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「し」神父から聞いたはなし


 世界はいつだってあなたのそばにあるのだと、昔ある男が言っていた。


 その言葉を口にしたときの男の声は、とても甘美な響きを持っていて、いつになく真剣なその横顔を美しいとすら思った。


 黒衣の胸元には美しいロザリオが輝いていて、いつか自分も同じように誰かにその言葉を与えたいと、強く思った。



 あれから時が経って、あのときの彼と同じ立場になった自分。あのときの彼のように慕ってくれる子供がそばにいて、仕事の合間にはステンドグラスを見上げながらぽつりぽつりと言葉を吐き出す。


 子供達は瞳をきらきらとさせているが、彼のように子供達の未来を変えてしまうほど強い言葉を口にすることは、当分自分には出来そうもないと思った。



「何を考えている?」



 一人ステンドグラスを見上げていた私は、その言葉に振り返った。


 漆黒のコートを翻らせて、一人の男がそこに立っていた。よく見知った顔だ。昔からみてきた美しい顔だ。


 ただもう、幼い頃のように、憧れや敬愛を持ってその顔をみることは到底出来そうにない。



「なにも」



 答えた私の声はとても硬かった。緊張していることが相手にも伝わってきそうなほど。そして案の定相手に伝わってしまったらしい。


 くくくっと押し殺したように男が笑う。



「あててやろうか」


「なにを」


「お前が考えていたことを」



 男は笑んだ唇の端をさらに引き上げる。口が裂けたようにすら見えるその笑顔に、背筋がぞっとしたのを感じた。


 この男の話は聞いてはいけないのだ。


 きいていいことがあったことなど。



「ないと言えるか? 本当に?」



 心を読んだように男が言う。実際心を読まれたのだろう。いつだって男の手の中に、私の心は掴まれている。



「ククッ。お前は今な、思い出していたのさ。昔のことを」



 男がゆらりと近づいてきた。思わず顔をそらすが、気にした様子もなくずんずんと近づいてくる。



「あのころのお前はそれはそれは可愛かった。熱心に見つめてくる目は美味しそうでなぁ。大人になったら神父様みたいになる! なぁんて言ってたもんだ。実際神父になった。おめでとう」



 真後ろに立って、あざ笑うように楽そうに笑いながら男が言う。



「おまえなどを目標にして神父になった私を笑うのか」


「ククッ。そう聞こえたか? それは失敬」



 そのようにしか聞こえなかった。心の中で悪態をつけば男は一層楽そうに笑う。



「おまえの耳は俺の言葉を額面通りには受け取らないようにできているらしい」



 額面通りに受け取ったから、嘲笑われたように感じたのだ。



「俺はおめでとう。と言ったまでだ。心の底からの賛辞だぞ」



 嘘つけ。



「嘘なものか。クククッ」


「……心を読むのはやめろ」



 男の声ばかりが聖域に流れるのが嫌で、声を出して拒絶する。


 男はにやりと笑うばかりだ。


 この嫌な笑みを浮かべ、こちらをからかう男が、なぜあんな言葉を、あんな美しい表情で、無垢な私に言えたのだろう。



「世界はいつだってあなたのそばにある」



 そう。この言葉だ。


 思わず私は呟いて、すぐに口を閉じた。男が、自分が昔言った言葉を復唱した私をあざ笑う気がしたからだ。しかし男は予想と違う態度を見せた。



「……なんだ。そんな言葉誰に聞いた?」



 お前からだとは、なんとなく言えなかった。今度は心を読まなかったらしい。律儀な男だと、一瞬思う。


 そして自分が言った言葉なのに忘れたのかと呆れを感じて、男の表情にすぐにそんな呆れも消え失せた。



 男は心底嫌そうな顔をしていた。長いヘビのような舌を出して、眉間にしわを寄せている。



「あ〜あ。嫌だ嫌だ。その言葉きらいだ。昔そんなことを言っていた阿呆な神父がいてなぁ。俺はそれを聞いては反吐がでる思いをしたもんさ」



 男は嫌そうに言うが、瞳は昔見たあの横顔のように美しくて、私はただただ沈黙を返すしかなかった。



 そうか。


 そうなのか。


 おまえもなのか。


 おまえも、幼いころにこの言葉をどこかの神父から聞かされて、そしておまえも……。



「何を考えている?」



 先ほどまでの表情を隠して、男がにやりと笑う。


 私は、先ほどのように「なにも」と答えようとして、やめた。



「……おまえのことを考えていた」



 素直にそう言ってみる。


 男の表情を伺う。どんな顔をしているのだろうか。また、あざ笑っているか?


 男は一瞬ほうけたように私を見て、それから勢い良くきびすを返す。


 


「…………なんで、顔が赤いんだ」



「ウルセェ。クソ神父」



 呆然とする私の前で、男は去っていく。やがて礼拝堂の扉を乱暴に開けて出て行くと、聖域には静寂が訪れた。



「なんで、顔が赤いんだ」



 赤い顔で、私は再び呟いた。




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