1章-11 王子の処遇
ある日の夕刻、訓練も終わって部屋でまったり過ごしているところに、ラーファエルさんとエルネスティさんがやって来た。
オリヴェルやイルマタルは宰相の急な来訪に多少驚きはしたものの、さすがと言うべきか、すぐに普段通りに動き始めた。
ちなみに私はというと、イルマタルに小声で「姫様は先に座っといてください」と言われたので、大人しくソファに座っていただけである。
ラーファエルさんと直接会うのは、バイナモ様が同席した日以来。かれこれ2ヵ月ぶりとなるが、相変わらずと言うべきか、此方が気後れするほど見目麗しい。
秀麗な顔立ちもさることながら、自ら光を放っているかのように輝く見事な黄金の髪にはついつい目を奪われてしまう。多忙なはずなのに、白い肌は激務の影響など一切無く陶器のように滑らかだ。
優雅な動作で香草茶を口に運ぶラーファエルさんと、彼の隣で静かに資料に目を落とすエルネスティさんを眺めていると、美しい一枚絵を見ているような気になってくる。
それにしても、以前の私はこの二人の一体どこが恐ろしかったのだろう。綺麗すぎて恐いというならまだ分かるが、本気の怖がりである。
つくづく、先入観による思い込みというのは凄まじいものだ。
「ヴィルヘルミーナ様、急なことで申し訳ありません」
「いえ。いつもこの時間は空いているので大丈夫です。ところでラーファエルさん、話とは何でしょうか」
「直接お伝えしなければいけない話がありましてね。──エルネスティ」
「はい」
ラーファエルさんの隣にいたエルネスティさんが、私に向き直った。
「ヴィルヘルミーナ様、これより【防音の術】を組みます。少し耳に違和感があるかもしれませんが、大事はございません」
直後、耳がつまった感じがした。【防音の術】とやらが発動したらしい。
名の通り、話し声が外に聞こえないようにする魔法だと思われる。わざわざこんな魔法を施すということは、これから話すのは機密レベルが非常に高い話題なのだろう。
私の傍に控えているオリヴェルとイルマタルの2人も緊張しているのか、普段より幾分か表情が固くなっている。
「早速ですが、ウィルフレッド王子の処遇が決定しましたので、ご報告します」
ラーファエルさんの言葉で、私の肩に力が入った。
エングルフィルド王国の第一王子、ウィルフレッド=クロックフォード=エングルフィルド。現在は貴賓牢にて軟禁されているとだけ聞いている。私の要望が通っているのなら、無体な事はされていないはずだが。
「彼の身柄はサラストスで保護する事になりました。後見人はバイナモ様です。今後は国軍に入り、バイナモ様に付いて国内のあちこちを周ることになるでしょう」
「そう、ですか…」
ウィルフレッド王子は母国の使者に殺されかけた。国に戻されれば生命の安全は無いだろうし、サラストス国外に放逐されたとしても生きていくのは難しい。しかし、サラストスが保護するのなら、生命の安全は確保できたと見て良い。それにバイナモ様という有力者が後見人になってくれるなら、今後の生活も心配ない──はずだ。
「ただ、彼の生存がエングルフィルド側に知られると再び命を狙われる恐れがあります。ですので、ウィルフレッド王子は名を“ランベルト=ヘーベルシュタム”と変えました。出自も“バイナモ様の遠縁の混血児”ということにしてあります。ヴィルヘルミーナ様も、今後は彼をウィルフレッド王子ではなく“ランベルト”とお呼び下さい」
「ランベルト様…」
「敬称は付けぬよう願います」
被せ気味に言われてしまった。
ラーファエルさんの言いたいところも分かる。出自を偽装する以上、突っ込まれるような言動は避けねばならないのだろう。彼が命を狙われているなら尚の事、慎重を期すべきだ。
正直、私の中の庶民魂は「王子様を呼び捨てはちょっと…」と引いているし、アディンセルの貴族として培った常識が「エングルフィルドの王族には最上級の敬意を払うべし!」と主張するのを感じるが、現状を考えると致し方ない。
「…分かりました。ええと、そうしますとランベルト、は、今後は国内で自由に生活する事になるんでしょうか?」
「全くの自由というわけではありませんが、通常生活する分に不自由は無いはずです」
ということは、今後は普通に会って話をするのも可能なのだろうか。一度くらいは直接会って状況を確認したいが、流石に心配し過ぎだろうか…。
もやもや考えている私を他所に、ラーファエルさんは淡々と説明を続ける。
「それから、ランベルという名で正式なサラストス国民となるにあたり、魔法による契約を締結して頂くことになりました」
「魔法による契約?」
「【隷属の契約】です」
「れいっ!?れ、【隷属の契約】とは、あの!?ウィル…じゃない、ランベルト様に!?」
「“ランベルト”です」
「でも、それは!」
「契約は締結済みです。もう覆りません」
「…そんな」
【隷属の契約】とは、その方面にあまり詳しくない私でも知っている、大変有名な魔法契約だ。
魔法による契約は、この世界ではそれほど珍しくない。
例えば、貴族の屋敷に勤める者や宮廷で国家機密を扱う者は、職務上知り得た情報を口外しないという秘密保持契約を魔法で結ばされる。商人同士の取引でも使われるし、時には国同士の条約締結時に併用されることもある。
そのように、魔法による契約は簡単な取引契約から服従契約まで多種多様存在するが、その中でも最も特殊かつ重いとされるのが【隷属の契約】だ。
これは契約というよりも呪いに近く、隷属者は契約主に一切抵抗できないし、他の契約と重複させることや、外から強引に解除させるのも不可能。書面で交わした内容は解除条件が満たされるまで絶対に覆らない。契約に反すれば耐え難い激痛に襲われ死に至る。
【隷属の契約】の魔術構造は難解で強固、またその罰の苛烈さから取扱は非常に難しいとされ、一般社会で目にする機会はほぼ無いとされる。
では【隷属の契約】はどういった時に適用されるのかというと、王族や高位貴族といった社会的立場が非常に高い者が罪を犯した場合だ。
例えば、反乱を起こした者には二度と逆らえないような内容の契約を。また、お家騒動に巻き込まれた者が謀反などを起こさぬよう抑止力の意味で施される場合もある。或いは事情があって死刑にできない相手に、死の代わりに尊厳を貶めるような契約を結ばせることすらあるらしい。
活用法は様々あるが、【隷属の契約】とは、高位の者にとってはそれを施されること自体が最大の不名誉であるとも言える。
「やりすぎではないですか?彼は別に私を殺そうとしたわけではありません。巻き込まれただけです。それなのに【隷属の契約】だなんて」
「無論承知しています。しかし我が国の大多数にとっての彼は、“魔王の後継者を害した敵国・エングルフィルドの王族”です」
感情を抑えるのに精一杯な私とは対照的に、ラーファエルさんの口ぶりはひどく冷静だ。
「此処には彼を良く思わぬ者は多い。我々としても、彼がエングルフィルドに通じているのではないか、もしくは利用されるのではないかという懸念が無いとは言い切れない状況です。そうした疑いを払拭する為にも、今後どのような状況に陥ろうとも絶対にサラストスに敵対しないという契約を結んで頂きました」
「それにしたって【隷属の契約】はあまりにも重すぎると思います。魔法による契約は他にもあるじゃないですか。例えば【服従の契約】とか…」
「全く足りません。ご存じの通り、【隷属の契約】は重い。だからこそ、処遇が甘いと考える者を説得する材料になります」
「…そう、ですか…」
私は何とかそれだけ返すと、しょんぼりと肩を落とした。
事情は分かった。それぞれの立場も、頭では理解できている。この世界の価値観と今の状況を考えれば、ラーファエルさん達の判断は決して誤りではない。
ただ、私の心の処理が追いつかないだけだ。
ウィルフレッド王子──もといランベルトは、私の中ではあくまでも“未成年者”であり、被害者だ。重罰のような契約を負わせるよりも、大人たちの手で彼の心身のケアをすべきではないか…そんな風に考えてしまう。
俯いて黙り込んだ私に、ラーファエルさんが再び声を掛けてきた。
「もしご心配なら、直接会って話をしてみますか?」
「…え。良いんですか?」
「ヴィルヘルミーナ様が、次期魔王としてバイナモ様の新しい養子と面会する、というのでしたら可能です」
「お願いします!」
その答えは既に予想していたものらしく、ラーファエルさんはあっさりと頷いた。
「では、早速手配しておきます。それと、もう一つ」
「は、はい」
早速の話題転換に、私は反射的に返事を返してしまった。ランベルトの境遇に思いを寄せる余韻もへったくれもない。
「ヴィルヘルミーナ様には申し訳ありませんが、当面の間、不特定多数の前に出るような式典は、全て欠席して頂くことになりました」
「んにゃっ!?」
これまた予想もしない話に、私の口から変な声が漏れた。
サラストスに来て約一年、私は数々の公式行事的なものをほぼ全て欠席してきた。しかし毎回事前に出席の確認はしてもらっており、席も用意されていたはず。
それがまさかの、先方からのお断り宣言である。
「ラーファエルさん…あの、そ、それは…今までどおり、ということですか?」
「いいえ。今まで以上に、完全に、です」
「も、もしかして、お払い箱っていうことでしょうか!?」
焦りから、額の辺りに気持ちの悪い汗が滲んできた。
まさかこれは、いわゆるリストラ的なことなのだろうか!?
「たっ、確かに去年はろくに出席もしませんでしたし、出ても挨拶もしないで退席するとか…その、駄目駄目でしたけどっ!今度からは心を入れ替えようと…」
「ふふっ」
あたふたと言い訳めいたことを並べていると、斜め前あたりからふんわりした笑い声が聞こえてきた。見ると、エルネスティさんが口元を手で押さえて肩を震わせている。
「あ、あの…?」
「お払い箱だなんて…ふふふ。有り得ませんよ。ヴィルヘルミーナ様の代わりなどいないのですから」
エルネスティさんはそう言って、とうとうクスクス笑い出した。
「ええっと…それじゃ、どういう理由で…」
「エングルフィルドからヴィルヘルミーナ様の身を守る為です」
答えたのはラーファエルさんだ。
「あの国がもしヴィルヘルミーナ様の無事を知れば、まず間違い無く再び命を狙ってきます。しかも次はどんな手を使ってくるか分かりません。余計な危険を招くような真似は我々としても避けたいところですので、当面の間は“ヴィルヘルミーナ様は意識不明の重体” という虚偽の情報を外に流し、相手の動きを止める事にしました。そういう次第ですので、暫くは衆目に触れないようお過ごし頂きたいのです」
「そういうことだったんですか…」
戦力外通告ではないと知って安堵するも、直後、自分の置かれた立場の危うさを知って背筋に冷たいものが走る。
『呪われし魔の国め。このまま潔く滅びるが良い』
最後にそう言い放ったのは誰だっただろうか。
今の私は、箱庭育ちの無知な子どもだった私とは違う。エングルフィルドが向けてくる憎悪を、殺意を、文字通りこの身で理解した。
彼らは尊敬できる隣人でもなければ、清廉潔白な正義の王国でもない。公的な約束事を破って子どもだった私と自国の王子を殺そうとした、恐ろしい存在なのだ。
痛かった。怖かった。悲しかった。──小さなヴィルヘルミーナの絶望を思い出して、喉の奥が熱くなる。
私は震えそうになる手を膝の上で固く握り締めて、小さく息を吐いた。
ラーファエルさん達は、私が二度とあんな目に遭わないよう尽力してくれている。私も、身を守る力をつけるべく日々努力を続けている。だから、過剰に怯えることはない。
冷静に話をしなければ。
「…そういうことなら、これからは部屋から出るのも控えた方が良いですか?中庭や訓練場を行き来する時などに、かなり人目についてしまっているのですが…」
折角引きこもりから脱却できた矢先だが、背に腹は代えられない。部屋にこもるよう指示されたら、従うつもりだ。命を狙われるより、不名誉と不自由を受け入れた方がマシである。──そう覚悟していたのだが、返ってきた答えは意外なものだった。
「いいえ。城の中ならこれまで通り自由に過ごしていただいて問題ありません」
「でも、お城には色々な人が出入りしますよね。変な人が入り込んで来たりしません?」
「アイノア城、特にこの北塔は警備が厳重です。魔術的な防御機能も揃えているので、まず並みの人間には突破できません。万一ヴィルヘルミーナ様の無事が城内勤務者の口から洩れたとしても、所詮は噂ですからね、いくらでも誤魔化しできます」
どうやらこの城──というか私は、想像していたより遥かに厳重に守られているらしい。
「それでもご心配でしたら、先日エルネスティが渡した指輪を使ってください。魔王は黒髪金目だというのは有名なので、色を変えれば刺客の目も欺けるでしょう。もし間者が居れば、の話ですが」
そうだ、指輪があった。
あの指輪で色を変えてしまえば、面識のない者は私のような子どもがまさか魔王の後継者だとは思うまい。
「それから、先ほど公式行事は全て欠席と言いましたが、一般に非公開の祭祀には参加して頂きます。部外者が参列しない行事に関しても、場合によっては参加をお願いするかもしれません」
「さいし…?」
そういえば、年が変わる頃に何かの儀式があるからと言われて、仰々しい衣裳を着せられたことがあった。説明も受けたような気がする。しかし結局はいつものように、儀式が始まる前に気分が悪いと主張して、何もしないまま終わってしまったが。
「あの、ラーファエルさん。祭祀って、どんなことをするんでしょうか…前にも説明して頂いていると思うのですけど、その…記憶がちょっと…」
申し訳無さと恥ずかしさでもごもご口ごもってしまったが、言わんとしたいところはラーファエルさんにすぐに伝わったらしい。
「ご心配には及びません。手順はお教えします」
「あっ、ありがとうございます!助かります!」
私はほっと胸を撫で下ろしてラーファエルさんに頭を下げた。
それにしても、この世界の祭祀というのは一体どのようなものだろう。
アディンセルでは“白の女神教”が盛んだったが、屋敷の敷地から出たことの無い私は当然ながら宗教的儀式を見た事はない。座学の授業の中で、そういう信仰があると教わった程度である。そう考えると、お祖母様もあまり熱心な教徒ではなかったように思う。
そして今いるサラストスでは“白の女神教”とは違った信仰がある。具体的にどんなものかはまだ知らないが、いずれトゥーリッキ先生が座学の時間に教えてくださるだろう。おそらく儀式の手順もその時に教わると思われる。
その後、エルネスティさんが防音の術を解除し、話題は学習の進捗状況や日々の過ごし方などの当たり障りないものに移った。
エルネスティさんはともかく、ラーファエルさんとこんなに話をしたのは初めてかもしれない。と言っても、喋っていたのは主に私の方で、ラーファエルさんは専ら聞き役だったが。
本当はラーファエルさん達の事も聞きたかったけれど、いつの間にか私が話すばかりになってしまっていて、結局大したことは聞けずに終わってしまった。




