第1話 雷鳴
雷鳴が近づいてくる。そのとどろきは徐々に大きくなっている気がする。今は、この川辺郷の米田山の辺りまで雷雲が来ているのだろう。
思い返してみれば、酉の刻(午後6時頃)から、前庭で刀の素振りをする我が身に湿った空気がじめじめとまとわりついてくる感じがしていた。そのとき、今夜はひと雨来るかと思っていたのだ。だが、雨音はない。雷鳴だけがとどろく不気味な夜だった。
利三が目覚めたのは雷鳴のせいではない。雷鳴が鳴り響いては止み、鳴り響いては止むその静寂に、前庭からかすかながら人の小声、足音が耳に入り、そして何よりも微弱ながら殺気を感じたからだ。
「義龍か。」
利三は、声として発したか発しなかったか自分でも分からないほどの声を発していた。自然にのどから出ていたと言ってよい。その声は、落胆と失望、そして前途への諦めに似た想いが内包していた。先代の美濃守護代・斎藤道三を討ち、新たに守護代となった斎藤義龍が、刺客を自分に送ってきたのは明らかだった。義龍は、自分の主君なのだ。だが、義龍は、意に沿わない者は、たとえ家臣であっても、この美濃から消してしまいたいのだ。
利三が斎藤義龍の勘気をこうむって蟄居を命じられ、この美濃・川辺郷に来たのは3年前だ。美濃斎藤氏の持ち城・牛ヶ鼻城(現在の岐阜県美濃加茂市にあった)の出城として存在している土井庄左衛門の館に身を寄せた。斎藤氏の傘下にある土井家当主・庄左衛門は同じ斎藤氏である利三に不自由がないように取りはからってくれた。この飛騨川沿いにある川辺郷の山紫水明を画に描いたような景色も気に入っていた。だから、そりが合わない主君がいる井ノ口(現在の岐阜市)に帰りたくはなかった。
その一方で、やはり、一個の武士としてあるべき姿を追い求めたい、戦場を馳駆し、自分の才能を世に問いたいという想いはある。最近27になった利三は、年を経るにつれ、その想いが強くなっていた。
しかし、この3年いっこうに主君からの呼び戻しはなかった。「そのまま朽ちよ。」とでも言っているかのように何の音沙汰もなかった。利三の鬱屈は日増しに強くなっていたのだった。
その上、今晩のこの仕打ちである。義龍は、利三を消しにかかってきた。
利三は、枕元の佩刀「関孫六」を手にし、義龍への憤怒の情を抱えながら寝床から起き上がると、音もなく雨戸に近づいた。すでに刺客の数は把握している。5人である。
今夜、最も大きく感じられた雷鳴と共に刺客たちが雨戸を蹴倒し、躍り込んできた。