47.お出かけ⑦
「見間違えかも知れませんが、もしかして後ろにアラベラ嬢が居たりしますか?」
「ああ、間違いなくいる」
「偶然じゃないですよね?」
「公爵令嬢が市場に買い物に来ると思うか?」
絶対にないとは言い切れないけど、アラベラ様に限ってはなさそうですね。
「それにしても、どうしてここにいるのが分かったんでしょうか?」
「市場に入るのに懐中時計を見せたからな。それでだろう」
「香辛料や野菜の館をゆっくり見て回りましたけど、二時間も経ってないですよね?」
「ああ」
通常、貴族の女性の身支度には最低でも二三時間程かかると聞いている。
「アラベラ嬢ってフットワークが軽いですね」
とても時間がかかるのに縦巻きロールをセットして駆けつけるとか、本当に凄い。
服装やお化粧もしっかり整えて来たのだろうか?
確認のために後ろを向きたいのに、武人らしくごつごつとした手が私の顔を固定したままなので、向くに向けない。
「見るな」
「一瞬だけとか駄目ですかね?」
「駄目だ。公爵家に苦情を入れたので向こうから話しかけてはこないが、目を合わせれば『目が合ったのに挨拶をしないのは礼を失する』などと、なんだかんだと理由を付けて話しかけてくる。だから、見るな」
「りょ、了解です」
支えてくれた腕と顔を掴んでいる手をはぎ取るようにして外し、レオナルド様から距離を取るように一歩前へ踏み出すが、肩を掴まれ引き戻された。
「えっと、何でしょうか?」
「隣に居ろ」
殺気を孕んだ視線から守ってくれようとしているのだろうが、殺気の濃度が上がったので逆効果でしかないです。
「レオナルド様。離れていた方がアラベラ嬢を刺激しないと思うのですが……」
「あの女の両脇に二名の従者がいるが、それとは別に護衛や俺達の情報を伝えた者もいるだろう。俺から離れるな」
「居たとしても肩を抱いている必要はないような……」
「ここは人が多い。人込みにまぎれて危害を加えられたり拉致される可能性もある。何があっても対応できるように腕の中に居ろ」
ただの買い物なのに命がけ!?
「そういう事なら……」
窮屈なのを我慢し、レオナルド様の腕に納まったまま買い物を再開。
って、言っても【猫のしっぽ】で扱っている肉は高級過ぎて手が出せないので、見ているだけなんだけど。
コカトリスだけじゃなく、ロックバードもレッドホーンブルもいいお値段するな……などと流し見をしていると、カランカランと振鈴の音と共にだみ声の男性が何かを叫んだ。
「何か始まるんですか?」
「おそらく巨大魚の競りろう」
「競りって金額を競って買うやつですよね?」
「ああ。見たいのか?」
「はい。見た事がないので見てみたいです」
レオナルド様に連れられ競りが行われている広場に行くと、右手に振鈴を持った卸売り人の前に番号札の付いた立派な赤まぐろが横たえられ、それを取り囲むように買い付け人が扇状に並んでいた。
卸売り人がだみ声で呼びかけると、買い付け人が一斉に手を上げた。
指の本数や曲げ方で金額を表しているのだろう。卸売り人が金額を確認すると、振鈴が鳴らされ競りは終了。次の赤マグロが運ばれてくる。
「何か、あっという間に終わるものなんですね」
「希少品の競りのように時間をかけてはいられないからな」
次から次へと流れ作業のように行き交う赤マグロを見ながらつい口にしてしまった。
「久しぶりにカルパッチョ食べたいかも……」
「何ですかそれ?」
耳聡く私の独り言を拾ったユエンさんが目を輝かせながら私を覗き込んで来た。
数歩後ろに居たはずなのに、何時の間に横に来たのだろう。
「カルパッチョというのは薄切りにした生の魚や肉にトマトやチーズをトッピングしてオリーブオイルやソースをかけたものです」
「それって美味しいんですか?」
「私は好きですけど、生ものが苦手の人には厳しいかも知れません」
「俺、生もの平気です」
「ユエン」
咎めるようなガロスさんの声にユエンさんがそちらへ向き直る。
「お前も平気だろう。ガロス?」
「いや、まあ、大丈夫だが……そうではなく、元の位置に戻れ」
首根っこを掴まれ、後ろへ引き戻されたユエンさんはカルパッチョ食べたいの会の同志を募るべく、レオナルド様に声をかけた。
「レオナルド様も平気ですよね?」
何故か無言。
苦手なら苦手とはっきり言うはずだ。言わないって事は食べたいのかな?
「晩御飯に出しましょうか?」
「いいんですか」
「私も丁度食べたいと思っていたんでいいですよ」
「やった! それじゃあ早速赤マグロを買いに行きましょう。あっちに個人用に切り身を売っている店が並んでいますから」
「だからお前は勝手に前へ出るな!」
私の隣に並び立ったユエンさんをガロスさんがすぐさま後ろへ引き戻し、注意し始めた。
いまだに無言のままのレオナルド様を盗み見れば、どうにも雰囲気が暗い。
「もしかして生魚が苦手だったりしますか?」
「いや、問題ない」
声が硬い。
やっぱり苦手なんだ。
「安心して下さい。唐揚げや煮つけも出しますから」
「それは……」
「唐揚げって、赤マグロの唐揚げですか?」
私達の会話に割って入るように、背後からひょっこりと私を覗き込むユエンさん。
「おい、こら、バカ! 止めろ!」
そんなユエンさんの首根っこを掴み、再び引き戻すとガロスさんは小声で怒鳴った。
「護衛が持ち場を離れるな!」
「離れたって言ったって、数歩だろ? それより赤マグロの唐揚げだぞ!」
唐揚げと言う言葉に魅了されているユエンさんに反省の色はなく、その所為かレオナルド様が纏う空気が僅かに温度を下げた。
ユエンさん、今直ぐに口を閉じて!
心の中で叫んだが、魅了にかかっている人間に届く訳もなく、一人唐揚げの話題ではしゃいでいる。
どんどんと場の温度が下がって行くのを感じ、重苦しさから堪らずに口を開いた。
「いやぁ~。私の作る料理をあそこまで楽しみにしてもらえるなんて、作り手として本当に嬉しいです。料理を作る者にとって食べる時の笑顔を見たり、美味しいとかまた食べたいって言ってもらえるのが何よりのご褒美なんですよね~」
褒められてとても気分がいいです。
そうアピールすると、僅かに温度が和らいだ。
「俺もお前の料理はどれも美味いと感じている」
もじゃもじゃのカツラと髭で顔は見えないものの、低く通る良い声で真面目に言われ、背中がむず痒い。
「恐縮です」
「また……と言うより毎日毎食食べたいと思っている」
「そこまで言って頂けるなんて作り手冥利に尽きます。因みに何が一番お気に召しましたか?」
「そうだな……。どの料理も甲乙つけがたいが、一度しか口にしていないからか角煮が酷く恋しく感じるな」
「それなら今晩作りましょうか?」
「いいのか?」
「レオナルド様の為なら、何時でも喜んで!」
こうして底冷えしそうな程下がっていたレオナルド様の空気をいい感じに戻したというのに。
「角煮ってなんですか!?」
鼻息荒く割って入って来たユエンさんによって、一気に引き下げられてしまった。
「ユエン。帰ったら話がある」
振り返りもせず独り言のような言葉だったが、ユエンさんの耳にはしっかり届いたのだろう。「ひっ!」と息をのむ音が聞こえた。
一瞬にして魅了から覚めたユエンさんは、その後しばらく沈黙を通した。
口を堅く閉ざしてしまったユエンさんに代わり、レオナルド様に案内され個人の買い手用の鮮魚店が並ぶスペースに来た。
コカトリスに比べれば財布に優しい金額ではあるが、あくまでコカトリスに比べて優しいだけで、個人の財布には決して優しくない金額である。
通常なら諦めるところだが、レオナルド様が食事に関してのお金は全て出してくれると言うので、遠慮なく店の選定を開始。
商品の扱いや陳列の仕方が良い店は魚を見る目もあるものだ。数ある店から一店を選び、筋の状態や色に脂の具合を確認し、店員に指示する。
「ここからここまで下さい」
「へ?」
店頭に並んでいる切り身の半分を購入するという言葉が信じられないのか、店員は目を瞬かせた。
「ここからここまで全部ですか?」
「はい。ここからここまでです」
屈強な護衛を連れている(ように見える)事から私を金持ちだと判断したのだろう。すぐさま笑顔になった。
「毎度あり」
手が空いている店員二名に声をかけ、箱に詰めるように指示した。
「大量に買ってもらったんで、これはおまけで付けておくよ」
ザル一枚分のアサリを見せられ、それならばと。
「ブラックロブスターも四匹買うので、イカもおまけに付けて下さい」
「しっかりしているな。いいよ。イカも付けてやる。四杯で足りるか?」
「はい。ありがとうございます」
レオナルド様が支払いを済ませると、商品を受け取る為の大きな机の前へ移動するように指示された。
私より前に買い物を済ませた買い手業者が左端と中央でリュック型のアイテムボックスを開けて詰めていたので、私は右端でトランクを下す。
トランク型のアイテムボックス(正確にはアイテムボックスではないけど)が珍しいのか、何人かがこちらを見たが、どう見てもただ者でない護衛三人に睨まれ、そそくさと視線を逸らせた。
レオナルド様以外にはトランクの中は見えないので遠慮なく開き、階段に待機させておいたクリーナースライムの総司ちゃんに小声で話しかける。
「五体になって、冷蔵庫にしまってね」
飛び跳ねて返事をするとブルブル震えて五体に分裂した総司ちゃんに商品を手渡と、一体目がぴょんぴょん飛びながら冷蔵庫に向かった。二体目、三体目と繰り返し、全てをしまい終わったのを確認してトランクを閉める。
うちの総司ちゃんは汚れを食べるだけでなく、お片付けもできる良い子なんです!
と、自慢したいのをグッと堪え、レオナルド様に向き直った。
「一通り見たと思いますが、この市場で他に見られるものってありますか?」
「四号館は船乗りように日用品などの店が入っている。五号館は工芸品の類だったはずだ。それに港側に出れば結構な数の屋台が出ている」
「屋台。いいですね。丁度お腹も空いてきた事ですし、食べに行きたいです」
「それならこっちだ」
買い物の為に離れてたが、レオナルド様が再び私の肩を抱いた事で、突き刺さすような視線を背中に感じ、ぞわぞわと粟立った。
買い物に夢中で忘れていた訳ではない。決して。
ただ、ほんの少し意識から外れていただけである。
それはそうと、アラベラ様はどこまでついてくる気だろうか?




