第4話 鳶色(とびいろ)の眼
舅になる男・稲葉良通との時間が終わった。婚儀の日取りも決まった。
その娘との婚儀を行うことを知ったとき以来、利三の胸に去来する複雑さはもう消えていた。わずか一刻ばかりの対面だったが、良通という舅の大度、人間の深さなどがよく分かった。それは、言葉の端々(はしばし)から感じられるばかりではなく、その男がまとう気からも分かった。
利三は人を観るとき、言葉だけで観ないようにしている。言葉だけでその人物を判断すると、まず見誤る。その者の眼がたたえる光を感じたり、自身の気をぶつけた上で出す意志の強さを体で感じとったりすることを心がけていた。
利三は、良通の居室を出て自室へ戻る途中だ。ややほろ酔いの気分を自覚しながらも、足どりをたしかにするよう努めながら明智光秀のことを考えた。静寂に包まれた夜に廊下のきしむ音のみが響いている。
光秀と初めて出会った夜,黎明を迎えるころまで呑み,語りつくした。あのときも,光秀に対して,自分の気をぶつけながらその人物をはかっていたのだ。そして,光秀にほれこんだ。自分が,ほれ込む不思議な力を光秀はもっていたと言える。
しかし,世の中には,言葉だけは巧みに操るが,自分の中に「芯」をもっていない者が少なからずいる。いや,たいていの人間がそうなのではないか。「芯」とは「大義」とか「信念」とか人間としての「美しさ」のことだと,利三は思っている。
利三は,奉公衆として京畿にいたころを思い出す。多くの人物に出会った。快活な者もいれば,陰気な者もいた。話しているだけでこちらまで晴れ晴れとした気分になる爽快な男もいた。
だが,あの男だけは「羊の皮を被った狼」だと強く感じたものだ。利三は,その男をたぐいまれな危険人物と判じた。
(松永弾正・・・)
松永弾正忠久秀こそ,その類まれな危うい人物だった。
利三は,まだ20歳ほどのころのことだ。美濃守護代斎藤家は将軍に供奉する奉公衆の役職を担っていたので,利三は,父の先に奉公衆として供奉していた長兄の石谷頼辰を頼り,上京した。そのとき,畿内を牛耳り,将軍の力をおさえこんでいたのは三好家であった。利三は,将軍の奉公衆でありながら,三好家の戦によく駆り出されていた。三好家当主の長慶は将軍権力を自分のものとして,完全ににぎっていた。そのとき,兄の紹介で長慶にも謁したし、その傍らにいつも侍っていた男にも会った。それが、松永弾正だった。
松永久秀は,三好長慶の家宰として頭角を現した。そのころ長慶は久秀の言うことなら,ほとんどのことを聞いた。長慶は戦国三好家を急拡大させ,畿内に覇を唱える大名であったから,非常に聡明な人物であるが,この久秀の魂胆や性根を見抜くことができないようだった。久秀の危うさを見抜く者が彼を遠ざけるよう諫言しても,
「そちは,久秀の明晰さをねたんでおるのか。」
と聞く耳を持たない。ひょっとしたら,長慶ほどの人物なら久秀の人間性の欠如した部分をうすうす感じ取りながらも,その頭脳の鋭さに頼っていたから,常にそばに置いていたのかもしれない。
利三は久秀と初めてあいさつを交わした時のことを今でも思い出す。戦の始まる前に本陣で長慶や兄・石谷頼辰も同席した場所だった。久秀は非常に物腰やわらかで丁寧な言葉遣いの男だったという記憶はある。何を語ったかは覚えていない。とりとめのないことを二つか三つ話しただけだと思う。何を語ったかということよりも利三の印象に残っているのは,久秀の眼だった。切れ長で眼光するどく,瞳は鳶色だった。笑顔で語りかけてくるが,その鳶色の瞳をもつ眼だけは笑っていない。非常に冷徹なものを秘めた眼だと思った。
(あのような男,そうそういるものではない。)
そのように思いながら,利三は闇に包まれた稲葉山城の廊下で歩を進めた。
と,利三が踏みしめる廊下のきしみと重なって、もう一つのきしみが廊下の向こうから聞こえてきた。その音が近づくにつれ、闇の中から白い顔が現れた。その者の顔は,面長であり、鼻筋通り端正な顔立ちをしていた。体躯は,五尺七寸(約171センチメートル)ほどか。
さらに,その男の傍らには,小男が一人。燭を片手に面長の男の足元を照らしながら,ちょこちょことついてくる。燭の灯がかすかに顔を照らしているが,よく見えない。子どもなのだろうか。だが,動きは大変機敏そうだ。
面長の男が,利三の前で足を止め,会釈したので,利三も会釈を返した。
「斎藤内蔵助利三殿ですね。」
ひどく落ち着いた声だった。その声音には知性を感じさせる沈着さがあった。




