あなたが好きです
ある日、仕事が終わって帰ろうと建物を出ると、見慣れた人影が立っていた。
出会った時より少しだけ男らしくなった、整った顔立ち。上質なコートを着こなす、スラリとした立ち姿。
「やあ」
ラリーが、力なく笑った。
思わずその場に立ち竦む。
「家まで送るよ」
馬車の扉を開ける護衛。
こちらに手を差し出すラリー。
「乗って」
促されて近づき、微かに震える手で彼の手を取った。
ドアが閉まり、カタコトと小さな音を立てて走り出す。久しぶりに乗る、ほとんど揺れない馬車。
ラリーが何度か口を開けては閉じる。
私は黙って彼の言葉を待った。
何を言われても、受け入れなきゃ…
あの日以来、誤解を解く為の行動も起こせずに、何もせずにきてしまったのだから…
「やっぱり君とは…」と言われても当然のこと……
「…そんなに痩せるくらい、僕が君の家に何かしないか心配だった?」
けれどようやくラリーの口から出てきたのは、らしくない皮肉だった。驚きに目を見張ると、気まずげに目を逸らされた。
「…ごめん」
彼が謝る必要なんて何もないのに。
思わずラリーの手を取った。
「あのーー」
けれどその手は振り払われた。
「止してくれっ…!」
悲鳴のように叫んで、そのまま顔を覆うラリー。
その反応に呆然とする。
「っ…そんな風に君を縛りたい訳じゃないんだ…僕の機嫌なんて、取らなくていいから……」
弱々しい呻き声。
そんなのではない。彼の機嫌を取ろうなんて、そんなつもりこれっぽっちも…
「違ーー」
「ごめんね…機嫌…取らない訳にはいかないよね…君の家は子爵家で僕の家は公爵家だ……」
自嘲の詰まった声に遮られる。
「そうではなくーー」
本当にそんなのではないのに。
自信の無さから彼を傷つけてしまったことを、謝りたいのに…
「本当にごめん……」
ラリーは耳を貸そうとしない。
俯いて顔を覆ったまま、こちらを見ない。
まるで自分が悪いかのように謝り続ける。
彼は悪くない。
そう言わなきゃ。
「違うんです……」
ポツリと伝える。
ラリーの反応は、ない。
「…自信が…なかったんです…」
静かな、車輪の音が小さく響くだけの馬車の中。
「今も…自信がないんです…」
そう。私は全く自信がない。
「ラリー様は公爵家で、私は子爵家だから」
夕闇が濃くなって、街灯の明かりが目立ち始めている。
「それに……ラリー様はとても素敵な男性だから……」
「…お世辞はいらないよ」
ようやく返ってきたのは否定の言葉。
「いいえ。ラリー様は一緒にいると楽しくて、大事にされていると感じさせてくれる素敵な方です」
「…でも君より二歳も年下だ。…君が好きなのは、年上の頼れる男性だろ?」
確かに以前はそう思っていた。
早く飽きてもらおうと、そんなことをラリーに言った気もする。
けれど
「…あなたは素敵な方です」
繰り返した。
今は本当に、そう思っているから。
「…だから他の女を見つけろって?簡単に見つかるから?」
でも、ラリーは小さく吐き捨てるように笑った。
「…そう、言えたらよかったんですけれどね…」
本当に、今でもそう言えたらどれだけ楽だったか…彼をあっさり諦めることができたら、どれだけ楽だったか…
「…そっか。君の立場じゃ、それさえも言えないか……」
とても悲しそうな声。
言葉が届かない。
これは今まで逃げ回ってきたツケだ。
一度も彼に好意を伝えようとしなかったから。
だから、こんなところでしっぺ返しを食らう。
「違うんです。私はもう、そんなこと言いたくないんです」
だから、本当は隠しておきたかった部分まで、さらけ出さなければ信じてもらえなくなってしまった。自業自得だ。
言いたくないけれど、言わなければラリーに想いが届かない。
「あなたが他の女性を見るのは、嫌なんです」
顔から火を噴きそうなほどに身勝手な本心。
今までずっと逃げていた癖に。
身分的な釣り合いの取れなさだけでなく、自分の狡さも自覚して。中身まで釣り合わないと気づいてしまった後なのに。
どの面を下げて、こんなことを言えるのかと。…そう自分を責めながらも言う狡さ……
「…………………え?」
ラリーがやっと顔を上げた。
こちらを見る、呆然とした表情。
「…今まで言えなくてごめんなさい…
私は……あなたが好きです………」
言いきって、耐えられなくなって視線を落とした。
たったこれだけを言うのに…認めるのに…とても時間がかかってしまった…彼を…傷つけてしまった……
「……………友達として「好き」とかそういうのじゃ……」
俯いたまま首を横に振る。
「……あなたを…私だけのものにしたいんです」
今さら、なんて欲深い。
こんなにも素敵な人を独占するだけの何かなんて私には無いこと、よくわかっているのに。
それでもーー
「あなたが愛する…ただ一人の女性でありたいんです……」
膝の上に乗せた手をぎゅっと握る。
身の程知らずな願いだ。
せめて何か一つでも、突出したものがあればまだしも…
「この先ずっと…」
こんな重いだけで大した取り柄のない女、彼には到底相応しくない…
そうわかっているのに望んでしまう。
彼に、私と一緒にいて欲しいと。
もし彼がまだ望んでくれるのなら、彼との将来が欲しいと…
「………本気?」
ラリーの呆然とした呟き。
コクリと頷く。
身勝手な自分が恥ずかしいけれど
「後から訂正…したりしない?」
もう一度頷く。
目を逸らしたくても逸らせない本心。
彼が欲しい
「…僕と結婚したいってことで…いいんだよね…?」
「………はい」
身を乗り出したラリーに、すっぽり抱きしめられた。久しぶりに感じる彼の体温に泣きたくなる。
「…うちに遠慮してる訳じゃ…ないんだよね…?」
「違います」
首を横に振る。
そっと抱きしめ返す。
温かい腕。
この手がまだ、私に触れてくれるのなら…私を望んでくれるのなら…
私は、彼の全てが欲しい。
「私が、あなたと一緒にいたいんです。一生、あなたの側に…」
釣り合わないとわかっているけれど、それでも身を引きたくない。一緒にいたい。
頑張るから。
努力するから。
ラリーにただ守って貰おうなんて、もう思わないから。
ちゃんと頑張るから。
少しでも釣り合うように足掻くから。
だから。
どうか私を望んでください。
一生を共に過ごす相手として…
「…そっかあ………」
ラリーは気の抜けたような声で呟くと、私をぎゅうっと強く抱きしめた。