「と」とある画家の探し人(ドラマ)
【とある画家の話】
どうも、今日はとても寒いですね。
ええ、雪でも降りそうな天気です。私も寒さにやられてこの店に入った次第です。ここの珈琲は稀に見る美味しさでございまして。
ええ。そうされると良いでしょう。相席いかがですか?構いませんとも。
本日はどちらに?
いや、決して詮索しようとしているわけではありませんよ。ただ、あまりにもあなたが……。いいえ。なんでもありません。
気になりますか?
申し訳ない。……そうですね。あなたが、先生が探していた人物によく似ているな、と思ったのです。
先生について?
そうですね。まあちょっとした時間つぶしにはなるかと思いますが、お聞きになりますか?
では、昔話となりますが、それでもよろしければ。
私が先生に始めてお会いしたのは、とても寒い真冬のことでございました。
その年は、白い綿のような雪が降ることもしばしばございまして、滅多に降らない土地でしたから、それは珍しく思ったものです。
その日も前日に降った雪がつもり、一面を銀世界と変えておりました。路面はつるつると氷を敷いておりましたし、人通りも少なく寂しいもので、やはり雪の日に外に出るなど愚行であったと余計思わされました。
私が外出したのには理由がありまして。実は母に会いに行ったのです。
ああ。母の話をする前に、父の話をいたしましょう。
父はとても恐ろしい男でした。万人に冷たく、特に母には過剰な暴力が振るわれました。私は幼い頃は身体が弱かったものですから、母を満足に守ることもできなかったのです。
しかし、そんな私からすればとても強く大きな男であった父も、ある日突然帰らぬ者となりました。
酒を呑んで、橋から落ちたとか。そんなものでした。
その報せを聞いたときの私の胸裏に沸き起こった熱は異様なほど熱く、あとから思えばそれは歓喜だったのでございますが、そのときは恐怖のように思えました。
ただ、それを母に伝えた私は、恐ろしく笑顔であったことでしょう。
そして母も私の前でいつもの何倍も、何倍も美しく笑ったのです。
その翌日のことでした。
母が首を吊ったのです。
驚きました。ええ。とても。父の死よりもそれは衝撃的でした。母は、私が見つけたのですが、そのときはあまりのことに硬直してしまいまして、あとから来た友人が叫ぶ声でようやく我に帰ったのです。慌てて縄を解き、下ろしたところ、母はまだ息がありました。
はい。死んでおりませんでした。
私は母に会いに行ったと申し上げたではありませんか。
墓参りではありませんよ。病院です。母はそれからずっと病院におりました。ですが……あれは墓参りとさして変わらぬやもしれません。まるで、死んでいるようなものと思ったことも、幾度もありましたから。
母はまるで、抜け殻のようになってしまいました。病室で一人佇むばかりで、私が何を尋ねても、反応もないのです。寂しくはありましたが、なにより困惑いたしました。そうなるほど父の存在は大きかったのか、と。そして怒りもございました。母は、時折父の名を呼びましたが、私の名はついぞ天に還るその時まで、呼んではくれなかったのですから。
ああ、母が亡くなったのは一昨年のことですので、お気になさらずに。
さて、私が諦めきれなかったのは、明らかでございましょう。私は何度も何度も母に会いに参ったのです。
あの日も、雪に染まったあの日も、私は母に会いに行きました。正直に申しましょう。私はとても疲れていたのです。応えのない母に話しかけるなど、酷く恐ろしく、退屈で……諦めもあったのだと思います。病院に立ち入ることすら、その時は億劫だったのでございます。ですからしばし、病院の前で立往生していたのですが、そこへ、一人の女性が声をかけてきたのです。
美しい女性でした。白に溶けてしまうのではと思うほど、その姿は淡く、そして儚く見えました。
ああ、この店で働いている彼女によく似ていました。
脱線しましたね。
それでですね。彼女は私に荷物を運ぶのを手伝ってほしいと申しました。なるほど、彼女は両手に大きな荷物を抱えており、さらに道も悪いものですから、病院の前の階段に苦戦していたのでしょう。さぞ重かろうと、私は快諾いたしました。彼女が病院に入る様子でしたので、共に入れば気分もよかろうと、そのような本音もございました。
彼女は名前をリアと名乗りました。荷物を運ぶ、ほんの僅かな時間ではありましたから、当たり障りのない世間話などをしておりました。私の仕事は話の種にするにはもってこいでしょう。なにせ当時は珍しい仕事でございましたから。
私は骨董品の買い付けをしていると、そのようなことを話しました。そうしましたら、彼女はどんなものを取り扱うのかと、興味津々で。それで絵画なども扱っておりますと話したのです。
するとリアは神妙な顔になり、なにやら秘め事こささやくように、こう申したのです。
「絵に描かれているモデルを探すことはできますか」
と。
一瞬、何を問われているのか私には全くわかりませんでした。私の曖昧な反応に焦れたのでしょう──彼女はとてもせっかちでして、私の手を取って早足で歩き始めたのです。そして、ある病室に私を誘導しました。
その病室にいらっしゃった方が、そうです。先生だったのでございます。
"先生"というものは、少し癖のある方が多いものでして、あけすけに申せば、偏屈で変わり者で、私のような凡人には理解の及ばぬ思考をお持ちでいらっしゃることもしばしば。愚者と才人は紙一重。と申しますが、先生もその類の人でございましょう。
部屋に入った途端に罵声を浴びせられました。恐ろしいほどの大きなお声で、まさか入院されているのにもかかわらずここまでお元気とは。とその時は皮肉さえ思ったほどです。ですが、リアが先生の元に走り寄って宥めると、驚くほど落ち着いた様子で、しかしそのあとは見向きもされず、先生はずっとキャンバスに向かっておられました。
先生は画家だったのですよ。
趣味で描いていた可能性などは思いもよりませんでした。なにせ、部屋中にキャンバスがございまして。それも、どれも圧倒されるほどの大きさでしたので、これを趣味というのは流石に先生を愚弄することのように思えました。
絵は全て肖像画だったのですが、描かれていたのはリアでした。そこでふと思い出したのです。リアは私に描かれているモデルを探してほしい。そう言っていたということを。
不思議に思いました私が尋ねますと、リアは私にある一枚の絵を見せたのです。
骨董品──つまり作品というものには、稀に作者の魂が入り込んだかのような、柄も言われぬ力を持つものがございます。あれは一言では申せませんが、他者を魅了するような、そんな力なのですが、数千、数万と作品を目にしてきた私でも、中々お目にかかれぬものです。
その絵は、まさにそんな力を宿しておりました。
美しい人でした。
リアによく似ておりましたが、違うことは明白でしょう。なにせその絵のモデルは男性でございましたから。明らかに。そう見える肢体を惜しげもなく見せつけるような、そんなポージングをした男性が描かれていたのです。その絵の素晴らしいこと。まるで生きているかのようでございました。
生き生きとしていたかというと、どちらかといえば憂いを含んだ表情に思えましたが、吐息を感じ取れるような、そんな気配がしたのでございます。
リアは私に申しました。
顔が整っていて、青年か少年かもわからぬが、先生が6年前に描いたこの絵のモデルを探してほしいと。
先生はどうやらその絵の人物によく似た人を見つけては、モデルに選び、しかし違うと申して別のモデルを探す。そんな日々を病院で送られている。そんな方だったのでございます。
私は人探しを生業とする探偵ではございませんので、なんとも答え難く、しかし私もこの人物を見てみたいと、そう思わずにはいられませんでした。リアも私と同じように思っていたようなのです。まるで絵の魔力に惹かれるかのように、リアは血眼になってその人物を探していると申しておりました。
私は先ほど作者の魂が入り込んだような絵に、他者を魅了する力がある。と申しました。
その言葉の通り、その絵は先生の妄執ともいえるような何かを与えられ、凄まじい魅了の力をもって私をも縛りました。しかしそれ以上に私にはそのモデルに魅了する力が、魔力があるように思えました。
先生をみれば一目瞭然でございましょう。取り憑かれたように同じ人物を描き続けているのです。モデルに魔力があった。そう解釈するのは当然の事。リアもそのように思っていたようなのですから。
私はそれに尽力しようと決めました。
私もその絵の魔力に虜になってしまったのです。
絵、ではありませんね。彼の虜でしょう。
私も、リアも、そして先生も。その絵のモデルとなった人物の魔力に抗うことはできなかったのでございます。
それからずっと、ずっと私はそのモデルを探しているのでございます。
残念ながら、先生は昨年帰らぬ人となりました。
私の献身を先生がどのように受け取ってくださったのかはわかりません。ですが先生は最後に、その絵を私に譲ってくださいました。ああ、きっと私なら粗雑に扱うわけがないとわかっておりでだったのやもしれません。なにせ私はいわば先生の同志でございますゆえ。
今は、その絵を屋敷においているのですが、私もその人物に会いたい気持ちを抑えることが今でもできないままなのでございます。
ですから、今では骨董品ではなく、人探しの探偵業などもやっておりまして。
おや、もう行かれるのですか?
話は途中ですが。
お忙しい?
先ほどお暇とおっしゃったではありませんか。
急用を思い出した?
そうおっしゃらず。
ぜひ、私の屋敷にまいりませんか? 今から。
そうですか。それは残念です。
ところで……珈琲の味はいかがでしたか?