「か」限りある命か永遠の命か
その男がお師匠様を訪ねに来たのは、僕がお師匠様の弟子になってから5年ほど立ったある日のことだった。
「お前、不老不死なんだろ? 俺にもなり方を教えろ」
男の言葉に、僕は思わずお師匠様をみてしまった。なぜなら。お師匠様が不老不死なんて、真っ赤な嘘だったから。
たしかにとても若いのに、昔のことをよく知っているしまるでお年寄りのようなこともいうけれど。
それに、自然を操る力や、夢で未来を知る力や、姿形を操る力や、新しいものを色々生み出す力をもってる。
それでも断言できる。僕は今まで、お師匠様とずっとくらいしているけれど、歳もとるし、怪我もする。不老不死なんかではない。
ただ、そういう噂があることだけは知っていた。
お師匠様はなんとお答えするのだろう。
「どうして、不老不死になりたいんだい?」
真っ白な長い髪をゆらして、お師匠様は穏やかに男に尋ねた。
一言「不老不死」じゃない。といえばいいことなのに。お師匠様のことはよくわからない。
「お前には関係ない」
服装は旅人のそれだけど、随分とボロボロのその男は、顔中についた泥を落しながら、そっけなく言った。
それは、そうだろうが、しかし仮にも教えを請う側がそれではいけないと僕は思う。そういうことはお師匠様も厳しい人だ。
「まあ、そうだね」
やっぱり厳しくない人だったみたいだ。
お師匠様は優雅にも紅茶を飲みながら、向かいの椅子に座るよう、男を促す。
あんな汚いので座られたら、木の椅子でも汚れてしまう。
森の中にあるからといってそれはいただけない。そりゃ、木をくり抜いてつくったような椅子と机があって、台所があるだけの小さな部屋だし掃除は楽だけど、掃除するのは僕なのだ。
座らないでくれ!
そんな僕の思いは虚しく終わる。
「いいよ。話してあげよう」
穏やかに紅茶を飲みながら、お師匠様はそんなことを言った。
ああ、はい。掃除します。
「マルコ、お茶を出して差し上げて」
なんて僕に言うんだから、本当にこまったお師匠様だ。
僕が台所でお茶を準備してる間に、男は椅子に座ってお師匠様と向かい合っていた。
ゆっくりお茶をおいて、耳を澄ます。お師匠様がどんな話をするのか、興味があった。
「それを求めたのは、ある人の病を治すためだった」
そう、お師匠様は話し始めた。
男の眉がピクリと動くのを僕は見た。
けれどすぐに、僕も男もお師匠様の話にのめり込んでいった。
───それは、私がまだ十代のころの話だ。
一人の娘が病にかかった。
不治の病だ。
娘は、婚約者だった。
娘を助けたくて、助けたくて、そしてある情報筋から、万能の秘薬となる花があり、それが咲くのはたった一つの山だけだときいた。
それで、山に登ることにした。
その山は【ゼン山】と呼ばれていた。今は、別の名前で呼ばれているが──険しい山で、有名だった。
山には魔獣が出るという噂があって、人は入らない。それでも、行かなければならなかった。
山をある程度登ったときのことだ。
一匹の狼と出会った。
死を、覚悟するほどの巨大な狼。これが魔獣の正体だったのかと、怯えた。
ところがその黒い毛並みの狼が突然人の言葉を口にしたんだ。
狼はこういった。
『汝、何故【命の花の蜜】を求めるか』と。
「愛する人を救うために」
そう答えると、狼はこう言った。
『人はなぜ、愛を求めるのか』と。
少しだけ迷った。これはもしや試されているのかも。とね。
それでも正直に答えた。
「愛がなければ人は生きていけない」
そう答えると狼は一つ頷いて去っていった。
それからしばらくすると
今度は先程の狼よりさらに巨大な狒々《ひひ》と出会った。
その狒々も、人の言葉を話した。
その時点でやはりこれは一つの試練なのだと悟ったよ。
狒々は言った。
『汝に問う。人は何故に愛がなければ生きていけぬのか』と。
なぜだと思う?
その時はこう答えた。
「愛がなければ寂しくて死んでしまう」
すると、狒々はこう言った。
『なぜ人は、寂しいと死んでしまうのか』と。
これにも迷った。
なぜかははっきり言えなかったから。けれど婚約者の娘や、家族の姿が浮かんだ。それで、こう答えていた。
「人間は一人では生きていけないからだ。多くの人に支えられて初めて人は生きていける」
そう答えると、狒々は首を小さく振ってその場を去った。
しばらく歩き続けて、ようやく山頂に届くかというとき、一羽の鳥が目の前に現れた。
巨大な鳥だった。鷲よりも大きかった。比較にならないほどね。そしてとても美しかった……。
鳥は言った。
『汝、何故に人は一人では生きていけないのか、答えよ』
また、似たような問だと思った。
それで、こう答えた。
「水を飲むには水をきれいにする技術がいる。魚を食べるには、魚を料理する技術がいる。布団で寝るには、布団を作ることが必要で、毎日薪を割るには鍛冶職人のつくったような斧が必要だ。斧は、鉄鉱で働く人が鉄を見つけ出すから作れるのだ。そうして人は支えられて生きている」
さあ、このあと鳥はなんというかと思ったが、しばらく鳥は沈黙するままだった。
そして重い嘴を開くようにこう言った。
『ならば、それらを一人でできるならば、人は一人でも生きていけるのか』と。
焦れていたんだろう。
はやく花を見つけたかった。
だからよく考えずにこう応えた。
「そうかもしれない」とね。
鳥は深く頷くと、道を譲った。
しかし、通り過ぎる途中で鳥はこんなことを言った。
『花の蜜を飲んだ者は、どんな病をも跳ね除ける力を得る。しかし本当の意味で花の蜜の役を得られるのは、試練を乗り越えたものだけだ』
「彼女は病という試練と戦っている。きっと花の蜜は答えてくれる」
そう答えた。
そして脇目も振らずに頂上を目指し、そしてたどり着いたそこで、見たこともない真っ白な大輪の花を見つけた。
それをね、持ち帰ってその蜜を娘に飲ませたんだ。すると娘の病は見る見る間に良くなった。
しかし、花はその後枯れてしまった。
種を作ることもなく。
──それが、私の知るすべてだよ。
お師匠様は静かに語り終えた。
「結局、不老不死になったのは、その女のほうじゃないのか?」
「そんなことは君には関係ないことだろう? 要するに山に行って蜜を飲めばいい」
言って、お師匠様は立ち上がると、本棚から巻物を一つ持ってきた。
それを男に見せる。
どうやら山の地図らしかった。
まじまじと地図を見つめていた男が顔をあげる。
「……んで? そんな与太話を信じろってか?」
「信じるかどうかは君次第だ。もし行ってみて駄目ならここに来るといい。そのときは甘んじ責を受けよう」
男は不審そうな顔を隠さない。
しばらく手に持った冷めたお茶を見つめていたが、やがてすっくと立ち上がった。
「いいだろう。だがな、嘘だったときは、ただじゃ置かないからな」
「どうぞ」
なんて脅しに呑気に返す人がいるか。
男は足音を立てて家を出ていった。
紅茶は、ほとんど手を付けていない。
「お師匠様……」
今の話はほんとうなのだろうか。
娘は本当に不老不死になったのだろうか。
「さあ、引っ越しの準備をしようか」
「え? なぜですか?」
「だって、彼が戻ってきたら困るじゃないか」
と長い髪をなびかせてお師匠様が言った。
そしてすっと立ち上がる。
さっさと荷造りを始めたお師匠様を見て、僕は思う。
本当に、よくわからない人だ。
───とある森の深いところに、不老不死の賢者がいるという。
その者は様々なことを知る人物、自然を操る力や、夢で未来を知る力や、そして、姿形を操る力をもっている。
そこには一人の弟子がいて、その弟子はあることを知っていた。
賢者が不老不死ではないことを。
そして賢者がたった一人で生きていける力を持つということを。