「う」海よ、髪を一房捧げましょう(ファンタジー)
そこは真っ白な浜辺だった。
見渡せば砂。そして海。そして空。そして雲。
岩場もあれば、遠くに民家も見える。
頬をなでる風を感じて、黒い髪が視界を遮る。その髪を抑えて、風の行方をみやれば、どうやら潮の香りは岩場を通って街に流れ込んでいくらしい、と彼女は気づいた。
その岩場をぬけていく。
裸足で街に向かって。
潮の風に背中を押されるように。
街にいざなわれるように。
そこに、彼はいた。
~~~~~
セリカは魔女だった。
特に有名というわけでもない、どこにでもいる海の魔女。
セリカの育った街は海辺にあって、誰もが水を操る術を持ていて、セリカはその中ではとても優秀だった。
海に愛されていた。
そのセリカが海で死んだのは、街の人はもちろんのこと、セリカ自身ですら驚くべきことだった。
とはいっても、自分が海で死んだ。と認識したのは、死んだからではない。死後の世界とやらに行った覚えも無ければ、神様にも天使にもあってはいないし、もちろん地獄の門番にも出会っていない。
セリカが自身の死を知ったのは、再びこの世界に蘇ったその時だった。
セリカは死後、確かに蘇っていた。
見慣れた街の見慣れた砂浜に。
蘇った理由も、おぼろげに理解した。
かつて、たった一人セリカを心から友と読んでくれた少年。その少年の魔力が己に巻き付いていた。
彼が自分を蘇らせたことは明白だった。
けれど、彼の気配はしない。不思議なことに、彼はどこにもいなかった。寂しいほどにいなかった。
蘇ったセリカには、何もすることがなかった。
会いたい人はいるかといえば、もちろん彼に会いたいが、彼はいないとわかっている。そして覚束ない感覚だったが、セリカは街の人に出会うのは危険だと、本能で感じ取っていたのだった。
だから、腹も空かぬ死人であることをいいことに、セリカは浜辺と岩場に姿を隠していた。
けれどそんな日々もそう長くは続かない。
出会ったのは、真夏の間昼間のこと。
街と砂浜をつなげる岩場から、そっと街を眺めていたセリカの前に、彼は現れた。
その面差しに。その立ち振舞に。その声に。
セリカは覚えがあった。
かつて、唯一の友だった彼、彼にそっくりな青年がそこにいた。
彼は彼によく似ていて、けれど魔法が使えないのだという。
そこが唯一の違いだった。名前すらもおなじだった。
「それでロラン。いじめられてここにいるのか?」
尋ねると、ロランはうなだれる。
「友達が海で死んで。それから近づけなくなってしまった。魔法も使えないから、落ちこぼれと呼ばれるのは仕方ない」
「そうか……」
魔女のセリカには魔法を使えない彼の気持ちは理解できない。
憐れむことも、蔑むこともしないが、かといってどうでもいいとは言えなくて、するりとこんな言葉が出ていた。
「じゃあ、私の弟子にしてあげよう」
ロランは驚いた様子で、それから疑わしいものを見るような目つきをする。
仕方なく、セリカは彼を連れて海へ行った。
近寄れないという彼を砂浜において、彼の目の前で海に魔法をかける。
海が割れた。
飛沫がたった。
巨大な水の柱が立ち上がり、それが虹を産んで、ロランが声を上げた。
「すごい!」
それから、ロランはセリカの弟子になった。
あれからどれほど時がたっただろう。
失敗する魔法。互いにびしょ濡れになった日。
夜に砂浜でした焚き火。
なにもない真っ暗な夜の真っ青な天の川。
うつくしい思い出がたくさんたくさんできた。
なによりも美しいのは、ロランと過ごす日々の楽しいこと。
幸せだった。
死しても幸せを感じられるのだ。
そしてロランが魔法を使えるようになった頃。
「僕は君の弟子じゃない」
彼は突然そう言った。
セリカはさっと振り返って、奇妙なものを見るような顔をする。
じれたように彼はもう一度声をはった
「僕は、僕は君の友でも、弟子でもない。僕は、君を」
その先を聞いてはいけないと、セリカは思った。
思っていたのに。
「愛してる」
思っていたのに……。
セリカの胸は痛いほどたかなって、痛いほど締め付けられた。
頬があつい。
涙が止まらない。
なぜなら気づいてしまったから。
いや、ともに過ごす中で気づいていたはずだった。気づかないふりをしていただけで。
友がセリカを蘇らせたのではない。
セリカを蘇らせたのは、セリカを愛した男だった。
「君の願いには答えられない」
「どうして」
「どうしてもだよ。どうしても答えられないんだ」
「どこへ行くの?」
「さよなら、さよならロラン。もう合わない」
「まって、待って、それなら、それならひとつお願いだ。君の美しい黒い髪を一房僕に」
セリカは大きく迷って、迷って、彼の願いをひとつだけ叶えることにした。
~~~~
セリカが消えた。
消えてしまった。
だから、僕は知っている。セリカは彼女だ。
僕が失ったただ一人の友達だ。
でも僕は、僕は彼女を愛してしまった。
もう一度、君に会いたい。
だから、僕は君に教わった祈りをする。
海よ、大いなる母よ、僕を彼女のもとに連れてってくれ。
彼女を僕のもとへ連れてきておくれ。
彼女の黒い髪を一房、願いを込めて海へ。
どうか。
どうか……。
そこは真っ白な浜辺。
見渡せば砂。そして海。そして空。そして雲。
岩場もあって、遠くに民家が見える。
頬をなでる風に流されて、黒い髪が視界を遮る。その髪を抑えて、風の行方をみやれば、どうやら潮の香りは岩場を通って街に流れ込んでいくらしい、と彼女は気づいた。
その岩場をぬけていく。
裸足で街に向かって。
潮の風に背中を押されるように。
街にいざなわれるように。
そして………。
こちらはワンドロ企画で書かれたものになります。