庫へ侵入する。

 目的はグラハムの手足を縛っている呪物の鍵。それにグラハムが使えそうな武器だ。頼まれていたグラハムが捕らえられた時の武具は回収されていなかったため、ビビは適当な剣を見つけると速やかに宝物庫から撤収した。




「ほら、今の内に早く行こう」

「いや……ビビ……頑固なだけじゃなくて、やる時はやるんだな……」


 牢の建物を見張る鬼が酔いつぶれている隣を通りながらグラハムが呟いた。

 ふたりの眼前には明るく輝く黒い森が広がっている。


「おいおいおいっ、誰だ篝火倒しやがったバカは!?」

「はやく氷魔法使えるヤツ連れてこい!」

「そこにいるだろ」

「こいつは酔っぱらってて使えねぇ!」

「なんか今日の酒やけに強くないか」


 森を焼く明るい炎の光。

 泥酔した魔族達は消火もできず阿鼻叫喚となっていた。

 騒ぎに乗じ、二人は森の外を目指して駆けだした。


 ビビは普段から村の催しには参加していないし、用がなければ家族とも話さない。グラハムはペルニラの呪物で拘束されているから改めて警戒する必要もない、と思っているはず。それならば恐らく、翌朝にビビがペルニラとイングリッドの朝食を用意しないことで、初めてふたりがいないことに気づくだろう。それまでに少しでも距離を稼ごうと懸命に走る。


 木々が高く深い森は、どこまで走っても景色が変わらない。木の陰で太陽や月の位置さえも掴めない迷いの森だ。グラハムひとりであれば脱出は不可能だろう。だが道標となる魔女の術がそこかしこにかけれているため、ビビがいれば関係ない。ふたりは昼夜を徹して走り続けた。



 ◇



「……鬼ってのは鼻も利くんだな」


 しかし、森の外まで後少しというところで一際背の高い女鬼族に追いつかれた。


「さぁガキ共、村へ帰るよ。着いたら両脚ぶった切ってやるから覚悟しな」

「ドゥマ、ビビの仕置きは私がするから」


 ドゥマが肩に担いでいた大刀を構えると空から杖に乗ったペルニラも下りてきた。


「おいおい、オレが先に見つけたんだぜ」

「そもそも私は一度も見失ってないし、空からずっと見てたけど」


 鬼の長と魔女の長が魔力を垂れ流して睨み合う。

 恐怖に震えるビビをグラハムが背中にかばう。

 そしてビビが盗み出した剣を抜く。

 その剣身を見たペルニラは愉快そうに嗤った。

 ドゥマの好きにすればいいと一歩後ろに下がる。


「いいのかい」

「あの魔剣を振れるというなら観てみたいわ」

「そう、ありゃアンタんとこの……どうりで血が騒ぐ、楽しみだ」


 グラハムとドゥマが対峙する。


「グラハム……」

「安心しろ。同じ相手に二度後れは取らん」


 グラハムは余裕のある笑みを浮かべるが、作り笑いだとビビもわかっていた。

 体調が万全ではない。それも確かにある。

 だがそれ以上に、ビビが盗んできた剣の禍々しさに目を奪われる。


 鞘などの美しい装飾を見たところ、以前は名のある宝剣だったのだろう。

 それが今は握るだけでも躊躇ってしまうほどに邪悪な雰囲気を纏っている。

 血と呪詛で剣身が赤黒く染まっている。

 どれだけの血を吸ってきたのか想像もつかない。


 実際、剣の力は恐ろしいものだった。

 剣戟を始めたドゥマからすぐに凶悪な笑みが消えた。

 ドゥマの流派には防御も回避もない。鬼特有の高い再生能力と怪力に任せて大刀をぶん回すだけだ。それだけで魔族の中でも無双と呼ばれるほどドゥマは強かった。


 今は一太刀一太刀に迷いが現れている。百戦錬磨のドゥマがどう攻めていいかわからないと言った顔だ。本気で打ち合わせたら刃ごと断ち切られてしまいそうだと武器を気遣っている。

 それにドゥマの傷が再生しない。四肢を切断されようと、数分くっつけておくだけで治してしまうような怪物が、少し攻めあぐねている間に血達磨となっていた。

 血を失い力が抜ける感覚など味わったこともなかっただろう。ドゥマが隙を見せた一瞬にグラハムは首を刎ねた。何故か満足そうな表情を浮かべたドゥマの頭が転がる。


 グラハムは油断することなく、そのまま次の敵へ剣を向ける。

 しかし、ペルニラが魔術を使う前に剣を落とした。


「良い見世物だったわ。流石、聖剣の本来の持ち主ね」

「聖剣だと……大昔に破壊されたはずだ」

「教会ではそうなっているのね。それは私があなたの……何代前だったかしら、八百年前の勇者から奪った物よ。今は血と呪いで穢れた魔剣だけど」


 ペルニラは面白い物を見せてもらったと上機嫌で拍手を送った。

 褒美をくれてやろうとビビの足下に一本のナイフを投げる。


「ビビ、それで勇者を殺したらお仕置きは無しにしてあげる」

「そんなこと絶対にしないっ!」


 ナイフは拾われることもなく、遠くへ蹴り飛ばされた。


「親に逆らうなんていけない子。せっかくその子のことも考えて提案してあげたのに」

「……グラハムのことも?」


 ハッとしてグラハムの前に出る。

 顔は真っ青になり、魔剣を握っていた右腕は腐りかけていた。

 息は消えそうなほどか細く、目の焦点も合っていない。


「私が八百年も呪いを込め続けた魔剣を抜いたんだもの、代償があって当たり前でしょう。魔女なら誰でも気づくことなのに、ビビの責任よ?」

「そんなっ!? グラハム、死んじゃだめだよ! わたしと森を出るんでしょ!」

「あらあら、楽にさせてあげないの? もっと苦しめだなんて残酷ね」


 グラハムは我が子を嗤うペルニラを睨みつける。だがすぐに自分の足で立っていることもできなくなった。膝から崩れたグラハムをビビが抱きとめる。


 ビビを見上げるグラハムの唇だけが動く。

 自分が守る。

 自分が時間を稼ぐ。

 だからビビだけは外へ逃げろ、と。

 そんなことは出来もしないのに。



「ごめんなさい……ごめんなさい、グラハム……あなたを救いたいのに、あなたの傷を癒してあげたいのに……わたしには、何もできない……」


 ビビが何度魔女の呪文を唱え呪詛を重ねても、魔術は発動しない。

 ビビには才能がない。

 魔女、呪術師、言霊使いなどと呼ばれる一族の長の娘。

 それなのに、どれだけ言葉を捧げても簡単な術さえ使えない。

 泣きじゃくることしかできない少女だ。

 再度グラハムの唇が「逃げろ」と動く。


「やだよ……今は森の外が見たいだけじゃない、わたしはグラハムと一緒に生きたい」


 このままグラハムの死を見届けるしかできないのか。

 そんな自分に怒り、手が震える。

 しかし、ビビの目からグラハムの頬へ涙が落ちると、その顔に少しだけ生気が戻った。


「あたた……かい……」

「え、グラハム……しゃべれるの?」


 血色を取り戻したグラハムにビビが困惑する。


「今のは……法術……? まさか……」


 これまで全てを悟った風に笑みを浮かべていたペルニラも事態が理解できない。いや、正確には理解したくないという表情だ。


「やっと、ビビが魔術を使えない理由が、わかった……」


 ただひとり、グラハムだけが得心がいった様子でビビを見つめていた。


「ビビ……君は自分達の言葉に力があることを知りながら、どうして正しく言葉を使わない。それが原因だったんだよ」

「え、え? どういうこと?」

「君は、この森で蔑まれながら、一度も他人の不幸を望まなかった。君の言葉は優しさと思い遣りで溢れていた。希望があった。未来を見ていた。君が紡ぐべき言葉は呪詛じゃない、祈りだ」

「ふざけるなッ!!」


 言葉を遮るようにペルニラの放った火球が襲う。だが、再び魔剣を握ったグラハムが巨大な炎の塊を切り払った。


「忌々しいっ! どうして私が捨てた物をまた拾う!? 同じ失敗をしないように育てたのに、どうしてッ!?」

「……そうか、八百年前に教会が失くしたモノが二つあったな。聖剣と当時の聖」

「やめろっ!!!」


 ペルニラの杖から連続で火球が放たれる。

 これもグラハムがどうにか切り払うが、魔剣の力を引き出すほど、握った左腕も右腕同様に腐りはじめる。

 切り捨てられた火球はグラハムとビビの頬を掠めて森に落ちた。火が広がり逃げ道を塞ぐ。その上、目の前で敵意を露わにしたペルニラはドゥマよりも強大だ。魔力が尽きる様子がない。


「……まだ状況が理解できないのですか、早く諦めなさい。抵抗するほど苦しむだけです」

「あんたこそ、この状況でなぜ焦る。あんたはビビにそう思わせたいだけだろう。今の言葉で確信に変わったよ」


 圧倒的に不利な状況。

 それでもグラハムは絶望していなかった。


「ビビ、自分を呪うな! 何もできないなんて自分を蔑むな! 君は呪われた魔女なんかじゃない。魔女になんかならなくていい! だから――」


 業火の中でグラハムが振り向く。

 そして笑った。


「祈れ! 君の本当の望みを!」


 燃え上がる森の熱気に包まれているのに、ビビはグラハムから涼やかな風が吹いたように感じた。


 何もできない出来損ないの魔女。


 それがずっとビビを縛ってきたもの。

 村の誰もがビビにぶつけてきた蔑みの言葉だ。

 いつの間にかその言葉はビビの中で繰り返され、ビビ自身の言葉になっていた。


「その男の言葉を聞いては駄目! 勇者はいつも私達の心を惑わす。それでいてすぐに裏切る! 勇者は私達魔女が殺すべき敵なのよ!」

「お母様もうやめてっ! もう誰も傷つけないでっ!!!」


 ビビの叫び声と同時に、ビビの身体から淡い虹の光を伴った風が吹き荒れた。

 荒々しくも優しい虹のヴェールに包まれ、ペルニラの放った炎は瞬く間に鎮火される。焼け焦げた木々は以前よりも瑞々しい葉をつけ、黒の森と呼ばれた薄暗い魔境に数百年ぶりの緑が戻った。

 腐り落ちそうだったグラハムの腕も元のたくましい戦士の腕に戻っていく。赤黒く染まっていた聖剣も太陽のように眩しい白銀の色を取り戻していた。

 神の奇跡と言われる当代の聖女をも凌駕する癒しの力を受けて、やらせたグラハムも言葉を失う。


「本当に、あの頃の私を見ている様だわ……」

「お母様……もう……」

「そう。だからこそ、私達はもう母娘じゃない」


 さっきまでとはまったく違う本気の殺意を向けるペルニラの言葉を受けて、ビビは息ができなくなった。

 何がそこまでこの母を苛立たせるのか。母娘の会話などというものをしたことのないビビには想像もつかない。だから、本気になったペルニラを説得する言葉を自分が持たないこともすぐに理解できてしまった。

 どれだけ苦手な母親でも戦いたくなんてない。ビビの瞳から涙がこぼれる。


「来るぞ! 私の後ろから出るなよッ!」

「さようなら、ビビ――」


 ペルニラが魔術を放とうとする直前、その背中を雷が貫いた。ペルニラは後ろを振り返ることもできずその場に倒れた。

 グラハムはペルニラの背後から出てきた者に刃を向ける。


「母娘で殺し合いはさせられないものね」

「イングリッドお姉ちゃん!」


 ペルニラを攻撃したのはイングリッドだった。

 ドゥマやペルニラと同じく、とっくに逃げる二人に追いついていたのに、ずっと様子を窺っていたようだ。


「ビビの姉だな……君も一緒に行くか」


 グラハムは母親を裏切ったイングリッドに誘いの手を差し伸べる。こんな事をしてしまえば、イングリッドもただでは済まないだろう。

 しかし、イングリッドはグラハムに杖を突きつけることで答えた。


「あなたは逃げていいわ。だけどビビは置いていきなさい」

「断る! ――くっ!?」


 放たれた雷を聖剣で受け止める。だがイングリッドの雷はペルニラの炎と比べても遜色ないほど強力なものだった。

 しかも、ペルニラの炎と違いビビが放った虹のヴェールで威力が減衰されずに貫通してくる。この魔術を一体何度防げるか、冷や汗が頬をつたう。


「お姉ちゃん、なんで邪魔するの! お姉ちゃんも一緒に森を出よう!」

「なぜって……魔女は森を出てはいけないからよ」

「だからなんで!」

「まだわからない? 私やお母様、そしてあなたの力も根源は同じだからよ」

「そんなことはない!」


 イングリッドは否定してきたグラハムを苛立たしげに睨みつける。


「ビビを惑わさないで。この子は何も知らず、何も呪わず、この森でゆっくり穏やかに生きていくのが一番幸せなの」

「それはお前が決めることじゃない」

「外にはもっと幸せなことがあるとでも? それこそあなたが勝手に言ってるだけじゃない。外の世界から来たのなら、この森より外の方がよほど汚くて毒にまみれていると知っているでしょうに。ほら、ビビ」


 イングリッドはグラハムを無視してビビに手を差し出した。

 ビビはイングリッドの顔を見上げる。

 懐かしい、幼い頃に見た姉の笑顔だ。

 思わず手を取ってしまいたくなる。

 しかし、ビビはこぶしを握り首を横へ振った。


「ごめんなさい。でも、わたしは森を出るよ。森の外へ行く」

「なら、仕方ないわね」

「グラハム、お姉ちゃんを傷つけないで」


 ビビが祈りを捧げると聖剣が光り輝いた。

 力づくで連れ帰る、と杖を構えたイングリッドだったが、グラハムに雷を切り裂かれ、そのまま魔術を使う杖も真っ二つにされた。

 ビビを奪い返す術を失ったイングリッドはヒステリックに叫ぶ。


「ビビ! 戻りなさい! 私達はっ、人はっ、みんな誰かを呪わずにはいられないッ! 魔女の呪詛は人を不幸にしかできない! だから戻りなさいッ! あなたはこの黒い森から離れてはいけないのよ!!」

「黙れっ! 自らの言葉を呪詛と呼ぶ、お前がビビを魔女にするんだ!」


 グラハムとイングリッドの主張は平行線だ。

 どちらにも未来の保障なんてありはしない。


「ほらビビ、私と帰ろう」

「ごめん……お姉ちゃん……」


 しかし、だからこそビビは自由グラハムを取った。

 手を伸ばす姉の悲しそうな視線を振りきって、ビビは背中を向けた。

 走り出した後、森を抜けるまで振り向くことはなかった。



 ◇



「やっぱり気になるか」


 森からの追っ手が来ないことを確認できたところでビビが足を止めた。

 後ろ髪を引くのは、やはり最後に見た姉の姿だろう。

 イングリッドは厳しかった。

 記憶にあるほとんどの時間で優しくもなかった。

 それでも森でたった一人、彼女は確かにビビの味方だったのだ。


「ビビのお姉さんなら、いつかきっと自分の足で森を出るさ」

「うん、そうだよね……」

「だろ? だからその時、ビビが笑顔で迎えてあげられるように、しっかり世界を見て回ろう」


 荒れ果てた街道へ出て空を見上げる。

 ビビは空の色も、広さすら知らなかった。

 ビビが見てきたのはいつも変わり映えのしない樹々に遮られた狭くて暗い空だ。

 吸い込まれそうなどこまでも青い空に最初は不安を覚えたが、しばらくすると嫌でも清々しい気分になった。


「これからどうするの? ラドロー王国ってところ?」

「いや、もう勇者は辞める。目指すのは誰も私達を知らない国だ」


 ペルニラの正体を知ったグラハムに、教会へ戻る気は起きなかった。


 いつから人間と魔族の戦争が続いているのか、どの歴史書にも記されていない。

 神が定めた勇者と聖女も何代続いているのかわからない。

 人間と魔族、どちらかが滅びようと、きっと戦争は終わらない。

 いつになっても、何をしようとも、どこかで誰かが争うだろう。

 それもくだらない理由で。

 そんなものには付き合いきれない。


 グラハムは決めていた。

 自分はこれから、この何も知らない無垢な少女に教えるのだ。こんな世界でも、幸せな人生は手に入れられるのだと。そのために、これからずっと一緒に旅をすることを。


「でもその黒装束? 魔女服は町だとちょっと縁起が悪いかな」

「え、これ以外着たことないよ」

「じゃあ先ずは、コイツを売って君に似合う白のワンピースを買おうか」


 グラハムは腰のベルトにぶら下がった物をパンッと叩いた。

 大昔に失われたはずの聖剣を持ち帰れば、グラハムは再び勇者として、英雄として迎えられる。王女と結婚して大貴族にもなれるし、教会の聖女やシスターはそれこそ何でもしてくれるだろう。

 しかしそんなものはどうでもいいと笑うグラハムに、ビビも思わず顔をほころばせた。

 二人を縛るものはもう何もない。

 新しい旅路は、青空の下どこまでも続いていた。

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