南の都
目の前を、図鑑でしか見たことのなかった大きな海鳥が横切っていく。
「うわあ!」
先ほどまでの鬱々とした気持ちも忘れて、思わず歓声を上げてしまった。
飛んでいく海鳥を追って空を見上げ、それから視線を正面に戻す。
ラリーが目の前で微笑んでいた。
その姿にドキリとする。
今日の彼の服装は、いつもと違ってとてもラフなものだ。袖口や裾が大きく広がったシャツとズボン。
この街を歩いている庶民と同じ服装。
私も、事前にラリーから渡された服を着ている。この街の女の人たちが着ている、街の気候に合った丈の少し短い薄手のワンピース。
朝はお父様から聞かされた婚約のことで頭がいっぱいでちゃんと見ていなかったけど、いつもと違う景色の下でいつもと違う格好のラリーを見ていたら鼓動が速くなった。
今日のラリーは前髪を下ろしていて、まるで普通の男の子みたいだ。
公爵家なんて手の届かないような人ではなくて、どこにでもいる普通の男の子。
子爵家とか男爵家とか商人とかにいそうな。私が身分を気にしなくていいような…。
「ローズ、行こう」
あまりに自然に差し出された手をつい握って、それから恥ずかしくなった。
腕に手を添える形のエスコートは何度もしてもらったけど、こういう繋ぎ方は初めてだった。
慌てて離そうとしたら
「はぐれたら大変だから、ね?」
と優しく微笑まれてコクンと頷いた。
人混みというほどではないけれど、見知らぬ土地で物珍しさに足を止めたら、すぐにはぐれてしまいそうだ。
だからそう。
これは仕方なく、だから。
はぐれない為なんだから……
言い訳があることにほっとして、ラリーの手をぎゅっと握り返して歩き出す。
護衛の人も、羽織っていた長いコートの下は庶民の格好だった。こちらでは暑過ぎるコートは、今は脱いでいる。
御者は、馬車もあるので別行動をとるらしい。
私とラリー、それと二人の護衛でお店の並ぶ通りを歩く。
少し訛りのある、威勢のいい言葉。
通りの活気と熱気。
痛いくらいの日差し。
思わずクラリとすると、ラリーが立ち止まった。手を繋いでいた私も、引っ張られるようにして立ち止まる。
ラリーは露店の人と何か話し始めた。
少しして、頭にポンと何かが乗せられた。
続いてラリーの頭にも似たような物。
草を編んだ日よけの帽子。
「似合ってるよ」
帽子の上から頭を撫でられる。
何だか妙に気恥ずかしい。
2歳も年下の男の子に頭を撫でられた…。
「…ありがとう…ございます…」
礼を言って、帽子のつば越しに改めてラリーの姿を観察した。
人懐っこい性格の所為か、今みたいな格好をしていると大貴族の子息には見えない。大店のお坊ちゃんと言われたら信じてしまいそうだ。
何だか、いつになく彼を身近に感じる。
もし彼が…公爵家なんかじゃなかったら…そしたら私は……
不意に浮かんだ思考は、ラリーの言葉に遮られた。
「今日は敬語禁止」
「え…でもラリー様…」
「「様」も禁止」
悪戯っぽく笑って唇に当てたラリーの人差し指が、続いて私の唇に触れた。
間近にある笑みにドキリとする。
「目立っちゃうでしょ?」
…それは確かに…
庶民の格好で言葉使いだけ丁寧だったら、悪目立ちしてしまうかも…。
「っ…わかりま……わかっ……たわ……ラリー……」
ぎこちなく言い直した。
指を離して嬉しそうに笑うラリーの顔が、眩しくて直視できない。