02 文明消滅まで
現在進行形で隕石落下が進んでいるとするなら、俺たちはすぐにでも『地下図書庫』へと避難しなくてはならない。
だが、この緊急アナウンスを真に受けているものは誰一人存在しなかった。
講師ですら、誰かのいたずらだと切り捨てている。
ここで一人だけ立ち上がりでもしたら、悪目立ちしてしまうのは間違いない。
だから、俺は立ち上がることができなかった。
講義が終わっているのなら話は別だが、最悪なことにまだ講義は終わっていなかったのだ。
--とりあえず、スマホのニュースで確認するしかないよな・・・。
そして、俺がポケットの中に潜めていたスマートフォンをゆっくりと取り出そうとしたその時だった。
耳にこびりつくような激しいサイレン音が各々のスマートフォンから一斉に鳴り出し、秒速の速さで教室一帯を包み込んだ。
しかも、そのサイレン音を俺は今まで聞いたことがなかった。
その異様なサイレン音を止めるため、みんなが一斉にスマートフォンを取り出すのは必然的行為であり、またその真実を突き付けられるのは当然の成り行きだった。
緊急アラームが強制的に鳴り出した場合、その案件は誰もがすぐさま確認できるように表示されるのだ。
『緊急速報 巨大隕石が日本に落下 直ちに地下へと避難してください』
政府が発令した緊急通知をスルーする人間はどこにもいないはずだ。
案の定、この学園にもそんな奴は一人もいなかった。
先ほどまで信じようともしていなかった生徒たちの目の色は豹変し、もはや講義を受けている場合ではなくなっていた。
みんなが一斉に、椅子に掛けていた上着を羽織り出す。
それに見習うように、俺も厚手の黒い上着を羽織り始めた。
そして、地獄の始まりはここからだったーーーー。
一人一人が助かろうとする一心のあまり、一つしかない扉を押しあって出ようとするのだ。
揉み合いのせいで足を踏まれたことに怒り狂う生徒もいれば、退室しようとしている生徒を突き飛ばす生徒もいた。
みんなが順序良く退室すればスピーディーに出られるというのに、どうやら冷静さを失っている様子だった。
この教室には窓も備え付けられているのだが、場所がかなり悪い。
構造上、俺がいる教室は二階に作られているのだ。
窓から脱出しようとするのなら飛び降りるしかないのだが、足を折って逃げ遅れる未来しか見えない。
だからこそ、一つしかない扉から逃げ出さなければならないのだ。
まあ、みんなが急いで出ようとしているわけだから、揉み合い状態はそう長くは続かなかった。
俺もすぐに教室を抜け外に飛び出ると、目の前には蟻の大群がまるで餌に集まろうとしているような光景が広がっていた。
『餌』----つまりは『地下図書庫』。
この学園に来園していた生徒と講師、約1000人余りが揃いも揃って足の先を『地下図書庫』の方向へと向けていたのだ。
『地下図書庫』は、三層からなる大規模な地下図書館だ。
生徒や講師だけでなく、近隣の住人を受け入れたとしても余裕で避難できるくらいの規模はあるだろう。
だが、おかしい。
緊急通知が発令されてから軽く10分は経過しているのに、一般来訪客の姿が見当たらない。
今の時刻は16時半。
12月25日は、ほとんどの小中高校は『終業式』で、午前中で終わっているはずなのに子供の姿が一人も見当たらないのだ。
普通に考えれば、すぐにこの学園へと足を運ぼうと思い至るはずなのに。
「そんなことよりも・・・!」
俺はスマートフォンの『連絡先』からとある人物に電話を掛けた。
「あ、もしもし、お母さん? 葉月は今どこにいんの?」
単刀直入にそう聞くと、お母さんは焦った様子で答えた。
「それがね、何度電話しても連絡が取れないのよ。それより、陽太郎は大丈夫? どこか避難できる場所はあるの?」
「ああ、大学の『地下図書庫』に避難するから問題ないけど、葉月はどうすんだよ」
葉月ことーー内宮葉月は、今年高校一年生になったばかりの俺の妹だ。
性格、ルックスが良いことから、俺とは違って友達も沢山いる。
だからこそ、友達と遊んでいる可能性が一番高いのだが、生憎俺もお母さんも高校の友達なのか中学の友達なのか、全く見当がついていなかった。
「とりあえず、また何度か電話をかけてみる。だから、陽太郎は早く避難しなさい」
「わかった、俺も葉月に電話してみるよ。それじゃあ」
そう言って電話を切ると、今度は葉月に電話を掛けた。
『地下図書庫』へと向かいながら掛けているから時間はない。
地下へと足を踏み入れると、電波が届かなくなってしまうからだ。
通信が切れてしまう前に、何度も葉月に呼び出しコールを流し続けた。
時間が許される限り、何度も・・・何度も・・・。だが、結果はいつも同じだった。
機械的に話すオペレーターの『留守設定』を表す言葉の羅列のみ。
どうやら、葉月は電話を『留守設定』にしているようだ。
お母さんは焦りのあまり、葉月のスマートフォンが『留守設定』になっていることに気が付かなかったのだろう。
みんなが冷静さを失っている。
だからこそ、俺だけでもいいから冷静に状況を判断しなくてはいけないのだ。
俺はお母さんに「葉月は携帯を留守電モードにしてるから電話に出ないよ。それより、お母さんも早く避難した方がいいよ」とだけメールを送り、早急に『地下図書庫』へと足を踏み入れた。
全3層を連ねる螺旋階段を下りる足音だけが聞こえる。
他人の足音を追いかけるように降りていく。
そして、地下1階に辿り着いた時にようやく気が付いた。
なぜ、一般来訪客の受け入れをしていなかったのかを。
隕石の衝撃波を少しでも緩和するため、地下1階と2階を封鎖していたのだ。
常時開放されていたその重量ある扉は、何人たりとも侵入ができないようにと頑丈に固定されていた。
この『地下図書庫』の形状は<<逆ドーム型>>になっているため、3階は1,2階と比べてかなり小さく設計されている。
つまり、一般来訪客を受け入れない理由としては、学園の生徒でいっぱいいっぱいだからだということらしい。
しかし、学園側がその処置を取ってしまうと、近隣住民は避難場所を失うことに他ならない。
この付近には、地下鉄などの衝撃に備えられるような地下施設は存在しないはずだからだ。
だとすれば、学園側がしている行いというのはつまり、
ーー近隣住人を見捨てる・・・ってことじゃないのか?
学園の創立には、少なからず近隣住人の手助けが必要になる話はどこかで聞いたことがあるが大丈夫なのだろうか?
学園側の突如の裏切りで、住人たちの反感を買ってしまう未来しか見えない。
まあ、それは学園側が抱える問題であって、俺の考えることじゃないことだけは確かだった。
俺は引き続き、螺旋階段を降り続ける。
1階、2階と降り続け、ついに3階へと到着した。
冬だというのにも関わらず、地下3階はかなり蒸していた。
当然と言えば当然の話だ。
この小さな空間に約1000余りの人間を押し込んで入れているのだから。
厚手の黒上着を脱いだのだが、体に染み込んだ熱がなかなか逃げて行かない。
終いには汗をかく始末だ。
「上裸になることもできないし、このまま我慢するしかないよな」
俺は上着を手に持ち、携帯の時刻を確認した。
現在16時45分。
隕石が落下するまで一体どのくらいの時間があるんだろう?
ネットニュースで確認しようにも右上の端に『圏外』と表示されているため、ネットは繋がらない。
座りたい、だが座れない。
人と人との間に僅かな隙間があるが、座るほどのスペースはなかった。
ーーしょうがない、大人しく立ってるか・・・。
そして時間が経過すること10分。
全員の避難が確認されたのか、最後に入ってきた講師らしき人物が地下3階と螺旋階段を隔てる扉を静かに閉め始めた。
暑いから扉は開けてて欲しい、と言いたいのだが状況が状況だ。
少しでも生存の可能性を高めるには扉は閉めていた方が良いだろう。
しかし、人間は誰しも状況判断能力が正常に稼働しているとは限らない。
「ちょ、暑いんすから扉閉める必要ないんじゃないっすか? このままだと死んじゃいますよ~」
耳にピアス口にもピアスと、いかにも頭の悪そうな格好をしている陽キャ男子が扉を閉めようとする講師に抗議する。
周りからの視線を感じないのだろうか?
みんな揃いも揃って「こいつ何言ってんだろう?」という視線を送り続けている。
それに気が付いていないのか、陽キャ男子の抗議は更に続いた。
「何だかんだ言って、隕石が落ちてきても生き残れるんっしょ? このままじゃねっちゅーしょーで死んじまいますって!」
どうやら、この陽キャ男子は緊急通知以上のーー巨大隕石の大きさを知らないようだ。
学園内放送を全く聞いていない『良い模範生徒』と言っても差し支えないだろう。
脳内お花畑で羨ましい限りだ。
「お前、放送をしっかり聞いていたか?」
馬鹿な事を言う生徒を睨みつけるように講師が言うと、陽キャ男子はオドオドしながら笑って答えた。
「き、聞いてましたって~、巨大隕石が落ちてくるんすよね?」
「聞いてたって言うなら、普通お前が口にした軽はずみな発言は絶対に出ないはずなんだが?」
講師の言っていることは正論だ。
隕石が引き起こす被害規模を考えたら、普通扉は閉める。
なのに、陽キャ男子はなかなか引き下がろうとしなかった。
「大げさなんですよ、巨大隕石落下は過去にも海外であったらしいじゃないっすか! それでも死んだ人はいないって統計でも出てますよね?」
この男の言う巨大隕石は、せいぜい東北地方程度の大きさだ。
確かに、巨大隕石というカテゴリー別で考えば間違いなく巨大隕石という分類に入るだろうが、今回降り注いでくる巨大隕石は明らかに桁違いの規模を誇っていた。
海外に落下した巨大隕石は一つの州を破壊したと記録されている。
しかし、それでも死者が出なかったのは、他の州へと事前に逃げていたからなのだ。
それに対して、今回の隕石落下は逃げ場がない。
ここまでの考えが及ばないから、この男はそんなことを簡単に口にできるのだろう。
呆れ返る講師は、陽キャ男子に向けて俺と全く同じことを話し始めた。
「いいか? それは事前に他の州に逃げ出してたから死者を0人で抑えられただけなんだ。それに対して俺達は今回の隕石落下から逃げることができない。これがどういうことか最後まで言わなくてもわかるよな?」
講師の丁寧な説明でようやく理解したのだろう。
それ以降、男が場違いな事を言うことはなかった。
「今回の隕石落下に伴う被害規模は相当なものらしく、生存確率は0.1%しかないようだ。だから俺達はその僅かな可能を現実にするために行動するしかない。俺達ができるのはそれだけだ」
みんなに向けて講師がそう言うと、悲痛の叫びはーーーーなぜか上がらなかった。
当然俺も含まれるのだが、取り乱す人は誰一人いない。
それどころか、隕石落下に備えて一人一人が行動し始めたのだ。
教室での騒動が、まるで嘘のように。
まあ周りがどう行動しようと、恐らく俺の利になることはない。
他人を見習い、俺も隕石落下に備えて身支度を整え始めるのだった。