中編
なにゆえ?
なんて、勿論コルネリア様を取り返しに来たのは明らかだが、今更それは酷いだろう。私はもう完全に女神を嫁に貰う気でいるし手放す気なんかさらさらない。
いくら王子とは言え陛下に直訴してでも阻止するぞ。
「………………、」
しかし、殿下は未だ勢いよく扉を開けたままの姿勢で立ち止まっている。
なんとも妙な雰囲気ではあるが、手ぶらな上に丸腰なことだけは確認したら私は素早く跪いて礼を取る。用向きを聞いていない以上、まだ彼は追い払う相手ではなく敬うべき方なのだ。
「殿下?」
コルネリア様の呼び掛けに一瞬息を飲む音が聞こえたものの、再び動き出した殿下が足を向けたのは待機状態で頭を下げ、身を固くしたままの私の方らしい。
微かな足音が止んだ時には、私の眼前に身分に相応しい優美な靴が並んでいた。
「………………、」
「………………。」
観察されているのか知らないが、すぐには何も言われなかった。あれだけの勢いで入って来られたのだし、怒鳴りつけられるか殴られる程度のことはあるかもしれないと思ったのだか、どうもそれはないようだ。
あった方が直訴もしやすいと思うけれど、ないならばそれはそれで仕方がない。
そうなるとお怒りの殿下の第一声はなんだろうかとこちらも緊張気味に言葉を待つ。私的な空間とは言え流石に殿下相手では無礼すぎて許しがあるまで話し掛けられない。
「………………、」
「………………。」
しかし、今更殿下が出てこられてもこの話は陛下の御公認だしどうにも覆るビジョンが見えないのだが、殿下やコルネリア様のような方には勝算があるのだろうか?
私は前世が庶民の上に早くから実力至上主義の国境軍式に馴染んだせいで貴族的なあれこれがいまいち身に付いていないから鈍くていけない。コルネリア様に恥をかかせないためにも早く修めておかないと。
「………………、」
「………………。」
……正直、分単位で沈黙が続くのは精神的に辛いが、コルネリア様も何も仰られず静観されているところをみると今は待つのが良いらしい。
堪えきれずそろりと窺うように上げた目線の先には、こちらをまっすぐに見たままきゅっと口を引き結んで微妙に眉をしかめた顔が。
確かにこれは怒っているというよりは困っているというか、迷っているような表情に近いようで……どうも想像と違う話のようだ。
「……イハダド、」
「は、」
「その……なんだ、あのな?」
「はい。」
「あー………………そのな、」
部屋まで来た時点で勢いを使い果たしてしまったのか、つなぎにもならないような言葉だけを繰り返す殿下。余裕もかなりなくなってきたのか、何度も手を握ったり開いたりなんてこともし始めた。
そんな仕草が出ているのを見るとだんだん恐くなってきます殿下。
だって平常心と鉄壁のポーカーフェイスを誰よりも叩き込まれている王族が目に見えて取り乱すんだぞ。私の方がドキドキしまくりですわ。
視界のかなりギリギリではコルネリア様が何故かしきりとジェスチャーをしているようだが、ギリギリすぎてその内容まではわからない。なんだか恐ろしさが増す気がするので止めてください。
テンパり気味の殿下に何度か呼び掛けられるものの、返事を返せばまたモゴモゴし出すので仕方なく私はずっと待ち状態だ。どうしようもない。
否。実際のところここまで不自然な態度を取られたら流石に私から何かアクションを起こしても問題はないのだが、私は敢えてその選択肢を除外している。
なぜなら、私はずっと殿下の顔が見ていたいから。
貴族の礼は基本的に顔を伏せた状態からはじまるが、殿下の様子が変わってからは私はもう顔を上げている。
そうなると当然、見える光景も足だけだった状態から殿下を下から見上げるアングルに変わるわけで。
その御尊顔の麗しさたるや言葉には尽くせないものだったのだ。
射干玉の髪は艶やかで天使の輪も美しく、エメラルドも裸足で逃げ出すような深い瞳は覗きこめば魂まで吸い込まれそうなほど。姿形の何処をとってもまるでイデアから抜け出たような完全美だ。この方の生きる瞬間瞬間をすべて絵画として残し続けたい。
コルネリア様を知った時、こんなにも美しい方は他におるまいと思ったが、殿下は確実に比肩している。決して女性的な訳ではないが、ただただ超越的に美しい。
何故お二人は婚約を取り止めたんだ。このお二人が荘厳かつ絢爛で初々しくも清廉な婚礼衣装で着飾って並んだ姿なんてきっとこの世に楽園が再現されたかのごとくであるに違いないのに。
その輝かしさで目がつぶれるとしたら私は一切の後悔なく喜んで失明しよう。誰だ伝説の瞬間を邪魔した奴等は。呪い殺してやろうか。
……失礼、つい本音が。
実は自分でもコルネリア様とお会いして初めて気がついたのだが、私はどうやら美しい物、というか美しい人というものに物凄く価値を見出だすタイプだったようなのだ。
平たく言えば面食い、もっと言えばとてつもなく、超ド級の面食い。
それこそ好みの相手でなければ不能に悩むほどの。
これまでも綺麗な人や格好の良い相手も周りにはいたが、そんな普通の美形相手では到底私の理想は満たされなかったらしい。その想像だにしなかったほどの高さにあったハードルは、高すぎてこの世の至宝とも言えるコルネリア様に会うまで悩みの原因にすら気付くことは出来なかったくらいだ。
馬鹿すぎるだろ私。どんだけだよ。身の程を知れよ。自分は凶悪マッチョなシベリアンハスキーだろうが。絶対実らないよ。
ご指名頂いたコルネリア様が世界最大の不思議だよ。
しかしそんな絶望的な性癖(?)を持っていた私は奇跡的に、本当に奇跡的にコルネリア様という女神と縁を持つことが出来たにも拘らず、大変に嘆かわしく、自分のことながら忌々しさに頭をかち割ってやりたい衝動には駈られるが、やはりどうしても美しい方に見とれてしまうのを止められないわけで。
つまり挙動不審でも美しい殿下から全く目がはなせないのです。
だって初めて見たが殿下はコルネリア様と並ぶ美しさの極みだったんだ!クソみたいに厄介な審美眼が人生で二人目にOKを出した貴重な相手なんだぞ?
まさか中央貴族はみんなこんなに美しいとでも言うのか?絶対にない。あるわけがない。そんなんだったらこの辺境にだってもう少し奇跡の遺伝子があってもいいはずだ。
でもないんだ!こんなにも輝かしい綺羅星のごとき佳人はいないんだよ!だったら見たいだろ?絶対に見る。見ないわけがない。是が非でもだ。
もう恋敵とかそういった些末なことなんかどうでも良いので私は美しい人をひたすらに眺める続けることに人生を費やしたい。このお二人を見た後にあのむさ苦しい脳筋の里に帰るなんて苦痛の極みだ。
勿論、コルネリア様に相応しい男に一ミリでも近付くため進んで帰るわけだが、心情的には誠に遺憾である。
それは兎も角。コルネリア様はこのまま上手く行けば今後もお目にかかれる機会はあるが、殿下はやはり棚ぼたしやがった憎い私のことは今後なるべく遠避けられるだろう。こんなにも間近で拝謁するチャンスなんて今生ではもうないに違いない。
そんな方を正面から堂々と、延々と見ていられる機会を誰がみすみす手放すものか。私は絶対に声をかけないぞ。
「イハダド」
「は、」
呼び掛けられ、反射的に返事をする。私が下らないことを考え続けている間に殿下の考えも纏まったらしい。何かを覚悟したような顔で見返された。
なんだか真面目な話のようなので一度トイレで鼻血が出ていないか確認してきたいんですが良いですか?駄目ですかそうですか。
「お前は信じてくれないかもしれないが、俺は本気だ。だから、馬鹿にしているとは思わないでほしい。」
「承知致しました。」
何を言う気なんですか殿下。前振り怖いわ。
しっかりと言い切った後で一呼吸置き、再び決意を固めたように拳を握り締めるその動作が恐ろしい。タメやめてください殿下。でもそんな顔も超絶美しいです殿下。
「……俺も、」
「…………。」
「俺も…………っイハダドの妻にしてくれ!」
「は……………………………………?、は?」
「素晴らしいですわ!ちゃんと言えましたわねアエミリオ様!」
殿下の台詞を私の脳ミソが解読する前に後ろにいたコルネリア様が感嘆とともに褒め称える。
流石コルネリア様、殿下の発言もしっかりと理解されているようだ。やはり私も貴族らしい二重言語をきちんと修得しておかないといけないな。もしもコルネリア様から二重言語で話しかけられても裏の意味を汲み取れなくなってしまうしな。
「コルネリア……お前にも礼を言わなくてはな。」
「いいえ。アエミリオ様には悪評も受けさせてしまいましたし……申し訳なかったですわ。ですが、陛下のお許しは無事にいただけましたの?」
「ああ。俺の本気も含めて全てご理解いただけた。後はイハダドが受け入れてくれるなら晴れて俺も夫人となれる。」
…………うん?
「喜ばしいことです。それにイハダド様は懐の深い方ですもの。心配はいりませんわ。」
「だが……いや、受け入れてもらえるよう力を尽くそう。コニーも協力してくれるか?」
「もちろんですわ。でも、正妻は譲りませんことよ?」
あれ?もしや二重言語ではない……のか?だって、え?正妻って、あれ?
「わかっている。俺は側に居られるだけで十分だ。それに、妻としての社交はコニーの方が詳しいだろう。」
いくら最近筋肉比重が高まりつつある私の脳ミソとは言え、ここまで来れば流石に違うと言い切れる。
殿下は私に喧嘩を売りに来た訳ではなく、何故か嫁として売り込みに来たのだと。経緯は全く不明だが。
もう私も脳筋枠でいいので誰か説明してください。
「……コルネリア様?」
どうも理由を知っていそうなコルネリア様に、問いかけるような視線を投げるとほんの少しイタズラっぽく微笑まれた。女神。超可愛い。
「申し訳ありませんイハダド様。実は少しだけお芝居をしておりましたの。」
やっぱりフラれるの!?
…………と、思ったがどうやら違うらしい。大分ドキッとしたが女神、じゃなかったコルネリア様がにこにこしながら説明してくれると言うので私は即座にソファへエスコートした。微かに触れる小さな手に目眩がしそうだ。
当然殿下にもしたとも。この役は誰にも譲らない。絶対にだ。
「私たち、本当はずっとイハダド様をお慕いしておりましたのよ。」
お二人とソファに落ち着いて一呼吸。
すぐに聞こえた衝撃の告白から私が立ち直るのにおそらく三分はかかったと思う。体感だから正確なところは判らないが、三分間も間抜け面のまま女神達を待たせていたなんて地獄へ落とされるんじゃないだろうか。
「……しかし、失礼ながら私はお二人にお目通りしたことはなかったかと思いますが、」
もし会っていたとすればいくら私が脳筋枠でも覚えている。寧ろ現状を鑑みれば忘れられる筈がないと言い切れる。
「思った通りでしたわね。」
「やはり分かってはいなかったのだな。」
目の前で天使達が顔を見合わせて何やらアイコンタクトを取っている。誰かカメラを。
「俺はその……三年前の交流戦の時に会ったんだが、判らなかっただろうな。」
わずかに眉尻を下げたまま残念そうに苦笑する顔もまた芸術的だ……じゃなくて。うん交流戦ね交流戦。
困ったことにお二人が目の前にいると目が眩んでちっとも頭が回らないな。なんて幸福な悩みなんだ。私は明日死ぬかもしれない。
いやいや交流戦ね。あれだよ、確かに私の通う士官学校と殿下達の通う正学院は年に一度、学徒交流会が行われている。内容としては武術、魔術、戦略、礼法の四科目を各校の成績優秀者同士で競い合うというものだ。武術は魔法を使わない武芸全般、魔術はそのまま魔法全般、戦略は武術、魔術を含めた何でもありでのチーム対抗陣取り合戦なので合同運動会のようなものと言えるだろう。
「俺は魔術と戦略に出ていたのだが、まさか年下に負けるとは思わなかったぞ。」
「あの時のリオ様のお顔といったら……ふふ。」
「コニー、」
ビデオはまだか?私の脳内メモリでは容量が心許ないから誰か早く開発してくれ。
それにしても殿下は交流会に出られるほどの腕前なのか。流石神に愛された方は違うな。溢れんばかりの才能だな。
競技ではない礼法以外の三分野を指して簡単に交流戦とも呼ぶのだが、この代表に選ばれるというのは学生にとって結構な栄誉だ。評価として生涯残るし、履歴書のような物に記載されるから人事の判断でもプラスに働いたりする。
しかしいくら名誉なものとは言え、こればっかりは身分や生まれ、例え王子だったとしてもそれだけではどうにもならない実力が必要不可欠なのだ。
何故なら、相手である私達士官学校側が冗談抜きのマジガチだから。
正学院側の生徒だって数百年にわたって有能な人材を集めて血統を作り続けている貴族の集まりだから才能の高さは折り紙つきだ。
武術も魔術も当たり前のように平均レベルが高い。
しかし士官学校では当代の優秀者を集めるために貴族は勿論平民にも門戸を開いて幅広く人員を募集し、かつその才能を磨き上げ鍛え抜いて日一日と国境を守るに相応しい人材へ作り変えているのだ。
朝から晩まで血反吐を吐くような訓練漬けの軍人学校と、別方面の教育に主軸が置かれた貴族学校では当然結果は目に見えている。
そしてハッキリ言ってしまうと交流戦は士官学校生の強さを中央に披露するための側面が強いので、個々はともかく全体を通して私達が負けると大問題なのである。
採点する教官も見ている中で、万が一にも相手に遠慮して負けるようなことがあればその場での退学も十分にあり得る。だから我々は手加減しないし、殺さない以外の配慮も殆どしない。
国の外縁を守る盾として、また退学や訓練増加と苛酷度倍増の悲劇を避けるために、結構みんな必死だったりする。
そんな我々を相手に身分なんかで選ばれた半端な腕前の相手が出てくればまず間違いなく大怪我は必至だし、無様な姿を晒すことになる。それは選出の栄誉と同じく、一生残る汚名となるのだからまともな頭をしていれば自分をねじ込んだりはしない。
要約すると、殿下はやはり素晴らしいということだ。
「三年前に初めて負けて、結局今年まで三連敗だ。俺だってずっと修練しているのにまるで追い付けないな。」
悔しそうな台詞とは裏腹にキラキラした瞳が自分に向けられている……ようだ…………はっ!もしやこれは聖魔術か!?私は浄化されかかっているのか!?……大丈夫、まだ腕も足もある。
「まさか殿下のお相手になっていたとは、ご無礼を致しました。」
「良い。まさかあの全身鎧の上から判別しろとは言えないだろう。俺がイハダドだと判ったのも宣誓の時だしな。」
そう、私が天使殿下に気付かなかった最大の理由はそこにある。諸々の事情から試合は各校ごと揃いの全身鎧を着けて行うルールのため、人物はおろか肌の一部も髪の一筋も外からは見えない。鎧を着てしまうと多少の差異は隠れてしまうから、よっぽど特徴的な体型をしていなければ見分けることは非常に難しいのだ。
唯一顔を見せるのが殿下の仰った宣誓の時で、勝者チームの大将格が競技の最後に観客の前で能力を国の為に使うことを誓う際のみ、両チームの勝者だけが兜を外して顔を見せる。一種のアピールタイムだ。
宣誓は定型文の決まりきった内容ではあるが、表彰式も兼ねたタイミングという事でそこそこの効果はある。
そのアピールがまさか天使に届くなんて、大して信心深いわけでもなかったというのになんという神の御慈悲。これからは心を込めて日々感謝を捧げないとな。
だがもしかすると私はそれで一生分の幸運を使ったのかもしれない。明日からは更に自分の地力を高める必要があるだろう。死ぬ気で精進しないとな。
「初めて負けた年は悔しくて、とにかくどんな相手だったのかすぐに調査させたんだ。」
苦笑する天使殿下だが、士官学生相手にそこまで気にするなんてよほど自信があったのだろうか?
しかし良く良く考えると連敗とはいえ三年間私と戦ったということだろう。
自分で言うのもなんだが私はこと戦闘関連においてはかなり恵まれた才能を与えてもらえたようで、自我が芽生えた幼少期から既にそこそこぶっ壊れ性能だった。
そのまま成長してしまった私は当然、交流戦でも大将ばかりやっているわけで。
と言うことは必然、殿下も大将を続けているということだろう。であれば確かに負けが少ないのも頷ける。
美貌も頭脳も交流戦に出るだけでなく大将に選ばれる程の強さまでなんて、天は殿下に与えなかった物があるんだろうか?
「そしたら帰って来た報告書を見て驚いたよ。相手は二歳も年下の殆ど入学したてと変わらないような少年なんだからな。それなのに魔術も戦略も、おまけに身長まで負けたなんて!」
ああ……そういえば私は戦闘関連の一部なのか子供の頃から身長体格も良かったな。入学当初も頭ひとつ同学年より大きかったが、その後もすくすく育って今や士官学校でもよっぽど大きい先輩でもない限り見上げたことはないかもしれない。
「それからは俺が勝手にライバル視して、張り合って……で、意識してる内に、その……まぁ、好きになってしまった訳だ。」
「それは……幸甚の極みであります。まさか殿下の御目に留めていただけるとは思ってもおりませんでした。」
私の知らない間にそんな青春ぽい爽やかなラブコメが進行していたなんて、本当に全く思いもよらなかったんだが。
聞いた限りではかなりの主要人物なのに全然全く微塵もストーリーの進行を知らされていないのは何故だ?
私だって私をライバル視して特訓する殿下とか、私を意識して勉強頑張る殿下とか、私が別のライバルとの勝負をするのに内心ハラハラする殿下とか、結局ライバルに勝ったのを知ってご満悦な殿下とか見たかった!
100%妄想エピソードだが。というか勉強は私の方が足下にも及ばないし。ライバルとかいないし。
「コニーとは俺がそうして気にしている時に、お互いの手の者がかち合ってな。」
「手の者……?」
「ええ。私もイハダド様のことをこっそり調査させておりましたから。」
さらりと当たり前のように女神が言う。
当たり前……なのかも?だって女神のなさることだし?
いやいや当たり前ではないだろうやっぱり。兄上や姉上なら兎も角、私なんか調べても仕方ないしな。ランダムピックアップか?
「私がお慕いしはじめたのは、リオ様よりもっとずっと以前からですのよ?」
困惑する私に蠱惑的な微笑みを浮かべながら視線を向けるコルネリアス様。
その笑顔で天に召されそうです女神。ご利用は計画的に。
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