03 カウントダウン
隕石落下の衝撃に備えるため、俺は上着の下に隠されていたフードを急いで被る。
効能にはあまり期待できないが、少しでも頭部を隠しておきたいのだ。
本来ならバックなどを緩衝材として使いたいところなのだが、生憎教室に置いてきてしまった。
バックを持っていたところで、ただの荷物になってしまうと思っていたからだ。
「こんなことなら、バックを持ってくればよかったな・・・」
周りを見渡してみると、「持っている人」と「持っていない人」は大体半分くらいで分けられるだろう。
持っている人は頭を覆うようにバックを持ち、持っていない人は俺と同じようにフード、またはお洒落な帽子を被っていた。
そんな話はさておき、時刻を確認するとすでに16時59分になっていた。
緊急アラームが鳴り出してから30分以上経過していると考えると、隕石落下までもうそこまで時間はないはずだ。
そして案の定、その時が来てしまったらしい。
不安で満ちているこの『地下図書庫』に、一人の逞しい男の声が響き渡った。
「隕石落下まで1分を切った! みんな自分の身を守るんだ!」
その声と共に、みんなが一斉にしゃがみ出す。
頭を抱え、声にならない悲鳴を上げながら。
16時59分45秒。残り15秒。
要するに、自分が死ぬまであと15秒しかないということだ。
普段講義を受けている時は1分1秒長く感じるのに今日に限ってなぜか短く感じる。
一体なぜかーーーーそれは間違いなく、気持ちに余裕がないからだ。
人間の平均寿命は80歳と呼ばれている。
つまり、俺はこの隕石のせいで60年近く無駄に早く死ななければならないというのだ。
あまりにも早すぎて『死の実感』がまるで湧かない。
そんな状態で怖気づくなというのは、誰に何を言われようと無理な話だ。
怖い・・・死にたくない、死にたくない・・・。
16時59分50秒。
頭がおかしくなってしまいそうだ。
死が迫ってくる恐怖に抗える勇気ある者など存在するはずがない。
俺は怖くなってスマホの電源をすぐさま落としたのだが、脳内時計の秒針が意思に反するように今も尚時を刻み続けていた。
この『地下図書庫』に掛け時計はないのに、なぜか秒針の音が聞こえる。
「チッ・チッ・チッ」と俺が死ぬまでのカウントをしていた。
ーーこんなん、嫌でも数えるに決まってる・・・!
死のカウントダウンなど数えたくもないのに、なぜか俺は必死に数えていた。
5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・。
「死にたくない」と神に祈りながら、俺は必死に身を小さくし頭の保護を更に強化した。
全身に出せる全ての力を注ぎ込んだつもりだ。
そして、日本全域規模の巨大隕石が日本に降り注ぐーーーーはずなのだが、おかしい。
17時になった今でも、落下による衝撃波も全身に走る痛みもなかなか襲ってこないのだ。
『地下図書庫』に籠る熱が襲ってくるだけだった。
何もないということは、つまり隕石がまだ落下していないということ。
俺は数えようのない死のカウントを気にすることなく、引き続き警戒態勢と取る。
だが、あまりにも続く不可解な異変につい携帯の電源を入れてしまった。
暗い一室に映し出される白い光から現れた数字は、17時30分。
おかしい、明らかにおかしい。
いくら予測とはいえ、30分の誤差は普通あり得ないだろう。
緊急地震速報でさえ、ここまでの誤差は今まであっただろうか?
もちろん、周りの生徒や講師もその異変に気が付き始めていた。
ザワザワと隣人の人と小声で会話をしているようだが、誰一人頭を上げようとしない。
俺もそうだが、まだ心のどこかで警戒心が根強く残っているのだ。
こんな緊迫した状態から早く解放されたい。
そう願うも、17時から1時間経った今でも状況は全く改善されていなかった。
ーー普通におかしくないか?
そう思い顔を上げると、すでに何人かは俺よりも先に顔を上げていた。
次から次へと生徒と講師は顔を上げていき、1分も経たないうちに全員の姿勢は元に戻された。
怪しげな匂いが漂う中、俺たちに指示を出していた1人の講師がすぐさま口を開く。
「えー、今から状況を確認しますので生徒の皆さんはそのままの状態でお待ちください」
講師たちにとっても予想外の出来事だったのだろう。
狭い密室の中で、講師たちによる『職員会議』が急遽開会された。
『職員会議』は職員だけで行われる会議のことで、俺たち生徒は無論蚊帳の外だ。
会議が終わるまで大人しくしているのが俺たち生徒の役目だろう。
講師たちの会議が終わるのを静かに待っている中、先ほどの陽キャ男子のヘラヘラした笑い声が耳に入った。
「何だよ、結局大丈夫じゃねーかよ! 全く、だから大丈夫だって言ったんだよ!」
特定の講師にわざと聞こえるような声で言う陽キャ男子。
正直、第三者の俺ですらも不快な思いをしているのに、講師はどんな思いで受け止めているのだろうか?
挑発する陽キャ男子に対して、講師は会議中だというのにも関わらず反論した。
その顔付きからは『怒り』の感情が読み取れたが、対応は先ほどと全く変わらない。
「大丈夫? お前はこの状況下でもまだそんなことを言うのか?」
「ハ、俺が正しかったことがそんなに気に食わないんすか? 誰だって間違えることぐらいありますよ」
そう言うと、その陽キャ男子は登り階段の方へと歩み始める。
誰かが何かを言わずとも、その行動に隠された意味は明白だった。
「おい! まだ外の状況がどうなっているか分からないんだ! 勝手な行動を取るな!」
「大丈夫ですって、もうかれこれ1時間は経過してるんすよ? 緊急通知を信じていないわけじゃないですけど、必ずしもそれが現実にはならないってことぐらいちゃんと理解してくださいよ」
この『地下図書庫』に留まるように講師が指示を出すが、陽キャはまるで聞く耳を持たない。
それに賛同するかのように、他の生徒たちも少しずつ地上層へと帰還しようとする。
緊急通知が発令されても何かしらの予想外が起こり、結果的に緊急通知内容が外れてしまうことは珍しい話ではない。
だからこそ、陽キャ男子について行く生徒が絶えないのだ。
次から次へと外に出ようとする生徒の数を抑え込むだけの力は、現状の講師陣にはない。
なんだって、講師の割合は全体の2割にも満たないのだから。
仮に今隕石が降ってきたとすると、階段を登っている連中と外に出ている連中は間違いなく即死だ。
もう少しだけ様子を見るという選択肢もあるのだが、俺は1時間経った今でも降り注ぐことのない隕石落下に違和感を覚えていた。
21歳で生涯を終えなかったことは素直に幸運だと思っている。
だがその反面、何か嫌な予感がしてならないのだ。
俺たちの知らない場所で何かとんでもないことが起こっているのではないか? という考えだけが、頭の中を分かりやすく何度も過る。
スマホの画面を何度も確認しても、『圏外』の2文字に変わりはない。
つまり、ここにいても何も情報が入ってこないのだ。
現状、より的確な情報を手に入れるためには危険なリスクを背負う必要がある。
だからこそ、危険なリスクを冒してでも外の世界に出なければならない。
「仕方がない、みんなの後について行くか・・・」
歩く足がガタガタと震えている。
周りの人からも目に見えてわかるほどに。
俺は覚束ない足取りで登り階段を登っていく。
地上層への警戒を何よりも最優先し、ひたすら降りた分だけ登っていく。
カツカツと他人の足音だけが螺旋階段に響き渡っており、他人の足音で安心できる日が来ようとはこの日まで思ってもみなかった。
後続者に迷惑をかけないようにと階段を登っていくうちに、地上層への入り口がすぐそこまで来ていた。
煌々と照らされる入口に眩しさを感じつつも、その両足を止めることはない。
一段一段ゆっくりと登っていき、そして俺は地上層へと足を踏み入れたーーーーのだが。
「なんだよ・・・これ・・・」
目の前の光景を目にして、最初に出た言葉がそれだった。
逆に、それ以外の言葉はいくら思考を巡らせても何も思いつきそうにない。
結論から言ってしまえば、どうやら隕石は気づかぬうちに落下していたようだ。
少なからず地形の原形をとどめたその大陸を一望すれば、誰でもわかる簡単なことだった。
だとしたら、一体何に驚いてるというのか?
俺はーー『異界』と化したこの世界に驚いているのだ。
世界は、まるでファンタジー小説を思い浮かべるようなライトグリーン一色に染まった草原で満ちており、隕石が落ちてきた事実が嘘のように思えるほどだった。
よくある『異世界召喚・転生』という線も捨て切れないだろうが、双方どちらかが当てはまる可能性はかなり低い。
もちろん憶測でしかないが、原形が残っていることからここは『日本』である可能性は十分に高いし、俺が無意識に死んだ可能性は低いと言えるからだ。
まあ、召喚された線や死んだ線は完全に否定することはできないが、おおよその見立てに間違いはないだろう。
だからといって、現状を素直に受け入れられたわけではない。
異界の地に目を奪われていたせいで、『明らかな矛盾』にすぐさま気づけなかったのだ。
『明らかな矛盾』、それは小学生にでもわかる簡単なことだった。
なぜ、隕石が落下してきたのに『植物』が存在しているのかーーーー。
俺の思考が現実の時間軸に追いつけていない中ーー事件は起こった。