1章-1 始まる日常①
私が居住しているのは、サラストス連合国の首都・コカイスタの中心に聳え立つアイノア城だ。通称『魔王城』。
別におどろおどろしくも無いし、背景に黒くて変な鳥が飛んでいるとか、黒雲が立ち込めているとかではない。それどころかこのアイノア城、物見用の塔を始めとした戦闘用の設備はごく最小限である。横に広がる外観的特徴から豪華で洗練された内装まで、城というよりもはや宮殿と言った方が正しいかもしれない。建設当初は確かに「城」だったらしいが、増築や改修を繰り返した結果、今の形に落ち着いたそうだ。
平和で何よりである。
このアイノア城は、大まかに東西南北の4つに分かれている。最も目を引くのは、正面中央に建つ中央塔だ。ここがサラストス連合国の政治の中心である。中央塔の東側には軍関係の施設である“東塔”が建っていて、西側には魔術師が常時待機し研究・開発等を行う西塔、通称“魔術師塔”が建っている。中央塔の二階と四階部分には渡り廊下があって、東西の建物に行き来できるようになっている。ちなみに、広大な中庭を挟んだ北側は王族や上級役人の居住区だ。北塔、北宮殿などと呼ばれている。
私の部屋は、北宮殿の最上階、3階の中央部分にあった。バルコニーからは、広い中庭の様子が良く見える。直接外に面していないのは警備のためか、それとも景色の問題かはよくわからない。多分両方だろう。
私はまだ外から城の全体像を眺めたことはないが、自室の窓から各棟の外観の一部を覗う事ができる。丸みを帯びた屋根や壁を彩る意匠は艶やかで精緻。アディンセルの屋敷や文化はだいぶ西洋寄りだったから、中東や東洋に似た要素が多分に含まれるサラストスの雰囲気は新鮮でもある。
「ふぁ…」
鏡台の前に座って小さなあくびを一つすると、窓の外へ向けていた視線を鏡へ戻す。
「今朝はずいぶん暖かいわね、イルマ」
私は背後で髪を梳かしてくれているイルマタルへ、鏡越しに声を掛けた。
あれから彼女との関係は一気に改善し、今では『イルマ』という愛称で呼ぶようになった。少し馴れ馴れしいかと心配だったが、本人は涙を流して喜んでいたので良かったと思う。多分。
身だしなみを整えて衣服に袖を通す。サラストス仕様のドレスは長袖で、長い前開きのガウンのような形状だ。袖口は広く、腕を動かすと羽のようにひらひらして美しい。ベルトは幅があり和服の帯にも似ていて、スカート丈は踝ほど。中にズボンのような白い下穿きを履いているので、非常に動きやすい。
私の衣装部屋にはアディンセルで主に着られていた西洋風のドレスもあり、倒れる前は其方ばかりを身につけていた。しかし最近は、専らサラストス風の衣装を着るようにしている。その方が黒髪に蜂蜜色の肌という私の容姿に似合うのもあるが、魔人の国でわざわざ人間国風の服を着るというのはおかしく感じたからだ。
着替えを終えて寝室を出ると、オリヴェルが出迎えてくれた。
「おはようございます、姫様」
「おはよう、オリヴェル。今日も良い天気ね」
朝食は、日の光が差し込む窓辺の席で頂くのが日課だ。
本日のメニューは卵料理とパン、お肉とお野菜がたっぷり入ったミルク風味のスープ、それから果実水。
前世で日本の社畜という呪われし職に就いていた頃の朝食なぞ、コンビニのワンコインコーヒーと卵サラダが挟まったコッペパン。食べられるだけ有り難いと思え精神だったが、今考えると恐ろしく貧相な食生活だった。
「…いただきます」
湯気が立つ温かな食事の有難味を心の中で噛みしめながら手を合わせていると、オリヴェルが不思議そうに首を傾げた。
「姫様、最近よくそうして手を合わせられますが、それはアディンセル王国式の食事の挨拶ですか?」
「いいえ。何ていうか…これは私流の挨拶みたいなものね」
日本ではね、などと言えるわけもないので、返事を濁しながらカラトリーを手に取る。
具沢山のスープを一口。あっさり塩味なのにお肉や野菜の味出汁がたっぷりでとても美味。パンは少し固いが、汁物に浸すと丁度良い。卵料理の中には、チーズのようなものがたっぷり入っていた。最高すぎる。
「はあ…美味しい。特にこの卵料理、絶品だわ」
コンビニ飯だのインスタントが溢れながらも美食追及なら他国に決して負けていないと自負する食道楽国家ジャパン育ちの私であるが、この城の料理には大満足である。
ちなみに、記憶が蘇る前の私も食事についての不満は一切無し。正直なところ、アディンセルで食べていたものより数段美味である。
アディンセルの使用人達は、魔人の国・サラストス連合国はとても野蛮でまともな文化もないと噂していが、この食事ひとつとってもその話が全くの偽りであることが分かる。
こんな当たり前の事に、どうして今まで気付けなかったのか──とは、思わない。インターネットもスマホも無いこの世界の、しかも屋敷の敷地内だけで育った子どもに、冷静に客観視しろと言うのは無理難題だ。今私がこうしてあっさり異文化に馴染んでいるのは、前の世界の記憶があればこそ。魔人だろうが人間だろうが、全て“異世界”の一言で括れるからなのだ。
小柄な少女向けにしてはかなりボリュームのある朝食を綺麗に平らげた後は、オリヴェルが入れてくれるお茶で一休み。
アディンセルでは紅茶一辺倒だったが、サラストスには色々な種類のお茶があり、地域や種類によって好まれるものも様々だという。植物の扱いに優れた種族が色々開発した結果だそうだ。ちなみにここ、首都コカイスタでは香草茶が主流だ。
オリヴェルが私に淹れてくれるのも、この香草茶である。
爽やかな香りが、冬の間に縮こまった体をしゃっきり伸ばしてくれるよう。
「本日は天気も良いですし、城の中庭でも散策してみてはいかがでしょう」
オリヴェルの提案に、私は笑顔で頷いた。
この城に来て1年、引きこもり続けた日々はそろそろ卒業。いよいよ初めての城内散策である。
とても楽しみだ。