1.伯爵令嬢アイリス
伯爵令嬢アイリスは異世界転生者だ。
前世は地球という世界の日本で暮らしていた女性であった。
名前と何故死んだのかという記憶は既にない。
そんな彼女だが、生まれ出た頃より死への渇望がすさまじかった。
隙あらば、自ら命を断とうとする。
当時アイリス付きのメイドがいたが、そのメイドが必死にその行為を止めていたため、何とか彼女は成長した。
とはいえ、貴族というのは噂が広がるのが早い。
常に自殺未遂を起こすアイリスは「死にたがり令嬢」と噂された。
この手の噂は貴族令嬢としては致命的であった。
ぽつぽつと舞い込み始めた婚約の話がすべて破談になったのである。
それを機に、生粋の貴族であった両親は彼女を放置。
彼女の周りにいた使用人も近寄らなくなった。
これ幸いと自分の命を断とうとするが、すでに対策を取られていて簡単ではない。
放置されていることを逆手に取り、彼女は次の策を取った。
身分を隠し、軍へ志願したのである。
家で死ぬのは醜聞であろうが、戦場で死ねばそれは貴族としてこれ以上ない名誉になる。
彼女はそう結論を出した。
厳しい訓練に音を上げる者も多かった軍だったが、自分の体をいじめるのは性に合っていたらしく、その間は自殺衝動もなりをひそめていた。
厳しい訓練を乗り越えたアイリスはめきめきと実力をあげ、新兵として戦場に立った。
自分はこれから死ぬのかと思うとほどよい高揚感と緊張感を覚えた。
しかし、厳しい軍の訓練を耐え抜いた彼女は、生き抜くための技術が体に身についていた。
とっさの判断で敵の攻撃を回避し、一撃を叩き込む。
それを繰り返し、アイリスは生き残った。
その後も彼女は死に場所を求めて戦場を転々としたが、図らずとも初戦で生き残った経験が生き、彼女は常に生き残った。
いつの間にかアイリスには、彼女が常にいれば生き残れるというジンクスまでついてしまうのである。
あるとき、彼女の部隊があわや全滅とまでに追い込まれた際、彼女は自らかって殿を務めた。
今度こそ死ねるのでは?と思ったからだ。
だが、予想外にもアイリスは強くなりすぎていた。
つまり一人でばったばったと敵兵を薙ぎ払うという鬼神のごとく動きをしたという。
さすがにこのあたりでアイリスの正体がばれる。
皮肉なもので、「死にたがり令嬢」と呼ばれた彼女は戦場に立てば「姫将軍」と呼ばれるようになったのである。
そのほかにも戦功を立てた彼女を国も無視できなくなっていた。
再三王のもとへ参ぜよと命を受けたが、彼女は無視した。
今の環境を取り上げられるかもしれないと思ったのである。
いつでも死ぬことが可能な今の場所はアイリスにとって最高の場所であったし、訓練や戦場で会った仲間たちは気の知れた友人になっていた。
だからこそ、彼らを死なせてはなるまいと奮起したのだ。
アイリスが「姫将軍」としてここにいるのはひとえに彼らのおかげでもあったのだ。
前線が安定しないという理由で国には戻らなかったのだが、さすがに敵将を一騎打ちで打ち倒してしまったときは、それだけで戦場が安定してしまい、国に戻らざるを得なくなった。
渋々ながら、王の元へ参じた。
そこで待ち受けていたのは手痛い家族の裏切りだった。
ほとんど会ったこともない兄、今は父のあとをついで伯爵になっていたなと思い出す。
その兄の剣に貫かれ、アイリスは死んだ。
あれだけ願ってやまなかった死は、家族の手によって成された。
彼女は歓喜した。これでようやく、地球に戻れると。
記憶はないかもしれない、それでもいい、もう一度あの日本という国に生まれ変わりたいと。
そこで彼女ははたと気付いた。
自分がなぜ、死を渇望したのか、あの世界にもう一度生まれ変わりたかったのだ。
彼女は懇願した。もう一度、日本という国に生まれ変わりたいと。
だというのに――
私はメイベル・フラン。名もない辺境の村に4人兄弟の末っ子として生まれた。
家族にはベルという愛称で呼ばれている。
初めて鏡を見せられた時は非常にびっくりした。
ハニーブロンドの髪に瑠璃色の瞳は前世であるアイリスのものであったからだ。
両親にも兄弟にも似ていないその容姿に、口さがない噂はあれど、両親いわく父親の先祖が貴族であったようで、先祖返りなのではと気にしていないようだ。
上には兄二人、姉がいるが、彼らもまた噂は気にしていないようで、末っ子のメイベルをとかくかわいがっている。
そんなメイベルだが、彼女は前世の記憶が存在する。
ひとりは日本という異世界での暮らし、もうひとりは伯爵令嬢アイリスの記憶だ。
前世であるアイリスが懇願した願いは結局聞き届けられなかったようだ。
二人の記憶をもって、アイリスはメイベルとして今世を生きることになった。
とはいえ、メイベルとしての生活は悪くはない。
前世と違って、家族には愛されているし、何より、前世でどうしようもなかった凄まじい死への渇望がひどく薄れていた。
つまりアイリスではできなかった普通の生活を送ること、それが今世のメイベルの役割なのではという考えにメイベルは至った。