第1話 衝撃
「よいか。利三。これから始まる御礼言上の挨拶には、殿、稲葉殿だけでなく、西美濃三人衆の安藤殿、氏家殿、そのほか重臣の方々もおられる。ゆめゆめ粗相なきようにせよ。」
稲葉山城の控えの間で、父が戒めるように言った。
井ノ口(現:岐阜市)到着後、宿に一泊して陽が中天に至る前に、稲葉山城を訪れた。それから控えの間でだいぶん待たされている。もう陽は、中天を過ぎてしまったくらいか。稲葉山に青々と茂った木々にしがみついた蝉が一所懸命に鳴いているのが聞こえる。そんな中、また父の小言が始まったのだ。
「わかっております。おれも、美濃守護代・斎藤家の血を継ぐもの。挨拶の口上や挙措など心配されるまでもありません。」
利三は、少しあきれ気味に答えた。
「おれ、などと言うな。殿の御前では、我が身のことは、それがしとか身共とか申せ。」
「では、それがし、にしますよ。」
利三が蟄居を命ぜられてから、父がひどく卑屈になってしまったような気がする。美濃守護代の権能は、道三が国主になってからは、ないものに等しくなり、さらに跡継ぎの利三が蟄居となってからは、中央から遠ざけられてもいる。利三にとっては、今の美濃の首脳部の行う国政に深く関与したくないから、これでよいが、父はそういうわけにはいかないようだ。ここで、主君・龍興や重臣の機嫌をとっておきたいのだろう。やや曲がっている腰をさらに曲げて御礼を言いそうな感じだ。
大広間から使いの武士が控えの間に呼びに来た。
大広間の板敷きで父と共に平伏して待っていると、部屋の後ろから衣擦れの音が聞こえてきた。平伏しているので気配で感じ取るしかないが、重臣たちがぞろぞろと入ってきて、利三と父の前に二組に分かれて縦に並んだようだ。利三から向かって右に3人。向かって左に3人。
利三は、やや視線を上げて見た。向かって右の重臣たちの顔は、一番手前の者と次の者は見えたが、利三は一度も会ったことがない顔だった。一番奥の者は、前2人の顔に邪魔されて見えない。同じように向かって左の重臣たちの顔も見ようとした。一番奥は見えないが、一番手前が日根野弘就、次の者は長井道利ということが分かった。どちらも先代の義龍に与して、道三を弑した者たちだ。
向かって右の重臣たちは、利三がいずれも会ったことのない3人だということは、この3人が西美濃三人衆ということか。
平伏のまま少し待っていると、大広間の正面右の杉戸が開き、小柄で肥満した男が入ってきた。6人の重臣たちは一斉に頭を下げた。まだ14歳の斎藤龍興だ。利三は平伏しているため、視野が狭くてよく見えないが、龍興が歩を進めている足が少しおぼつかない気がした。
龍興は、少し高くなっている上段の間に着座すると口を開いた。
「大儀。」
大広間に甲高い声が響いた。大人になりきれていない、ひどくあどけない声だった。その声で、重臣たちは一斉に頭を上げた。
「殿、美濃守護代にして白樫城主・斎藤利賢と、その嫡男・利三でございます。」
向かって一番左の奥に座っている重臣が言った。
「大儀である。面を上げよ。直答も許す。」
利三は、龍興の呂律が回っていないのに気づいた。だが、このような喋り方になっている理由は分からない。
父も利三も、平伏の姿勢から身体を起こしたが、視線は下に落としたままだ。面をあげろと言われたからと言ってすぐに拝謁している人間を直視してはならないのが礼式である。
父が緊張しているような口調で話し始めた。
「この度は、せがれ・利三の蟄居をお解きくださり、恐悦至極に存じます。また、稲葉良通殿のご息女とこの利三とのご婚儀につきまして、お取りはからいくださり、重ねて御礼申し上げます。」
父が言い終えたのだから、次は自分の番だ。
「それがし、斎藤利三、西美濃三人衆筆頭であらせられる稲葉殿のご息女との縁組をお取りはからいくださった殿のご期待に添うべく、より一層の忠義をもってご奉公致す所存にございます。」
われながら心にもないことを言っている。早くこの時間が過ぎてほしいと思った。
「うむ。お主の忠義、期待しておるぞ。お主は、わが父・義龍によって遠ざけられておった身ゆえ、わしが頼りにしておる良通の娘との縁組には、わしは、初め反対だった。だが、良通がどうしてもと、きかぬゆえな。お主が、わが父によく諫言しておったのも、忠から出たものだと申してな。また、お主は剣の腕も相当立つようで、わが斎藤家を武の面で支えてくれるとも申しておる。故に蟄居を解き、縁組を認めたのよ。まったく良通は、一度言い出したら貫こうとする頑固者よ。」
やはり、龍興は呂律の回らない口調で早口に喋った。
「ありがたき幸せに存じます。稲葉殿にも感謝の言葉もありません。」
利三は、深く頭を下げた。
龍興は、せわしなく頷くと、
「飛騨よ。わしは、もう戻りたいのじゃが。」
とはじめに父・利賢と利三を龍興に紹介した重臣の方に言った。飛騨とは、飛騨守ということだろう。
「はっ。もう結構でございます。早くお戻りになり、お相手の続きを。首をなごうして待っておるでございましょう。」
飛騨守は、媚びるような口調で言った。
「そうする。良通よ。あとで、利賢と利三と婚礼の日取りなど話しておくがよい。そのあと、わしに知らせてくれればよい。」
と言いながら、龍興は、もう立ちかけていた。
「はっ。」
良通と呼ばれた重臣。利三から見て向かって右の列の一番奥に座っている、今まで顔が見えなかった重臣だ。稲葉良通、その人だ。良通が、利三たちの方を向いて口を開いた。
「あとで、我が控えの間に来られよ。利賢殿。利三殿。」
(・・・あっ!)
と一瞬、刻が止まったかのような衝撃が利三の五体を駆け抜けた。ひと月半ほど前の雷鳴の夜、土井庄左衛門の館で、利三と死闘を演じた刺客の頭分の男。あのとき雷光があたり一面を一瞬明るくしたときに至近でまじまじと見た皺の多いあの顔。まさに、今、稲葉山城大広間で相対している西美濃三人衆筆頭・稲葉良通だった。
利三は、龍興が「大儀。」と言ってふらふらと杉戸から出て行くのも、この場にいる皆が一斉に頭を下げているのも目に入っていないかのように茫然としていた。
父が慌てて、利三の頭を押さえつけ、下げさせた。




