1章-6 魔力測定と属性診断
この世界には、魔法というものが存在する。
前の世界の人々が炎や水を出すのに道具や機械を使うように、この世界では魔法を使う。前の世界には無い魔素という物質が作用していると言われているが、電子顕微鏡で確認したわけでも観測装置で存在を捉えたわけでもないので、真偽のほどは分からない。
“そういうものなのだろう”とありのままを受け止めている。
魔法の種類は主に十。基本四種と呼ばれる風・火・水・土の四種類と、特殊属性と呼ばれる氷・雷・光・闇、空間、治癒の六種類だ。
基本四種は取得しやすく、2,3種類使える者はそれなりにいる。一方特殊属性の方は習得も操作も難しいとされるが、非常に威力が高い。特に空間は希少で、それなりの魔力量も必要だ。治癒に至っては更に価値が高く、多少なりとも所持していれば一生食うに困らないとも言われる。
以上の十種以外に、補助魔法と呼ばれる属性の無い魔法も存在する。身体強化や詠唱短縮、並列操作といった、身体能力や魔法操作、威力を上昇させる補助的役割の魔法だ。最も一般的な初級魔法で、職業柄身に付ける者も多い。簡易だが、熟練度や保有魔力量によって効果の度合いが大きく変わるという特性がある。
更に魔人の場合、各種族の中でも特に血の濃い者は【種族特性魔法】という特殊な魔法を扱う事が出来る。
さて、この魔法であるが、人間と魔人では普及の度合いが異なるらしい。
理由は、魔法との親和性の違いだ。
人間の場合、庶民の大半は魔法が全く使えないし魔力もほとんど持たない。魔力量の多い者が生まれることもあるが、非常に稀だ。そのため、魔法は希少価値が高く、魔力が多いとか特殊な魔法を使える才能があればそれだけで重用される。
余談ではあるが、王侯貴族が権力にまかせて優れた魔法資質を持つ人間を積極的に血縁に迎えてきた結果、地位が高いほど魔力量は多くなり高度な魔法を使える者も増えるという現状に至った。こうした魔法才能の集中こそ、人間国において身分差が拡大する一番の要因でもある。
一方の魔人だが、此方は人間よりも遥かに魔法に向いている。平均的な魔力量が人間より遥かに多いこと、また長命なので習得まで十分時間を取れることなどが理由だ。庶民でも大半がある程度の魔法を扱えるので、それのみで地位が決まることは無い。
魔人達が尊重するのは、種族特性魔法の有無や強さだ。
種族特性魔法は血統に由来する特殊な魔法なので、一族を挙げて血を守ろうとする。結果、サラストスには他種族の血が入るのを嫌う文化が出来上がった。
ちなみに、人間と魔人、あるいは魔人同士でも種族の違う者同士の場合はどうかというと、両親の特質をどう受け継ぐかで発現する特徴がガラリと変わるので、一概にどうとは言えないそうだ。
「──そういう事で、ヴィルヘルミーナ様がどのような特質をお持ちかを正確に調べるのは、今後魔法を学ぶにあたり大変重要な事なのですよ」
私の目の前に座っている女性は眉一つ動かさず種族間の特質の違いと検査の重要性を一通り説明した後、銀縁眼鏡のブリッジ部分を右手の人差し指で押し上げた。
彼女の名はティルダ=ルスコ。
森人族の女性で、これから私に魔法を教えてくださる方だ。
外見は20代後半くらいだが、実年齢は不明。顔立ちは整っているものの、化粧っ気は全く無い。分厚いレンズ越しに見える大きな緑の目はガラス玉のようで、白金の髪は前髪ごと後ろで無造作にひとまとめにされているだけだ。彼女が身につけている濃緑色のローブは上等な布地だと思われるが、皺や汚れ染みがあるせいであまりそうは見えない。
そんな容姿へのこだわり皆無のティルダ先生ではあるが、不思議と腰帯に差している短杖だけはまるで新品のように美しかった。30センチほどの長さの其れは、金属加工された持ち手がピカピカに磨き上げられている。
ティルダ先生はまだ魔術師団の中では若手だが、実戦での強さには定評があり、豊富な魔力と卓越した魔力操作による大規模殲滅魔法を得意としている。魔獣討伐の経験も豊富だそうだ。
今私達がいるのは、西塔──別名魔術師塔の最上階にある特別室。
魔力検査をするということで、エルネスティさんと共にやって来た。オリヴェルとイルマタルの2人も一緒である。
魔術師塔は森をイメージした緑と木の色を基調としているそうだが、この部屋もその例に漏れず、焦げ茶色と深緑が多く使われていた。
大きな窓に掛かっているのは、金の蔦模様が描かれた深緑色のカーテン。床に敷かれた絨毯も同じ色だ。サイドボードやキャビネットなどの家具はダークブラウンで統一されているが、クリーム色の壁の一部に敷き詰められた色とりどりのタイルや、モザイクガラス製の丸っこいランプが、重くなりがちな色彩を軽やかに見せていた。
私はふと、壁に立てかけられた柱時計に視線を向けた。検査予定時刻から、既に30分ほどが経過している。ティルダ先生も同じことを思ったのか、懐から銀の懐中時計を取り出して一瞥し、言った。
「…思ったより遅いですね。わざわざお越しいただいたというのに、お待たせして申し訳ございません」
「いいえ。こうして先生と話せて良かったです」
「そう言って頂けると助かります」
ティルダ先生が抑揚のない声でそう言った時、丁度扉がコンコンと音を立てた。ティルダ先生とエルネスティさんがソファから立ちあがったのを見て、私も後に続く。オリヴェルが素早く動き扉を開けると、60~70代ほどの男性がひょっこりと姿を現した。
身長はあまり高くなく、目尻の垂れた顔つきから優しげな印象を受けた。細身の体を覆う深緑のローブは、良く見れば銀糸で細かな意匠が施されていて地位の高さを思わせる。長い白銀の髪は後ろで緩く一つにまとめられていて、耳には大きな金の輪のピアスが揺れていた。
彼の後に控える5人の随伴者もまた、男性ほどではないが価値の高そうなローブを身に纏っていた。ただし、誰も彼もフードを目深にかぶっているせいで表情は覗えない。
「いや~、随分遅くなってしまいましたわい。お待たせして申し訳無い。魔術師団の長、エサイアス=オランケットでございます」
私はソファから立ちあがると、この世界で身につけた礼をとった。
「初めまして。ヴィルヘルミーナでございます」
「ご丁寧にどうも。こうしてお目に掛かるのは初めてでしたな。儂の事は気軽に名前で呼んで下され」
「有り難うございます。では、エサイアス様とお呼びさせて頂きます」
エサイアス様は、ほほほ、と優しく笑った。
長い耳と緑の目、色素が薄い髪や肌──この特徴は森人族のものだ。ティルダ先生といい、魔術師団には森人族が多いのだろうか?
エサイアス様が私の正面のソファに座ったところで、私達も腰を下ろした。
「さて、姫様。早速でございますが、魔力量の計測と性質の確認を致しましょうか」
その言葉と同時に、お供の方の一人が手に抱えていた黒塗りの箱を恭しくテーブルに置く。木とも金属とも言い難い不思議な材質の箱の表面にはうっすら微発光する模様が浮かんでいたが、エサイアス様が右手を翳して口の中でぽそぽそと聞き慣れない文言を呟くと、文様がふわりと宙に浮き、粒子となって掻き消えた。
箱を空けるための解錠の呪文だったと思われる。
再びお供の方が前に出て、箱の中に入っていた半球体状の物体を慎重な手つきで取り出した。
「ヴィルヘルミーナ様の魔力はどのような性質をお持ちでしょうかな。此方の道具では魔法の適正と細かな数値を調べる事ができます」
上部はアクリルのように透明な半球体の物質に覆われていて、底部分は星座盤に似ていた。中心から時計の針のような細い棒が何本も伸びていて、円の周に沿って打ってある目盛りを指し示す仕組みらしい。私には何をどう見るのかさっぱりだ。
「早速ですが、始めるといたしましょう。ヴィルヘルミーナ様、両手をこの道具の上に置いてください」
言われたとおり、私は両手を半球体の上にそっと置いた。するとすぐに、体の奥から手のひらに向かって力を引き抜かれるような、奇妙な感覚に襲われる。
「…?」
「大丈夫。そのままで」
暫くすると、半球体がぼんやり発光し、針がぐるぐると回転を始めた。
これからどうなるかドキドキしながら待っていると、やがて針の動きが止まり、発光も消えた。
「もうよろしいですぞ。ご苦労さまでした」
「はい。…えっと、これで終わりですか?」
「ええ。姫様は確かに治癒魔法の資質をお持ちということが分かりました。魔力量も豊富で、先代魔王様の子供の頃と比べても遜色ございません」
実感は無いが、エサイアス様がおっしゃるならそうなのだろう。
隣に座るエルネスティさんが、にっこり笑顔で「お疲れ様でした」と声を掛けてくれた。
「先日の事件。姫様は深手を負った者を一瞬で治癒したと伺いました。この魔力量と資質の両方が備わっていたからこそできた妙技ですな。資質が足りねば傷は残ったでしょうし、魔力が足りねば魔力枯渇で別の意味で命の危機に陥ることもありましたでしょう。本来繊細な魔力操作を必要とするところ、初回であっさり成功させたというのも素晴らしい。…ふむ、姫様は余程治癒魔法と相性が良いのでしょう、ここまで見事な結果は儂も初めて見ましたわい。長生きはするもんですな」
エサイアス様はそう言いながら、魔道具の縁部分に目を落とす。一本の針の先端が何かの記号を指しているが、私にはやはり何の事だかさっぱり分からなかった。
「ほほぅ…代々の魔王様がお持ちになる魔法属性もしっかり継承されていらっしゃる」
「魔王の魔法属性?」
「左様。魔王様方は代々、基本四種と特殊魔法の闇、空間の六つの適正をお持ちです」
基本四種──つまり四大属性全て使えるということか。その上、闇魔法・空間魔法というレアな魔法も使用可能。流石は“魔王”と言うだけある。適性の数が規格外だ。
「姫様の場合は魔力量が多いので、習得自体は然程難しくないでしょう。ただし、自在に扱いたいと希望されるのでしたら、日々の鍛錬は必須ですな」
「鍛錬…」
「適正のある属性は、初歩の魔法を発動する程度ならばそう時間はかかりません。しかし、実際に戦えるだけのモノにするには地道な鍛錬が必要です。ま、これは何事も同じですがなぁ」
「たださわりだけというのも可能ですが、これを機にしっかりと身に付けては如何でしょうか。護身の為にも覚えておいて損はございませんし、特に空間魔法は重宝致します」
エサイアス様の話をティルダ先生が継いだ。
「折角先生に教えていただける機会を頂けましたので、私としてもしっかり身に付けたいと思っています」
「それは良かった」
私がそう答えると、眼鏡の向こう側にあるティルダ先生の緑の瞳が、キラリと光ったような気がした。
「そう言えば、イルマもオリヴェルも空間魔法が使えるのよね。希少なのに、二人ともよく適正があったわね…」
その私の独り言のような発言を聞いて、エサイアス様がにっこり笑った。
「ああ、其処に居る二人でしたら、どちらも空間魔法の適正はありませんでしたぞ」
「へ?適正が無いと使えないんじゃないんですか?」
「ほっほっほ。実のところ、種族特性といった血族由縁の魔法と治癒魔法以外は、力技でどうにかなる場合もあるのです。ただその方法はかなり身体的に負担が掛かる上に、実際に習得できるかは本人次第なところもあるので、必要に迫られなければ決してお勧めは致しません」
「厳密に言えば、種族特性魔法も種族同士の互換性が高ければ習得も不可能ではありませんがね」
エサイアス様の話もそうだが、ティルダ先生がさらりと付け加えた発言は私が今まで学んできた魔法の常識を大きく覆すものだ。
アディンセル王国やエングルフィルド王国を始めとした人間至上主義を掲げる国々では、適正外の魔法習得は基本的に不可能とされてきた。魔法は遺伝に因るもの、というのが定説なのだ。
そのため希少属性の適正がある者は大いに重用されるし、高位貴族の結婚相手として引く手あまた。逆に、如何に高位貴族の出であっても魔力が少ないとか希少属性を受け継がない場合、あまり良い縁に恵まれないとか、養子に出されることすらあるという。
ちなみに、アディンセルで魔力の有無すら確認してこなかった私は魔法が使えないと追い出されるのではないかと心配していたが、お祖母様に「貴女は大丈夫ですよ」と微笑まれてアッサリ納得して終わってしまっていた。お祖母様が仰るなら間違い無いわね!と思考停止していたわけだが、当時の私はあまりにも単純すぎやしないだろうか…。
「習得するには、何か特別な練習のようなものを行うんでしょうか?」
私が問うと、エサイアス様の表情が途端に子供のような笑顔に変わった。
「勿論鍛錬も必要ですがな、特殊な道具を使って魔力回路をちょこっと弄るんですわい」
「道具?弄るって…」
「簡単に申し上げますと、体内の魔力回路に魔道具を外部接続して、新規に学習したい属性の魔力を流し込むのですわ。属性付加施術と言いましてな、先々代の魔王様の頃に開発した技術です。失敗すると色々大変ですので滅多にやりませんがのぅ」
魔力回路とは、体内にある魔法を扱う為の器官だ。不可視だが、神経のようなもので全身をくまなく巡っているらしい。
何気なくイルマタルとオリヴェルの方を見ると、二人は青い顔で揃って私から目を逸らした。
「…もしかして、その、属性付加施術というのはかなり辛いんですか?」
私が恐る恐る尋ねると、隣に座っていたエルネスティさんがにこりと笑った。
「ヴィルヘルミーナ様。あの二人が空間魔法の属性付加施術を受けたのは、ヴィルヘルミーナ様にお仕えするのに必須の項目だったからです。選んだのは本人達ですので、ご心配には及びません」
回答になっていないような気がしたが、エルネスティさんのフワフワした雰囲気を前にすると突っ込むのも気が引けて、ついつい愛想笑いを返すだけになってしまった。
結局その後は、エルネスティさんとエサイアス様が今後の手続きやら報告書類やらについての話をして退出となった。
自室に戻ってからイルマタルとオリヴェルに属性付加施術の詳細を聞いてみたのだが、二人とも断固として教えてくれなかった。
一体どんな事をしたのだろう。とても気になる…。