1章-14 指南役と騎士団団長
訓練後のお茶会、もとい反省会を終えて回廊を進むヨウシアの背に、声を掛ける者があった。
「ヨウシア様、先ほどは鍛錬中に失礼致しました」
「おや、ヘルマンニ殿ではございませんか」
ヘルマンニ=トゥオモラ魔王騎士団団長は、現・次期魔王剣術指南役であるヨウシア=サーリストに向かって頭を下げた。
「ご無沙汰しております。御高名なヨウシア様と、魔道士団長の覚え目出度いティルダ嬢が揃っていらっしゃると聞きまして、一つ拝見させて頂きたいと後学のため参った次第で」
「ティルダ嬢は兎も角、私など大したものではありませんよ」
「ご謙遜を。想像以上に凄まじい内容でございました。大変勉強になりました」
「あはは。それは良かったです」
生真面目な性格そのままに、ヘルマンニの話しぶりは至極丁寧だ。人によっては堅苦しさすら感じそうな態度だが、彼の人となりを知っているヨウシアは特に気にした様子も無く、普段と同じ気の抜けた雰囲気を漂わせている。
「それにしても、ヨウシア様がまさか直々に教鞭を取られるとは」
嫌味ではない。素直な感嘆が籠った口ぶりに、ヨウシアがにこりと笑った。
「ラーファエル様から直々にお声掛け頂きましてねぇ」
「宰相様から?」
「尤も、剣を学びたいと言い出されたのはヴィルヘルミーナ様ご本人ですが」
「何と。てっきり宰相様や姫の近くに居る者が進言したのかと思っておりました」
ヘルマンニが意外に思うのも無理はない。城勤めの者が持つヴィルヘルミーナの印象は、気弱で虚弱な魔人嫌いの引きこもり。自ら鍛錬を申し出るような闊達さとは無縁なはずである。
「ヴィルヘルミーナ様も色々と思う事がおありなのでしょう。私が言うのも何ですが、剣を使わずに済むなら何よりですがねぇ。そうも言っておれません」
「……そうですね…」
ヘルマンニは、謁見の間の事件に居合わせていた一人だ。更には立場上【滅魔】の件も情報開示されている。故に、ヨウシアの言葉の重みは十分理解した。
あの時、騎士団はヴィルヘルミーナのすぐ傍に居ながら未知の力に阻まれ何もできなかった。もしヴィルヘルミーナに治癒の力が無く命を落としていれば、今頃この国はエングルフィルドとの戦へと突き進んでいただろう。開戦派と穏健派で内乱が起きていた可能性すらある。
「…あのようなこと…二度と繰り返してはならぬと、強く思っております」
「そのために私達ができるのは、ヴィルヘルミーナ様に強くなって頂くお手伝いをする事くらいですからねぇ…」
危機は来る。必ず。
その為に周囲ができる事は、彼女を護る者達をより強くする事と、ヴィルヘルミーナ自身をどれだけ強くできるか、それだけだ。
「姫も頑張っておられるのですね」
ヘルマンニは初めて見た時のヴィルヘルミーナを思い出す。
先代に良く似た顔立ちながら、黄金の目を不安に潤ませて終始俯いていた。着慣れないサラストス様式の豪奢な衣服を纏い、怯えと拒絶に身を震わせていた。年齢よりも小さな体に、触れただけで折れそうな細い手足。見ている此方が心配になる程弱々しかった。
それが一体どうしたことだろう。訓練場を飛び跳ね、剣を振り、魔法を揮う。くるくるとよく変わる表情を土や汗で汚し、それを気にも留めない。小さな体は生命力に溢れ、細い手足はバネのようにしなやかだった。
ヘルマンニは、魔王を護る事を己の使命とする生粋の騎士である。彼女が怯えれば寄り添わねばと思うし、悲しめばその原因を取り除かねばと考える。重要なのは魔王たる正当な血筋を守る事だけで、混血だとか性格が内気だとかは些細なことだ。それは騎士団にて受けた教育の成果でもあるし、生来の実直さにも由来する。そうした背景もあり、普通なら怪異とも思う彼女の変わりようを、ヘルマンニは好意的に解釈していた。
だが。
「…騎士団には、姫を半魔と侮る者が多く居ります」
それは、この城に勤める者なら大抵の者が知っている公然の秘密だ。
ヘルマンニは“まだ”50代。人間ならばそろそろ人生も終盤に差し掛かる頃だが、魔人の中ではまだまだ若手と言っても良い年齢だ。本来なら師団長がせいぜいの年頃であるが、前の騎士団長やその周辺は先代魔王が命を落とした時に責任を取り一斉に辞職したことで、なし崩し的に今の地位に就いたという経緯がある。故に、同じ世代やそれ以下の者にはどうしても軽く見られる事があり、気苦労が絶えない。
そんな中、次代の魔王であるヴィルヘルミーナがサラストスにやって来た。彼女を護る立場である騎士団は、護るべき王が半人半魔であることに戸惑い、引きこもり続ける姿に失望した。古参が消え只でさえ不安の多かった騎士団は、たった一年の間に著しく士気が落ちた。あの謁見の間の事件の直後にさえ、悪態を吐く者がいたほどに。
魔王継承の儀が終わるまで、エングルフィルドとの開戦は見合わせる。
この決定が下されると、騎士団の中でも血気盛んな者達は口々に『即時開戦せよ』『戦になればサラストスは強い』『人間相手に負けるわけがない』と豪語した。中には『人間に易々と斬られるような半人の弱き魔王などむしろ不要である』とのたまった者も居る。
確かに、魔人と人間、一対一ならば大半の魔人の方が強いだろう。しかし彼らは知らないのだ。【滅魔】がどれほどに恐ろしいか。そして何故魔人が魔王を必要とするのかを。
【滅魔】については緘口令が敷かれているため騎士団全員に伝える事はできない。だが魔王のみが持つ特殊な力については何度も何度も教えたはずだ。しかし、実際に戦場での魔王の力を理解しない者は多く、腕に覚えがある者ほど、此方の話が魔王への忠誠心を植え付けるための大袈裟な世迷言だと曲解し反発するのだ。
「先代様がお亡くなりになった時に、実戦経験の豊富な古参の者が一気に辞めてしまいましたからねぇ…世代の分断はなかなか埋めるのは難しいですよねぇ。今の騎士団に、先代や先々代の魔王様と共に遠征した経験のある者はほとんど残っていないでしょうし」
「お恥ずかしい話でございますが、戦の経験が豊富なバイナモ様達と、王宮にて守備に徹しがちな騎士団とは、どうしても温度差があるようでして…」
「それも致し方ないかと。実際、バイナモ様の、あの…ああいう方というのはある意味特殊ですし、比べる事ではありませんよ」
ヨウシアが何とも言えない顔で言葉を濁すと、ヘルマンニが強面を苦笑で歪めた。
「お心遣い有り難うございます。ですが、やはり全て私の力不足でございます」
ヘルマンニの率直な言葉に、ヨウシアが笑みを深める。
苦況にも腐らず実直に職務に当たる姿勢を見るに、ヨウシアはヘルマンニが騎士団長に選ばれた事は正解であったと思い、同時に彼を推薦し承認したバイナモとラーファエルの目の確かさに感心した。
「…私のような若輩では騎士団は到底纏められぬと、辞表を書く寸前でございましたが…実は最近、団の馬鹿者どもがようやく少し変わり始めております。姫や従者の童達が此処で泥まみれになり鍛錬に励んでいる姿をちらちらと見ておるのでしょう。本当に少しずつではありますが、不遜な発言がなりを潜めてきました」
軍も騎士団も、エングルフィルドに対する敵意は並みのものではない。戦を止めようとする文官らとの関係は一触即発であった。そこにきて、成り損ないの臆病者と侮っていた──本人は全く預かり知らぬ事だろうが──姫が、訓練場で鍛錬を始めたのだ。
毎日毎日、雨が降ろうと風が吹こうと小さな体を泥まみれにして頑張る姿に、悪口雑言を繰り返していた者達は一人、また一人と沈黙し始めた。訓練内容の苛烈さも要因の一つだ。
魔人は強い者を尊重する。努力を尊ぶ。騎士団や軍など戦いに身を置く者は特にその傾向が強い。弱いだの半魔だの子どもだのと侮っていた相手が、過酷な鍛錬を続けているのだ。その上彼女は、驚くべき速度で強くなっている。少しでも見る目のある者なら、恐ろしい速さで成長する彼女に脅威すら覚えたことだろう。
ヴィルヘルミーナが訓練を始めて約3ヶ月。たった3ヶ月ではあるが、確かな3ケ月でもある。今では彼女を表立って謗る者はだいぶ少なくなっていた。
「騎士団や軍の者がよく通る此の場所を選んだのは偶然でございましょうが…大変助かりました。感謝申し上げます」
「礼ならばラーファエル様へ。あの方が、これくらい広くないとそれなりの事はできないだろうと場所を準備してくださったのですよ~」
「…そうでしたか。宰相様が」
ヘルマンニがしみじみと呟く横で、ヨウシアは宰相の澄まし面を思い浮かべ薄く笑う。
ヨウシアとラーファエルの付き合いは長い。
ヘルマンニの苦境を知って助け舟を出したつもりか、それともヴィルヘルミーナの姿を見せる事で彼女の存在を認めさせようとしたのか、あるいはその両方を狙ったか。もっとも、ヴィルヘルミーナ自身の頑張りが無ければここまで事は上手く運ばなかっただろうが、それさえも計算の内なら流石である。
「ヴィルヘルミーナ様にはまだまだお強くなって頂く必要がありますのでねぇ、今後もこの場所はお借りしますよ」
「それは良いのですが…ヨウシア様はまさか、今以上の内容をお考えで?」
ヘルマンニがごくりと唾を飲み込んだ。
ヴィルヘルミーナも従者の2名も、ヘルマンニから見ればまだまだ子どもだ。しかし先ほど見た訓練内容はかなり苛烈である。時間は短いものの、中身の濃密さは騎士団でもなかなか見ない程。それでもまだ物足りなそうな顔をするヨウシア=サーリストに、ヘルマンニの背筋に冷たいものが走った。
「そうですねぇ…油断する回数も減ってきましたし、そろそろまた次に進みますかねぇ。ティルダ嬢に、もう一つ並列稼働させる魔法を増やすよう提案しますか」
「…並列稼働?…まさか、姫は今、魔法をいくつも使っているのですか?」
「まだ【身体強化】【自動回復】の2つだけですよ。最低限これくらいできていないと、お話になりませんからねぇ」
驚くヘルマンニに、ヨウシアは事もなげに返した。
「…姫は、ついこの前まで魔法を使ったことが無かったと聞いていたのですが…」
「驚異的な速さで習得されてますよ。ティルダ嬢も大変愉しそうです」
ヘルマンニはとうとう言葉を失った。
魔術師団の最終兵器、灰塵の使徒、千手の疾風──様々に呼ばれ畏れられている魔法狂いが楽しみにしているほどか、と。
「刀の扱いも、初めてにしては意外なほど基礎ができておりましたねぇ。構えも踏み込みも、まるで誰かに教わったかと思うほどです。まあそんな事はあり得ませんが」
「……それほど、才能がお有りなのですか、姫は」
「少なくともその辺りの剣士などよりはお強くなるかと」
ヴィルヘルミーナが前の世界で剣道経験者だった事など、ヨウシアは勿論知る由もない。故に、彼女の剣の、それも一般的な認知度の低い“刀”という特殊な武器の扱いの巧さを奇異に感じはする。だが、ヨウシアは理解している。“疑うのは他の者の仕事”であることを。
ヨウシアは、すぐ隣で難しい顔で腕組みしているヘルマンニを見た。生真面目で篤実な男である。よもや辞職を決意するほど思いつめていたとは驚きだが、思いとどまってくれたのはサラストスとしては僥倖だろう。
ラーファエルとは昔からの付き合いがある。それに、予てより“主”からも万事恙ないよう立ち回るようにとの指示を受けていた。そういった前提に気紛れさも加わり、ヨウシアは目の前の男を少しばかり援護してやろうかという気になった。
「まあ、私から偉そうに言えたことではありませんがね。騎士団で働かない方には、私が『腐っているとそのうち仕事が無くなりますよ』と言っていた、とでもお伝えください」
その言葉の意味を分からぬヘルマンニではない。鋭い目元を驚きで見開いた後、謝意を示すように深く頭を下げた。




