女神編・前編
予定通りに帰還し、報告した後はいよいよ叙任に向けて最後の仕上げ。と言っても、仕上げを進めてくれるのは父上や宰相といった上の方とその配下の事務方なので私自身が進めることは基本的にない。
なので私は任務後に割り振られた貴重な連休を使って未来の奥さんたちに会いに来ている。普段はあっても一日か半日の休みしか取れないからなかなか会いに来ることは出来なかったが、漸くだ。実に半年ぶりの拝謁である。
逸る気持ちはあるものの、半分くらいは恐れもあるのが正直なところ。間を開けたせいでお二人の気が変わっていることもあり得るし、何より久しぶりすぎて私の耐久力が下がっている可能性がある。眩しさのあまり奇行に走ってしまったら婚約もなにも流れかねない。
それだけは何としても避けなければならないが、お二人の麗しさを考えると絶対大丈夫とは言い切れないのが辛いところだ。
脳内でぐるぐるとお二人の輝かしさを反芻しては自分に我慢を教え込む。そんな効果未定の作業の間にも馬車はプブリウス邸へ向かってサクサクと進む。
本日は婚約が公表済みのコルネリア様の屋敷へご挨拶という形での訪問である。その為関係がまだ秘密となっている殿下とはお会いできないが、今の状態でいきなりお二人との対面は厳しかったかもしれないので良かった。
「イハダド様!」
っ、効果は抜群だ……。
お出迎えいただいたその満面の笑顔に早くも膝を付きそうです女神。しかも継続効果なんて喜びで息の根が止まりかねません。
やっぱりもっと頻繁にお会いして慣らしておくべきだった。距離的に絶対無理だが。
でもそんなにも喜んでいただけるなんて婚約者冥利に尽きます。ありがとうございます。
「お久しぶりです。コルネリア様。長い間会いに来ることが出来ず申し訳ありませんでした。」
「それは仕方ありませんわ。バルカ領と王都はとても遠いですもの。今回は私もそちらへ伺えませんでしたし。」
そう、実は国土最西端のバルカ領とこの国の王都では行き来するだけで一ヶ月半はかかってしまうのだ。以前のコルネリア様とのお茶会なんかはコルネリア様がバルカ領へ来てくださっていたから何回も間を空けずに実現させる事ができたのである。
そもそも今回の休みは婚約と叙任で王都に行くために用意された期間なのだ。 流石にどちらも大きな話であることと、そのイベント自体に諸々の噂を一掃する狙いもあるため当事者の一方が遠方にいる状態で公表してはい終了、とはいかない。
そして発表後は式だのパーティーだのにもバンバン出席し、殿下やコルネリア様にとって不名誉となる情報はしっかり上書きしてしまわなければならない。
私もなかなかに責任重大な役割なのだ。
というか正に要のポジションである。
しかし、出席しないという選択肢は自分の中にも存在しないとはいえ、若干緊張しているのも否定できない。
式典はともかくパーティーはな……お二人をエスコートする以上恥をかかせるような振る舞いは出来ないが、実のところ話術にはあまり自信がない。あればっかりは練習だけでは限界がある気がするしさ。泣き言を言っても仕方がないのは分かっているけども。
とりあえず式典前にいくつか呼んでいただいている席で慣らすしかないだろう。
もっとも今はコルネリア様の輝かしさに慣れることが急務なのだが。そうでなければエスコートもできやしない。こんな有り様ではおちおちデートにも誘えないじゃないか。
そう、いくら私が身分不相応とはいえコルネリア様からしてみれば仮にも長年思っていた相手と婚約したばかりなのだ。折角婚約者になったのだからもっと話すなりお茶会するなりされたいだろう。
だというのに、ほんの半年お側を離れただけでこの体たらくとは。折角会えたにもかかわらずそんなお望みすら叶えて差し上げられないなどあってはならない。頑張らねば。
「貴女の側にいられなかったことだけが心配でした。この大切な時期に……辛い思いはされておりませんか。」
「私は周りの方に恵まれておりますから。それに、イハダド様がずっとお手紙を下さっていましたから寂しくもありませんでしたわ。」
用意していただいたらしい応接室のソファーに向かいながらニコニコと可愛らしい笑顔を向けてくださるコルネリア様。その優しさに涙が出そうです女神。
「イハダド様こそ危険な任務を終えられたばかりですのにまた長旅になってしまって……お疲れではございませんか?」
「貴女に会って忘れてしまいました。」
なるべく定期的に手紙も送るようにはしていたが、噂で大変なこの時期、本来ならもう少し顔を合わせたり連れ立ってパーティーに出席して鎮火に努めるべきなのだ。それなのにそれをするはずの婚約者が延々と迷宮に潜っているなんて……返す返すも申し訳ない。私が釣り合わない身分であるばっかりに。
「では私が辛い思いをしたかもなんて心配も忘れてしまってくださいませ。」
「コルネリア様、」
「こう見えて私はとっても忙しいのです。立派な妻になるために花嫁修業をおさらいしていますの。元々社交に割ける時間なんて僅かなものでしてよ?」
ちょっと得意気につんと顎を上げる仕草に胸が締め付けられる。軽く閉じられた瞳が再び開かれると一転、柔らかな微笑みがまっすぐ私に向けられるのだ。女神には愚かな私の後悔など全てお見通しということなのか。
「それに私はお手紙の交換もお会いするのと同じくらい心が弾みましたわ。だからそんな悲しいお顔をなさらないで。ね?」
そっと気遣うように腕に添えられた手を掴んで引き寄せたい衝動を全精神力を動員して堪える。今実行したら力加減を間違えかねない。そんなことになったら華奢なコルネリア様なんて確実に潰れてしまうわ。正気に戻れ私。
あぁでもコルネリア様……、今ものすごく貴女を抱き締めたいです……!なぜ貴女はそんなに女神なのですか。改心待ったなしです。迷える私を許し、導いてくださる貴女の寛大な御心に感謝いたします。
暗い顔なんかお見せしてしまって申し訳ありませんでした。反省ばかりでは今からの時間が勿体ないですもんね。すぐにちゃんと切り替えます。
「貴女と話すだけで私はいつも幸せにしていただけます。」
ええもう、いくらでも、貴女が満足するまで何時間でもお話しさせてください。はにかみ笑顔ありがとうございます。
澄んだ美しいコルネリア様の声で耳を清めつつ、私の汗臭い任務の話を珍しげに目を丸くして聞いてくださるコルネリア様に心を癒される。至福の一時だ。
いや、勿論コルネリア様も楽しんでいただけてはいるとも。私がコルネリア様の望まないことをする筈がないじゃないか。心を入れ換えて全力でコルネリア様との会話に注力している。
常に神経を集中して表情や仕草を確認させていただいているが反応は自然なものだし、声も殿下とじゃれあっている時と変わらない音程で弾んでいる。瞳孔も開き気味で頬も先程より微かだが赤みが差して愛らしい、じゃなくて気分が高揚されているのがわかる。
だから大丈夫。問題ない。はず。
まぁそんな弁解はともかく。
私の話をしていて思い出したのだが、今回の迷宮討伐や危険モンスター討伐で私はいくつかの魔核を手に入れたのだ。滅多に得られるものでもないので折角と思い、その核を加工してお二人への贈り物としていたのだが、用意していたこと自体をすっかり忘れていた。
コルネリア様と過ごす時間に夢中になりすぎてついな。何物にも代えがたい時間だからな。
丁度話題にしていたし、やはりお会いできた初日にお贈りしたいのでこのタイミングで出させていただこう。
「コルネリア様、実はお渡ししたい物があるのです。」
従者に目配せをして綺麗に包まれた小箱を受け取る。壊さないよう丁寧にその包みをほどき、目的の中身をコルネリア様が見やすいよう示してみせる。
「まぁ……!これは……」
「討伐の際に得た核石を用いています。」
コルネリア様に用意したのは黄色い魔核のついた銀色の腕輪だ。本当は指輪にしようかとも思ったのだが、コルネリア様の白魚のような細く美しい指に合わせられるほど華奢な指輪はこの世界の製作技術では難しいため断念した。
「もしよろしければ、着けさせていただけないでしょうか?」
「ぜひ、お願いいたしますわ!」
差し出された芸術品のような手に恭しく細い腕輪を嵌めさせていただく。
…………おぉ、私の贈った物がコルネリア様の身を飾っている……!なんという素晴らしい達成感だろう。女神の美の一端に関われたというこの充実感は筆舌に尽くしがたいものがあるな。
私が国王なら今日という日を祝日にして毎年祝うに違いない。今すぐこの腕に縋りついてキスしたい。
うん、先程に引き続き私の理性は今日も良い仕事をしている。会う前に鈍っていないか懸念していたが、抵抗力はともかく自制心は問題ないようだ。ここまで思考と行動がバッチリ分離出来ているなんて中々自画自賛できるセーフティっぷりだな。
この調子で成長を維持できれば日々輝かしさが増すコルネリア様を前にしても辛うじて耐えられる可能性もなきにしもあらず。
頑張れよ理性。期待しているぞ理性。頼みの綱なんだからな。
「ありがとうございますイハダド様!似合っておりますか?」
「とても良く。その核石には聖魔術の祝福を頂いております。きっとコルネリア様の御身を守る一助となることでしょう。」
具体的には呪術反転(中)、状態異常軽減(中)、自己治癒促進(小)。私が狩ったのは大物ばかりだから、複数の効果をまとめて付けられたからラッキーだった。
魔物の核なんて女神には血生臭いかとも考えたが、こういった魔術的な特殊効果を付与できる点は素晴らしい。
見た目も普通に宝石にしか見えないし、前世でも毛皮や象牙は立派な装飾品だったしな。この世界では魔物から得られる素材も高級品の材料として扱われているから大丈夫だろうとの判断だったが、コルネリア様の表情を見る限り嫌悪感等は無いようだ。良かった。一安心だ。
「なんて綺麗な色……イハダド様の瞳と同じ色ですわね。」
おおぅ、恥ずかしいのでその辺りは深く突っ込まないでくださいコルネリア様。それは偶々というか、魔核を選んだ職人のセンスというか聖魔術との相性というか、まぁそういったあれなんです。
すみません、嘘です。私のささやかな独占欲であります。女神をちょっとだけ自分色に染めたいなぁなんていう大それた考えがちょろっと漏れてしまった結果です。
でもこの満足感を知ってしまった後では反省も後悔も出来そうにありません。すみません。後で懺悔させてください。
「これからはずっと肌身離さず身に付けます。」
背景の花も霞んで見えるような笑顔につられて此方もにやけてしまう。一瞬意識が飛んでしまった気もするが気のせいだろう。というか気のせいでないと困る。失っていた間の笑顔を見損ねたなんて勿体なさすぎて悔やんでも悔やみきれない。だから私は意識なんて飛ばしていない。ないと言ったらない。
それにしても私なんかの贈り物でコルネリア様がこんなにも喜んでくださるなんて嬉しい誤算だった。魔核は討伐難易度の高い魔物でも必ずあるわけではないからそれを用いた装飾品なんかはそれなりに貴重である。勿論、公爵家クラスともなれば珍しくもないだろうけれども、他のものに比べればマシな筈だ。
だから魔核の品であればコルネリア様も多少なりとも喜んでくださるとは思っていたが、まさかずっと身に付けたいと仰っていただけるほどとは。
……というか多分、私からの贈り物だから喜んでいただけているんだろうなと思うと幸せすぎて脳内麻薬でトリップ出来そう。もうしているかもしれないが。
瞳はキラキラしているし視線もほぼずっと腕輪に固定され、何より全身から嬉しいオーラが溢れている。ここまで明らかに喜んでいただけるなら贈った私も大変嬉しい。
しかし女神。貴女は何故そんなにもピュアなのですか。好きな相手からプレゼントを貰っただけでそんなにも喜べる貴女のその純真無垢っぷりは薄汚れた私には眩しすぎます。正直純粋すぎて初夜が無事に遂行出来るか心配なくらいです。
でもそんなところが好きです。
ともかくこれほど喜んでもらえるなら用意しておいて本当に良かった。公爵家ご令嬢への贈り物を成り立て子爵が用意するのは結構ドキドキしていたのだが心配しすぎだったようだな。
しかし、もし私がプレゼントをもらった際にコルネリア様の半分でも素晴らしい反応が返せていたとしたら、前世での私の婚期も三十年は早まったに違いない。もっと早く気付けていたら……。
いや、コルネリア様と私を比べるなんてダイヤモンドと塵芥を比較するようなものだ。愚の骨頂だろう。実に無意味な思考だったな。
そんなことよりも、現世ではその女神のような素晴らしい女性が私の傍らにいてくださるという事実の方が万倍重要だ。
うん。誠心誠意コルネリア様を大事にしなくては。
コルネリア様のお顔が曇ることがないよう、よくよく気を付けておかないとな。
…………と、思ったばかりだというのに。
何故ちょっと渋い表情をされているんですか女神!?
私は一体なにを間違えてしまったんですか!?
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