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星追いの周遊記  作者: アコルト
セレラル編
2/6

~ ジャンヌ・フィーユは無力を知る ~

説明が長ったらしいです。

色々ギリギリなお話があるのでご注意です。


夜、嫌な気がして飛び起きる。

汗が頬をつたい、顎から一滴滴り落ちる。どうも冷や汗が身体中にまとわりついて気持ち悪い。

隣になんてことないように寝息をたてる最愛がいて、大きくため息をついて顔をおおった。

また、あの夢だった。


“あの日”から幾度も幾度もこの夢を見る。

全てを奪った私には、全てを奪われて然るべきだ。その日をいつかいつかと恐々とする底なしの罪悪感が、きっとこの夢を見せるのだ。


あの双子が私を見ていたらなんと答えるのだろう。

分からない。幾日も幾年も考えたけれど、やっぱり何も分からないのだ。


もう一度寝直そう。

この泡沫に今は溺れていたい。


***


 少しばかり、年季の入った木の椅子に音を鳴らしながら腰をかける。埃臭い図書室で静寂をかけ分けて小さく紡がれる言葉に時々耳を傾けながら、私は本のページをめくる。分厚い本だ。しかも古くて全体的に黄ばんだり、所々シミや千切れたページもちらほらと目にする。この歴史を感じさせる容貌に相応しいほどの年月を過ごしてきた本であるから、私は俄然興味が湧いて、最近はずっと時間を使う最もなものはコレになってしまったのだ。

 何の本であるか………『世界史書』である。


 ただし言っておくが、これは原本ではない。読みやすいように今の言葉で書き直されたもので、一般大衆化されたものだ。とは言うものの、やはり印刷技術が拙い時のものだから少しばかり読みにくい。今となってはもっと進んだ印刷技術により文庫化されたものだってあるが、私はわざわざこの分厚い本を読んでいる。


 世界史、とは名ばかりに、もっぱら神話的な文が多い。研究されてはいるが、未だこの世界史書よりも昔を語る物的事実は無いし、語り継がれた物語もない。よって、恐らくはこの本の内容が過去に起きたことであると推察されるのだが、この中の内容は、決して論理的思考で解釈し、納得させられるだけの科学的根拠のないものばかりで、学者の中ではこれを過去起きた事実であるとする『浪漫支持派』とこれはまるで現実的でない、夢物語だと主張する『現実支持派』の二つに分かれ、今も論争がどこかで繰り広げられているのだろう。しかし、そんなことはどうだって良いのだ。


 私の名はサラ=アンダーソンという。世間では『ケアーマン』と呼ばれる特殊民族の数少ない生き残りの一人である。ケアーマンとは何か。そもそも人は何かしらの病原体が体の中に侵入した際、様々な細胞の防衛機能が働き、その病原体に対抗出来うる抗体を作り体を保全する力を誰しもが持っている。私達ケアーマンは、その力が一般人よりもよりはるかに優れており、病原体が体内に侵入したその瞬間に抗体を製造、病原体を死滅させる特殊能力が備わっているのである。おかげで珍しい病気はおろか風邪すらも引かない。

 しかしながら、その能力が仇となり、私達はこれまでの歴史の中で多く狩られてしまったのだ。わざと病原体を摂取させ、抗体を製造させ、血を抜き取り、血清を生み出す。その為にケアーマンの多くが戦争、実験などに利用されていった。だが、それは体に大きな負担をもたらす。それ故に、ケアーマンの平均寿命は一般的な人の3分の2ほどと短くなってしまっている。

 特徴は、まずは先ほど述べた特殊能力、そして一際目立つ青緑の頭髪と瞳である。薬物的、異常性を具現化したかのようなこの色は、好奇の目に晒されることが多く、今もまだ、ここで差別を受けることは少なくない。とはいうものの、私の双子の弟は、父の遺伝が強く出たことによるためか、さすがに父と同じ美しい黄金の瞳とはいかないものの、少々濁った金───琥珀≪アンバー≫の瞳を持ち、ケアーマン特有の青緑の頭髪の中には純金を思わせるような金髪がチラリと混じっているのだ。決して母と同じこの色を疎ましく思ったことなど無い。だが、私にはそういった見た目の上での父との繋がりは無いから、少しだけ羨ましいのだ。


 セミロングのこの髪は、少々読み物をするには長すぎて、時々眼前に垂れる髪を指ですくい取り、耳にかける。そのまま指をページに向かおうとすると、横から私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「サラ、待たせちゃってごめんね」


 彼女はシラー、私の弟のクラスで学級委員長の役割を果たす至極真面目でそれでいて素直で優しい人だ。数少ない親友のひとりでもある。

 世間は特異的な者には厳しいものがある。それは私も例外ではない。もちろん、弟も。

 しかしながら、そんな私達に親身になってくれるような人も一人もいないというわけでもないのだ。


「いいえ、そんなに待ってもいないわ。それに、今の私にはこれがいるしね」


 軽快に笑って今手に持っているずっしりとした本の表紙を軽く叩く。その様子に安心したのか、シラーも少し一息ついて私の隣に座る。


 ここは私の通う学校の図書室で、図書委員を務めている故に当番としてカウンター席に座って訪問者を待っている。図書室の中は閑散としまっているが、それは中にいる人が静かに本を読んでいる───訳ではなく、誰も居ないからである。


 話せば長くなるのだが、話さねばならない。そうでなければ、この世界の情勢を理解することなど、到底不可能だろう。



 私は別に浪漫支持派ではないのだが(知り合いが浪漫支持派で論文や本を出版しており、それを読んで影響は若干受けている)、おそらくそこから話し始めた方が今後の都合もいいだろう。本当は至極長い長い説明があるが簡単に説明しよう。


 かつて、神は大陸を、海を、空を生み出した。そして、そこに住まう生き物達を生み出した。生き物というのは本能的に、他のどの種よりも繁栄することを遺伝子の中で第一としているのだ。結果として、一つの種がその世界を支配することなど、至極当然の結果としてなることは明白の事実だ。そして、それが私達人類である。


 そこまでは、神の予想の範疇だった。そこから先が予想を超えてしまったのである。


 人間は何もなかった大陸に、自分勝手に、そして独自に線を引き、領土を定め、その土地を得ることを目的として争った。森は焼かれ、人だけには事足りず、他の生命は狩られ、水は汚染され、人を人が殺し、人が人を売買し、大多数の貧困者たちが飢えに苦しみ人を食べ、ごく少数の権力者たちが彼らを足元で踏みにじり肥えていった等々それはそれは、今の私たちが見ても、醜悪なものだったそうだ…別に、今の私たちが清廉潔白であるという訳ではないのだが。


 神は憂いた。それどこか、神を敬愛し、従属する使者たちさえも。しばらくは様子を伺っていたが、結局神は私たち人間を見限ってしまった。だが、人間すべてを根絶やしにする事は、これまで年月をかけ生み出してきた自然や生き物たちさえも失ってしまうことに繋がりかねない。そして何より、道は違えどもかつてそれらが育つことに力を添えていたのは紛れもない人間だった。そして、神は決意する。


 人を6つに分け、6人の使者たちが彼らを統治し、一度人を巻き直し≪リセット≫することを。

 一つは“アーレット”。地の国。

 一つは“セレラル”。空の国。

 一つは“ビトロアーレ”。水の国。

 一つは“ファトヤラ”。火の国。

 一つは“ワードラ”。木の国。

 一つは“ナトラック”。闇の国。

 そして神は、天高き雲居の地で行く末を見守ることとした。


 更に、彼ら使者を国の守護とし、それに直結して隷属する代表的存在を決めた。だが、その存在は今日では紆余曲折を経て『偉人』と呼ばれ、国の最も優秀である人的資源の扱いへと変化していった。その偉人としての地位は凄まじく、その地位を得んがために小さな闘争が生まれることもしばしばである。

 今、守護の存在は知覚的に認知されてはいない。だが、崇拝や意識の根底、文化、祭事の歴史の中で伝統的に残っているのみだ。

 あなたはこれを事実と思うか否か。

 私は───



「───そういえば」


 突然口を開いたのはシラーだ。その声で、私は顔をあげる。


「大丈夫?シエルくん」


 その問いに、私は先程あげた顔を再び伏せてしまう。シエル───私の弟は現在不登校で、私と共に学校には通っていない。

 シラーは心配そうに眉を寄せて小さくため息をついた。


「最近全然顔を見てないし、少し心配で…。シエルくんに伝えて欲しいの。1人にはさせないって」

「……ええ。分かった、そう伝えておく。あんまり期待はしないでね?」


 シラーへ笑顔を向けると、彼女も嬉しそうに微笑んで、作業に戻った。


 シラーはシエルがここへ通わないのはケアーマンに対する差別のせいで一人になることが嫌だからと思っているようだが、私にはそうは思えない。昔のこともあるだろうし、意識的に一人になっている節もあるかもしれない。だが、恐らく現在の理由はそれではない。


 何故なら、シエルは私が起きるよりも早くに布団から抜け出し、私が帰るよりも遅く家の戸を開いてくるからだ。少なくともそんな行動のきっかけが学校内での差別であるとは、私にはどうしても思えなかった。彼は強い。私以上に、悪へ立ち向かって行ける勇気を持っている。今まであえて何も尋ねることはしなかったが、そろそろ明らかにするべきだろう。

 私は意を決し、開いていた書を閉じた。

 それに気付いたシラーが目を向けてくる。


「……帰る?」

「うん、人ももう来なそうだしね」


 帰り支度をし始めた私の背中にシラーは言葉を続ける。


「お疲れ様。シエルくんのこと、お願いね」

「分かってるって。じゃあ、また明日」


 荷物を肩にかけてシラーに小さく手を振り、図書室を出た。

 この場所は前述でも述べたとおり、学校の中でも端の方に存在しているためになかなか人通りも少ない。


「…嫌な予感がする。一度教室に戻るか」


 ひとり呟き、私は昇降口へと向かっていた足を気まぐれに返して自身の教室へと向かっていった。



 私の教室は7つあるうちのその中でも比較的先ほどのところから近かったので、さほど時間はかからずに来れた。

 果たして、私の予感は当たった。

 否、外れたとも言う。

 私が危惧していたのは忘れ物のことだったのだが、そんなものは無く、ほっとして教室を出た時だった。


 隣の教室から少年達の声が聞こえて、ハッとしてその方に顔を向けるが、その声には聞き覚えがある。何度かシエル絡みで会ったことがあったはずだ。それに、彼らは家族にアーレット国の右派の陸軍軍人が居るとかで、あまり他国と関係をよく思っていなかった。シエルを差別していじめをしていたが、最近顔を出さないのでそろそろ私にも飛び火が飛んできそうだった矢先だった。


「……やだなぁ。さっさと帰るに越したことはないよね…」


 踵を返して元来た道を帰ろうとした時だった。


「オイオイ!シエルよォ!!」


 踏み出したばかりの足がピタリと止まる。


(───シエル?)


 そっと教室の前の廊下から中の様子を伺う。

 綺麗とは言いがたい机が陳列した空間の中、中央には人が4人。茶髪の中で、たった1人奇抜な薬品色の青緑が映えている。とにかく、何が起こるのかは分からないが、様子を伺うのが得策であろう。


「もう学校終わったんだけど?」

「超今更じゃん?何しにきたんだよ」


 シエルではない少年達の声だ。


「………うるせぇな。お前らには関係ないだろ」


 不機嫌そうな低い声でシエルが唸る。

 間違いない、シエルはかなりキレている。元々気の長い方では無かったから、こういうこともザラだった。だが、さすがにそろそろ姉としては謹んで頂きたいと思っていたところだった。ここからどう収拾をつけようかと頭の中で思考するが、まるで具体策は講じることは出来なかった。


「関係?…まぁ確かに、関係はないかもなぁ。でもさ、最近お前学校来なくなって、俺達すげえ心配しちゃってたのよ」

「そうそう、つまんなかったよな」

「久しぶりに来たんだから、ちょっとくらいは俺たちと遊んでいかない?」

「はぁ?意味が分からないし、もう用事は済んだ」


 シエルが生徒の脇を抜けて行こうとするのが見えたが、それを1人が阻む。


「遊んでいけよ」


 ニヤリと笑った生徒の顔をシエルがじろりと睨んだ。

 その目から放たれる殺気に、私はぞくりとする。不意に昔のことを思い出してしまった。セレラルの学校に通っていたあの日のことを……。

 今までの状況に立ち会ったことなんて無かったけれど、少なくとも、今この瞬間だけはこの場にシエルを残したままにして置くのはマズイと思った。それは直感だった。


「───ちょっと!!」


 すべての視線が、私の方へ向いた。


「ちょっと、アンタらうちの弟に何しようってわけ?」

「サラ……」


 シエルが呆気に取られたような表情で私の顔を見る。こんなにじっくり顔を見合わせたのは、何日ぶりかしら?


「くくっ…お姉ちゃんのお出ましかよ」

「シエル!帰るよ!」


 ずかずかと教室の中に入ってゆく。


「弟くんは出来が悪くて困るよなぁ?双子のくせに」

「は?」


 眉間に思わずシワがよる。


「双子のくせに、方や成績優秀の姉に方や素行不良の弟だろ?事実だろうが。本当は迷惑極まりないんじゃないか?」

「勝手な事言わないでちょうだい。そんな事微塵も思ったことなんかないわ」

「うるせえな、そもそもお前が優等生ヅラしてんのが目障りなんだろうが。ケアーマンなんて少し昔に戻れば俺達に奉仕するためだけの劣等種族なんだよ。立場ぐらいわきまえろや」


 私だけでなく、シエルの表情も固まった。

 これは、事実だ。


 ケアーマンの歴史は、酷いものだ。戦争に使われてきたのは前で述べたとおり。だが、一番酷かったことは、私達のDNAが濃ければこいほど血清としての効果が高いために、時には兄弟、親子同士で子を作らされることもあったり、女性はケアーマンを増やすため、そして兵士の性欲を満たすために利用され、男性は次々と血を抜かれて死んでいった。

 この歴史は私たちの心に深い傷を負わせるどころか、人権すらも失うこととなった経験であるが故、今生存するケアーマンの殆どは、ワードラの端の、人のいない地などで集団生活をしている。その点、私たちは異例だった。


「ははっ!返す言葉もねぇのかよ」

「どうせお前らだって、そういう戦争でうっかりできちまった子供だろ?父親の顔が見てみてぇもんだな」


 パンッッ!!!

 乾いた音が響いた。

 叩いた手のひらが熱い。人を傷つける時はその人と同じくらい自分も痛いものだと教えたのは父だった。


 父は、私たち家族の誇りだ。


「ふざけないでちょうだい…。父を侮辱するなら、さすがの私だって、黙っちゃいないわ」

「サラッ……。悪かった、帰ろう。すぐに」


 シエルが私の赤くひりつく手を取って教室から飛び出す。私たちの背中にかけられた言葉は、またしても、冷ややかな現実だった。


「お前らの大好きな父親は、家を捨てたんだろ?いいのかよ、お前らは!」


 私は静かに唇を噛み締め、シエルに手を引かれるまま学校をあとにした。



 帰路の途中だった。アーレットの国境近くまでは歩き、そこからは飛行機で飛んでいく。そして、家付近まで飛んだら、また徒歩で家に着く。腐ってもセレラル国民だ。飛行機の乗り方は10歳で既に分かっている。それに、父が教えてくれた形にならない贈り物だ。忘れるわけがない。

 ずっと静寂が私たちの間にあったものを切り裂いたのはシエルだった。


「何も言えなかった。ごめん」

「……急に何?」


 そう聞いたのに、またシエルは黙ってしまった。はあとため息をついて再び前を向いた時、シエルは語り出した。


「なあ、……親父は、なんで家を出たんだと思う?母さんに聞いたって何も答えてくれないじゃないか」

「知るわけないでしょ。でも、あの人が私たちの大好きな父親であることは何も変わらないわ」

「……サラは、サラはどうして親父のことを信じていられるわけ?だって…」

「あの人がいつか帰ってくるって言った。それなら私は待つしかないでしょう」

「……………だって、何も…何も知ることができない。何処にいるのかも、何のために行っているのかも、誰といるのかも」


 私は静かにシエルの訴えを聴く。そして、ふと違和感を覚えた。


「…ねぇ。“何も知らない”じゃなく“何も知ることができない”、ってどういうことよ」


 小さくシエルの体が強ばったのを感じた。これを逃さない私ではない。恐らくは何かがあった。そしてそれは、きっと近頃シエルが家を抜け出す理由。


「アンタ、誰に何を吹き込まれたの」


 その瞬間目の前を歩いていたシエルが止まり、勢いよく振り向いて顔を振り、大声で反論する。


「違う!違うんだよサラ。これは………」


 言葉はどんどん小さくなって聞こえない。しまいにはまた俯いてしまう。


「…わかったわ。もう暫くはあなた自宅謹慎して。夜中に出て行こうとしないで。学校にも行かなくていい。誰かと何かを話しているならそれも止めなさい」

「はあ!?ちょっと待てよ!!」


 感情に身を任せたシエルが私の方を掴んだ。自然とシエルの顔が私の目の正面に来る。不安の色ばかりが見えているのは、本心を隠せない昔からの癖だ。


「サラ、聞いてくれ。俺は親父が悪いことをしているとか、信じられないとかじゃない。これは俺がやるべき事なんだ。レナードの息子として…」


 その時、私は衝撃を受けた。悔しくてシエルの方を突き飛ばして突き放す。ヨタヨタと揺れながら体制を保ち、シエルはなお私の顔を見てきた。


「何、それ…。私はいらないって?そういうこと私はレナードの娘じゃないって、そう言いたいわけ?」

「あーっ!もう、黙って聞けよ!サラを巻き込みたくないんだ。これは、多分親父1人だけの問題じゃないんだ…。親父が昔したこと、されたこと全てが今親父が俺たちから離れている原因になってるんだよ。でも、サラだって知ってるだろ!何が起こったのかは絶対に話しちゃくれなかったけど───」

「───深夜に…泣きながらずっと謝っていたわ…………」


 シエルも私も、かつて幼い時の記憶にある父親の姿が思い浮かばれる。

 眠れなくて、こっそり自室から出た時、外の空を眺めようともせず、椅子に足ごとかけて座って膝を抱えて震える父の姿が、今も尚忘れられない。そんな時の父の髪が、悲哀を醸し出す体と対照的に月夜のように光を集めてキラキラとしたあれが、私が見たものの中で誰よりも美しく、畏怖さえも感じ取れたような気がした。


「……親父、苦しんでたよな」

「……ええ」

「……それなら、力になってやりたいと思うのも、子として当然だよな」

「ええ。でも…ひとつ聞かせてちょうだい。あなた、誰に何を吹き込まれたの」


 先ほどの質問だ。今度は、私の声に怒りなど入っていなかった。それに対し、シエルも正直に話し始める。


「数週間前…のことだったかな。知らないやつが声をかけてきたんだ。もちろん学校のやつじゃない」

「は?あんた学校生徒全員の顔覚えてんの?」

「んなわけあるか。だってあいつは普通じゃない。髪も目も、墨で塗りつぶしたみたいに真っ黒なんだよ。そんなやつ、一度見れば覚えられるだろ」

「………くろ」


 思わず復唱したが、髪も目も黒いなんて人間、聞いたことない。だって、国はそれぞれで主流の髪の色が決まっているからだ。さっきの奴らもシラーも髪と目の色が茶色だったのはここが地の国だからだ。色として考えてみると一番近いのはナトラックかもしれないが、あそこは紫の髪であって、どんなに暗くなっても黒に染まることは無い。

 ならば、可能性として残るのは私たちのような特異の民族だ。今まで沢山本を読んで来たけれど、そんな民族はいなかったと記憶している。


「素性は聞いてないの?」

「聞いたさ。でもはぐらかされてあまり教えてもらえてねぇし、なにより信用ならない。でもあいつの言うことが本当なら、あいつは親父が軍人だった頃の親友の息子なんだと」


 私は何も言葉が出てこなかった。いくら思考を巡らせても、父親が黒髪黒目の人物の話は1度たりとも話してくれたことは無かったからだ。


「親父が悪いとは言わないけど、それにしても俺たちに話してないことがありすぎるだろ…」


 シエルは、悔しいのだ。頼りにされないことも、何も聞かされなかった事実も。


「他には?その人の目的はなんなの?シエルに接触してきたなら、何らかの目的があるはずでしょう」

「……自分の父親を探すのを手伝ってくれと。あいつ曰く、親父はそいつの父親を探しに俺たちを置いてでていった、らしい」

「ますます分からなくなってきた…その人の父親はどうしていないのよ」


 その問に対しても、シエルは首を横に振った。


「俺にも分からない。とにかく、家に帰ろう。今日もそいつと会う約束をしていたんだ」

「………今まで頑なに教えてくれなかったのに、今日は随分と素直なのね。みんな教えてくれて」


 シエルはその皮肉を聞いて、バツが悪そうにそっぽを向くと家の方へ歩き出してしまった。だが、歩き出す直前に一言だけ漏らした。


「どの道今夜言うつもりだったんだ」


 それが、何を意味するか、私はこの時理解していなかった。



 私たちの家は、アーレットとの国境と隣接するセレラル国の、広大な草原───リシユール草原にある。今もまだケアーマンを狩りに来る連中は存在している。その為に、私たちの家は木を模した建物で擬態しており、傍から見ればただの巨木に見える。家に帰った時、母はいなかった。


 母の名前はチェリオ=アンダーソン。元々苗字はケアーマンの風習でなかったけれど、父さんと結婚してアンダーソンとついた。仕事は薬師。ケアーマンの薬草の豊富な知識を生かして草原や森に生える自然の薬草を使った漢方薬を作って街に売りに行くのが仕事で、週に2、3回なのだが、今日は運が悪いことにその日にぶち当たってしまったようだ。


「約束はいつなの?」

「夜8時。サラと母さんにも話していいってことになってるから安心してよ」


 早々に自分の部屋に篭ろうとするシエルの肩を掴み、制止するとシエルがものすごく期限の悪そうな目でこちらを睨んできた。その表情に、私はにっこりと微笑むと、


「一緒にお茶しましょう?」


 そう言って無理に引っ張ってリビングの椅子に座らせた。



 シエルの前に紅茶を置く。これは最近私がハマっているもので、ライムの香りが漂う爽やかな紅茶だ。そのカップをおずおずとシエルは手に取り少し匂いを嗅ぐと、少しだけ微笑んで一口を啜った。


「いい匂いだね。どこで買ったの?」

「私、最近グランドにシラーと遊びに行ってるの。そこの茶葉屋がね、すごく美味しいのよ」


 それに対し、シエルは血相を変えて吹き出した。


「はあ!?グランド!?」


 グランド、とは街の名だ。しかし、ただの街ではない。アーレット最大の街で、首都でもあり、東西南北それぞれ区域が分かれていて、その街を一周するのに一日四輪駆動を走らせても一週間以上はかかると言われている。そこの南部───専門店区にその店はある。北部は貴族区で、大勢の金持ちが住んでいる。国王なんかもそこだ。東部は居住区で、最近人口が増えてきて若干北部にも進行しつつあるらしいが、もっぱら一般人はそこに住んでいる。急を要することがあった時のために小さな病院や生活用品店などもある。西部は工場区で、この国はかなり機械的産業が発展しているためにわざわざそのような区域が設けられている。

 存外学校からは遠いものだが、鉄道なる飛行機並の早さの乗り物に乗ればすぐだし、それにシラーとならばたとえ長くても楽しいものだ。


「何か悪いことでも?」

「いや……そんなことは無いけど………。危ないんじゃないの?ただでさえその……」

「髪と目の色の話?大丈夫よ」

「それもあるけど…あんまり年頃の女の子がそういうとこ行くのは……」


 若干目を泳がせつつシエルがぼそぼそと喋る。それを見て、私は小さく吹き出した。


「心配してくれるんだ。シエルってばやっさしい!」


 ちょっとでも茶化すとシエルは顔を赤く染めて声を荒らげる。


「はあ?ンなこと思ってねぇから!寧ろお前が巨漢でもなんでもぶち倒すから大丈夫に決まってるよな!」

「ちょっ何それ!サイテー」


 シエルが優しいことは知っている。そして、それに素直になれないことも。

 それがまるで父のようだと、やはり寂しく思うのだ。


 母が帰ってきたのは日が落ち、空の色がまるで大火事のように紅く紅く燃え続ける様子から、神秘的な影を落としたような群青に染まる頃だった。


「おかえりなさい、母さん」

「ただいま。あらま、今日はシエルがちゃんと居るんだ」


 長い髪をやんわりと1本で結んで肩から垂らした青緑の髪に、同じような色で宝石みたいな目をパチパチとさせて部屋に入ってきた。シエルも優しく微笑む。


「うん、久しぶり。長く顔見せてなくてごめんね」

「……それで?」


 荷物を置きながら母はシエルに尋ねる。

 まるで全てを見透かされてるようだった。


「……うん。話したいことがあるんだ」


 母は無邪気に笑う。


「そろそろだと思った!」


 そして、シエルの目の前、私の隣に座る。私は慌てて母の分の紅茶を入れ始めると同時にシエルの言葉も始まる。


「まず、俺は学校辞めるよ」

「は!?っっアツっ!!」


 動揺しすぎて紅茶を少しこぼしてしまったが、母は少しも顔に感情を見せなかった。


「うん。これであんたの分まで無駄に払ってる学費を払わなくて済むね。良かった良かった。はいあとは?」

「………」


 少しも動揺を見せない母に若干の戸惑いを見せるシエルは久しぶりでなんだか面白い。


「あと、サラにも言ったけど、ココ最近外出してる理由。この前、黒い髪と目の男…の子に会って、そいつの父親を探すのを手伝ってくれって頼まれた」


 母の眼光が心做しか鋭くなった……気がした。


「そいつの父親は、親父が軍人時代の親友だったんだって。そんでもって、親父が今家から出ていっているのも、その人を探す為なんだって。詳しくは聞けてないけど、そいつも俺たちみたいな異民族で、なんか重いもの抱えてるみたいに見えたんだ。母さんの知ってること教えてくれないか?」


 母は目を伏せ、少しだけ紅茶をすする。


「俺分かんないよ。親父を信じて待ちたいけど、こんなこと言われたら、少しは心配になるだろ…」

「…初めてあの人と会ったの、私が11の時なんだ」

「「!?」」


 そんなこと初耳だ。というか父と母の馴れ初めなんて聞いたことない。家を出る前の生活で散々イチャついていた記憶はあるが。


「実はね、私はセレラルの軍事教育施設で医務係として働かされてたんだ。初めて会ったのは、あの人が色々なことでストレス抱えて倒れて運ばれた時に、私が看病したんだよ」


 私だけじゃなく、シエルさえも母の紡ぐ言葉一つ一つを聞き漏らさぬように耳を傾けていた。


「その時からずっと気になってて、あの人のこと。廊下ですれ違っては挨拶をして、なんだかんだ関係は続いてたし、少しは会話だってした。小さなことだけれど、私にはそれがすごく嬉しかった。だって、同じような歳で話す人なんて、いなかったんだもん」


 母が持っていた紅茶をくるくるとかき回す。香りがこちらにも飛んできて香った。だが、私たちは、それどころではなかった。


「あの人の最初の転機は、お兄さんが死んだ時」

「「お兄さん!?」」

「あ、お兄さんって言っても双子のお兄さんね」

「「双子!?」」

「飛行機に爆弾積んで、敵の国に向かって突っ込んだの。最初はあの人がその役割だったはずなのに、気がついたらお兄さんに変わってた。何があったのか、私は遠くから見てただけだったから知らない。でも、確実になにかはあって、それがあの人の心を壊した」


 ずっと母の横顔を見ていた私は思わずシエルを見る。信じられない、とでも言うような顔だった。それは、私もだ。


「それから、すれ違っても挨拶してくれなくなった。会話している姿を見なくなった。笑顔を見なくなった。常に死にたがってて、時折戦争に駆り出される時はいつも前線に出て無謀な真似をしていた」


 私たちの記憶にある父は、にこやかに笑ったり、微笑んだり、愛情が沢山の顔しかない。だから、父が心を壊して感情が消えた姿なんて、想像すらできなかった。


「2つ目の転機は、シエルが会ったっていう男の子のお父さんと出会った時よ」


 ここからが本題かとまた身構える。


「その人の名前は……」

「……名前は?」


 母の首がこてんと横に曲がる。


「なんだっけ?」

「えぇ───…………」

「覚えてないけど、珍しい名前だったのは確かだよ。確か、あの人のお兄さんの代わりに入った人だったの」

「代わり……?」


 また疑問が生まれる。


「死んだお兄さんと同室だったの。そして、あの人の心を埋めるための代わりとして、ってこと。結果は成功」

「ということは?」

「そう、完全には取り戻せてはいないけれど、また、時々笑顔を見せてくれるようになった。このまま終わると、そう思ってた矢先だったの。3回目の転機よ」


 私とシエルは顔を見合わせる。だが、次の言葉で謎がさらに深まった。


「──死んだの。死んだはずだったの。でも、あなたが会ったという子がもし本当に彼の子供なら、あの時死んだのは嘘だったということ。なら、その事を知っていたなら………あんな事には………」


 母の目から初めて涙がこぼれ落ちる。“あんな事”というものには全く検討がつかない。だが、母は首を振った。


「いいえ。これはこの事には関係ない。話す必要は無いね。そういうこと。私が知っているのはそれくらい。医療係だったから、基本ずっと別行動で、遠くからと噂からしか聞いたことがない。だから───」


 その瞬間、ドアの外からトン、と小さな音が鳴った。三人の意識がそこへと集中する。

 誰だ。

 私はいくつかの可能性を絞り出す。


 その後の反応がなくて、恐ろしくなり、救済を求めて他のふたりへと視線を動かした。

 それは2人も同じだったらしく、視線が交わった。

 母が小さく頷いた。

 シエルが進んでドアを開けに足を進める。


「そこにいるのは───」

「シエル?」


 弟の名を、私でも母でもない誰かが呼んだ。幼い少年の声だ。訳が分からなくなっているこちらを放って、シエルが一思いにドアを開けた。


「なんだ、お前か…そうだ、足はもういいのか?」

「まさか……」


 シエルに引っ張られて出てきたのは先程からずっと話題になっていた黒髪の少年だった。


「すいません…廊下まで入ったら話し声が聞こえて、話の話題が……その………」

「────セーヤ!」


 母がようやく思い出したと嬉しそうな声を上げたのを見て、黒髪の少年もたどたどしい態度から一変シエルの拘束から逃れて母の元へ詰め寄った。


「やっぱり、あなたは僕の父をご存知だ」


 母は懐かしいものを見るように目を細めて彼の頭を、顔を撫で、小さく笑った。


「そうそう…こんな顔。そっくりね」

「単刀直入にお伺いします。あなたの伴侶は何処に」

「…………」


 母と少年はじっとお互いの目を見つめ合っていたが、母が先に目を逸らして唐突に私の名を呼んだ。


「サラ」

「はっ?え、なに?」

「お茶をもう1杯用意して」

「わ、分かった」


 再び少年の方に視線を移すと、彼の肩を押してソファに座らせた。


「せっかくだからお茶していって。ね?」

「は、はあ………」


 先ほどの緊張はどこへやら。やはり私の母は最強だ。



「初めまして、僕の名前はユーヤと言います」

「お前ユーヤって言うんだ…」

「…そういえば言ってなかったね」


 シエルの手が怒りに震えている。


「ユーヤ君、さっきの質問の答えを言うと、私はあの人────レナードの行方は知らない」

「何故ですか。あなたは彼の妻でしょう?それとも、彼は黙ってどこかに消えるような人なんですか」


 その問に、母はすぐに答えなかった。


「…………あの人の考えること、私には何年経っても、分からない」


 すごく言葉を慎重に選んでいるようだった。それは、彼の名誉を傷つけないためか、母が父に対して改めて失望をしたくないからなのか。


「ならば、どこに行ったかの検討はついていますか?」


 母が黙る。すごく悩んでいるようだ。この空白の時間を埋めたくて、私は咄嗟に口を開いていた。


「…あなたはどうして、私じゃなくシエルに接触したの?」


 私が口を開くとは思っていなかったようだが、すぐに答えた。


「あんた面倒くさそうだからね」

「はあ?」

「あんたよか、こっちの馬鹿そうなやつの方が情報を取れる気がした。真面目そうな顔してるやつ大嫌いなんだ」

「お前俺のこと馬鹿って言ったか!?」

「本当の事じゃないか。名前も聞けない、知れない正体不明のやつに利用されて、かばうなんて馬鹿だろ」


 今にも飛びかかりそうなシエルを私は間一髪で宥めた。


「し、シエルが少しオツムがアレなことは分かってる」

「サラ!?」

「じゃあ、あなたはどうして父さんがあなたの父親を探しているなんてこと知ったの?」

「……シエルの方に接触したのは正解だね。アンタには誤魔化し効かなそうだし、こんな風に根掘り葉掘り聞かれていたらそれこそ面倒だった」

「こちらの情報を聞きまくったそうね。さっきも盗み聞きして。それなのにそっちの情報はくれないって言うの?情報も物も等価交換が基本じゃなくて?」

「あぁ…本当に面倒臭い。でもまぁ、いいよ。教えてあげる。僕も最初はお父と暮らしていたんだ。でも、ある時ついに見つかったんだ」

「誰に?」

「今、お父を捕縛しているどこかの組織さ。でも、僕に火花が降りかかることを恐れてお父は僕を安全な施設に預けて、そこからは知らない。お父を探したかった。だから前の住処に戻って調べたり、色々やってレナードという男にたどり着いた。お父がここを訪れたらしいことも分かった」

「なるほど、そういうことね。そっちもあんまり情報を握っているわけじゃないんだ」

「まあね。でも、ようやく進展があるかもしれない。そうですね?」


 ユーヤは母の方を向いた。母は微笑み、1枚の手紙をユーヤへ差し出した。


「なに?これ」


 シエルも不思議そうに覗き込む。


「これは招待状。宛先はヒリューさん」

「ヒリューさんの所に行くの!?私も行きたい!!」

「はっ?お前待てこら!!俺が行く!」

「私本返したいのよいいじゃん!」


 私とシエルで騒ぎあっている下でユーヤが戸惑ったように手紙を見つめていた。


「ヒリュー?とは誰ですか?」

「私の知る限り、レニーの友人で生き残っているのは彼だけよ。彼もセレラルで軍人をやっていた一人だから、何か知っているかもね」

「そうだったの?初耳…」

「彼はレニーたちとは一回り年下だから、一つ下の隊だったの。同じ班に組み込まれることはなくとも、遠目から見たことくらいはあるんじゃないかな」

「はぁ………」

「大丈夫!明るい性格の人だから緊張することなんかないよ」


 私は母の元に飛びついて、目を輝かせるように訴えた。


「ねえ!私も行きたいの!明日の学校休んじゃダメ?」


 母は困ったように眉を寄せた。


「うーん………。まぁ、1日休んだくらいじゃあなたは成績なんて落とさないし、いいんじゃない?会うのも久しぶりなんでしょ?」

「ありがとうお母さん!!」


 感謝を込めて力いっぱい母を抱く。


「明日の朝に行ってみるといいよ。飛行機は2人乗りだから定期便で向かいなさい」


 ユーヤはちらと招待状を見たあと、母に向かってきっちりお辞儀をした。


「ご協力感謝します」

「そのぐらいどうってことないよ。セーヤさん…お父さん、見つかるといいね」

「はい」


 ユーヤが外へ出ていこうとすると、シエルがそれを制止した。


「さっきは話がふさがれたけど、足はもういいのかよ。まだまずいなら家に……」


 ユーヤは少し目を泳がせたあと、無表情で告げる。


「お気遣いなく」


 そうして彼は出ていった。あっという間に過ぎていった時間だった。



 翌朝、私たちはヒリューさんの住む街へ赴いた。その地はトゥール、というセレラル最大の空港都市であり、貿易都市であるが、実態は強大な力を有する軍事都市である。街と言いつつ、超巨大な塔の集合地のようなもので、高くそびえるそこから数多くの航空機が出入りしている。この都市を訪れるためにはここからほかの都市にかけて定期的に飛んでいる定期便に乗るか、自機に乗って訪れるかのみである。

 ただ、定期便で訪れる分には何も問題はないのだが、自機で訪れる際は細心の注意を払わねばならないのだと、口を酸っぱくして父からかつて教えられた。ここら一体の航空ルートはかなり混雑しており、私的航空機同士の接触事故が後を絶たないであるとか、無免許で飛行機を運転した場合は最悪死刑になるだとか、色々あるそうだ。私たちは13歳の時に初期免許を申請、合格をしているため、トゥールへ自機で向かうことも可能だ。だが、それは二人乗りのために三人で来ることはかなわず、こうして定期便で向かっている。


 たいして目立った感動する風景もないので、ぼうっと窓から外を無心で見つめる。ヒリューさんのことを思い返していた。最後にあったのはいつぶりだろうか、数か月も前だったかもしれない。彼はアーレット出身なのか、それともセレラル出身なのかわからない風貌をしている。というのも、彼の髪が茶髪であることと、小さな瞳孔が猫のような金色に輝いているからである。以前聞いたことがあるような気がするが、「うーん、調べられる分には構わないけど、その辺あんまり答えらんないんだよなぁ」とはぐらかされてしまったのを記憶している。

 なので少し前にグランドの国立図書館でそう言った髪の色や瞳の色の論文を頭を痛くしながら漁った。結果、判明したのはアーレット人とセレラル人のハーフではないかということ。シエルのようなものだなと簡単に納得してしまった。ケアーマンの場合は血統が色濃く出てしまうから目に見える範囲でハーフらしさは出づらいが、どうやら国特有の色は1:1で綺麗に目と髪で分かれてしまうらしかった。グランドの中で著名な人が他国のものと結婚したケースがいくつか参考にと載っていて、その中には現アーレット偉人であり、発明家のギルバート氏や、グレイという世界的に評価された作家も挙げられていた。


『大変お待たせいたしました。セレラルの中枢都市であるトゥールへようこそ。ぜひ楽しんでいってください』


 お決まりのアナウンスによって意識を現実に戻される。

 横でだらしなく眠りこける弟をたたき起こし、私たちはトゥールへ一歩踏み出した。



 ヒリューさんの住む家はトゥールの中でも僻地にあり、相当都市の中心部からは離れている。そこへ向かうには、航空機から降ろされた地点から徒歩で塔から塔へ伝わる空中通路を通って行かねばならない。


「……さっきから、えーっと、ユーヤさん。随分静かだけど大丈夫?」

「………………気に、しないで」


 若干顔を青くしながら上を見つめているところを見ると、少々高いところは苦手だったと見える。まあ無理もない。高いところは地上から数百メートル、低いところでも数十メートルはあるから、きっと他国から来る観光客も落ちるかもしれない恐怖に震えてしまうことだと思う。

 さすがに、セレラル国民としてはこの程度の高さどうってこと……ない…。

 道中煽っていたシエルがユーヤくんに殴られていたのは見なかったことにした。


 こうして、ヒリューさんの家宅へたどり着いたのは昼近くになってからだった。ドアをこぶしで軽く3回ノックする。部屋の奥で小さく「はーい」と返事が返ってきたのを聞いて少しほっとした。もしも彼までいなくなっていたら、という怖さで毎度会うたびにいなくならないでほしいと願ってやまない。

 扉が開くと、肩まで伸びた茶髪を軽く後ろで結び、邪魔であるのか前髪を上げて止め、眼鏡をかけたヒリューさんが顔を出した。


「お久しぶりです」

「や、久しぶりだね。サラちゃん。今日はシエルくんと……」


 最初はにこやかだった彼の顔が、ユーヤを視界に留めて、猫のような眼を真ん丸にして驚いた。そして、普段は見ないような真面目な顔になると、家の中に迎えてくれた。


「早く入るんだ。あまり見られるのは良くない」


 よくわからないまま、私たちは彼の家宅へ足を踏み入れた。


 私たちは部屋に招いてもらった後、おそらくリビングルームと思われる場所へ通された。そして、ヒリューさんはカーテンを全て閉め、外から中を見られない状況を作ると、ようやくいつものふにゃりとした笑顔を見せてほほ笑んだ。


「はるばるよく来たね、歓迎するよ。何か飲み物でも飲むかい?といっても、簡単なお茶くらいしか出せないんだけどさ」

「え、ええ…ではいただきます」

「いや、そんなことよりも聞きたいことがあります」


 話を遮ったのは案の定ユーヤだった。

 かなり怪訝な様子で先ほど占めたカーテンを一巡した後、また話を切り出した。


「先ほどの行動…。シエル姉の様子を見るに、普段この人が訪ねる時はこんなことしない。つまり、明らかに僕の存在を気にかけた行動だ。一体、何をするつもりだ?」

「ちょっと!もしかして、あんたヒリューさんのこと疑っているつもり!?ふざけないでちょうだい!」

「うるさいよ、外野は黙っていてくれ。これは僕の問題だ。色々あったんだ、警戒なんてして当然だろ?」


 掴みかかろうとした私を止めたのはシエルだった。


「まあまあ、ユーヤも、本気で疑っているわけじゃないから。本当に疑っていたなら、そもそも部屋に入らなかったはずだし」


 と、そういわれてはっと我に返った。確かに、ユーヤを見た時の彼の表情は何かを知っている表情だった。ここまで疑り深いユーヤが素直に部屋に入ったとなれば……。


「鎌をかけられた、ってだけだろ?それくらい分かるさ」


 なんともない顔でヒリューさんがポットで湯を沸かしていた。浅はかだったのは私だった、ということに恥をかかずにはいられない。


「…ごめんなさい、考えが浅かったわ」

「ま、ま。こうして俺のことをかばってくれたってだけで嬉しいからいいんだ」


 シンクに体重を掛けながらヒリューさんは笑った。私は、思わず目を伏せた。


「で、君の質問に答えよう。えーと、まず名前をうかがっていいかな?」

「ユーヤ、です。はじめまして、ヒリューさん」

「ユーヤくん、ね。さっきの質問の前に単刀直入に聞きたい。たぶんみんなして俺のところを訪ねてきたってことはさしずめレナードの行き先を教えてくれってことかな?」


 あまりにも突然本題が始まったために、私たちは唖然として顔を見合わせてしまった。


「な、何で…」

「レナードから伝言を受けていたんだ。『もしもセーヤとそっくりな人物が訪ねてきたら、しかもシエルとサラを連れてきたなら、決して俺の行き先は教えるな』って。あいつと色々なところを巡って調べまくったからね、事情はよく知ってるよ」

「……なんで教えない!!僕は、僕は父さんに会わないといけない。そのためならなんだってする。今ここでお前を殺したっていいんだ!!」


 おそらく自衛のためであろう。ユーヤは慣れた手つきで胸元からナイフを手に取り、刃先をヒリューさんへ向けた。慌てて取り押さえようとした私たちを目で制し、突然向けられた殺意に慄くこともなく、淡々とヒリューさんは語った。


「じゃあ今ここでさっきの質問に答えるよ。君もよく知っていると思うが、君のお父さんを狙った組織は次は君を狙っている。まあいろいろ事情が重なっていてね。君が捕まってしまったら全部終わりなんだ。それこそ、今もなおレナードが、セーヤが体を張っている意味がなくなる。だから君たちにレナードの行き先を教えるわけにはいかない。おとなしくあいつの帰りを待つんだ」


 私がぐっと言葉を飲み込んだ時、シエルがユーヤを押しのけてヒリューの前に飛び出した。


「もう、散々待った!何年たつと思ってんだあのクソ親父!!」


 突然の暴言に、さすがのヒリューさんも顔をポカンとさせてシエルの顔を見つめている。


「母さんは俺たちを養うために、親父が稼いでた収入の代わりを内職を増やして補ってくれてる。サラはずっと親父が帰ってくることを信じて学校の差別や偏見に学力でも精神でも立ち向かってる。俺は頭も悪いし、すぐ喧嘩沙汰になっちまうし、まだ働ける歳でもない…。なら、俺は親父が早く家に帰れるように何かしたりするのが筋だろ!!」


 あっ、と察した。昨日彼が言っていた『俺がやるべきこと』というのは、そういった意味だったのだ。彼は彼なりに、私たち家族を救おうとしてくれていただけだったのだ。

 ヒリューさんは本当にやさしく微笑んだ後、困ったように眉をゆがめた。


「……それでも、あいつの大切な子をこうして危険にさらしたくはない。ユーヤ、君のこともだ。だから協力はやっぱりできない」


 この場の全員が、やはりだめかと意気消沈した、瞬間だった。


「って、いいたいところなんだけど、こういうこと俺が言ったって君たちどうせ行くんだろ?ならせめて俺が安全な道を最低限敷くのが仕事だよな」


 続けられた言葉に全員が絶句した、と同時に私たちの心に希望が生まれ、みんなで顔を見合わせた。

 ヒリューさんの後ろではようやく湯が煙を吹いていた。



「何度も繰り返すけど、あいつのいる場所は本当に危険だ。だから、若干の俺たちの手伝いを含めて、手間をかけるけど何重も安全策を講じてからそこに行ってもらう」

「ちなみに、その場所っていったいどこなんです?」


 ユーヤの疑問ももっともだった。

 長い沈黙ののち、ヒリューさんは静かに口を開いた。おそらく、今もまだこの件に私たちを関わらせることに心のどこかにためらいがあるのだろう。


「………ナトラックの反政府勢力たちと共にいる。そもそも入国にだいぶ審査と許可が手間かかるし、中に入っても法なんてあってないような無法地帯だ。本当は俺が保護者としてついていきたいんだけど、あいにく俺もやらなきゃいかんことが溜まっててな…」


 ひどく疲れた顔で温かいお茶に息を吹きかけて冷ましていた。彼はどうやら猫舌のようだった。こっそりとユーヤが私に質問をしてくる。


「この人の仕事って何なの?」

「基本的には古文書を翻訳して世界史書に載っているような神代の真偽を研究しているの。ヒリューさんは浪漫支持派の一人で、ここ最近台頭してきている歴史研究者よ。何冊か本を読ませていただいているけど、現実支持派の本と読み比べてもかなり信憑性のある主張だと思うわ」


 若干得意げにユーヤに話すと、彼は興味もなさげにふーんというだけで顔をそらしてしまった。


「本当はこんなことベラベラと喋っちゃいけないし、バレたら俺がレナードに半殺しにされる…。けど、俺は君たちにはすべてを知る資格があると思うんだ」

「それは、ユーヤの父親のことで?」

「それもある、だけどそれだけじゃない。レナードの昔の話も含めてさ…。戦争時代のことも、俺がレナードと会った時のことも。それは俺からじゃなくレナードから語られるべきものだろう、だから俺からは何も話さない。特に兵隊時代のことなんかは世代が違うし、俺もいろいろあったからさっぱりだし」


 何度か議題に上りつつも語っていなかった、この世界で起きた戦争のことをそろそろ私が分かる範囲内に絞られるが、語らなければならないだろう。実はつい十数年前まで世界的大規模な戦争が起こっていた。それを専門用語で『六ヶ国世界大戦』と呼んでいる。大体今から二十数年前に始まったもので、今もまだ各国のいたるところでその爪痕を目撃することができる。特に被害が甚大な国こそ、先ほど議題に上がった『ナトラック』だった。

 そもそも、この戦争の発端そのものや、終戦に結び付いた理由さえも不明瞭である点が非常に謎であり、どの国もこの戦争についてはだんまりを決め込んでいる。わかるのは初めの宣戦布告をセレラルがやったということ、戦争経験者の言葉と被害による物的証拠、戦争があったという事実のみだ。セレラルが世界統一を目論んだという意見から、未確認生命体によるジャック攻撃だとかいう根拠のない説すら唱えられている。

 正直、ヒリューさんにこの戦争についていろいろ意見を聞きたいところではあるが、今はそんな状況ではないので黙っておくことにする。


「やってきてほしいことはこれだけ、各国の偉人から聖遺物を借りてきてほしいんだ。ただ、必要である理由は言えない」


 せいいぶつ。聞きなれない言葉だ。


「それはどういうものなんです?」

「国によってさまざまだ。国から偉人と認められ、洗礼を受ける際に国から預けられるものなんだが、まあ基本一般人は目にすることはないだろうな。現在も偉人が存命の場合はそいつから借りるのでいいんだが、問題はセレラルとアーレットだ。いかんせんこの国は名飛行士だったタケシ=アマノを最後に任命されていないし、アーレット現偉人の大発明家ギルバート氏はもう長くはないだろう。おそらく聖遺物も国に帰っていることだと思う」

「じゃあ、国王に相談して借りればいいじゃん」


 シエルが首をかしげながら言う。それに、私とユーヤがため息をついた。


「あのね、偉人に預けられ、基本一般人が見ることも許されない聖遺物を突然訪ねてきた人物においそれと貸せるわけないでしょ!」

「全く考えが及んでない、能天気な意見を出して時間をとるくらいならその口をしばらく閉じてなよ」


 双方からのダメ出しに若干口をとがらせて顔をそむけた。拗ねてしまったようだ…。


「少なくとも現国王はだめだね。頭固いし、多分……、いや、なんでもない」


 頭を振って話を中断したヒリューさんは、数回頭をたたいて、気を取り直して話を続けた。


「セレラルの方は気にしないでくれ。俺がやる。だから君たちにはセレラルとナトラックを除いた四か国の聖遺物を確保してきてほしい。ほかの偉人に対してなら俺が微力ながら招待状で目通りくらいはさせてもらえるよう配慮しておく」

「…ほかの偉人の方々とお知り合いなんですか…?」


 質問のことばが少し震えてしまう。偉人と言えば、国一番の専門家だ。人間国宝といってもいい。それだけの人と知り合いということがどれだけすごいことだろう。


「……うーん、なんていうか、唯一知り合いのギルバートさんに俺の招待状に口添え願うというか…。所詮俺はただの研究家さ。それより、世界に名を轟かせたギルバートのほうが鶴の一声ってもんだろ?」

「ギルバート氏と知り合いというだけでも十分すごいじゃないですか!どう知り合ったんですか?やっぱりギルバート氏が著作をご覧になったとかですか?」

「………嫌な思い出もあるからあまり詳しく言いたくはないけど、昔随分お世話になったもんでね」


 その先を聞くことをはばかられるような言い方に、私はのどまで出かかった疑問を飲み込む。いつかこの人の過去も聞けたらと思う。


「まあそんなことよりだ。この任は、ユーヤくんとシエルくんに一任することにする」


 突然名指されたシエルもユーヤも鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くした。シエルが喜びの声を上げる前に私が声を荒げる。


「ま、待ってください!私に、できることはないんですか……」


 声が震える。自分がどれだけ馬鹿な質問をしているかなんて、自分が一番分かっている。私にあるものなんてちょっと本を読んだくらいの知識しかない。そんな無力な子供で女、それでも、それでも……。

 肩を震わす私をヒリューさんは優しく頭をなでる。


「そんなことはないさ。別に女性だから、成人していないからというつもりはないが、不測の事態ということもないとは限らない」

「あんた、だいぶ華奢だし、足引っ張られるのも困る。やるなら後方支援くらいにしてよ」


 最後の言葉はユーヤなりの気遣いだろうか。まったく感情を素直に表現できない不器用さに、少しふふっと笑ってしまった。


「そうそう、母さん一人残していくのも心配だし、サラは家で母さんのことを守ってよ。サラならどんな巨漢だってあいたあっ!!!」

「うるさいわよ。……あんたがいなくても大丈夫。学校のやつらに言わせてばかりにさせないんだから。安心して行ってきなさい」


 いつもの調子に戻ってきた、とシエルは安心したように息をついた。

 その様子を見て一息空けていたずらっぽくユーヤがにやりと笑いながらヒリューへ問いかける。


「で、あなたはどうやってセレラルの聖遺物を確保するんです?まさか、策なしってわけでもないんでしょう」


 ヒリューさんが待ってました、とばかりに不敵に笑うと、部屋の奥にあるドアへ向かっていき、私たちにも来いと合図をした。


 その部屋はどこもかしこも本、本、本、紙、紙、紙……。中央に大きな机がある、書斎と思われる場所だった。その勢いに私は圧倒されて、小さくため息を漏らす。


「これは俺が今研究している資料と、それを参考に書いている論文だ。テーマは『世界史書における真偽』。これで世界史書の論争にケリをつけるつもりだ」

「…まさか世界史書がすべて解読できたんですか…?……いえ、まさか」


 はじめはただヒリューさんが世界史書を解読でき、浪漫支持派を勝利へ導くのだと思っていた。だが、それだけではない。そう。


「まさか……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()つもりですか?」

「そうだ。このために何年も前から、それこそ俺がこの仕事を始めた時から目指していたものだ。さすがにここまでの業績を残せばあの古臭い思想で塗り固められた国王も首を縦に振るしかないだろ?」

「古臭い……?」


 やってしまった、とばつの悪そうな顔でヒリューさんは目をそらす。しかし、何も心配はいらないとにっこりと笑って見せた。


「いいや、なんでもないさ。君たちが心配するようなことじゃあない。さあ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?リシユール高原までなんだかんだ時間がかかるし、チェリオさんも待ってることだろ。もしセレラルを出立するならまた俺のところによってくれると嬉しい」


 こうして私たちはヒリューさんの家宅を後にした。

 昨日から今日にかけてあまりにも多くのことを知りすぎた。一度頭の中で整理しておきたい、そうぼんやりと考えながら、私は定期便の中で眠りについた。


 誰もいない書斎の中で、ヒリューは机に飾られた二つの写真たてをそっと手に取る。そこにいるのは気難しそうなアーレット人の男と、その男と比べてみれば20ほど年下そうなセレラル人の女性、そしてそこに抱えられた茶髪と金色の猫のようなくりくりとした瞳をこちらに向ける赤ん坊がいた。もう一方は新聞の切り抜きのために色が判別しないが、大きく見出しに『大飛行士 タケシ=アマノ暗殺か』の文字と朗らかに笑う無精ひげの男が載せられていた。

 はあ、とため息をつきながらヒリューはそれらを指先でなぞった。

「……うん、大丈夫、大丈夫さ。俺なら、あなたの息子ならきっとやれる。見守っていてくれお父様、お母様、武さん」



 その夜、結局ユーヤはまたうちに泊まることを拒み「時間もないしまた明日来るから」と告げて去っていった。シエルに聞いても彼の寝床はわからないらしい。どうやら途中でどうしても見失ってしまうのだとかで、さすがにここまで組織とやらに捕まらないだけあるなとまた感心してしまった。

 家に入ると母が夕食を準備して待っていた。


「あら、お帰りなさい。ヒリューさんは元気そうだった?」

「ただいま、元気そうだったよ」

「ただいま、母さん。原稿が終わってないみたいだったけどね」


 シエルがいたずらっぽく笑った。それでも、彼のあの原稿が終わるのを心待ちにしている自分がいた。また、「セレラルの偉人になるのだ」と誇らしく笑ったヒリューさんはいつもの優しい感じとは180度違っていて、やはり真実を追い求めて本を執筆する彼をかっこいいのだと思ってしまうのだ。


「ふふ、よかったねサラ、ヒリューさんに会えて」

「うん、本ができるのが楽しみだなぁ」


 嬉しそうに話す私の顔を見ながら母はおかしそうに笑う。何がそんなに面白いのかと首をかしげるが、母は首を振った。


「ううん、気にしないで。さ、夕飯も準備し終わったところだからご飯にしようか」


 そうか、と納得して母の手伝いに加わる。今日の夕食は私もシエルも好きな薬草のクリームスープだった。



 夜、私はシエルの部屋を訪ねた。12歳くらいまでは同じ部屋で寝泊まりをしていたが、さすがに年頃の男女ということもあって双子であろうと個人の部屋を用意されたのだった。だから、こうしてシエルの部屋を訪ねるのはなんだか懐かしいような気がした。


「ね、起きてる?」


 母を起こさないように小さな声でシエルに語り掛けると暗い部屋の中でもぞもぞとした動作ののちに猫のような琥珀の瞳が闇夜にうっすらと開かれた。


「起きてるよ。多分だけど、今夜サラが訪ねてくるような気がした。やっぱり、似てなくても双子、だな」

「そうだね。ねえ、今夜は一緒に寝ない?」

「うぇっ」


 反応からして拒否反応を示しているのがものすごく伝わってきた。だがそんなことも無視してシエルの布団に潜り込んだ。


「やだ、セクハラじゃん…」


 軽口をたたくシエルの頭を軽くはたく。


「昨日と今日で、知らない父さんのことたくさん知れたね」

「……本人の口からじゃないけどな」

「父さんも双子で、弟で、お兄さん…私たちにとっては叔父さんだけど、その人を昔戦争で亡くした」

「その後ユーヤの父親と出会ったけど、そいつも死んだ。けど、生きていることが分かったから、その人を探しに家を出ていった」

「……どんな表情だったっけ、出ていった時の父さん」

「さあな、昔過ぎて忘れちまったよ、そんなこと。けどまあ…」

「大切、だったんだろうね」

「うん…。やっぱり、父さんの口から、全部を聞きたいよな」

「シエル」

「なに?」

「父さんのこと、よろしくね」

「まかせろ」

「待ってるから」

「うん」

「ちゃんと帰ってきてよ」

「もちろん」

「私も頑張るから」

「俺も」

「…お願いよ」

「わかってるよ」


 シエルの背中に軽くこぶしを当てる。シエルは小さく身じろぐと、一言呟いた。


「おやすみ」

「うん、おやすみ」


読んでくださりありがとうございます。

次もよかったら楽しみにしててください。

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