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天涯のレグナム  作者: 原一平
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1章-8 三人で


 ヨウシア先生がイルマタルとオリヴェルに合同訓練の提案をしたのは、つい昨日のこと。その日のうちに全ての準備が整い、二人は訓練だけでなく午前中の座学も私と一緒に受けることになった。


「まさかこんなことになるなんて」


 青い顔で呟いたのはイルマタルである。

 彼女は現在、私の部屋の窓際にある丸いカフェテーブルに紙を広げて、座学の宿題に取り組んでいた。紙面には数字が並んでいるが、彼女が手にしている筆記用具は先ほどから動きを止めたままだ。昼食前の空腹のせいではなく、純然たる興味の無さ故に、彼女は先ほどから溜息を繰り返すばかり。

本日の座学の授業は算術と幾何。イルマタルは時間内に回答できない問題がいくつかあり、トゥーリッキ先生から個別に宿題を出されてしまったのだ。次の幾何の授業までに仕上げれば良いのだが、この様子を見る限りかなり手こずりそうだ。

一方オリヴェルはというと、例題から応用問題までさらりとこなしてトゥーリッキ先生からお褒めの言葉を頂いていた。私でも頭を悩ませるような上級問題まであっさり解いていたのは驚いた。あれは前の世界なら高校数学レベルの問題で、中学生の子があっさり解けるものではない…。

そんな優等生のオリヴェルは、先程からイルマタルの隣に立って彼女の手元を覗いている。


「イルマタル、早く終わらせてくれないと姫様の昼食の準備ができないんだが」

「分かってるって!もうちょっと待って!」

「あと五分で終わらなかったら、残りは就業後だな」

「そんな!」

「そんなも何も、一回習った事を忘れたお前が悪い」


オリヴェルの言葉に、イルマタルは「優等生と一緒にしないでよぉぉ…」と半泣きになりながらのろのろと手を動かした。


私達が普段使っている筆記具は、細い木炭に布を巻いたものだ。鉛筆より柔らかいが、書くのに不便はない。むしろ、ちまちまインクを付けなければならない羽ペンよりも使いやすい。

ノートは、植物紙を紐で綴じた筆記帳だ。紙質は和紙に良く似ているが、和紙よりもざらつきが少なくて書き心地は上々だ。

アディンセルに居た頃、勉強には専ら板に蝋を塗った蝋板か、羽ペンと羊皮紙を綴ったものを使っていた。なので、おそらく植物紙は一般的ではなかったのだろう。確か、本もほとんどが羊皮紙製だった。“植物製の紙”というと、お祖母様が文机の抽斗に仕舞っていた最高級の便箋くらいしか思い出せない。

一方サラストスでは、植物紙は日用品だ。東側の領地が植物紙製造に力を入れていて、大量に生産しているという。品質に上下はあるものの、勉強用の筆記帳程度ならば庶民でも気軽に購入できるそうだ。


 昼食前の休憩時間をソファの上でゆったり過ごしていた私は、香草茶を飲みつつ半べそのイルマタルに声を掛けた。


「そんなに焦らせなくてもいいのよ。私ならこっちで一人で勝手に食べるから」

「姫様大好き!」

「姫様駄目です。こいつを甘やかせないで下さい」

「オリヴェル酷い!」

「酷くない。明日もお前が苦手な科目だから後回しにはできないぞ」

「え!?明日って何やるんだっけ!?」

「古代語」

「いやああああ!」


 オリヴェルの非情な宣告を受けたイルマタルは、とうとう頭を抱えて突っ伏した。


「…イルマは古代語も苦手なの?」

「古代語どころか机に座ってやるオベンキョウは全面的に嫌いです…あたしは体を動かす方が性に合ってます…」


 確かにそんな感じがする。


「従者の職に就いたら勉強とはサヨナラできると思っていたのに」

「むしろ仕事に就いてからが勉強だろう」

「そういうとこ!オリヴェルの嫌なとこはそういうトコだよ!」

「僕も、お前のそういう面倒事を後回しにするところは良くないと思っている」

「がフッ…」


 オリヴェルの正論で心を殴打されたイルマタルが、とうとう撃沈した。


「五分たったぞ。ほら、片付けて。残りは今日の就業後だ」

「うう…辛い…」

「が、頑張ってね、イルマ…」

「はぃぃ…」


 私が声を掛けると、イルマタルはしょんぼりと頷いた。




 昼食を済ませた後は、中古の騎士服に着替えて一休み。イルマタルとオリヴェルはここで一旦一時間の昼休憩に入る。

二人が不在の間、私はソファに座って基本の魔力操作の訓練だ。

 みぞおちの辺りに意識を集中させて、自分の体内に宿る魔力を意識する。魔力をゆっくりと広げ、頭の先から足の先までしっかりと行き渡らせるように引き伸ばし、次に収縮。塊にしたそれを右手から左手へ、そして左足から右足へと順々に移動させ、最後にまた全身に広げる。外からはただ座っているだけのように見えるが、これがなかなか神経を使う大変な作業なのだ。

 基本の魔力操作を三回繰り返した後は、ストレッチと筋肉トレーニングを行う。

 全身を丁寧に伸ばし、緩め、腕立て伏せと腹筋を30回。終わる頃には、額からほんのり汗が滲むくらい体が温まる。

 そうして準備を終えたところで、私と同じような中古の騎士見習服に着替えたイルマタルとオリヴェルが戻ってきた。


「お待たせしました!」

「お帰り、二人とも」


軽い挨拶を交わしてから、三人揃っていつもの訓練場に移動した。





「今日からは3人です、張り切っていきましょうね~」

「死ぬ気で頑張りましょう」


 にこやかなヨウシア先生と無表情のティルダ先生の挨拶から始まった訓練は、これまでより更に過激な内容に変わっていた。

 今までは訓練所を10周してから、素振りや身体強化の基礎練習、基本属性の発動練習、最後に模擬試合という流れだったのだが、どうやらそれらは私に合わせた初心者コースだったらしい。

 本日はまず訓練場を20周走るところから始まった。今までの倍だ。その後、全身を強化する身体強化を発動させながら剣を振ること300回。そして強化部位を変化させながら行う組手を100セット、基本属性の初級魔法を全く同じ威力で発動させること200回。最後に、ティルダ先生が基本四種属性から無作為に繰り出す魔法攻撃を、属性を見抜いて判断し防御する訓練を200回。

 この基礎訓練だけで、私は既に足元も覚束無い状態になり、イルマタルとオリヴェルもギリギリ体裁を保っているような有様。

そんな私達に、先生方は容赦の無い要求を重ねる。


「5分休憩したら、イルマタルとオリヴェルは私と手合わせをしてみましょう~」

「ヴィルヘルミーナ様は私と基本四種の初級魔法のおさらいです」

「はい今から休憩5分、始め~」


 気の抜けた号令で、私達はよたよたと動き出した。この時間に水分補給をして少しでも体を休めなければならない。何せ、訓練終了まであと1時間もあるのだから。

 訓練場の隅にある水場で頭から水を被り、水を飲み、布で汗を拭けばもう休憩終了だ。

 あわあわしながら先生達の元に戻ると、早速後半戦が始まる。

 私はティルダ先生相手に、初級の魔法を順々に放つ練習だ。まずは火の魔法から。先生が指定した通りの規模の炎の球体を作り、なるべくゆっくりした速度で目標まで動かすというものだが、これがなかなか難しい。少しでも気を抜くと、途中で速度が上がったり軌道がずれたり、炎の大きさが変化してしまう。そうなると始めからやり直し。先生の指定通りの事が5回連続で成功すると、次は水で同じことを繰り返す。終わる頃にはヘトヘトだ。


 私が魔法の練習をしている間、イルマタルとオリヴェルはそれぞれ得意な武器を持たされて、ヨウシア先生と実戦形式の稽古を付けて貰っていた。イルマタルは両手に手甲を付け、左手に短剣を後ろ手に握った形で構えている。オリヴェルが選んだ武器は両手剣だ。二本とも刀のように歪曲した形状で、長さは長剣の半分ほど。半身に構えた姿はなかなか堂に入っている。

 稽古が始まるや否や、二人は同時にヨウシア先生に踏み込んだ。左右から繰り出される息の合った攻撃は、素人目から見ても凄まじい勢いである。尋常でない速度から、身体強化魔法を使っているのは明らかだ。しかし、手甲を嵌めた拳も、鋭い剣先も、ヨウシア先生の服の裾の端一つ捉える事ができないまま空を裂く。ヨウシア先生は、砂埃が舞い空気が鋭い音を立てる中、いつもの暢気な口調で「う~ん…年齢を考えると及第点ですかねぇ?」等と言いながらニコニコしている。

そのまま暫く攻撃を避け続けたヨウシア先生は、イルマタルとオリヴェルがバテてきたのを見て取った瞬間二人の背後に回り込み、気が付いた時には手にしていた短剣を二人の喉元に突き立てていた。

 その後、涼しい顔で「あと20分くらいは頑張って欲しかったです。もう一度同じようにやってみてください」と言って、全力を出し切ったばかりの二人を絶望させていた。


 そうして私達がヘロヘロになったところで、先生交代だ。


 既に魔力操作で精神を限界まで使い果たしていた私は、今度は刀を構え続けるという苦行に取り組んだ。ただの刀ではない、先端にはヨウシア先生が魔力で作った錘が付けられているのだ。その上この錘は、時間経過で少しずつ重くなるという特典つき。それを、身体強化の魔法を使わないで30分間構え続けるのだが、これが非常にきつい。必死で刀を握る私にヨウシア先生が「はーい、笑顔を忘れないで下さいねぇ~」と声を掛けてきたが、冗談なのか本気なのか…。

 その後の30分は、全力で身体強化した状態でヨウシア先生と試合形式で戦わされた。

身体強化を維持しながら刀を振るって戦うには、体力や魔力に加えて精神力も使う。訓練時間終了間際の疲れ切った状態ではヨウシア先生と対峙するだけでもギリギリなのに、少しでも集中力が途切れたと見做されると容赦なく声が飛んでくるので気を抜く暇も無い。

 そうして訓練が終わる頃には、私は立つ事も出来ない程疲れ果て、砂まみれになるのも構わずに訓練場に転がる事になった。


 そしてそれは、イルマタルとオリヴェルも同じ。


 散々ヨウシア先生に扱かれた後のティルダ先生である。

イルマタルの使用魔法は火と水、氷で、オリヴェルは風と水と雷なのだが、二人は各属性の上級魔法を、私の時よりも更に高度かつ緻密な指定をされ、5連続全く同じ操作ができるまで繰り返し放たされていた。

 勿論一発で成功するわけもなく何度もやり直しを要求させられるわけだが、一つ一つが上級魔法なので使う魔力も多い。全て終わる頃には、二人は魔力枯渇寸前で顔を土気色にしていた。そんな二人にティルダ先生は「これを飲んだらすぐに実戦演習を始めます」と言い、どこからともなく魔力回復茶が入ったグラスを出して、二人に差し出した。

 毒々しい緑色の液体を差し出された瞬間イルマタルとオリヴェルは絶望そのものの顔つきになり、飲んだ後は涙目で口を押え悶絶していた。

ティルダ先生は不味さに打ち震える二人に対して、非情にも「はいでは始めましょう」とだけ告げて風魔法で作り上げた斬撃を次々に繰り出していく。二人は必死に逃げて反撃しようとしたが、ティルダ先生は二人の魔法を次々と取り消しして発動を許さない。容赦ない魔法の波状攻撃が止んだ後には、満身創痍の二人が訓練場に転がっていた。



 土埃と汗にまみれて寝転ぶ私達の頭の上に、ヨウシア先生の暢気な声が降ってきた。


「今日は初日でしたので、こんなものでしょうかねぇ?」

「……」

「……」

「…あ、ありが、とう…ござい…ました……」


 何とか答えられたのは、私達の中でオリヴェルだけだった。


「さて、この後はいつものお部屋に移動して本日の反省会を行いますが、その前に…ヴィルヘルミーナ様」

「は、ひ…」


 ティルダ先生のご指名を受けて、私は地面からのろのろと顔を持ちあげる。


「な、なんでしょう、か…」


 ティルダ先生は相変わらずの無表情で、どこからともなく濃い緑色の液体が入ったグラスを取り出し、私の前に差し出した。例の、魔力回復茶である。


「…はい?」

「ヴィルヘルミーナ様の分です」

「え!?ま、待ってください!私っ、まだ魔力は残ってます!いつもこれくらいの状態で治癒魔法を使って平気でしたよね!?」

「その通り。昨日までは今の残存魔力量で問題ありませんでした。しかし本日からは3人分ですので、途中で魔力欠乏に陥るかと」

「───あっ!」


 その通りだ。今日からはオリヴェルとイルマタルが一緒なのだ。

土埃だらけの姿で立つ二人は、体中いたるところに擦過傷や軽度の火傷、切り傷などがついている。先生の言う通り、あれを全て治療するには今の魔力量では無理だ。

 絶望する私に、ティルダ先生は相変わらずの無表情で非情な宣告をした。


「ご理解頂けたようですね。では一気にどうぞ」


 勿論、私に拒否権は無い。

 途中何度もえづいて吐き出しそうになりながら、必死に口と喉を動かす。あまりのまずさに涙まで滲んできた。

ようやく飲み終えた私は、口を押えたまま蹲る。この魔力回復茶は信じられないほど不味いが、効果は確かなのだ。こうしている間にも、残り少なくなっていた魔力はじわじわと回復してきているのが分かる。

 その後、ティルダ先生の監督のもと半泣きでイルマタルとオリヴェルに治癒魔法を施したところで、2時間にも渡る訓練はようやく終了となった。



 訓練が終わって身だしなみを整えると、いつものように貴賓室に移動して反省会だ。3人で行う訓練は今回が初回ということで、先生方からは私達それぞれの力の程度や今後の予定、訓練内容等についての説明を受けた。

私はお試しコースから初心者コースにランクアップらしい。今日だけで数回意識が飛びかけたのだがこれで初心者なのか…という疑問は胸の中に仕舞っておいた。

オリヴェルは魔法も剣も習得レベルのバランスは良いが勢いに欠けること、イルマタルは逆に勢いは良いが気が散り易いのと操作が雑になりがちなこと等を指摘されていた。今後はそれぞれの不得意分野を無くすための訓練計画を組むそうだ。

 そしてこの反省会の最中。

余程疲れていたのだろう、給仕をしていたオリヴェルもイルマタルも、カップを落としそうになったり菓子を取りこぼしかけたりと、普段なら絶対にやらないようなミスを連発していた。先生達は特に何も言わずにいたが、会が終わって退出する際、ヨウシア先生が「まあ、初日ですからねぇ」と呟いたのを私達は聞き逃さなかった。


明日以降は許されないということだろうか…あまり考えたくない。






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