第4話 対座
仄暗い部屋で灯火が揺れている。灯火に映し出された光秀の顔を、利三は、じっと見ていた。部屋には利三と光秀だけが胡座をかいて対座している。土井庄左衛門は奥の間にさがっている。
光秀の顔は、白皙で鼻筋が通り、いかにも秀麗だ。切れ長の眼の奥底からは、想いを秘めた強い光が感じられる。齢は、30をいくらか過ぎたくらいか。
「明智殿、先ほどはご加勢、かたじけなかった。」
利三は、頭を下げ、銚子を光秀の猪口に注いだ。中身は清酒だが、光秀のためにかなり薄めてある。庄左衛門の計らいだ。
「いや、かつて世話になった庄左衛門殿に頼まれれば断るわけにはいかなかった。あまりに急いで来たので、喉も渇いたぞ。」
光秀が利三に清酒を注ぎ返す。
利三は、あの修羅場の跡で、悠然と水を呑んでいた光秀の姿が頭に浮かんだ。神業と言える射撃の腕を見せた後、酒ではなく水を呑む姿がやはり滑稽な感じがしたし、いかにも怜悧そうな頭脳をもったこの男にしては意外な姿に思えた。
また、利三は、光秀が流浪している理由も知っている。この浪々の身となっているこの男が今、何を考えているのか知りたい。そして、自分がこれから歩むべき道を考えてみたい。そう思った。
だから、身体は極度に疲れていたが、礼も兼ねてどうしても光秀と話したかった。
「貴殿のお家は、惜しいことでした。」
利三は、先年、この川辺郷からわずか3里(約12キロメートル)の所で起こった明智家の受難について切り出した。
弘治2年(1556年)4月、長良川の戦いで前国主・斎藤道三は、実子の義龍によって討たれた。道三に、正室として妹の小見の方を嫁がせるなど、積極的にその傘下に入っていた明智光安(光秀の叔父)は、このときも義龍によって道三方と見なされ、9月、長井道利ら諸将に明智城(現:岐阜県可児市にあった。)を包囲され、攻め立てられた。明智一族は光安のもと結束し、城にて孤立無援の中、絶望的な抵抗を行ったが、衆寡敵せず、次々に討たれていった。明智荘は義龍の兵に蹂躙され、明智城の北にあった広大な明智屋敷にも火が放たれた。清和源氏土岐氏支流・明智家が営々築いてきた明智荘の繁栄はここに終焉を迎えた。激戦の最中、城を脱出した明智一族の主だった者は、光秀とその従弟・左馬助秀満のみだった。
この明智攻めのとき、利三は、義龍にこの陣触れが無益であることを訴え、諫言した。義龍は、長良川の戦いのとき、父・道三が討たれた後、恩賞にありつこうとした武士どもが道三の身体に地獄の餓鬼のように殺到し、それを切り分けて自らの手柄としたのを、嫌な顔をするどころか、それを殊勝とし、認めたような男だ。道三に与したものは、根絶やしにしなければおさまらない。義龍は、利三の諫言に耳を貸すはずもなく、利三を疎んじ始めた。もちろん、そんな反対者を明智攻めにも加えなかった。義龍の性格には屈折したものがある。一度気に入らないと思った者は、いつまでも嫌忌し続けた。ついに、その2年後、利三は蟄居を申しつけられたのだ。
「乱世だ。乱世ではよくあることだ。だが、叔父上や一族は武士らしく雄々しく死んでいった。美濃の明智にも武士は居たという気概を示したのだ。だが、あのときほど自分を無力に感じたことはない。叔父上は、おれに『生きよ。』と言われた。だから、左馬助と共に戦場を脱けた。が、生き延びただけだ。おれは、あのときのまま今も無力だ。」
光秀は、視線をやや斜めに落とした。この男に会ってから一度も見られなかった寂しさと暗い影がその表情に表れていた。
「力がほしい。このどうしようもなく救い難い乱世から争いをなくす力がほしい。明智一族の死を無駄にせんために。」
光秀は、利三から注がれた薄い清酒を一気にあおった。
「利三は、おれの射撃の腕、どう思った?」
不意に光秀は、まっすぐ利三を見つめて尋ねた。
「20間先から、跳んで宙にある者の腕を射貫く。人間業とは思われません。」
「そう思うか。だが、射撃などいくら上達し、神業だの、鬼神だのと呼ばれてもたいした力にはならん。さっき、おれはあの刺客の頭を狙っていた。だが奴は振りかぶっていたので、腕が邪魔だった。腕に穴をあけるので精一杯だった。ゆえに、あの者はまだ動け、脇差をもってお主を刺し貫かんとしたろう。それに、今夜は、たまたま雷だけだったが、雨が降っておったら種子島は使い物にならん。お主は斬られていただろう。」
「確かに。」
「おれは、射撃の腕は天下無双と思っておるが、同時にそれが何ほどのことやある、とも思っている。明智の城の戦のとき、確かにおれは種子島で30人は撃ち抜いた。日根野備中が日頃、自慢しておった日根野鉢の兜も奴の頭から撃ち落としてやった。備中が狼狽しながら落ちた兜をかぶり直す姿を未だに覚えておる。だが、それだけだ。城は落ちた。一族は滅んだ。明智荘は消えた。」
日根野備中守弘就も明智攻めに出陣していたことを利三は思い出した。稲葉山城に凱旋した斎藤軍を見かけたとき、勝ち戦でどの将兵も明るい表情をしていたのに、日根野備中はどこか冴えない表情で自慢の兜もかぶらず、やや背を丸めて馬上にあったことに、今、合点がいった。
「利三、剣の腕も同じだ。今申したことと変わらぬぞ。だから、力がほしいのだ。国を治め、争いをなくすための力がほしい。」
「光秀殿は、力とは武のことと思っておいでか。」
利三は、いつのまにか明智殿と呼ばず、諱で呼んでいた。そう自然に呼んでいたのは、次第に光秀に惹かれ、その語ることに身を乗り出すようにして聞き入っている自分がいるからだ。光秀も名前で呼ばれたことを気にかける風もなく、自然に受けとめていた。
「武だけではない。それに和、富が加わる。それこそがおれの欲する力だ。これまでその力をもち得たと思えた方は、おれの知る中では、ただ一人だった。」
「それは?」
「道三公。・・・斎藤道三公だ。」