0章 ① 突然記憶が戻りました
初めての投稿&初めての作品です。頑張りますので、よろしくお願いいたします。
全身を襲う強い痛み。
鼻を突く鉄の臭い。
「……いた、い…」
確か…使節団を…違う、通り魔が…ああ、どういうこと。
記憶が混濁して考えがまとまらない。
頭の芯がズキズキと痛む。
薄く目を開き、周りの様子を窺ってみる。
どうやら私は床の上に転がっているらしい。
毛足の長い濃緋色の絨毯のお蔭でこうして横に倒れていても体が辛くない。絨毯の敷かれていない部分は大理石のような光沢ある白い石の床だ。倒れたのがこの絨毯の上で幸いだった。
それにしても、どうして私はこんなところに転がっているんだろう。
第一ここはどこなのか?
ふと、今自分が倒れているのは周囲より数段高い所だというのに気付いた。すぐ傍には立派な椅子まで鎮座している。まるでゲームや物語によく出てくる『謁見の間』のイメージそのものだ。
──“げえむ”?“げえむ”ってなに…?──
あれ?ゲーム…げえむ…げーむはゲーム……ぅん?。
もっと詳しく状況を知りたいと、痛む体を動かし立ちあがろうとしたその時だった。
「血迷ったか、ブルートン卿!貴殿はっ、貴殿は一体何を!」
突如誰かの叫び声が響き渡った。
声の高さからすると、まだ若い──少年と青年の間くらいだろうか。
「血迷うも何も、全ては我等の王の御指示でございます」
少年の声が怒りと焦燥を帯びているのに対し、ブルートンと呼ばれた男の声色には嘲りがたっぷりと含まれていた。
「まさか、そんな…父上が…!?貴様、戯言を申すな!」
「このような大それたこと、我らの独断であると?」
剣呑な雰囲気を感じて、私は即座に動きを止め気配を消した。ただ状況が非常に気になるので、耳だけはしっかり研ぎ澄ませておくことにする。
「ようやくこの日が来ましたよ。我らがセドリック様が王太子として揺るぎないお立場を得られる日が!」
「なん、だ、と…」
「壇上のアレも始末できた。あとは貴方を斬り捨てて帰れば、我らは英雄だ」
「そう。我らは忌まわしい魔人の首魁を誅殺し、由緒正しき王子が王となる道を拓く」
壇上のアレというのは…もしや私のことだろうか…。
自分に酔ったような演劇じみた口上もさることながら、此方を指してアレ呼ばわりは頂けない。加えて、この流れからするとこの体の痛みの原因は彼らの仕業ということか。なるほど、腹が立つ。しかしいくら腹が立つとはいえ、見つかったら非常に気まずいし、最悪何か恐ろしい目に遭う可能性もある。私は伏したまま限界まで気配を消し続けた。
それにしても、王太子とか一体どういうこと?
あとこの人達、どこの国の人?
そもそも此処はどこ?
此処は…ええとそうだ、サラストス連合国…どこだそれ初めて聞いた。ちょっと待って。初めて聞いたのにどうして知ってるの。
混乱する私をよそに、彼らの声は徐々に熱を帯び始める。
「愚か者めっ…!我らは友好の為の使者では無かったのか!争いを止め、互いに手を取り合う為に此処に来たのではなかったのか!」
「愚かなのは貴方様と、そこに転がっている女童ですよ。友好などと甘い言葉にホイホイ騙されてこの有様。甘い。貴方は本当に甘い。甘くて反吐が出そうです」
少年の悲痛な叫びを、大人たちの下卑た笑いが包む。
「さて、ウィルフレッド王子。これも王命で御座います故、悪く思わないで下さいね」
その時ふと、ぞわりと背筋に鳥肌が立った。
嫌な予感がする。
思わず起き上がりそうになるのを必死に我慢しながら、そろそろと頭を傾けて視界の隅で状況を伺う。
私が倒れている壇上からほど近い場所に、西洋風の出で立ちをした人間が6人立っていた。
文官風の服を着た中年の男が1人に、ローブ姿で長杖を持った初老の男が一人。豪華な文官服を着た小太りの中年が一人。騎士のような鎧姿の男性は二人いる。一方の騎士の手には血がべっとりと貼りついた白銀のレイピアが握られていて、もう一方の騎士は、己の長剣の切っ先を一人の少年に突きつけていた。
まだ15、6歳ほどだろうか。年の割に鋭利な顔立ちの、憂いを帯びた濃い青の目が印象的な美しい少年だ。暗めの金色をした髪は長く真っすぐで、低い位置でポニーテールのようにひとまとめにしている。金の刺繍が施された藍色の衣装は中世後期から近世頃の西洋貴族を思わせる豪華なもので、一団の中で最も高貴な立場にあるのだと一目で分かった。
「おのれ…!」
ウィルフレッドと呼ばれた少年が憎々し気に顔を歪める。
逃げないのだろうか…いや、逃げられないのだ。彼の後ろに立つローブ姿の男が、目に見えない何がしかの力で少年の動きを止めているようだ。
小太りの中年男が口元をいやらしい笑みで歪めると、直後、長剣を構えていた騎士が、その切っ先をウィルフレッドの腹の辺りに深々と突き立てた。
「…ぐっ」
意外なほど静かで、呆気ない瞬間だった。
腹の辺りから溢れた血が藍色の服を深紅に染める。騎士が長剣を引き抜くと、少年は口から大量の血液をこぼしながら膝から崩れ落ちていった。
彼を刺した騎士が長剣を一振りすると、刃についていた血は赤い飛沫になって辺りに散った。
残虐な所業の直後にも関わらず、ブルートンとその周囲の男達はまるでパーティー後のようなどこか浮ついた雰囲気を漂わせながら、雑談めいた話をし始める。
「いやあ、なんとか成し遂げましたな」
「ふ。我らには“あの力”があるのです。万に一つも間違いなどございません」
「さて、もうじき魔道具の効果が切れます故、我等も逃げませんとな」
「しかし一度きりの使い捨てとはいえ、この光の壁はなかなか便利なものですね。特定の相手のみを閉じ込められるというのも良い。戦時に役立ちそうです。もし数を揃えられるなら是非使わせていただきたいが…」
「どうだろうな。試作を重ねてようやくコレ一つ出来上がったらしいから、量産はまだまだ先の話だと思うぞ」
「これお前達、まだ全て終わった訳ではないのだぞ。そういう話は後じゃ」
「あい済みませぬ。素晴らしき効果に、つい興奮してしまいました」
「ではエイトケン卿お願い致します」
「お任せあれ」
短いやり取りの後、エイトケンと呼ばれたローブ姿の男は自身が持つ杖の先を床につけ軽く突いた。すると、杖の先から細い銀の光が伸びて彼等の足元にするすると広がり、魔法陣のような模様を描いていく。
きらめく銀の燐光に見惚れた私を、低い声が現実に引き戻した。
「邪悪なる魔の国め。このまま潔く滅びるが良い」
その呪いめいた不穏な一言は、一体誰の口から零れた物だったのだろう。
魔法陣からひと際強い銀光は放たれたかと思うと、男達の姿は跡形も無く消え去った。
「一体何だったの…」
不穏な一団が完全に消え去ったのを見届けたあと、私はのろのろと立ちあがった。
いつの間にか全身の痛みは引いていたが、代わりにひどく体がだるかった。しかも頭の中は何故か靄が掛かったように判然としない。
此処はどこで、彼らは誰で、私は誰で──。
「……友好…親善の…」
頭の中に浮かぶ単語をぽつぽつと口にしているうち、ようやく一つの事を思い出す。
「ああー!エングルフィルド国の第一王子のウィルフレッド!ウィルフレッド=クロックフォード=エングルフィルド!!」
そう、今段下の床に転がって瀕死状態になっているダークブロンドの少年は、エングルフィルド国の第一王子・ウィルフレッド=クロックフォード=エングルフィルド。私より3歳年上の16歳───ってまだ子どもじゃないか!
私は慌てて駆け寄ると、彼の傍に膝をついて声を掛けた。
「ウィルフレッド王子!大丈夫ですか!?」
「ぁ…ぐ…」
良かった。まだ生きている。
それにしてもどうしたら良いのだろう。絨毯の色であまり分からないが、思ったよりも出血が酷そうだ。このまま放置しているとそう長くないうちに死んでしまいそう。
まだ子どもなのに。
──ん?子ども?私のほうが年下なのにどうしてそう思ったの…。
「…まあ考えるのは後でいいか。緊急事態だし。…誰か!誰かいませんか!」
とりあえず誰か呼んでみようと声を張り上げたところではたと気付く。
「……これ…壁…?」
私が倒れていた壇上あたりからここまでを、乳白色の壁が囲んでいたのだ。見上げると、天井も同じ色──私達はどうやら、この白っぽい壁にすっぽりと閉じ込められているらしい。
よくよく目を凝らしてみると、壁の向こう側に人影のようなものが蠢いているのに気付いた。
一体何がどうして閉じ込められているのか分からないが、兎に角今は人を呼ぶのが先だ。此方からは無理でも、あちら側からなら壁を壊してもらえるかもしれない。
「誰か!いませんか!誰か!」
私は半透明の壁の向こうに向かってもう一度声をかけてみた。だが、壁の向こうは変わらず人影が動き続けているだけで返ってくる声は無い。
もしかして、この壁は視界だけでなく音も阻んでいるのだろうか。だとするとこのまま声を掛け続けても無意味。
とりあえず壁を調べてみようと考えて近づくが──。
「通り抜け…ぁ痛っ!何コレ!?めちゃくちゃ痛っ!」
触れた瞬間、指先に静電気に似た強い衝撃が走った。思わず指先を見ると、真っ赤に腫れている。これでは通り抜けるどころか触る事もできない。
「困ったな、どうしよう…」
ウィルフレッド王子へと視線を戻し、その顔色の悪さに焦りが込み上げる。このままでは間違い無く死んでしまう。こうしている間も、彼の体からは新しい血液がどんどんと溢れ続けているのだから。
私はウィルフレッド王子の元に近づくと、その肩に右手の平をそっと添えた。
「…どうにかできないのかな」
血止めしたとして、間に合うか?そもそも、医療関係素人の私に血止めなどできるのか?
「でも…このままじゃだめだ…そんなの駄目だよ…」
治ってほしい。どうにか、助かって欲しい。
“私”から見たら15,6歳はまだ子どもだ。中にはもう働き始める子もいるだろうが、大部分の15歳というと勉強に部活に恋に悩み、社会から守られてしかるべき存在である。
「どうにかできないかな…どうにか…傷が塞がってくれないかな…」
願いながら、私はつい先ほどまでの彼の姿を思い浮かべた。
緊張した面持ちながら、肉体のどこかを傷めた様子も無く、健康そのものだったように思う。
せめて元の姿に──願った瞬間、ウィルフレッド王子の肩に置いた掌が仄かに熱を帯び、体の中の何かがごっそりと引き抜かれるような気持ち悪さを覚えた。
「…え?───っぁ…」
直後、全身を凄まじい倦怠感に襲われて、ウィルフレッド王子の肩に凭れかかるようにしてずるずると床に崩れ落ちてしまった。
その時ふと、間近に迫った彼の顔が、先ほどとは違って安らかなものに変化している事に気付いた。肌の色も赤味を帯び、荒く浅かった息遣いも今は穏やかだ。
何が起きたかを理解するまで、そう時間はかからなかった。だが。
「なん、で……なお…った…?」
この倦怠感と何か関係があるのだろうか。
理由は不明だが、とりあえずはこれで一安心かと胸を撫で下ろした時、パリン、とガラスが割れるような音が聞こえた。
「…へ?」
視線を上げると、それまで周囲を覆っていた乳白色の壁が少しずつ崩れ白い粒子となり消えていくところだった。
「…綺麗…」
美しい光は見る間に消えていき、向こう側の景色が少しずつ鮮明になっていく。
やがて壁の向こうから現れたのは、騎士のような揃いの鎧を身につけた大柄の人間──では、ない。
尖った耳に、鹿のような角、あるいは鬼のような角。獣のような耳や尾。
人間の形をした、明らかに人間ではない、何か。
「ひえっ…」
驚きに目を瞠る私の上に、四方八方から大勢の声が降ってきた。
「姫様がいらっしゃった!」
「ご無事だ!」
姫様?誰が?
一体何の事か分からず首を傾げる私の元へ、ひと際体の大きな一本角の赤毛の男性が駆け寄ってきた。
「姫様!ご無事ですか!?そちらの傷は?…まさか此奴らに…!?」
赤毛の男性は、流れるような動きで私の傍に片膝を付く。様子を見るに、どうやらこの場の警護責任者のようだ。
私は何とか上体を起こすと、何となく自分の体を見下ろして思わず声を上げた。
「きず?…………うわぁ」
レースをふんだんにあしらったエンパイア風の黒いドレスが、斜めに切り裂かれていているではないか!しかも切り口には赤い何かがべっとりと付着している。服だけ見たら完全に惨殺遺体だ。
今の今まで気付かったのが不思議なほどの惨状である。
このドレスの状態から推測するに、私が受けた傷は相当大きい。素人目から見てもおそらく即死。よくて瀕死。
しかし私は今、どこも痛くない。正体不明の倦怠感があるだけだ。
一本角の彼も、私の様子がおかしいと感じたのだろう、怪訝そうに、しかし痛ましそうに表情を歪める。
怪我が無いことを伝えようとした時、私に寄りそうように倒れているウィルフレッド王子に、数人の騎士が槍を付きつけているのが目に入った。
「卑劣な人間め、何が友好だ!」
「卑怯者めが!」
「このエングルフィルドの大悪人を縛り上げろ!」
「あ、あの、ちょっと待って…」
私が口を開いた瞬間、騎士達はぴたりと口を閉じて一斉に私を振り返った。
その圧の強さに私は一瞬怯みそうになるが、寸でのところで何とか踏みとどまる。
私は、ウィルフレッド王子を気持ち庇うように体を傾けてから一本角の彼を見上げた。
彼には罪はない、むしろ彼も騙されていた事、そして殺されかけた事を伝えねば──そう思い口を開きかけたとき、一本角の彼が身につけていた銀鎧の胸部中央の、鏡のようにつるりとした部分に映りこんだ己の姿が目に入った。
年は11、12歳くらいだろうか。
スパイラルパーマが掛かったような、クルクルした長い黒髪。蜂蜜色をした滑らかな肌に、ふっくらしたバラ色の頬。紅を刷いたような艶のある唇に、長い睫毛に縁取られた釣り気味の大きな金色の瞳。
知らないはずのその顔を、私は確かに、よく知っていた。
ヴィルヘルミーナ。
これが私。私の名前。
違う。私の名前は───。
「…ぁ…」
いつもの私。
違う。私じゃない。
頭の中で相反する何かがぶつかり合った気がした。
唐突に視界がぐにゃりと歪む。
手足から力が抜けて、思考が止まる。
誰かの慌てる声が聞こえてくるが、何を言っていたのか──。
「……おんびんに…彼は…知らなくて……丁重に…あつかっ……」
何とかその言葉を絞り出した瞬間、私の意識は完全に闇に沈んだ。